周瑜とは、三国志に登場する人物である。
175年生まれ、210年没。字は公瑾。孫策・孫権に仕えた。妻は喬夫人(小喬)。
出自
揚州廬江郡舒の出身。
高祖父の周栄は、尚書令にまで至った人物で、『後漢書』にも列伝がある。以後の周家は三公の太尉や、
太守を輩出する名門として知られた。 周瑜の父の周異も分家筋ながら、洛陽県の令を務めている。
孫策の時代
孫堅が反董卓の義兵を挙げた際、家族を舒の地に移住させた時、孫堅の嫡子の孫策と知己を得る。
当時15才前後であった孫策と周瑜は、同い年ということもあって親交を深めた。
二人の友情は金属を断つほどに堅い絆であることから、「断金の交わり」と呼ばれることとなった。
194年、孫堅亡き後、袁術の元にいた孫策が江東へ軍を挙げると、周瑜もこれに付き添って功績を挙げた。
孫策は笮融、薛礼、厳白虎、劉繇といった群雄を打ち破り、小覇を唱え、呉の土台が築かれた。
周瑜は前線にあっては、建威中郎将、中護軍として軍機に預かり、孫策の幕僚となった。
後方にあっては守備隊長、県長、太守の職務を担って孫策の支援を行った。
揚州北部を攻め落とした時、喬公の二人の娘を保護した。姉を孫策は娶り、妹を周瑜の妻にした。
『三国志演義』では「江東の二喬」と呼ばれており、姉は大喬、妹は小喬と呼ばれ絶世の美女とされている。
孫権の時代
200年、孫策が非業の死を遂げると、周瑜は兵を率い、呉の都に駆けつけて留まった。
まだ無名の若者である孫権に対し、周瑜は鄭重に臣下の礼をとったので、人々はこれに倣った。
同地で孫権の補佐を行い、張昭と共に国政の事務を取り仕切った。
袁紹を打ち破り、勢い盛んとなった曹操は、孫権に息子を人質として送るよう強いたが、周瑜一人が毅然と否と説いたので、孫権は意見に従った。
後に前線に復帰し、山越、黄祖の討伐に従軍し戦果を上げた。
赤壁の戦い
208年、荊州を伐ち、南下してきた曹操軍に対しては魯粛と共に主戦を唱えた。
この時、荊州から逃れて来ていた劉備と協力して共に曹操を迎撃させ、赤壁の地で対峙した。
迎撃軍の総指揮官に選ばれた周瑜は、黄蓋を筆頭とした偽装降伏の焼き討ち作戦(演義では『苦肉の計』)に成功し、曹操軍を蹴散らす大勝利を収めた。
荊州争奪~天下二分~死
勝利の余勢を駆って、続いて荊州攻略に着手する。 劉備と連携を行い。程普と共に左右の指揮官となり、
韓当、周泰。甘寧、凌統、呂蒙といった諸将を統御し、江陵に駐屯していた曹仁を攻める。
猛将である曹仁に苦戦し、周瑜自身も重傷を負うものの、継続して指揮を行い士気を高めた。
遂に曹仁は万の損害を出して撤退し、南郡地域を占領する事に成功した。
孫権により、偏将軍、南郡太守に任ぜられ、同地に駐屯する。
荊州の一部を切り取った事により、西方への橋頭堡を確保すると、中原進出の策を計画する。
益州の劉璋と、漢中の張魯を伐ち、涼州の馬超と同盟を組む。襄陽を拠点として曹操を追い詰めれば、
北方を制覇するのも夢ではない。華南を制し、華北の曹操と天下を争う「天下二分の計」である。
この構想に孫権も同意し、遠征の準備を進めるも、210年、戦傷も祟ったのか、途中病に倒れて死去する。
享年36歳の若さであり、孫権を大いに嘆かせた。
後年、皇帝となった孫権は、周瑜がいなければ帝位には就けなかっただろうと述懐した。
子女
子供は周循、周胤と娘が一人いた。娘は太子孫登の妃となった。
周循は父の威風を継ぐ将として期待され、孫権の娘の孫魯班を娶ったが若死にした。
周胤も孫家の女性を娶り、夷陵の戦いなどに参戦したが、230年代後半に罪を犯したとして流刑にされた。
239年に諸葛瑾や歩隲、朱然、全琮ら並居る群臣が擁護したが、結局周胤は僻地の廬陵で病没した。
あるいは呂壱事件に巻き込まれたのかもしれない。(二宮の変は未発生)
周瑜の兄の子である周峻も将として用いられた。
風貌
『三国志』では周瑜の姿を、「長壮にして姿貌有り」と記している。
若い頃より音楽にも精通し、当時の人々は「曲に誤りあれば周郎が振り向く」という歌をつくって囃したという。
この事が『三国志演義』に取り入れられ、典雅な美丈夫の造形の元となっている。
京劇では周瑜は「美周郎」のあだ名の通り、古来より二枚目が演じる役とされており、眉目秀麗な英雄としてのイメ
ージが定着している。
人物
国家レベルでの策定を行う王佐の才を備え、優れた文武の能力を示した。
諸将を統べる総司令官、実戦指揮の将軍として立ち振舞う一方、事務仕事や、兵站の準備、行政官といった内政面の手際にも長けていた。
曹操、劉備からも高く評価されたが、同時にその将才が矢面となる事も恐れられ、孫権との間にひびを入れようと奸策を弄されている。また、曹操は周瑜を麾下に加えようと、同郷の蒋幹を遣わして説得させたが、周瑜は見事に返したので、感心した蒋幹は笑って諦めた。この事が中原の人士に伝わり、声望を篤くしたという。
劉備を梟雄として危険視していた。劉備を呉に留めて、贅をあてがわせて溺れさせ、その間に、関羽と張飛を麾下に組み込みんで用いる計略を提案したが、孫権は却下した。周瑜も拘わらず、後を託した魯粛は親劉備派である。
