鹿島アントラーズとは、茨城県鹿嶋市、神栖市、潮来市、行方市、鉾田市をホームタウンとするJリーグに所属するサッカークラブである。
Jリーグ創設当初からのオリジナル10の一つであり、発足以来一度も降格したことがないのは鹿島アントラーズと横浜F・マリノスのみである。
概要
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前身は住友金属工業蹴球団。ホームタウンは茨城県鹿嶋市、神栖市、潮来市、鉾田市、行方市の5市。
ホームスタジアムである県立カシマサッカースタジアムがある鹿嶋市とその周辺は、公共交通機関が充実しているとは言えず、むしろ陸の孤島とまでささやかれるほど、Jリーグクラブの本拠地としては一、二を争う田舎である。
にもかかわらず、Jリーグ発足以来、常勝クラブとして頂点に君臨し続け、2000年にはその年の国内タイトル全てを制する三冠を、2007年には国内タイトル通算十冠を、2007年~2009年にかけてはリーグ三連覇を、いずれもJリーグ史上で初めて達成した。2011年~2012年にはクラブ初となるヤマザキナビスコカップ2連覇を果たした。獲得タイトル数はJリーグ最多の16個。年間で2桁順位に低迷したのは21年間の中でたった1回だけ。J1通算398勝、通算1254得点(いずれも2013年シーズン終了時点)は共に最多と、数字からも長きに渡って強豪の地位を守ってきたことがうかがえる。2016年は年間3位だったものの、チャンピオンシップを勝ち上がり年間優勝、クラブワールドカップではレアルマドリード相手に互角の戦いで準優勝を果たした。
ちなみに、ジュビロ磐田とは一時期二強時代を築いたこともあって、磐田戦には特別な感情を抱くサポーターは今なお多い。が、最近では同じ赤がチームカラーである浦和レッズの台頭が著しく、レッズ戦のほうが盛り上がる(2004年以降、もっともホームに観客が集まるのはレッズ戦)。
ブラジルのスーパースターであるジーコが常勝チームの礎を築いており、どの試合でも勝利にこだわる「ジーコ・スピリッツ」が伝統としてクラブに受け継がれている。ジーコの影響によりレオナルド、ジョルジーニョ、ベベットなどのブラジル代表の大物選手が在籍したことがある。また、秋田豊、相馬直樹、柳沢敦、小笠原満男、中田浩二、内田篤人、大迫勇也、柴崎岳など各時代の日本を代表する名選手を数多く輩出している。
2019年7月30日、日本製鉄グループが保有していた株式の多くをメルカリに譲渡。これによりメルカリがアントラーズの株式の約6割を保有する筆頭株主となった。
チーム名の由来・マスコットなど
チーム名の「アントラー(antler)」は英語で「鹿の枝角」を意味し、鹿島神宮の神鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしている。その鋭い枝角で勇猛果敢に立ち向かい勝利を目指すという意味も込められている。
クラブマスコットは鹿をモチーフにした「しかお」と、1997年3月2日に「しかお」と結婚したという設定の「しかこ」、1999年8月1日にしかおとしかこの間に誕生したという設定の「アントン」である。
初年度加盟に至るまでの経緯
先述の通り、鹿島地域は陸の孤島扱いされることもあるド田舎であり、住金サッカー部のレベルも読売クラブ(東京ヴェルディ)や日産(横浜F・マリノス)などのJSL1部チームとはお世辞にも比にもならないものであった。しかし、Jリーグ発足にあたり参加チームを選定する中で、当時12チームあったJSL1部の内、浜松の本田技研と川崎の東芝は参加を蹴り、残り2枠を他地域で争うことになった。まず内定したのは設備などが整っていた静岡・清水の市民クラブ(後の「清水エスパルス」)で、最終的に残り1枠を主に柏の日立製作所(柏レイソル)、平塚のフジタ(湘南ベルマーレ)、磐田のヤマハ発動機(ジュビロ磐田)、大阪のヤンマーディーゼル(セレッソ大阪)、そして鹿島の住友金属で争うことになった。しかし、ド田舎かつ弱小(住金以外はこの地点で天皇杯優勝経験あり)の鹿島住金は圧倒的不利であり、当時のJリーグ理事長川淵三郎に「住金が加入できる確率は、99.9999%ダメだ」とまで言われた。サッカーの実力、ホームタウンの人口などを考えれば当然である。しかし少しも引き下がることはなく「ならば0.0001%の確率は残っているんですね」と言い返した。
