ヘレスサーキットは、スペイン南部アンダルシア州ヘレス・デ・ラ・フロンテーラにあるサーキットである。正式名称はヘレス・アンヘル・ニエト・サーキットという。
MotoGPのスペインGPが開催される。また、かつてF1のスペインGPが開催されていた。
略歴
建設と名称変更と舗装
1980年代、当時のヘレス・デ・ラ・フロンテーラ市長であるペドロ・パチェコを中心にサーキットの建設が進められ、1985年12月8日に開業した。コース設計を担当したのは、イタリア出身のサンドロ・ロッチという人物である(記事1、記事2)。
2017年8月にMotoGPで13回チャンピオンを獲得したアンヘル・ニエトが他界した。その功績をたたえ、2018年5月3日にヘレスサーキットの正式名称を「ヘレス・アンヘル・ニエト・サーキット」に改めた(記事)。
2017年7月に舗装が行われている(画像)。ただしこの舗装には問題があったようで、2019年1月に再舗装をしている(記事)。
F1
開業から間もない1986年4月にF1スペインGPが開催された。F1スペインGPは1976年から1981年から6年連続で首都マドリッド近郊のハラマサーキットで開催され、1982年から1985年は開催されていなかったのだが、真新しいヘレスサーキットで久々に開催となった。
ヘレスサーキットでは1986年から1990年まで5年連続で開催されたものの、「F1マシンにとって抜きどころが少ない」という理由でF1関係者がヘレスサーキットを敬遠するようになり、1991年からF1スペインGPの開催地がバルセロナのカタルーニャサーキットへ移った。
1994年と1997年にヘレスサーキットにおいて「ヨーロッパGP」としてF1が開催されたが、それ以降のヘレスサーキットはF1開催に携わっていない。また、オフシーズンのF1テストコースとしても長らく高い人気を得ていたが、2009年シーズンから施行されたテスト日数減少レギュレーションの煽りを受け、大きく利用日数を減らした。
MotoGPとスーパーバイク世界選手権
1987年以降のヘレスサーキットはMotoGPを毎年開催している。ヘレスサーキットにおけるMotoGPの開催名称は1988年のみ「Expo92GP」で、それ以外は全て「スペインGP」である。
余談ながら、スペイン自体がバイクレース人気の高い地域柄であり、1999年から2009年までMotoGPを1ヵ国で3回開催し、2010年から2020年現在に至るまでMotoGPを1ヶ国で4回開催している。詳しくはスペインGP(MotoGP)の記事を参照のこと。
スーパーバイク世界選手権は2013年から2017年まで開催され、2018年は開催されず、2019年と2020年に開催されている。
立地
スペインの首都マドリッドから南西に453km離れているこの場所にある。
アンダルシア州ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ
本サーキットが属する自治体はアンダルシア州とヘレス・デ・ラ・フロンテーラである。どちらも観光名所が多い土地柄として知られている。
風の影響はやや少ない。丘の一角にある
大西洋に面する海岸線から25km、市街地から東に5kmのこの場所にあり、潮風の影響は大きくない。
少し広い視点の地形図を見てみると、ヘレスサーキットが盆地の中にあることがわかる。このため、風の影響を受ける確率は、やや少ない。
サーキットの西や北は平地が広がって緑色の農地になっており、サーキット自体は丘の端にある(地形図、航空写真)。
サーキット周辺の施設
サーキットから北西に4.5km離れたこの場所にヘレス空港がある。ドイツからの直通便が多い(資料)。暖かいリゾート地を探し求めて寒いドイツから人がやってくるのだろう。
サーキットは、A-382という高速道路のインターチェンジのすぐそばにある(地図)。
サーキットの南のこの場所にホテル付きのゴルフ場がある。
気候
ヘレスサーキット周辺の気候は典型的な地中海性気候である。
夏はまばゆい太陽が輝いてとんでもない暑さになる。2020年は7月19日と7月26日にMotoGPが行われたが、このうち7月26日は気温が36度、路面温度が59度に達し、ライダーは暑さのためヘロヘロの疲労困憊となった(記事)。
このため、本サーキットで行うMotoGPは、4月下旬~5月上旬が定番となっている。6月から9月までは暑すぎてレースに不向きと言える(資料)
