伊四百型潜水艦とは、大東亜戦争末期に大日本帝国海軍が建造・運用した潜水艦である。潜特型とも。水上機による攻撃を目的としたことから「潜水空母」の異名を持つ。
概要
日本潜水艦は航続距離の長大化と艦載機搭載のため大型化し続けるという、列強の中でも特異な進化を突き進み続けていたが、伊400型はその終着点かつ極致とも言うべき頂点的存在。
第二次世界大戦中に就役した潜水艦の中では世界最大であり、基準排水量3530トンは軽巡洋艦の天龍型や夕張型よりも大きい。一般論として潜水艦の最大の武器は隠密性であり、それゆえに潜水艦設計においては「小さいこと」が絶対善なのだが、伊四百型はあえて世界最大の潜水艦として建造されることとなった(理由は後述)。攻撃機としての運用が可能な能力を持つ水上機・晴嵐を3機搭載し、水上航行であれば連続4ヶ月の航海、地球を1周半できる極めて長大な航続距離を持つ。つまり地球上のどの場所にも攻撃が出来、帰投する事が可能という当時としては大変先進的な存在だった。潜水艦ながら攻撃機を運用する事から潜水空母とも呼ばれる。もちろん魚雷発射管も装備されているので従来の潜水艦と同様の運用も可能。
しかしその代価に船体の巨大化を招いた。長大な航続距離と晴嵐の搭載を実現するには、何をどうやってもこのサイズにならざるを得なかったのである。巨体化したおかげで従来型の2倍以上になる1750トンもの重油を積載する事が出来、この異常な航続距離を実現させる一因となった。この巨体故に隠密性はお察し状態だが、水上航行から潜行するまでの時間や、水中での航行性能は良好であり、大型ゆえに受ける水圧も強い事から船殻構造も強化。伊四百型は死に体の帝国海軍が生み出した超兵器で、潜水艦技術のひとつの頂点をなすと言っても良いだろう。伊401艦長の南部少佐によると「性能は意外と良かった」「大きい割に小回りが利いて、潜航秒時も1分を切るくらい優秀」だったという。潜水艦として見ても伊四百型は規格外で、25mm3連装機銃3門、25mm単装機銃1門と日本潜水艦最多の対空兵装を装備。艦首魚雷も8門と丙型潜水艦以来の重武装であった。さらに伊400と伊401には竣工後の工事によってシュノーケルが装備され、潜航能力が向上している。
開発の経緯
建造計画が誕生するきっかけとなったのは、山本五十六長官によるアメリカ東岸都市攻撃の構想であった。開戦前にその検討が始まり、後に第一潜水戦隊司令となる有泉中佐らが参加。そして艦政本部が設計概案をまとめた。
1942年9月9日、伊25が放った零式小型水偵がアメリカ西海岸のオレゴン州を爆撃。被害は微々たる物だったが、米国民は恐怖におおのきパニックに陥った。この戦果に目を付けた海軍は、小型の水偵ではなく大型機ならもっと被害を与えられるのではないかと考える。そこでより大きな機体を収容可能な伊四百型の建造に着手する。彗星を改良して艦載機にする案が存在したが、主翼の折りたたみ機構がネックとなり新規に艦載機を設計する運びになった。
同型艦は伊四百、伊四百一、伊四百二が就航。計画当初は全部で18隻建造する予定であったが、戦況の悪化により反対意見が強くなった他、計画の推進者であった山本長官が戦死した事を受け、計画が縮小。黒島少将が働きかけ、潜水艦部部長から再度18隻を建造する約束を取り付けたが資材不足で頓挫。結局建造中の4隻を除いて全て中止されている。また、本艦の計画縮小により伊十三型潜水艦が代替として建造された。こちらも晴嵐を2機搭載・運用が可能である。計画の縮小に伴い、攻撃力不足を懸念した海軍は伊四百型の搭載数を2機から3機へと増やした。
当初は本艦を用いて、生物兵器(ネズミ等をペスト菌の病原体として使用)でアメリカ本土を攻撃する作戦が計画されたが中止となり、パナマ運河を本艦搭載機で攻撃する作戦が計画された。パナマ運河は海運に頼るアメリカにとって泣き所であり、運河を破壊されると東西の行き来に重大な支障が生じるのである。また、ドイツ降伏後に大西洋からやってくるであろう米艦隊の足止めも期待された。この潜水艦の搭載機による攻撃を目的としたことが「潜水空母」と呼ばれる所以となる。目的が目的だけに、伊四百型は最高機密に処された。中には偽の煙筒や帆立を用意し、あたかも水上艦のように見せかける偽装までされていたとか。伊400型の船体には対電探塗料が分厚く塗りたくられており、見た目が汚らしかったという。効果のほどは不明。