そして何よりJリーグの加盟に必須条件である競技場が鹿島にはなかった。先の発言につけ加えて「日本で初の屋根つきサッカー専用スタジアムでもあればねぇ」なんて川淵に言われる始末。しかしそれを聞いた関係者はすぐさま県に働きかけて、本当に県立カシマサッカースタジアムを作ってしまった。建てた後にも「スタジアムがあったってお客さんが入らなきゃ意味無いよ」と突っ込まれ、工業地帯はじめ地元企業、市町村の協力をとりつけた。中には当時鹿島とともにJリーグ加盟を目指していた浦和レッズの母体である三菱グループの企業も含まれていたという。
そして当時住金のサッカーの実力は日本リーグ2部レベル。とてもじゃないがプロと呼べるものではなかった。しかしスーパースターであるジーコはじめ、先に挙げた本田技研から黒崎、長谷川、本田などを獲得。あれだけ弱かったクラブをJリーグ初年度の1stステージ優勝クラブにまで育て上げた。もちろんジーコが入り、本田技研から選手が入ったからってJリーグ初年度からあれほどの成績を残せるわけではない。同じくホンダから移籍した、当時の監督である宮本征勝は、Jリーグ開幕までに元から住金にいた選手たちを一定レベルに底上げする必要があった。このときの様子を、本田泰人は『サッカー批評』38号でこう語っている。
「(当時の住金の選手たちは)止めることと蹴ることが、全くできていませんでした。それを宮本さんがすぐに気づいて、走ることと基本練習をまず1ヶ月やろうと。で、1ヶ月経ったら宮本さんが『もう1ヶ月やる。また同じことを反復するけど我慢してくれ。』って言っていましたね。」
※なお、住金と最後まで参入争いを繰り広げたチームはその後Jリーグ参入を果たしている。また、参加を蹴ったチームのうち東芝は本社方針でアマチュアリズムを掲げていることから本社支援を離れ北の大地へ。現在は北海道コンサドーレ札幌としてアントラーズと鎬を削る。本田技研は度々プロ化しての参加が囁かれるが色々あって頓挫。今に至るまで一介のアマチュアチーム「Honda FC」として活動を続けている。本田技研とプロとの関係については当該項目参照。
カシマサッカースタジアムは後の日韓W杯に合わせ4万人規模に改修。現在、田園地帯のど真ん中に建つ巨大スタジアムの脇には現在の鹿島の礎を築いたジーコの銅像が建てられている。また試合日には茨城県内だけでなく関東各地からファンが参集する他、「グルメスタジアム」と呼ばれるほど売店の飲食物(特にモツ煮)が異常に旨い。人気店はキックオフ3時間前の会場直後に行列ができるほど。
クラブの歴史
- 1991年に前身である住友金属に元ブラジル代表のジーコが入団。翌年、Jリーグ発足に伴い、チーム名を現在の「鹿島アントラーズ」に変更する。
- Jリーグ初年度となった1993年Jリーグ1stステージで大方の予想を覆し優勝する。ジーコを筆頭にブラジル選手の活躍が目立ち、特にアルシンドはプレーのみならずキャラクター性もあって大人気となり、Jリーグバブルを象徴する選手の一人となった。チャンピオンシップではヴェルディ川崎に敗れ、初代王者の座を逃す。第2戦でのPKの判定に抗議したジーコがボールへ唾を吐き退場となった事件が有名。
- 1994年の1stステージを最後にジーコが現役を引退。引退後もテクニカル・アドバイザーとしてチームに関わることに。また、このシーズンを最後に宮本征勝監督やアルシンド、サントスも退団。一方で現役のブラジル代表であるレオナルド、ジョルジーニョが相次いでチームに加入する。
