ヴィッセル神戸とは、兵庫県神戸市をホームタウンとするプロサッカークラブである。
ホームスタジアムは神戸ウイングスタジアム(2013年3月より『ノエビアスタジアム神戸』と変更された)。
概要
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前身は1966年創部の川崎製鉄水島サッカー部。1995年にホームタウンを神戸市へ移し、1997年にJリーグに加盟。初期の頃は神戸総合公園ユニバー記念競技場をホームスタジアムとして使用していたが、2002年に神戸ウイングスタジアム(現在のノエビアスタジアム)が完成して以降はこちらをメインで使用している。
ユニフォームは設立当初から黒と白の縦縞だったが、2006年にクリムゾンレッドに書きかえられた。『クリムゾンFC』なので、『クリムゾンレッド』なのだろうか・・・。(東北楽天ゴールデンイーグルスもクリムゾンレッドだが、こちらは楽天の100%子会社。クリムゾンFCとは別のグループ。)
チーム名の「ヴィッセル」は、英語の「VICTORY(勝利)」と「VESSEL(船)」を合わせた造語であり、「勝利の船出」を意味し、国際港湾都市・神戸をイメージしており、神戸市民の夢を乗せ、勝利に挑戦し続けるチームである事の誓いも込められている。
マスコットは神戸・兵庫に馴染みの深い、牛をモチーフとした「モーヴィ(MOVI)」。
現在は楽天グループが運営会社の株式を全部取得しており、楽天の社長である三木谷浩史氏がオーナーとして辣腕を振るい、Jリーグでも屈指の金満クラブとなっている。FCバルセロナのスタイルを目指した「バルサ化」を旗印としており、2010年代後半にはアンドレス・イニエスタ、ルーカス・ポドルスキ、ダビド・ビジャといった世界的なビッグネームの獲得に成功している。なお、かつてはミカエル・ラウドルップも在籍していたことがある。本人は黒歴史としているようだが・・・・。
金満クラブ化しても迷走する時期が続いていたが、2023年にJ1リーグ初優勝を遂げると、2024年にはリーグ連覇と天皇杯優勝の二冠を達成。名実ともにJリーグのビッグクラブとなっている。
歴史
1995年に岡山県倉敷市より川崎製鉄のサッカー部を誘致して設立。同年に『ヴィッセル神戸』として始動。監督には前サンフレッチェ広島監督のスチュアート・バクスターを招聘。しかし、練習初日であった1月17日に阪神淡路大震災が発生し、練習場の未確保や筆頭株主だったダイエーの撤退など、チームに様々な影響が出てしまう。6月に永島昭浩が加入するが、結局旧JFLで6位に終わり1年目でのJリーグ昇格は果たせなかった。
1996年にはトーマス・ビッケル、ジアードといった代表クラスの外国人にデンマーク代表のミカエル・ラウドルップが加わり、この年のJFLで準優勝を果たし、Jリーグに加盟。京都パープルサンガに次ぐ、関西4番目のJリーグチームとなった。
Jリーグ初参戦の1997年は永島が自己ベストの22ゴールを決める活躍を見せるが、ラウドルップはわずか3試合に出場したのみで夏にアヤックス・アムステルダムへ移籍。チームは戦力不足は否めず、下から2番目の17位という結果に終わる。クラブの基盤を築いたバクスターは退任となる。
1998年は永島と金度勲の日韓2トップが活躍するが、前年に続いて17位と低迷。それでもJ1参入決定戦でコンサドーレ札幌を下し、J1残留だけは果たす。シーズン終了後、伊藤ハムがスポンサーから撤退したことでクラブはさらに厳しい経営を強いられることになる。その後、胸部スポンサーが決まらず、経営不振が長引き、それがチームに影響し、長年中位~下位となる。
1999年には前ヴェルディ川崎監督の川勝良一が監督に就任。1stステージこそ12位と低迷したものの、2ndステージではシーズン終盤に3連勝を記録し、7位と昇格以降初の一桁順位を記録する。2000年を最後に「ミスター神戸」永島が引退するが、2001年には三浦知良、望月重良、シジクレイ、サントスが加入。ピークを過ぎたとはいえスター選手である三浦カズは新たなチームの顔となり、この年こけら落としとなった神戸ウイングスタジアムに花を添えた。だが、チームの成績は一向に振るわず、城彰二、播戸竜二が加入した2002年も低迷しシーズン途中に川勝は解任。後任となった松田浩のもとで何とか残留を果たす。