上述したが本艦の搭載機は水上攻撃機「晴嵐」。これ以前の日本潜水艦が搭載していた水上機、「零式小型水上偵察機」はエンジン出力340馬力の小型機で偵察以外にできることはほとんどなかったが、「晴嵐」のエンジン出力は1400馬力、250kg爆弾4発もしくは800kg爆弾1発あるいは航空魚雷の運用も可能という本格的な攻撃機でありそれまでの潜水艦搭載水上機とは次元が違う存在であったため、開発も伊四百型と同時平行で行われている。→晴嵐(航空機)
伊400型の建造が突貫で行われ、晴嵐隊の猛特訓が続く1944年6月の定例会議で「パナマ攻撃はもう間に合わない」と判断される。これにより作戦の変更を強いられ、有泉中佐はロスアンゼルスかサンフランシスコの攻撃を具申したが、軍令部は米軍の前進拠点で目の上のコブであるウルシー環礁攻撃を求めた。
竣工後
本艦が完成したのは大戦末期であり、パナマ運河を攻撃する意義が喪失した後であった。
時は1945年初頭。日本本土は米軍機の爆撃に曝され、焦土が広がっていた。軍上層部は米軍の跳梁を防ぐため、日本攻撃の前進拠点となっているウルシー環礁を攻撃する事を決定。嵐作戦と呼称された。伊四百型に嵐作戦従事の命令が下され出撃するが、作戦中に終戦を迎え攻撃は中止となり、伊四百、伊四百一は共に米軍に拿捕された。伊四百二は作戦に参加せず、整備中であった。この3隻は全て実艦標的として撃沈処分され、実戦で活躍することなく役目を終えることになった。
伊四百二の沈没地点は五島列島沖であり、2004年に位置が特定された。その後、伊四百一は2005年3月20日、オアフ島沖で船体が発見される。最後となった伊四百も2013年8月にオアフ島沖で発見され、同年12月2日に発見の公表が行われた。
戦後、伊400と伊401はアメリカ軍に捕獲された。水兵も上層部も、特異な伊400型に対し大きな関心を寄せた。来日したアメリカの潜水艦設計将校に「どの潜水艦が一番興味を覚えるか?」と尋ねると、「伊400型」と答えたほど(潮書房光人社出版「伊号潜水艦」出典)。潜水空母という他には無い運用コンセプトが米軍の興味を誘ったものと思われる。2隻を捕獲したアメリカはハワイで技術調査を開始。米兵たちはまずその巨体に驚かされた。船体を調査する米兵たちの写真が未だ残っている。
そして次にアメリカは、伊四百型が有する高性能に驚愕する。あまりの性能の高さに自軍に編入する事さえ考えたが、ソ連が伊四百型の引き渡しを要求。この技術がソ連に渡る事を恐れたアメリカは伊四百型をハワイ沖で航空攻撃によって沈没させてしまった。
本艦の目的である潜水艦による航空攻撃は、戦後ミサイル潜水艦の登場により代替された。しかし潜水空母という秘密兵器的なコンセプトには人気があり、仮想戦記小説、アニメ、ゲーム等のフィクションで架空の潜水空母が活躍している。
性能諸元
排水量 | 基準:3530t 常備:5223t 水中:6560t |
全長 | 122m |
全幅 | 12m |
吃水 | 7.02m |
機関 | 艦本式22号10型ディーゼル4基2軸 水上:7700馬力 1200馬力モーター2基 水中:2400馬力 |
速力 | 水上:18.7kt 水中:6.5kt |
航続距離 | 水上:14ktで37500海里 水中:3ktで60海里 |
燃料 | 重油:1750t |
乗員 | 157名 |
兵装 | 40口径14cm単装砲1門 九六式25mm3連装機銃2基 九六式25mm単装機銃1挺 53cm魚雷発射管 艦首8門 九五式酸素魚雷20本 |
電探 | 二二号電探1基 一三号電探1基 |
搭載機 | 晴嵐3機 |
射出機 | 四式一号一〇型射出機1基 |
安全潜航深度 | 100m |