- 1996年にジョアン・カルロスが監督に就任。また、ジーコがテクニカルディレクターとしてベンチで目を光らせることになる。初の1リーグ制となったリーグ戦では、元セレソントリオを擁する横浜フリューゲルス、アーセン・ベンゲル監督2年目の名古屋グランパスエイトと三つ巴の優勝争いを繰り広げ、終盤戦の勝負所で勝負強さを発揮できたことで初のJリーグ優勝を果たす。
- 1997年はV川崎から移籍したビスマルクが前年に退団したレオナルドの穴を埋める活躍を見せ、1stステージを優勝。2ndステージはワールドカップ最終予選出場のために日本代表組が抜けたことが影響し4位となる。チャンピオンシップでは2試合ともジュビロ磐田に敗れ、連覇を逃す。ちなみに年間の勝ち点では1位だった。
一方、ホーム&アウェイ開催となったナビスコカップの決勝では2試合とも磐田に快勝し初優勝を飾る。さらに、第77回天皇杯でも決勝で横浜F相手に快勝し初優勝。史上初となるカップ戦二冠を達成。 - 1998年は1stステージ途中にジョルジーニョらブラジル組と対立したジョアン・カルロス監督が辞任。新監督にゼ・マリオを迎えた2ndステージは安定感を取り戻し優勝。前年に続いて磐田と争うことになったチャンピオンシップでは2試合とも勝利し、2度目のJリーグ年間王者となる。プロ3年目となる柳沢敦が22得点の活躍を見せ、リーグ優勝に貢献した。この年を最後にジョルジーニョが退団。
- 1999年はジョルジーニョが抜けた穴を埋めきれず低迷。2ndステージからはジーコが総監督として自ら指揮を執るも調子を取り戻せず、年間9位でシーズン無冠に終わる。
- 2000年にトニーニョ・セレーゾが監督に就任。1stステージは8位と低迷するが、2ndステージになると3年目となる1979年組の小笠原満男、中田浩二、本山雅志ら若手が主力として成長。さらに夏にレンタルバックとなった鈴木隆行が大事な局面でラッキーボーイ的な働きを見せ、2ndステージを制する。Jリーグチャンピオンシップでは横浜F・マリノスを倒して2年ぶり3度目のJリーグ王者となる。若手の台頭で勝負強さが蘇ったチームはさらにナビスコカップ、天皇杯も優勝し、Jリーグ発足以来初となる国内ビッグタイトル三冠を達成。
- 2001年の1stステージは相馬直樹ら主力の長期離脱が相次ぎ11位と低迷、2ndステージになると、アウグストの加入で相馬の穴が埋まり、前年からスランプに陥っていた柳沢が復調したこともあり優勝する。宿敵磐田との3度目の対戦となったチャンピオンシップでは、小笠原の劇的な決勝ゴールで勝利しリーグ連覇となる4度目のリーグ制覇を果たす。
- 2002年は爆発的な強さを発揮した磐田のリーグ戦完全優勝を許してしまう。一方、ナビスコカップでは小笠原の決勝ゴールで浦和レッズを決勝で破り、3度目の優勝を飾る。
- 2003年にA3チャンピオンズカップ初代王座となる。しかし、これを最後にタイトルから遠ざかるようになり、この年を最後に初年度からチームを牽引した秋田豊が退団。さらに主力の海外移籍が相次いだことによって戦力が低下していき、内田篤人ら新世代の台頭もあったものの2006年までは過渡期を迎える。
- オズワルド・オリベイラが監督に就任した2007年に5年ぶりのタイトルとなるJ1リーグ優勝を果たす(詳細は後述)。これによってクラブの悲願だった「10冠」を達成。また、この年の天皇杯も制し、シーズン二冠を達成する。
- 2008年は21ゴールを決め得点王を獲得したマルキーニョスの活躍もあり、リーグ連覇を達成する(詳細は後述)。ちなみに、前年は浦和レッズが、この年はガンバ大阪がACLを制覇したためFIFAクラブワールドカップの出場を果たせなかった。