2003年に当時の親会社『株式会社ヴィッセル神戸』は経営破綻により解散。代わって、『クリムゾンFC』が親会社となった。2004年から、胸部スポンサーには楽天が付いている。(2006年には三木谷浩史がクリムゾンFCの代表取締役会長に就任。)
しかし、待望のスポンサーが見つかってもチームの成績は以前として乏しいもので、2004年は2002 FIFAワールドカップで活躍したトルコ代表のイルハン・マンスズを獲得するがわずか3試合に出場したのみで退団。播戸が17ゴールを決める活躍を見せたが、チームはJ1残留がやっとだった。
そして、2005年。この年からユニフォームが白と黒の縦縞からクリムゾンレッドに変更となり、現役日本代表の三浦淳宏が加入したが、チームは開幕から12試合未勝利と低迷。7月に戦力外となったカズが退団し、戦力のテコ入れをおこなうも播戸の長期離脱が響いて深刻な得点力不足と方向性の見えないクラブ経営に終始。第7節に最下位に転落して以降一度も浮上することができず、ついにJ2リーグ降格という最悪の結果に終わる。この年は5人の指揮官が監督に就任するなど、クラブの迷走ぶりが顕著なシーズンだった。
J2リーグで戦うこととなった2006年だったが、三浦淳宏が残留を決意したこともあって主力の多くがチームに残留。9年ぶりに監督に復帰したバクスターが家庭の事情によって8月に退任するが、後を継いだ松田浩監督のもとで昇格争いに加わるが、最終的に3位でシーズンを終え目標だった自動昇格の2位以内を逃す。しかし、アビスパ福岡との入れ替え戦に勝利し、1年でのJ1復帰を果たす。
J1に復帰した2007年は大久保嘉人、レアンドロが加入。この2人を擁した攻撃陣はリーグ4位の58得点をマーク。シーズン途中に起用法を巡って松田監督と衝突したキャプテンの三浦淳宏が退団する事件が起きるが、10月の時点でJ1残留を確定させ当時のクラブ最高勝ち点の45を記録。目標の一桁順位にこそわずかに届かなかったが、J1復帰1年目としては上出来のシーズンとなった。
2008年は開幕から好調を維持していたが、レアンドロ、北本久仁衛ら主力に怪我人が続出したことでチームは失速。一時は降格圏に転落するほど落ち込んだが、終盤に入って5連勝を記録。11月23日のFC東京戦でJ1残留を決める。一時は松田監督の続投が報道されていたが、フロントは方針を一転させてシーズン終了後に解任を発表する。
新体制となった2009年だったが、新たに監督に就任した6月30日にカタールのクラブへ引き抜かれてしまう。さらに大久保、レアンドロが揃って退団したことで攻撃力が低下。シーズン途中から三浦俊也が監督に就任し、6月に大久保が復帰するも勝ち切れない試合が続き、またもや残留争いに巻き込まれることに。終盤は勝ち点をなかなか伸ばせず苦しんだが、どうにか残留を果たす。
2010年は大久保の不調と三浦監督が都倉賢にロングボールをぶつける単調なサッカーに終始したことでやはりチームは低迷。第17節から23節までの7試合で6人の退場者を出し、2度もフィールドプレイヤーがGKを務めるという珍事も起こしている。9月に三浦は解任され、チーム統括部長だった和田昌裕が監督に就任。後半戦に入って巻き返し、最終節で浦和レッズに勝利したことでJ1残留が確定する。
「よりボールを保持し相手を圧倒するサッカー」をテーマとした2011年は補強失敗もあって中盤戦に入り9試合未勝利と苦戦。それでも新たにキャプテンに就任した吉田孝行、大久保、朴康造、相馬崇人らベテラン勢の奮起とプロ2年目の森岡亮太の成長によって終盤に入って勝ち点を積み重ね、最終的に9位でシーズンを終える。
2012年、序盤の8試合で3勝5敗と低迷し、4月30日に和田監督を解任する。後任に昨季までガンバ大阪を指揮し実績を出した西野朗が就任したが、9試合勝ちなしを記録するなど成績が向上せず11月8日に西野監督を解任。最終節に勝てば残留の状況で敗戦し、他会場の結果により2度目のJ2降格が決定した。
2013年は降格したことで大久保ら主力は退団。続投となった安達亮監督は若手を積極的に起用し、気が付けば同じくJ2に降格したガンバ大阪とのマッチレースとなる。最後に振り切られて優勝は逃したものの、最終的には2位を悠々と確保して1年でのJ1復帰を決めた。