連続行動時間 | 約4ヶ月 |
戦歴
伊400
1942年戦時建造補充計画にて建造が決定。特型潜水艦第5231号艦として、1943年1月18日に呉工廠造艦船渠にて起工。既に起工していた航空母艦葛城と並んで建造が進められた。12月22日に伊400と命名され、1944年1月18日に進水(葛城は翌日進水)し、同年12月30日に竣工した。初代艦長に日下敏夫中佐が着任。呉鎮守府に編入され、第6艦隊第11潜水戦隊に部署。呉を拠点に伊予灘で訓練に従事する。
1945年2月17日、呉にて搭載機晴嵐を装備。3月5日、訓練を終えた伊400は姉妹艦の伊401や伊13と第1潜水戦隊を新編。3月19日、呉で入渠整備中に呉軍港空襲を受け、敵艦上機から機銃掃射を浴びた。伊400は九六式25mm三連装機銃で応戦するも、機銃員1名が戦死した。4月13日、触雷して損傷した伊401に代わり大連へ向かうべく呉を出発。門司港で仮泊したのち、機雷封鎖された関門海峡を突破。4月20日に無事大連へ入港。3日間かけて作戦に必要な人造重油1700トンを搭載し、4月27日に呉に帰投した。呉工廠にてシュノーケルを装備する工事を受けた後、5月16日に呉を出発。瀬戸内海西部で搭載機の晴嵐と訓練を行うが、瀬戸内海にもB-29が投下した機雷があり危険が生じた。このため訓練地を石川県七尾湾に移し、6月1日に呉を出港。6月5日に七尾湾へ到着して伊401とともに七尾湾にて晴嵐の飛行訓練を実施。7月13日、七尾湾を出航し舞鶴入港。食料と弾薬の補給を受ける。そして翌日、米軍の前進拠点となっているウルシー環礁攻撃のため出撃基地である大湊へ回航。伊401ともども海防艦に先導されながら大湊へ向かった。
大湊に到着すると、有泉大佐より短刀の授与式が行われた。晴嵐の搭乗員は生還の見込みがない特攻隊の扱いで、有泉龍之介司令から龍の一文字を取って「神龍特攻隊」と命名された。その後、乗員たちには1日の休暇が与えられた。各々これが最後に踏む内地の土だと覚悟したという。
21日、大湊を出撃。道中で伊401と分離し、単艦で行動。米軍の哨戒線を掻い潜った伊400は、8月14日に攻撃予定地点であるウルシー南方で待機。味方のレーダー波を受信する体勢を整えていたが、15日に入って夜明けを迎えたため潜航。そして8月15日の敗戦を迎える。帰投命令を受領し、魚雷や晴嵐を海へ投棄。日本を目指すが29日、房総沖で米駆逐艦「ブルー」に接収され横須賀に連行される。この時、星条旗を掲げさせられたという。はためく星条旗を見て日下艦長は涙を浮かべていたと言われている。
9月2日、潜水母艦プロデュースから多数の調査員が移乗し、乗組員の身体検査、経歴検査、思想調査などが行われた。戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印が終わり、横須賀に米軍の高官たちがやってきた。係留された伊400型を見て、彼らは「ワンダフル!」「ビッグワン!」と感嘆したという。
伊400と伊401、伊14はアメリカ本国へ回航される事になり、9月15日に除籍。日本側の乗組員が、アメリカ軍潜水艦乗員に操縦方法を教えた。互いに潜水艦の乗組員だけあって敵対心は無く、また手が空いた乗組員は回航に備えて艦内の清掃を始めた。アメリカ人の回航要員は日本本土に上陸できず、手土産が無いと嘆いていた。そこで日本の乗組員は艦内にあった日の丸扇子と割り箸を提供、お礼にアメリカ人回航要員からタバコが返ってきたとか。やがて伊400から回航要員が去り、代わりに海兵隊員が乗り込んできたが、素行が悪い彼らは貴重品を盗んだ。この事に日本側が通訳を通して抗議すると、謝罪のうえで盗難品が戻ってきた。そして海兵隊は追い出され、回航要員が戻された。9月20日より東京湾で訓練を行い、25日に完了。教練のお礼として士官にはタバコ20箱、10ドル紙幣5枚、ウィスキー1本、下士官や水兵にはタバコ20箱と10ドル紙幣5枚が贈られた。