- 2009年も第3節から第17節まで12試合無敗という破竹の勢いを見せ、3連覇へ向けて好スタートを切る。前半戦折り返しの時点で2位以下に勝ち点8差をつけ、このまま独走態勢に入るかと思われた。しかし、代表に定着した内田篤人を筆頭に主力に疲労が見え始めると、中盤戦でまさかの5連敗を喫し首位から転落。優勝争いは一転して大混戦となる。しかし、小笠原と中田浩二のダブルボランチを採用することで安定感を取り戻すと、首位を取り戻し、第33節でガンバ大阪との大一番を制するとそのまま最終節まで首位の座を守りぬく。この結果、Jリーグ発足以来初のリーグ三連覇を達成。
- 2010年はワールドカップ後に内田とイ・ジョンスが移籍したことが影響し、後半戦に勝ち切れない試合が増えたことで優勝争いから脱落。4連覇を逃す。
一方、第90回天皇杯では決勝まで勝ち進むと、清水エスパルスを下して3年ぶり4回目の優勝を果たす。同時にリーグでは逃していたACL出場権を獲得する。 - 2011年3月11日に発生した東日本大震災によって被災し、スタジアムはクラブハウスが大きく損壊。しばらくの間、チームの活動を休止する事態となった。
震災とACLによる過密日程の影響でリーグでは6位に終わるが、ナビスコカップでは決勝で延長戦の末に浦和レッズを破り、3年ぶり6回目の優勝を飾る。この年を最後にオズワルド・オリベイラ監督が退任。 - 2012年はクラブレジェンドのジョルジーニョが監督として帰還。スルガ銀行チャンピオンシップ優勝、さらにナビスコカップでは初の連覇を飾るなどタイトルは獲得するが、リーグでは11位と低迷したことから1年で退任する。
- 2013年、クラブの黄金期を築いたトニーニョ・セレーゾが8年ぶりに監督に復帰。大迫勇也や柴崎岳が主力として成長するなど成果はあったが、2年連続でタイトルを獲得することができず。2015年も低迷が続き、2ndステージ途中でセレーゾが解任となる。
トップチームコーチの石井正忠が後任となり2ndステージ2位で終了。ナビスコカップでは決勝でガンバ大阪相手に完勝し、史上最多となる6回目の優勝を飾る。 - 2016年は植田直通と昌子源、曽ヶ端準を中心としたリーグ最少の10失点という堅守が光り、快進撃を見せた川崎フロンターレとの争いを制して1stステージを優勝。2ndステージではカイオが中東に引き抜かれ、金崎夢生が石井正忠監督と衝突するなど問題が生じ低迷する。しかし、チャンピオンシップでは年間勝ち点2位の川崎フロンターレ、勝ち点1位の浦和レッズを下し、7年ぶり8回目のJ1リーグ優勝を達成。この年ようやくFIFAクラブワールドカップに初出場。準決勝でアトレティコ・ナシオナルを下し、アジア勢初の決勝進出を果たす。決勝では名門レアル・マドリードを相手に柴崎岳の2ゴールで一時は逆転するなど追い詰めるが、延長戦でクリスティアーノ・ロナウドのハットトリックを許し、惜しくもクラブ世界一の座をあと一歩で逃すが、準優勝という結果を残す。超過密日程で挑んだ天皇杯では底力を見せ、6大会ぶり5度目の優勝を果たす。これによって9年ぶりのシーズン二冠を達成。
- 2017年は序盤こそ低迷し、石井監督が解任となるが、大岩剛監督就任以降にチームは上昇気流に乗っていき、残り2試合であと1勝すればリーグ連覇というところまで迫るが、まさかの2試合連続スコアレスドローに終わり、得失点差で上回った川崎フロンターレの逆転優勝を許す。
- 2018年は内田篤人が8年ぶりに復帰。7月にはジーコがテクニカル・ディレクターとして16年ぶりにチームに復帰。この年、これまで獲得できなかったAFCチャンピオンズリーグ(ACL)において初めて決勝まで進出。決勝では、ペルセポリス(イラン)を相手にホームの第1戦を2-0で制すると、アウェイの第2戦では10万人もの相手サポーターからのプレッシャーを跳ね除けて0-0と第1戦のリードを守り切り、出場回数8回目にして初優勝を果たし、悲願のアジア王者となる。また2年ぶりの出場となったクラブワールドカップでは準決勝で再びレアル・マドリードと対戦するも、ガレス・ベイルのハットトリックによって完敗。3位決定戦でもリーベル・プレートに完敗。一方、ACLを勝ち上がった影響で公式戦60試合を戦うことを強いられ、国内では無冠に終わる。