一番寒い月の平均最高気温は16.2度で、平均最低気温は5.2度であり、かなり暖かい。日本の鹿児島市は一番寒い月の平均最高気温は12.8度で、平均最低気温は4.6度であるので、「鹿児島市よりも暖かい」ということができる。
雨が少ない。一年365日のうち290日が晴れる。特に6月から8月は全く雨が降らない。ちなみに東京は一年365日のうち247日が晴れるので、東京よりもずっと晴れが多い土地柄といえる。
10月から1月まではやや雨が多くなり、一番雨の多い12月は東京の3月程度の雨量になる(資料1、資料2)。このためシーズンオフのテストが雨で潰れることもある。「ヘレステストが雨で潰れた」という関係者のぼやきは昔から多い(記事1、記事2、検索結果)。
MotoGPが開催される4月下旬~5月上旬は降水量がそんなに多くないが、全く雨が降らないとまでは言えない。
シーズンオフのテストコース(MotoGP)
盛んにテストが行われるので皆が上手に走れる
ヘレスサーキットは、シーズンオフにMotoGP各チームのテストコースとして盛んに使用される。
予算がある最大排気量クラスのチームは、セパン・インターナショナルサーキット(常夏)やチャーン・インターナショナルサーキット(常夏)やフィリップアイランドサーキット(南半球で11月~3月は暖かい)でテストをするようになったが、予算がやや少ないMoto2クラスやMoto3クラスのチームはヘレスでテストをすることが多い。
そのためどのライダーもヘレスサーキットを多く走り込んでいてコースのことを熟知しており、自分の出身国のホームコースのように速く走ることができる。「ヘレスサーキットは全てのMotoGPライダーにとってのホームコース」と表現される。
「ヘレスで速いライダーは要注目」「ヘレスで勝つライダーは年間チャンピオンになる可能性が高い」
と言われるのもそのためで、
「みんな速く走れるサーキットでさらに抜きん出た走りを披露できる者こそが本物の実力を持っている」
という発想がある。
テストコースにぴったりの多彩なコーナー
ヘレスサーキットは高速コーナー、中速コーナー、切り返し、ハードブレーキングの低速コーナー、と全てが詰まっていて、そしてコース幅が狭く、マシンセッティングの基準になりやすい。
マルク・マルケスは「ヘレスサーキットのような狭いコース幅のサーキットがヨーロッパには多い。ヘレスで良いセッティングを見つけると、ヨーロッパの他のサーキットで使えることがある。だからヘレスでのテストは頑張らなくてはならない」と2017年スペインGP木曜記者会見で発言している。
元・MotoGPライダーである原田哲也さんが現役だった時代は、ワークスのレギュラーライダーによるテストに制限がなかった。そのため11月から3月まで毎月1回ヘレスサーキットでテストをしていたという[1]。
ヨーロッパの南にあってテストコースとして使われるサーキットというと、アウトードロモ・インテルナシオナル・ド・アルガルヴェ(ポルティマオサーキット)とバレンシアサーキットが挙げられるが、この2つはちょっと特殊なサーキットであり、ヘレスサーキットほどテストに向いているわけではない。
遠くて雨が多く、テストしにくい
コースの形状や冬季における気温の高さを考えると「ヘレスサーキットはテストコースとして最適」と言うことができる。
しかし、遠い田舎にあることと冬季における雨の多さを考えると「ヘレスサーキットはテストコースとして最適ではない」と言うこともできる。
ヘレスサーキットはこの場所にあり、モータースポーツをするレーシングチームにとって、とにかく遠い。スペインの首都マドリッドから直線距離で453km、バイクレースの本場であるカタルーニャ州バルセロナからは直線距離で875km離れている。
ドイツに本拠地を持っているモータースポーツ関係者にとっては最果ての地としか言いようがない。KTMワークスはオーストリア・マッティヒホーフェンのこの場所に拠点があるが、ヘレスサーキットから直線距離で2,000kmも離れている。
そして、先述の通り、ヘレスサーキットの11月から3月は結構な確率で雨が降ってしまう。
KTMワークスのピット・バイラーは「ヨーロッパ南部は、行くのに時間がかかるし、行くと雨が降って台無しになる。最近のヨーロッパ南部におけるテスト8日間の中で、5日から6日が雨になった」と語っている(記事)。記事ではヨーロッパ南部と語っているが、これはヘレスサーキットのことを意味していると考えてよい。