1946年1月、佐世保からグアム、真珠湾を経由して米本土へ回航。技術調査された後の6月4日にハワイ沖で標的艦となる。米潜水艦「トランピットフィッシュ」の雷撃で沈没した。
ちなみにハワイへ回航する時、米兵では操艦が出来なかったため日本の操作員2名がハワイまで操艦した。
伊401
1942年戦時建造補充計画にて建造が決定。特型潜水艦第5232号艦として、1943年4月26日に佐世保工廠で起工。翌年3月11日に進水し、1945年1月8日に竣工した。呉鎮守府に配属され、姉の伊400とともに第6艦隊第1潜水戦隊に編入。戦隊の指揮官、有泉龍之介大佐が座乗する旗艦となった。艦長は南部伸清少佐。
佐世保出航後、瀬戸内海西部にて訓練に従事。3月19日、米軍による呉軍港空襲に遭う。午前7時30分頃、レーダー室から呉に向かう敵の大編隊捕捉の報告が上がり、伊401は初の実戦を経験する事になった。
呉の港にグラマン戦闘機が大挙して襲来し、周辺の砲台が一斉に火を噴く。伊401も対空戦闘を開始し、機関砲の弾幕を形成した。途中、攻撃機に爆弾を落とされたが、外れて周辺の桟橋で炸裂した。空襲の間隙を縫って伊401は桟橋を離れ、江田島の秋月沖に移動。ここで潜航し、海中に退避した。かろうじて伊401は大空襲を生き延びたのだった。撃った弾は約1万発だった。
この時、呉軍港に残された貯蔵燃料は僅か2000トンのみであった。伊401だけでも1600トン以上の重油が必要となるため4月11日、伊401は作戦遂行に必要な重油を得るため大連に向けて出港した。ところが直後に座礁してしまう。が、無事に離礁している。しかし不幸は続き、翌日には姫島灯台沖でB-29が投下した磁気機雷によって小破。キングストン弁や計器類にダメージを受け、大連行きが困難になったため呉へ引き返し修理を受ける。代わりに伊400が大連まで赴き、燃料を満載して戻ってきている。
その後、有泉司令の具申によって第一潜水戦隊の潜水艦にシュノーケルを装着する工事が行われた。シュノーケルを装備した日本の潜水艦は伊400、伊401、伊13、伊14の4隻が初だった。
シュノーケルはドイツのUボートにも採用された長時間潜航も可能とする装置の事で、米軍のレーダーにもある程度回避できるとされた。
6月4日、石川県七尾湾へ入港し姉の伊400とともに約一ヶ月間の晴嵐の飛行訓練を実施。晴嵐を擁する第六三一航空隊も舞鶴基地周辺に進出し、ともに発着艦訓練や潜航訓練に勤しんだ。舞鶴工廠が造ったパナマ運河の模型を使った襲撃訓練も行われた。しかし晴嵐には故障が多く、伊401から発艦した浅村飛行長の操縦席から突然オイルが飛び出し、海面へ不時着するという事故も発生している。
伊401の訓練は昼夜逆転で、午後1時頃に巡検(就寝前の号令)が下され、夜の9時から10時頃にかけて総員起こしの号令が飛ぶ。そして真夜中に抜錨し、訓練を行ったという。訓練では晴嵐の組立作業や潜航の練習をし、故障と闘いながら午前8時ごろに七尾湾へ戻っていた。
伊400、伊401によるウルシー環礁攻撃が決定され、7月13日に七尾湾を出航。夕方、舞鶴に寄港し食料品や弾薬を補給を受ける。現地で第六艦隊司令長官である醍醐中将と作戦の打ち合わせを行った。翌日、日本海で暴れ回っている米潜を警戒しつつ、海防艦に先導されながら出撃基地である大湊へ回航。晴嵐の日の丸をアメリカの星マークに替える作業が行われた。作業中、潜水艦の上空を大湊航空隊が旋回。作業員が慌てて腹ばいになり星マークを隠すという一幕があった。7月19日には白糸旅館で乗組員たちの壮行会が行われている。
7月21日、伊400出港から2時間後の16時に伊401も出撃。隠密出港のため見送りは無かった。短波マストに軍艦旗と大日本者神国也という幟を立てて伊401は大湊を離れた。気帆船や輸送船とすれ違いながら外洋を目指していたが夜8時15分頃、津軽海峡通過中に北海道の陸軍汐首要塞から誤射を受け、急速潜航。有泉司令は激怒し、大湊に抗議の電報を送っている。
外洋に出ると、敵の機動部隊や輸送船団と遭遇。しかしウルシー攻撃が最優先だったため見逃した。大挙して本土近海に押し寄せる航空機や艦艇を目撃し、乗組員たちは凄まじい物量に圧倒された。