2014年はリーグ戦第8節鹿島戦で15年ぶりにアウェー勝利をし、クラブ史上初のリーグ戦首位に立つ等ワールドカップ中断期間までは3位となった。ナビスコカップではクラブ史上初の決勝トーナメント進出を果たした一方、で天皇杯は2回戦(関西学院大学戦)で敗退。第31節サガン鳥栖戦の敗戦でAFCチャンピオンズリーグの出場が消滅し、その直後に約2年間指揮をとった安達亮監督のシーズン終了後の契約満了が発表された。最終的にシーズン終盤はリーグ戦4連敗を喫するなど11位。この年の12月に楽天グループが運営会社の株式を全て取得し、三木谷氏がオーナーとして経営に携わるようになる。
2015年は柏レイソルを優勝に導いたネルシーニョを監督として招聘。4月以降はホームゲームで勝ち星を稼げず、1stステージは13位と低迷。2ndステージ開幕戦こそ5-0と圧勝するスタートしたが、4節から6節まで3連敗。この時期はホームとして使用するノエビアスタジアムのピッチコンディションが悪く、ネルシーニョが苦言を呈するほどだった。そのため、2ndステージ9節サガン鳥栖戦とナビスコカップ準々決勝柏レイソル戦は神戸ユニバー記念競技場に試合会場が変更された。それでも9月から5連敗、一時は年間勝ち点15位と降格の可能性を残したが15節モンテディオ山形戦と第16節松本山雅FCとの2連戦に連勝して残留を確定させた。ナビスコカップはベスト4、天皇杯はベスト8に入った。
2016年は始動がJリーグで最も遅いこともあってか開幕戦は甲府に敗れたものの、2節の新潟戦で6-3の逆転勝利で初勝利。1stステージは12位と苦しんだが、2ndステージでは8節FC東京戦以降はリーグ戦8勝1分1敗と好成績を収めた。2ndステージ15節仙台戦で敗れた為ステージ優勝の夢は途切れたものの、2ndステージを2位で終えた。年間成績は過去最高の7位。またFWレアンドロが19得点を挙げ、クラブ初のJリーグ得点王に輝いた。
2017年クラブ史上初の開幕4連勝を達成する好スタートを切ったものの、開幕戦で前年得点王のレアンドロが全治6か月の重傷(後に再発しシーズン絶望)を始め攻撃陣の不振による得点力が低下したことにより低迷。7月には元ドイツ代表のルーカス・ポドルスキが加入。Jリーグにとって久々のビッグネームの加入ということで注目されたが、8月16日にネルシーニョを解任。ヘッドコーチの吉田孝行が監督に抜擢されるとリーグでの順位は9位となり、2年連続での一桁順位となった。天皇杯は準決勝でC大阪に敗れた。
2018年はワールドカップ後にFCバルセロナからスペイン代表MFアンドレス・イニエスタの完全移籍が発表された事が話題となり、日本のみならず海外でも注目を浴びる。契約を実現した三木谷オーナーは、FCバルセロナのようなチームを作る「バルサ化」を旗印にする。一時は4位に浮上し、目標としたACL出場の可能性も現実味を帯びていたが、8月下旬から5連敗を喫し一気に順位を落とす。三木谷オーナーは吉田監督の解任を決断し、ジョゼップ・グアルディオラの師匠と言われるスペインの戦術家ファン・マヌエル・リージョを監督として迎え入れる。残留の大一番となった31節名古屋戦を勝利するなど、シーズン終盤6試合で1敗で乗り切り、33節にJ1残留が確定した。シーズン最終節終了後、イニエスタと共にスペイン代表を2010 FIFAワールドカップ優勝に導いたダビド・ビジャの加入を発表する。
悲願の初タイトル
2019年は開幕前の2月にJリーグクラブ初となるアメリカ合衆国を拠点にプレシーズンツアーを実施し、MLSのチームと試合を行った。また7月27日には、イニエスタとビジャの古巣でもあるFCバルセロナと「Rakuten Cup」にて、親善試合を行った。
イニエスタ、ビジャ、ポドルスキとワールドカップ優勝経験者を3人を擁するだけでなく、山口蛍やセルジ・サンペールも加わった豪華なメンバー構成となった2019シーズンだったが、シーズン早々にリージョ監督が本人の希望で退任。吉田孝行が再び監督に復帰するも4月から5月末にかけてリーグ戦クラブワーストとなる7連敗を喫するなど公式戦9連敗で順位を大きく落とした。7月に吉田を解任し、ドイツ人のトルステン・フィンクが監督に就任。最終的にはフィンク就任後に加入した酒井高徳、トーマス・フェルマーレンが早々にフィットし、フォーメーションを3バックに固定して以降は不安定だった成績も安定。シーズン成績は8位に終わった。