ヨーロッパラウンドの始まり(MotoGP)
気候のため、ヨーロッパラウンドの初戦になりやすい
MotoGPは、開幕戦から数戦をヨーロッパから離れた地で行い、それからヘレスサーキットでヨーロッパラウンド初戦を迎える、というのが恒例になっている。先述のように6月から9月のヘレスサーキットは暑くなってレースに不向きなので、4月から5月の早い時期にヘレスサーキットでのレースを済ませてしまうのが望ましく、そのためヘレスサーキットのレースがヨーロッパラウンド初戦に位置しやすい。
MotoGPのチームのほとんどがヨーロッパを本拠地としているので、ヨーロッパラウンドは家から通うことができて落ち着いた気分で臨むことのできる期間であり、本来の実力を発揮しやすい期間である。
「ヨーロッパラウンドに入ってからが本番」と言われることが多く、ヘレスサーキットで開催されるレースは第2の開幕戦と表現される。
多くの観客が詰めかけて大盛況となる。レース開催中は観客たちがサーキット周辺で一晩中お祭り騒ぎをしているらしい。
大型トラックが並ぶ
ちなみにヨーロッパラウンドからは各チームや各ライダーが大型トラックを用意する(記事)。スポンサーの鮮やかなカラーリングに彩られたチーム用大型トラックがずらりと並ぶ様子は圧巻である。
ライダーが寝泊まりに使う大型トラックはモーターホームという。モーターホームをライダー自ら運転したり(記事1、記事2)、あるいは運転手を雇って運転してもらったりして(記事)、欧州大陸の各サーキットに駆けつける。
大型トラックを運転して欧州大陸を行ったり来たりするMotoGP関係者たちの姿は、サーカス団が興行場所を求めて欧州大陸を東奔西走する姿に似ているので、コンチネンタル・サーカス(大陸を彷徨うサーカス団、といった意味)と言われるようになった。
大型トラックはヘレスサーキットのこのあたりに駐車する。ところが近年は駐車場が足りなくなったので、6コーナーの外の丘のこのあたりにも駐車する。この空撮映像を見るとよく分かる。6コーナー走行中のライダーにもトラックが視界に入る(動画、画像)。
MotoGP関係者が使う大型トラックにはいくつか種類がある。
モーターホームはライダーの寝泊まりに使われる。
モーターホームを購入したりリース契約したりするのは面倒だ、というライダーのためのサーキットホテルもある。ライダーにとってはわざわざ大型トラックを管理しなくて済むので気軽で良い。
ホスピタリティはチームお抱えの料理人がいて、豪華な御馳走を提供してくれる。ホスピタリティはチーム関係者の食堂であり、チームが招くゲストがくつろぐ空間でもある。
各チームが用意する資材運搬・作業用のトラックもある。
レーシングスーツのメーカーもトラックを用意して帯同し、転倒したライダーのスーツを大急ぎで作る。
タイヤメーカーのトラックも出現する。
サーキット内の施設など
UFOコンベンションセンター
メインストレートの上のこの場所に、UFOコンベンションセンターと呼ばれる円盤状の空中観戦席がある。
ガラス張りなので内部からよく見える(画像)。バイクに乗ったライダーが一直線に駆け抜けていく姿を上から見下ろすことができる。
このサーキットの顔と言える存在なので記念撮影にも使われる(画像)。夜は綺麗にライトアップされる(画像)。
2001年5月まではUFOコンベンションセンターがなかった(2000年動画、2001年動画)。2001年5月以降に工事が行われ、2002年5月のMotoGP開催時には完成している(2002年動画)。
2017年は屋根が干からびている様子が映し出された(画像)。
ティオぺぺタワー
最終コーナーに近い小高い丘の上のこの場所に、ティオぺぺタワーがある。この動画でティオペペタワーがある丘が立体化されていてわかりやすい。
ティオぺぺタワーはコントロールタワー(管制塔)で、レース運営者や記録員がここに詰めていて、違反走行を監視し、競技が適切に行われるように取り計らっている。
ティオぺぺはゴンサレス・ビアス社が作るシェリー酒のブランドである。ボトルの色は緑色となっている(画像)。ティオペペとは「ペペおじさん」という意味で、ゴンサレス・ビアス社の創業者マヌエルの叔父が由来である。マヌエルの叔父は利き酒の名手で、マヌエルに強い影響を与えた。