この年を最後に小笠原が現役を引退。 - 2019年7月30日、親会社だった住友金属を吸収合併していた日本製鉄株式会社から株式を譲渡されたメルカリが筆頭株主となる。リーグ戦では3位に入るが、決勝まで進んで天皇杯も決勝でヴィッセル神戸に敗れ、無冠で終了。大岩監督は退任となる。
- 2020年にアントニオ・カルロス・ザーゴが監督に就任、大型補強をおこない、新監督のもと伝統のカウンタースタイルからボールを保持して押し込み主導権を握るスタイルへ転換を図るが戦術が浸透せず。一時は最下位に沈むほど苦戦をし、後半戦に巻き返すが5位で終了し、5年ぶりにACL出場権を逃す。
この年のシーズン途中に負傷に悩まされていた内田が32歳で現役を引退。またシーズン終了後には曽ヶ端準が引退し、これで79年組は全員が現役を退いたことになる。 - 2021年も開幕から低調な戦いが続くと、見切りをつけたフロントはザーゴ監督を解任し、クラブOBの相馬直樹が監督に就任。相馬監督は前任者とは正反対に手堅いスタイルを打ち出し、崩壊寸前だった守備を安定させ、上位グループに入るまで改善するが、最終的には4位に終わる。このシーズンを最後にジーコがTDを退任。これを機にクラブはこれまでのブラジル路線から欧州路線への転換を図る。
- 2022年、クラブ初の欧州人監督となるレネ・ヴァイラーを招聘。序盤は上田綺世と鈴木優磨の2トップの活躍によって首位争いの一角に加わる。しかし夏に上田がベルギーへ移籍するとチームは得点力不足に陥り失速。個に依存したサッカーの限界を露呈したヴァイラー監督を8月解任し、コーチの岩政大樹が後任となる。岩政監督は「新しい鹿島を創る」と宣言し、理想と改革を追い求めたが、その後も調子が上がらず2年連続4位で終え、4年連続無冠となる。
- 岩政体制2年目の2023年には昌子源と植田直通が復帰。第5節から4連敗を喫し、早くも躓くと岩政監督の解任論が囁かれ、一部のサポーターが抗議をする事態になる。このときに自ら矢面に立った鈴木優磨の奮闘もあって4連敗直後に5連勝、しかも5試合連続無失点とバウンスバックを見せ、上位戦線に浮上する。夏場も白星が先行していたが、終盤戦になると6試合連続未勝利が続き、最終順位は5位で終え、7年連続国内無冠が確定。佐野海舟や松村優太ら若手の台頭など収穫もあったが、岩政監督は退任となる。
- 2024年よりランコ・ポポヴィッチが監督に就任。大卒1年目の濃野公人のブレイク、知念慶のボランチコンバートが功を奏し、前半戦は優勝争いの一角に加わる。だが、後半戦に入って勝ち点を落とす試合が増えるようになり徐々に優勝争いからフェードアウトし始める。10月にポポヴィッチ監督を解任し、コーチの中後雅喜が監督に昇格。監督交代後の6試合を3勝3分で終えるも、最終順位は5位となる。
- 2025年、川崎で7つのタイトルをもたらす黄金期を築き、クラブのOBでもある鬼木達が監督に就任。
主なタイトル
国内タイトル
- J1リーグ年間優勝:8回
1996年、1998年、2000年、2001年、2007年、2008年、2009年、2016年 - 天皇杯:5回
1997年、2000年、2007年、2010年、2016年 - Jリーグカップ:6回
1997年、2000年、2002年、2011年、2012年、2015年 - スーパーカップ:5回
1997年、1998年、1999年、2009年、2010年
国際タイトル
- AFCチャンピオンズリーグ:1回
2018年 - A3チャンピオンズカップ:1回
2003年 - Jリーグカップ/コパ・スダメリカーナ王者決定戦:2回
2012年、2013年
個人タイトル
- Jリーグ最優秀選手賞
- Jリーグベストイレブン
- 1993年: サントス、 本田泰人、 大野俊三
- 1995年: 相馬直樹
- 1996年: ジョルジーニョ、 相馬直樹