そんな中。第99回天皇杯は順調に勝ち上がり、初の決勝進出を果たす。新国立競技場のこけら落としとなった2020年元日の決勝で鹿島アントラーズを下し、クラブ史上初タイトルを獲得。新国立にとっては世界的スーパースターのイニエスタがトロフィを掲げるという最高のこけら落としとなった。同時にAFCチャンピオンズリーグの出場権を獲得した。この試合を最後にビジャは現役を引退、ポドルスキも退団する。
迷走するバルサ化
2020年は開幕直前のゼロックススーパーカップを制覇。イニエスタのパスの受け手として重宝されていた古橋亨梧が新たなエースとして活躍するも、コロナウイルスの中断期間やそれに伴うACLの日程変更などの影響で異例といえる過密な試合日程の中で勝ちきれない試合や試合終盤に競り負ける試合が多く、8月から9月にかけて7試合リーグ戦勝利なしとなった9月22日、家庭の事情でフィンクが退任。後任にはスポーツダイレクターの三浦淳寛が就任。ACLではベスト4まで進出したが、リーグ戦では6連敗を喫してシーズンを終え、14位となる。
2021年は失点の多さが改善されたこと、古橋がハイペースでゴールを量産したこともあって好調を維持し、若手も出場機会を増やして戦力の底上げも図られる。夏に古橋がセルティックFCへ移籍したものの、入れ替わる形で大迫勇也、武藤嘉紀といった代表クラスのアタッカーを獲得。最終的に勝ち点73まで達し、J1リーグ3位というクラブ最高成績を大幅に更新したシーズンとなり、ACL出場権も獲得。
2022年は開幕から躓くとなかなか勝ちに恵まれず、ACLとの兼ね合いによる過密日程、度重なる主力のコンディション不良や怪我、前年でフェルマーレンが移籍したことによる最終ラインの崩壊などによって一時は最下位に転落するほど深刻な不調に襲われる。3月の段階で三浦淳寛監督が解任となり、リュイス・ブラナグマを暫定監督として挟んでミゲル・アンヘル・ロティーナが監督に就任。しかし前半戦をわずか2勝で折り返し、J2降格が囁かれるようになったことで6月29日にロティーナも解任になる。後任として吉田孝行が3度目の監督就任を果たすなど、フロントの迷走ぶりが浮き彫りとなった。それでもACLに敗退したことで日程面が緩和され、不調に陥っていた大迫がコンディションを上げてきたことで5連勝を果たし、残留を争う直接対決をことごとく制したこともあって残り2試合の段階でJ1残留を確定させる。
初のJ1制覇
2023年はこれまで追い続けていた”バルサスタイル"と決別し、前年の終盤に機能していた大迫をターゲットマンとし、走力と運動量で勝負するスタイルに移行。すると、攻撃では大迫と武藤が圧倒的な個人技でチームを牽引し、課題だった守備もバランスを重視するようになったことで大幅に改善。華麗さは無くなったが、強度を重視したサッカーで開幕から順調に勝ち点を積み重ね、チームは横浜F・マリノスとの首位争いを演じるようになる。
一方、チームスタイルを変えたことでこれまでチームの顔だったイニエスタは居場所を失うこととなり、5月25日に退団を表明。7月1日のコンサドーレ札幌戦をラストマッチとし、日本を離れることとなる。またサンペールも7月で退団。クラブの方向転換を象徴する出来事となった。
後半戦、中盤でキーマンとなっていた斉藤未月がシーズン絶望となる大怪我を負ってしまうも、元日本代表勢のメンタル、経験値の差で大崩れすることなく、安定感を保ち続けていた。特に勝負どころでのエース・大迫の存在感は際立っており、上位陣との直接対決をことごとく制し首位をキープ。
そして、11月25日の名古屋グランパス戦に勝利したことにより、ホームのノエスタで残り1試合を残しての悲願のリーグ戦初優勝を飾る。
この年のJリーグアウォーズでは、大迫が最優秀選手賞と得点王を受賞。さらに、大迫、武藤、山口蛍、酒井高徳の4人がJリーグベストイレブンに選出される。
黄金期の到来
2024年は、吉田監督が希望した「1つのポジションに2人以上の選手が欲しい」という要望を実現するために他チームの主力選手を獲得する大型補強を敢行。前年からの戦術を引き続き継続しながらオプションを増やしていくもシーズン前半戦は取りこぼしが目立ち、優勝争いからやや後退していた。しかし、シーズン中盤以降になって新戦力がチームスタイルにフィットするようになり、徹底マークによって大迫が苦しむ中で武藤や宮代大聖が勝負強さを発揮。勝ち点を伸ばして順位を上げ、広島、町田との三つ巴の優勝争いに持ち込む。
一方、ルヴァンカップでは3回戦でJ3の富山に敗れて不覚を取ったものの、天皇杯では決勝でG大阪との関西対決を宮代の決勝ゴールで制し、5大会ぶり2度目の優勝を果たす。