26日、伊400と分離し攻撃予定地点へ向かう。北上する台風に巻き込まれながらも潜航と浮上を繰り返し、米軍の目を潜り抜けていく伊401。道中、米軍の貨物船と遭遇。彼らは夜だというのに灯火管制をしておらず、作業灯をつけて堂々と浮いていたのである。潜水艦から見れば格好の獲物だが、ウルシー攻撃という任務がある以上、手が出せなかった。南部艦長は「一発で沈没するのに」と歯軋りをしていた。
敵の偵察機が飛来するのを探知した伊401は1時間ほど潜航し、これをやり過ごす。敵機が飛来してきた事を受けて、艦内では当初の予定のルートで行こうとする有泉司令の意見と、大きく東へ迂回するルートに変更する南部艦長の意見が衝突。最終的には南部艦長の意見が採用され、伊401は当初の予定とは違う迂回ルートを通った。この変更はただちに伊400にも伝えられたが・・・。
この時、潜水艦を取り巻く環境は非常に厳しかった。7月30日、重巡「インディアナポリス」が伊58に撃沈された事を受け、米軍は対潜網を強化。光作戦でトラックに彩雲を運んでいた伊13が撃沈され、伊14も輸送自体は成功させたものの撃沈寸前にまで追い詰められた。この事を知った伊401乗員は一様に不安を覚えた。
それでも伊401は巧みに航行し、米軍の対潜網をかわしつつ目的地を目指した。途中、イルカの大群や飛び魚の飛行に遭遇したり、満点の夜空の下を航行するなど戦争を忘れさせてくれる一幕があった。8月7日、ヤップ島付近で配電盤から出火する故障に見舞われたが修理により事なきを得ている。
8月14日の日没、ついに攻撃予定地点であるカロリン諸島ボナペ島へ到達。ここで伊400と合流し、作戦の打ち合わせを済ませた後に東進。晴嵐6機を出撃させる手はずだったが、伊400が現れる事は無かった(ルート変更が伝わっていなかった)。伊400との合流を待っている14日の夜、伊401はサンフランシスコのラジオ放送を傍受。日本が降伏したという情報が飛び込んでくる。南部艦長や有泉司令は巧妙な罠だと断定したが、この情報は艦内に広まった。
15日の夜明けを迎えてもなお伊400は現れなかった。伊400が撃沈されたかもしれないと感じた伊401は単独で攻撃を実施しようとした。しかしその時、終戦を伝える電報が入る。電文を読み上げていた南部艦長は途中で「これはデマだ!」と叫び、続きを読むことが出来なかったという。同時に軍部から「第一潜水戦隊は呉へ帰投せよ」と命令を受け、南部艦長は静かに敗戦を受け入れた。
艦内では攻撃を強行するか、自沈するかで激論になった。会議では「爆撃機3機、魚雷20本、砲弾、機関銃満載、3ヵ月分の食料を積んでいるこの潜水艦を海賊船とし、暴れまわるのはどうか?」「大日本帝國降伏の時に、おめおめと内地に帰れない、自沈すべき」といった意見が飛び出す。ここで有泉司令は「自沈すれば賠償金などで臣民に負担を掛ける事になるので、全員ここで自決すべし」という提案を出す。しかし「ピストルが6丁しかないうえ乗組員全員が立派な自決を遂げられる訳が無い」という反対意見が出て艦内は再び激論の渦に飲まれる。
最終的には航海長と南部艦長の意見で日本へ帰投する事に決まる。伊401はその巨体を日本へ向けた。
日本に向かう伊401。8月26日、「内地に向かう艦船は一切の武器を捨て、マスト上に黒球と黒の三角旗を掲げよ」という命令が下る。黒色の三角旗は国際旗信号で「我、降伏の用意あり」を意味した。しかし伊401はこの命令を無視し掲げなかった。北緯26度線に到達すると伊401は晴嵐と魚雷、機密書類を海中に投棄。特に機密書類は海面に浮かばないよう主砲弾を1発、重石として袋の中に入れた。
28日の深夜に三陸沖にて米潜水艦「セグンド」を発見する。9月2日の調印式に備えて、未だ太平洋で活動している巨大潜水艦の所在を掴むべく米軍が捜査網を敷いていたのだ。