- 1997年: ビスマルク、 秋田豊、 相馬直樹
- 1998年: 柳沢敦、 秋田豊、 相馬直樹
- 2000年: 秋田豊、 高桑大二郎
- 2001年: 柳沢敦、 小笠原満男、中田浩二、 名良橋晃、 秋田豊
- 2002年: 小笠原満男、 曽ヶ端準
- 2003年: 小笠原満男
- 2004年: 小笠原満男
- 2005年: 小笠原満男
- 2007年: 岩政大樹
- 2008年: マルキーニョス、 内田篤人、 岩政大樹
- 2009年: 小笠原満男、 内田篤人、 岩政大樹
- 2013年: 大迫勇也
- 2014年: 柴崎岳
- 2015年: 金崎夢生
- 2016年: 昌子源
- 2017年: 西大伍、 昌子源
- 2018年: 西大伍
- 2020年: エヴェラウド
- 2024年: 知念慶、 濃野公人
- J1リーグ得点王
- Jリーグ新人王 / Jリーグベストヤングプレイヤー賞
- Jリーグカップ最優秀選手賞
- Jリーグカップニューヒーロー賞
- AFCチャンピオンズリーグMVP
現在の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 | 備考 |
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- | 監督 | 中後雅喜 | 1982.5.16 | 2024 | 鹿島アントラーズ コーチ | 【新】 | |
1 | GK | 早川友基 | 1999.3.3 | 2018 | 明治大学 | ||
2 | DF | 安西幸輝 | 1995.5.31 | 2021 | SCポルティモネンセ | ||
4 | DF | ミロサヴェリエヴィッチ | 1992.7.30 | 2024 | FKヴォイヴォディナ・ノヴィサド | 【完】 | |
5 | DF | 関川郁万 | 2000.9.13 | 2023 | 流通経済大学付属柏高校 | 【H】 | |
6 | MF | 三竿健人 | 1996.4.16 | 2024 | OHルーヴェン | 【完】 | |
7 | MF | チャヴリッチ | 1995.9.19 | 2024 | ヴィラ・ノヴァFC | 【レ】 | |
10 | MF | 柴崎岳(C) | 1992.5.28 | 2023 | CDレガネス | 【H】 | |
11 | FW | 田川亨介 | 1999.2.11 | 2024 | ハート・オブ・ミドロシアンFC | 【完】 | |
13 | FW | 知念慶 | 1995.3.17 | 2023 | 川崎フロンターレ | ||
14 | MF | 樋口雄太 | 1996.10.30 | 2022 | サガン鳥栖 | ||
15 | MF | 藤井智也 | 1998.12.4 | 2023 | サンフレッチェ広島 | ||
16 | DF | 須貝英大 | 1998.10.27 | 2023 | ヴァンフォーレ甲府 | ||
17 | MF | ターレス・ブレーネル | 1998.5.12 | 2024 | FCルフ・リヴィウ | 【レ】 | |
26 | MF | 須藤直輝 | 2002.10.1 | 2021 | ツエーゲン金沢 | ||
28 | DF | 溝口修平 | 2004.2.13 | 2022 | 鹿島アントラーズユース | 【H】 | |
29 | GK | 梶川裕嗣 | 1991.7.26 | 2024 | ジュビロ磐田 | 【完】 | |
30 | MF | 名古新太郎 | 1996.4.17 | 2018 | 湘南ベルマーレ | ||
31 | GK | 山田大樹 | 2002.1.8 | 2020 | ファジアーノ岡山 | 【復】 | |
32 | DF | 濃野公人 | 2002.3.26 | 2024 | 関西学院大学 | 【卒】 | |
33 | MF | 仲間隼斗 | 1992.5.16 | 2022 | 柏レイソル | ||