リーグ終盤戦では天皇杯やACLEとの兼ね合いによる過密日程の影響で足踏みが続くが、最後は選手個々の質の高さと選手層の厚さで押し切る形となり、首位で迎えた最終節で湘南相手に3-0で勝利。J1リーグ連覇と同時に国内二冠を達成し、黄金期の到来を印象づけるシーズンとなった。
この年のJリーグアウォーズでは武藤嘉紀が最優秀選手賞に選ばれている。
おもなタイトル
国内タイトル
個人タイトル
現在の所属選手
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
- | 監督 | 吉田孝行 | 1977.3.14 | 2022 | V・ファーレン長崎 コーチ | ||
1 | GK | 前川黛也 | 1994.9.8 | 2017 | 関西大学 | ||
2 | MF | 飯野七聖 | 1996.10.2 | 2022 | サガン鳥栖 | ||
3 | DF | マテウス・トゥーレル | 1999.3.10 | 2022 | モンペリエHSC | ||
4 | DF | 山川哲史 | 1997.10.1 | 2018 | 筑波大学 | 【H】 | |
6 | MF | 扇原貴宏 | 1991.10.5 | 2022 | 横浜F・マリノス | ||
7 | MF | 井手口陽介 | 1996.8.23 | 2024 | アビスパ福岡 | 【完】 | |
9 | FW | 宮代大聖 | 2000.5.26 | 2024 | 川崎フロンターレ | 【完】 | |
10 | FW | 大迫勇也 | 1990.5.18 | 2021 | ヴェルダー・ブレーメン | ||
11 | FW | 武藤嘉紀 | 1992.7.15 | 2021 | ニューカッスル・ユナイテッド | ||
14 | MF | 汰木康也 | 1995.7.3 | 2022 | 浦和レッズ | ||
15 | DF | 本多勇喜 | 1991.1.2 | 2023 | 京都サンガF.C. | ||
16 | MF | 齋藤未月 | 1999.1.10 | 2023 | ガンバ大阪 | 【完】 | |
18 | MF | 井出遥也 | 1994.3.25 | 2023 | 東京ヴェルディ | ||
19 | DF | 初瀬亮 | 1997.7.10 | 2019 | アビスパ福岡 | ||
21 | GK | 新井章太 | 1988.11.1 | 2024 | ジェフユナイテッド千葉 | 【完】 | |
22 | MF | 佐々木大樹 | 1999.9.17 | 2018 | SEパルメイラス | 【H】 | |
23 | DF | 広瀬陸斗 | 1995.9.23 | 2024 | 鹿島アントラーズ | 【完】 | |
24 | DF | 酒井高徳 | 1991.3.14 | 2019 | ハンブルガーSV | ||
25 | MF | 鍬先祐也 | 1998.5.15 | 2024 | V・ファーレン長崎 | 【完】 | |
26 | FW | ジェアン・パトリッキ | 1997.5.14 | 2023 | セレッソ大阪 | ||
30 | MF | 山内翔 | 2002.6.16 | 2024 | 筑波大学 | 【卒】 | |
31 | MF | 中坂勇哉 | 1997.8.5 | 2016 | 京都サンガF.C. | 【H】 | |
35 | FW | 冨永虹七 | 2004.7.10 | 2023 | カマタマーレ讃岐 | 【復】【H】 | |
39 | GK | 髙山汐生 | 2001.6.1 | 2024 | 筑波大学 | 【卒】 | |
44 | MF | 日髙光揮 | 2003.5.11 | 2023 | CDアトレティコ・パソ | ||
50 | GK | オビ・パウエル・オビンナ | 1997.12.18 | 2024 | 横浜F・マリノス | 【完】 | |
55 | DF | 岩波拓也 | 1994.6.18 | 2024 | 浦和レッズ | 【完】【H】 | |
81 | DF | 菊池流帆 | 1996.12.9 | 2020 | レノファ山口 | ||
96 | MF | 山口蛍(C) | 1990.10.6 | 2019 | セレッソ大阪 | ||