幸い相手は伊401に気付いていなかった。潜航すると対敵行為として発砲される恐れがあるため、浮上したまま振り切ろうとしたが午前4時ごろに左舷機が故障し、速度が出なくなってしまう。そこへ伊401の存在が気付いたセグンドが接近、発光信号で停船命令を受ける。艦長の判断で停船した伊401はセグンドに拿捕される。航海長が軍使としてセグンドに派遣され、航海長とセグンド艦長が協議した。セグンドの艦長ジョンソン少佐はアナポリス時代に帝國海軍兵学校の卒業生たちと交歓した事もあり、日本に親しみを持っていた。敵中で殺されるかもしれないと覚悟していた航海長に、ジョンソン少佐は最初に握手を求めたのだった。
思いのほか友好的な空気で協議が進んだが、時間が掛かった事で焦った有泉司令が自沈しようと「キングストン弁を開け」という号令を出すなど艦内は一時混乱した。協議の結果、横須賀への回航が決まる。横須賀へ連行される途中、降伏を良しとしない有泉大佐は8月31日にピストル自殺。米兵にばれないよう遺体を毛布でくるみ、第二ハッチから水葬した。この日の午前5時、伊401は星条旗を掲げさせられた。
米潜水母艦「プロデュース」よりヒラム・カスディ中佐率いる部隊が派遣され、接収。乗り込んできた米兵は、我先に双眼鏡や砂時計、不要になった軍服や軍刀等を戦利品として持ち去っていった。中には戦利品を巡って喧嘩する米兵も居たという。
8月29日、横須賀に辿り着き、既に拿捕されていた伊400の隣に停泊する。9月15日、除籍。
南部艦長ら乗組員は私物を持って上陸したのち、監禁される。そして交代で艦の整備をするとともに操艦方法を米兵に教えた。また自決した有泉司令が伊8艦長時代に国際法違反をしていた事から取り調べを受けたが、全員釈放された。
10月下旬、横須賀から佐世保に回航。翌年1月には、グアム、真珠湾を経由して米本土へ回航され、伊401は技術調査を受ける。1946年5月31日、ハワイ沖にて標的艦となり撃沈処分された。
ちなみに終戦を迎えずウルシー環礁攻撃が行われた場合、作戦終了後に伊400と伊401は晴嵐輸送を兼ねてシンガポールへ回航される予定だった。決号作戦の戦力に加えられていた事から9月頃には本土へ帰投していたと思われる。
伊402
1942年9月に策定された戦時建造補充計画(改マル五計画)にて、特型潜水艦第5233号艦の仮称で建造が決定。43年度臨時軍事費から建造費を捻出する。
1943年10月20日に佐世保工廠で起工、1944年9月5日に進水し、1945年3月7日に艤装員事務所を設置。そして終戦直前の7月24日に竣工した。初代艦長に中村乙二中佐が着任。姉妹艦の伊400、伊401とともに第6艦隊第1潜水戦隊を編成するが、最早活躍の場は残されていなかった…。
8月11日午前10時40分、硫黄島から出撃してきたノースアメリカンP-51Dムスタングに襲撃され、数発の至近弾を受ける。主燃料タンクに破片が当たって2ヵ所の損傷が見られた他、乗組員2名が負傷している。修理中に8月15日の終戦を迎えた。9月頃、残余の艦艇とともに進駐してきたアメリカ軍に投降。翌月にアメリカ人乗組員の手で佐世保を出港、呉へと回航される。11月15日、除籍。
1946年4月1日、ローズエンド作戦に参加。伊402を含む24隻の潜水艦が五島列島の北方海域で爆破処分された。
伊403
1942年戦時建造補充計画にて建造が決定。特型潜水艦第5234号艦として呉工廠で起工するも直後の空襲で損傷し建造中止。そのまま終戦を迎え、未完成状態のまま解体された。
伊404
1942年戦時建造補充計画にて建造が決定。特型潜水艦第5235号艦として、1943年11月8日に呉工廠で起工。1944年7月7日に進水するも、翌年6月4日をもって建造中止。完成度は95%であった。
1945年7月28日、倉橋島奥の湾内で退避中に米軍の空襲に遭い転覆。後に自沈処分された。
伊405
1942年戦時建造補充計画にて建造が決定。特型潜水艦第5236号艦として川崎重工泉州造船所で起工するが、直後の1944年9月27日に建造中止。終戦後に解体された。
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