34 | MF | 船橋佑 | 2002.7.12 | 2021 | 鹿島アントラーズユース | 【H】 | |
36 | FW | 師岡柊生 | 2000.12.9 | 2023 | 東京国際大学 | ||
38 | GK | パク・ウィジョン | 2004.5.22 | 2023 | 漢陽工業高校 | ||
39 | DF | 津久井佳祐 | 2004.5.21 | 2023 | 昌平高校 | ||
40 | FW | 鈴木優磨 | 1996.4.26 | 2022 | シント=トロイデン | 【H】 | |
41 | FW | 徳田誉 | 2007.2.28 | 2024 | 鹿島アントラーズつくばジュニアユース | 【2】 | |
42 | DF | 松本遥翔 | 2006.9.29 | 2024 | JFAアカデミー福島 U-15 WEST | 【2】 | |
43 | DF | 佐藤海宏 | 2007.2.26 | 2024 | 鹿島アントラーズジュニアユース | 【2】 | |
44 | DF | 大川佑梧 | 2007.7.14 | 2024 | 鹿島アントラーズジュニアユース | 【2】 | |
45 | FW | 吉田湊海 | 2008.2.18 | 2024 | FC多摩ジュニアユース | 【2】 | |
55 | DF | 植田直通 | 1994.10.24 | 2023 | ニーム・オリンピック | 【H】 | |
77 | MF | ギリェルメ・パレジ | 1995.9.19 | 2024 | ヴィラ・ノヴァFC | 【レ】 |
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
過去に所属した選手
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歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
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宮本征勝 | 1992年~1994年6月 | Jリーグ1stステージ優勝(1993年) | |
エドゥー | 1994年6月~1995年 | ||
ジョアン・カルロス | 1996年~1998年7月 | ・Jリーグ優勝(1996年) ・Jリーグ1stステージ優勝(1997年) ・ナビスコカップ優勝(1997年) ・天皇杯優勝(1997年) |
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関塚隆 | 1998年7月 | 監督代行 | |
ゼ・マリオ | 1998年8月~1999年8月 | Jリーグ優勝(1998年) |
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関塚隆 | 1999年8月 | 監督代行 | |
ジーコ | 1999年8月~1999年12月 | 監督代行(総監督) | |
トニーニョ・セレーゾ | 2000年~2005年 | ・Jリーグ優勝(2000年、2001年) ・ナビスコカップ優勝(2000年、2002年) ・天皇杯優勝(2000年) ※シーズン三冠達成(2000年) |
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パウロ・アウトゥオーリ | 2006年 | ||
オズワルド・オリヴェイラ | 2007年~2011年 | ・Jリーグ優勝(2007年、2008年、2009年) ・ナビスコカップ優勝(2011年) ・天皇杯優勝(2010年) |
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ジョルジーニョ | 2012年 | スルガ銀行杯優勝(2012年) | |