- | MF | 岩本悠庵 | 2006.4.15 | 2024 | ヴィッセル神戸U-15 | 【2】 | |
- | MF | 岡奨瑛 | 2006.5.8 | 2024 | ヴィッセル神戸U-15 | 【2】 | |
- | MF | 山田海人 | 2006.8.31 | 2024 | ヴィッセル神戸U-15 | 【2】 | |
- | GK | 亀田大河 | 2007.5.8 | 2024 | ヴィッセル神戸U-15 | 【2】 | |
- | MF | 濱﨑健斗 | 2007.6.16 | 2024 | ヴィッセル神戸U-15 | 【2】 |
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
過去に所属したおもな選手
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歴代監督
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
スチュアート・バクスター | 1995年~1997年 | Jリーグ昇格(1996) | |
加藤寛 | 1997年12月 | ||
ベニート・フローロ | 1998年~1998年10月 | ||
郡晴巳 | 1998年10月~1998年末 | ||
川勝良一 | 1999年~2002年7月 | ||
松田浩 | 2002年8月~2002年末 | ||
副島博志 | 2003年 | ||
イワン・ハシェック | 2004年~2004年9月 | ||
加藤寛 | 2004年10月~2004年末 | ||
松永英機 | 2005年~2005年4月 | ||
パベル・ジェハーク | 2005年4月 | 監督代行 | |
エメルソン・レオン | 2005年4月~2005年9月 | ||
パベル・ジェハーク | 2005年9月~2005年末 | J2降格(2005年) | |
スチュアート・バクスター | 2006年~2006年9月 | ||
松田浩 | 2006年9月~2008年 | J1昇格(2006年) | |
カイオ・ジュニオール | 2009年~2009年6月 | ||
和田昌裕 | 2009年7月~8月 | 監督代行 | |
三浦俊也 | 2009年8月~2010年9月 | ||
和田昌裕 | 2010年9月~2012年4月 | ||
西野朗 | 2012年5月~11月 | ||
安達亮 | 2012年11月~2014年 | ・J2降格(2012年) ・J1昇格(2013年) |
|
ネルシーニョ | 2015年~2017年8月 | ||
吉田孝行 | 2017年8月~2018年9月 | ||
林健太郎 | 2018年9月 | 暫定監督 | |
フアン・マヌエル・リージョ | 2018年8月~2019年4月 | ||
吉田孝行 | 2019年4月~6月 | ||
トルステン・フィンク | 2019年6月~2020年8月 | 天皇杯優勝(2019年) | |
マルコス・ビベス | 2020年9月 | 監督代行 | |
三浦淳寛 | 2020年9月~2022年3月 | ||
リュイス・ブラナグマ | 2022年3月~4月 | 暫定監督 | |
ミゲル・アンヘル・ロティーナ | 2022年4月~6月 | ||
吉田孝行 | 2022年6月~ | ・J1優勝(2023年、2024年) ・天皇杯優勝(2024年) |
関連動画
外部リンク
関連項目
- サッカー
- Jリーグ - Jリーグチーム一覧
- J1リーグ(1997年 - 2005年、2007年 - 2012年、2014年 - )
- J2リーグ(2006年、2013年)
- 兵庫県 - 神戸市
- 楽天
- ノエビアスタジアム神戸
- 関西
親記事
子記事
兄弟記事
- アビスパ福岡
- アルビレックス新潟
- 浦和レッドダイヤモンズ
- FC東京
- FC町田ゼルビア
- 鹿島アントラーズ
- 柏レイソル
- 川崎フロンターレ
- ガンバ大阪
- 京都サンガF.C.
- サガン鳥栖
- サンフレッチェ広島
- 湘南ベルマーレ
- ジュビロ磐田
- セレッソ大阪
- 東京ヴェルディ
- 名古屋グランパス
- 北海道コンサドーレ札幌
- 横浜F・マリノス
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