大らかな性格で、度量が広い好漢であり、民からは周郎(周家の若君)と呼ばれて好評を博していた。
孫策からは友人・義兄弟としての待遇を受け、呉夫人は孫権に、周瑜を兄として敬うように言っている。
多くの人々から好感を抱かれていたが、ただ一人、孫堅以来の最長老である程普は、若僧と侮り、疎んでいた。
しかし、周瑜は謙譲して彼を重んじたので、やがて程普は考えを改め、心服した。
魯粛とは親友の間柄。彼を孫権へと推薦した。劉備の処置については主張に違いがあったが高く評価していた。
死を前にして、魯粛を自分の後継にするようにと遺言している。
龐統はかつて功曹として、周瑜の部下となっており、周瑜が死去すると亡骸を呉まで送ったという。
甘寧を高く評価し、呂蒙と共に孫権に、重く用いるように進言した。
評価
陳寿によれば、周瑜(魯粛)は、曹操の威勢を前にして、右往左往せず、明確な意志をたて、抜群の存在と非凡な才能を示したとしている。
孫策は周瑜を、英俊にして異才有りと評した。
孫権は陸遜と語った時、周瑜は事を成さんと大きな気概を持ち、胆力と才略は人に勝れて曹操を破り、荊州を切り開いた、その気宇は中々真似できないが、今は貴方(陸遜)が継いでいると評した。
後世、唐・宋の時代では古の名将から選抜され、顕彰されている。
三国志演義
美男、智勇に優れた青年提督として描写され、活躍もしているのだが、絶対に諸葛亮には敵わない役割となっている。諸葛亮を殺そうとしたり、魯粛をいじめたりと狭量な面も見られる。
最期も、諸葛亮に翻弄された挙句の憤死となっている。さらに葬式に諸葛亮が現れ、痛哭してくれるという鞭打ちぶりである。
史実のままにすると、完璧超人になってしまい、逆に諸葛亮を食ってしまうので、仕方はないのだが。
呉の大都督の肩書きを持つが、演義での設定。ただ、筆頭将として将軍達を取りまとめる立場にあったらしい。
関連動画
映画「レッドクリフ」
ニコニコ歴史戦略ゲー・im@s架空戦記シリーズ
- 様々な策を張り巡らせ相手を陥れるキレ者(まぁ当然だが)。
- 陸遜と並ぶ炎大好き人間、別名放火魔。
- 迫真の演技・吐血で牢から脱出(たまに本当の吐血だったり)。
- 孔明が出てくると突然冷静さを失くす。
- なぜか紳士だったり愚民だったりすることも。キャラブレイク率は低くない。
コーエー「三國志」シリーズ
全てにおいて能力が高く、三國志11では能力値総合2位。特技『火神』は強力で、火計を使った自爆テロも可能。
セガ「三国志大戦3」
EX&R周瑜(赤壁の大火)、UC周瑜(連弩兵召喚)、2SR周瑜(最期の業炎)、軍師カードSR周瑜など数多くのカードが使用できる。赤壁の大火カードを用いる光嘉君主の天啓赤壁デッキが有名だが、かつての旧馬周瑜「必殺の炎、放つのはNOWだ」も人気。
補足
コーエーの三國志シリーズにおける周瑜の能力一覧。
知力・統率をはじめとした全能力がまんべんなく高く、総合能力は曹操に次いで第二位であることが多い。
徐庶と同様、軍師タイプとしては破格の武力を持つのも見逃せない。ただし、一騎打ち向きの特技をあまり所持していないことはお忘れなく。
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | - | 56 | 97 | - | 97 | - | - | 74 | 25 |
三國志II | - | 78 | 97 | - | 95 | - | - | - | - |
三國志III | - | 75 | 96 | 86 | 95 | 73 | 100 | - | - |
三國志IV | 97 | 78 | 98 | 89 | 97 | - | - | - | - |
三國志V | - | 78 | 99 | 87 | 96 | - | - | - | - |
三國志VI | 97 | 73 | 97 | 86 | 98 | - | - | - | - |
三國志VII | - | 89 | 97 | 78 | 89 | - | - | - | - |
三國志VIII | - | 69 | 97 | 89 | 92 | - | - | - | - |
三國志IX | 98 | 71 | 97 | 91 | - | - | - | - | - |
三國志X | 98 | 72 | 96 | 81 | 93 | - | - | - | - |
三國志11 | 97 | 71 | 96 | 86 | 93 | - | - | - | - |
三國志12 | 95 | 71 | 96 | 86 | - | - | - | - | - |
三國志13 | 95 | 71 | 96 | 86 | |||||
三國志14 | 97 | 71 | 96 | 86 | 94 |
関連項目
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