平沼赳夫は、日本の政治家である。座右の銘は「天命を信じ人事を尽くす」
概要
1939年8月3日生まれ。東京都出身(現在は岡山県岡山市に在籍)。慶應義塾大学法学部卒。
運輸大臣、通商産業大臣、経済産業大臣を歴任。
衆議院議員を12期務めた。
略歴
- 1962年3月 慶応義塾大学法学部卒業。
- 1962年4月 日東紡績株式会社に入社。
- 1973年3月 日東紡績株式会社を退社。
- 1976年12月 第34回衆議院議員選挙にて落選。
- 1979年10月 第35回衆議院議員選挙にて落選。
- 1980年6月 第36回衆議院議員選挙にて初当選(岡山1区)。以後、連続10回当選。
- 1987年11月 竹下内閣にて大蔵政務次官に就任。
- 1995年8月 村山改造内閣にて運輸大臣に就任。
- 2000年7月 第2次森内閣にて通商産業大臣に就任。
- 2001年1月 第2次森内閣にて初代経済産業大臣に就任。
- 2005年9月 第44回衆議院議員選挙にて、自民党から公認を得られず無所属で出馬して当選。
- 2005年10月 離党勧告処分を受け、自民党に離党届を提出。
- 2010年4月 与謝野馨・園田博之らと共に保守新党「たちあがれ日本」を結成。
- 2012年11月13日 石原慎太郎を迎えて「太陽の党」を結成。
- 2012年11月17日 「日本維新の会」と合併するため、「太陽の党」を解散。
- 2014年08月01日 日本維新の会を離党(正確には分党)した議員らと共に「次世代の党」を結成し党首に就任。
無所属の士
もともとは自民党員であったが、時の小泉政権下において郵政民営化法案に政治的信念の違いから
反対票を投じたため、離党勧告処分を受け無所属となる。
後の安倍政権においても、同じく郵政民営化法案に反対し離党勧告処分を受けた政治家達が続々と
復党する中、平沼は一人信念を貫き復党しなかった。
与野党への影響力は大きく、日本会議国会議員懇談会会長を務める。
人物
- 保守色の強い政治家であり、「外国人参政権」「外国人住民基本法案」「人権擁護法案(人権侵害救済法案)」「夫婦別姓」などに明確に反対の意見を打ち出している。
- 靖国神社の参拝には賛成の立場である。小泉内閣に対しては「郵政民営化」などの法案には反対したが、小泉首相が靖国参拝を断行した事は高く評価した。
- 衆議院議員選挙・初出馬以来、「自主憲法制定」を主張し続けている。1976・79年の選挙で落選した原因も、当時ではタブーとされた「憲法改正」を前面に打ち出した事が原因とされている。
- 実父・中川(平沼)恭四郎大協石油取締役などを務めた実業家である。
- 養父は第35代内閣総理大臣・平沼騏一郎。当初は赳夫のみ養子に入る予定だったが、両親の中川恭四郎・節子夫妻も含めて養子となり、平沼姓を名乗るようになった。
- 妻・真佐子は公爵・徳川慶光(江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の孫)の次女。
関連動画
関連項目
- 5
- 0pt
- ページ番号: 576211
- リビジョン番号: 3315020
- 編集内容についての説明/コメント:
概要を修正した。関連商品を撤去した。関連項目に日本会議、親学、日本国憲法無効論、自由民主党、平沼新党、太陽の党、次世代の党、政治家の一覧を追加した。リンク切れのため関連項目から平沼赳夫オフィシャルホームページを撤去した。