トニーニョ・セレーゾ | 2013年~2015年7月 | スルガ銀行杯優勝(2013年) | |
石井正忠 | 2015年7月~2017年5月 | ・ナビスコカップ優勝(2015年) ・Jリーグ優勝(2016年) ・天皇杯優勝(2016年) |
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大岩剛 | 2017年5月~2019年 | AFCチャンピオンズリーグ優勝(2018年) | |
ザーゴ | 2020年~2021年4月 | ||
相馬直樹 | 2021年5月~12月 | ||
レネ・ヴァイラー | 2022年~2022年8月 | ||
岩政大樹 | 2022年8月~2023年 | ||
ランコ・ポポヴィッチ | 2024年~2024年10月 | ||
中後雅喜 | 2024年10月~12月 | ||
鬼木達 | 2025年~ |
エピソード
- ジーコ入団
- 1991年に来日した当初の住友金属サッカー部は当時JSL2部のアマチュアであり、世界的なスーパスターであるジーコから見ればアマチュア意識の抜けない選手たちは信じられないものだった。ジーコは彼らにプロ意識を叩きこむため、毎晩選手寮の出入りを見張っていた。
ちなみに当初は古河電工に加入する予定だったが、古河サイドが難色を示したこともあり、アピールしていた住友金属に入団することとなった。
一方、すでに一度引退していたジーコは当初日本に来ることに乗り気ではなく、選手としてプレーするつもりもなかったが、ゼロからプロサッカークラブを築くという話に魅力的なものを感じて現役復帰を決意し、今日の"常勝"鹿島の礎を作るに至った。 - ロスタイムの悲劇
- 2003年2ndステージ最終節での出来事。詳しくはこちらを参照。
- 「10冠」
- 2002年のヤマザキナビスコカップ優勝で、10冠へと王手をかける9個目の国内タイトルを獲得した鹿島。しかしその後は、02年天皇杯準優勝、03年ヤマザキナビスコカップ準優勝、03年2ndステージは上記参照、05年リーグ3位、06年ヤマザキナビスコカップ準優勝というように、ことごとくあと一歩のところで逃してきた。
- 9連勝で奇跡の逆転優勝
- 2007年。あれだけ目の前で逃してきた10冠が、終盤9連勝での逆転優勝という誰も予想だにしなかった形で手に入る。ほとんどの鹿サポの頭が真っ白になった瞬間である。ちなみにこの年は天皇杯も制し11冠目も獲得した。
- ロスタイムの歓喜
- 2008年ホーム最終戦であるジュビロ磐田戦。お互い決め手に欠け、スコアレスのまま後半ロスタイムへと突入してしまった。しかし試合終了直前に放たれた岩政のヘディングシュートにより勝利。苦しみながらも鹿島は08年シーズンのリーグ優勝を飾り、これでタイトルは12個になった。
- 助っ人外国人
- 鹿島の助っ人外国人は、2009年にアジア枠が創設され、韓国人のパク・チュホを獲得するまで、ブラジル人のみであった。ジーコの人脈により、ブラジル代表経験のあるレオナルドやジョルジーニョといった大物選手も加入し、初期黄金時代を築いた。タイトルから遠ざかっていた2003年から2006年には助っ人外国人に恵まれない時期が続いたが、2008年にはマルキーニョスが得点王&MVPを受賞。意外にも鹿島から得点王が出たのは、これが初めてである。(MVPは96年のジョルジーニョ以来二人目)
- 鹿島神宮
- 鹿島といえば有名なのが鹿島神宮である。鹿島神宮の祭神は、武道の神と言われる「タケミカヅチノカミ」である。最近ではスポーツ全般に御利益があると言われており、鹿島アントラーズも毎年参拝に訪れ、ご利益にあずかっている。クラブマスコットのしかお、しかこ、アントンはこの鹿島神宮の鹿をモデルとしている。
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