つまり、ティオペペタワーはゴンサレス・ビアス社が命名権を購入している。
ティオぺぺタワーの上部は巨大な人形になっている(画像)。この人形はティオペペ(ペペおじさん)そのもので、ゴンサレス・ビアス社が広告マスコットとして色んな所に掲示している(画像)。帽子にジャケット、ギターというのがお決まりのセット。
ちなみにティオぺぺタワーの人形は色が変わっている。2015年9月のスーパーバイク開催の時までは「赤い帽子に赤いジャケット」だったが、2016年5月のMotoGP開催時には「黄色い帽子・黄色いジャケット」に塗り直されている。2016年5月の動画と2017年5月の動画を見てみるといずれも黄色い。
池
11コーナー付近のこの場所に、池がある。
2010年スペインGPのMotoGPクラス決勝の後、ホルヘ・ロレンソがレーシングスーツを着たままこの池に飛び込んだ(動画1、動画2、動画3)。レーシングスーツは革でできていて水を容易に通さないので溺れかかったという。
2011年も歓喜のあまり池に飛び込んだ(動画)。
2015年には理性が勝っている(動画)。
コース脇のタンポポ
ヘレスサーキットでMotoGPが行われる時期は4月~5月ごろであり、タンポポがコース脇にびっしり生えてコース脇を黄色く染めていて、その光景が目を楽しませてくれる(画像)。
このタンポポは、おそらく人工的に種をまいているものと思われる。2011年の動画や2012年の動画ではコース脇が緑一色なのに、2013年の動画を見てみると急に黄色くなっている。
トンネル3ヶ所と歩道橋
メインストレートのこの場所に、トンネルが2ヶ所ある。
バックストレートのこの場所に、トンネルが1ヶ所ある。
メインストレートのこの場所に、歩道橋がある。歩行者が所持品を落下させてはいけないので、窓などが全くない(画像)。
駐車場
MotoGPが開催されるとこのサーキットには多くの観客がバイクに乗って押し寄せてくる。そのバイクは、サーキット北のこの場所にある駐車場に並べられる。バイクがびっしりと並ぶ様子は圧巻である(画像)。
フラミンゴの像
1993年5月1日にスペインGPの予選がヘレスサーキットで行われたが、その最中に若井伸之が事故を起こしてしまった。
このあと、フラミンゴの像がヘレスサーキットに設置された(画像)。何度か位置を変えて、2018年5月の時点では1コーナーの付近に置かれているという(記事)
アンヘル・ニエトの彫像
MotoGPで13回のチャンピオンを獲得したアンヘル・ニエトの彫像が、第2入口のこのあたりに置かれている(画像、ストリートビュー)。
2018年5月3日に式典が開かれた(動画1、動画2)。
アンヘル・ニエトは13という数字を不吉として嫌って「自分のチャンピオン獲得数は12+1」と言い張っていたので、「12+1」のデザインを様々なところで発見することができる。
この彫像を作ったのはアグスティン・エストゥディージョという彫刻家である(記事1、記事2)。
コーナー名
1コーナー | Expo 92 | 1992年セヴィリア万博にちなんでいる |
2コーナー | ミシュラン | フランスのタイヤメーカー |
3コーナー | ||
4コーナー | ||
5コーナー | シト・ポンス | スペイン人のMotoGPチャンピオン |
6コーナー | ドライ・サック(2019年まで) | シェリー酒のブランドの名前 |
ダニ・ペドロサ | スペイン人のMotoGPチャンピオン | |
7コーナー | ||
8コーナー | ホルヘ・マルティネス・アスパー | スペイン人のMotoGPチャンピオン |
9コーナー | アンヘル・ニエト | スペイン人のMotoGPチャンピオン |
10コーナー | Peluqui(ペルキ) | スペイン人ライダー |
11コーナー | アレックス・クリヴィーレ | スペイン人のMotoGPチャンピオン |
12コーナー | フェラーリ | イタリアの四輪メーカー |
13コーナー | Ducados(2013年まで) | スペインで人気があるタバコ |
ホルヘ・ロレンソ | スペイン人のMotoGPチャンピオン |
本サーキットの属するアンダルシア州の州都セヴィリアで、1992年にセヴィリア万博が開催された。アンダルシア州の人にとって「Expo 92」は特別な思い入れがある。
ドライ・サック(Dry Sack)は酒造会社ウィリアムズ&ハンバートのシェリー酒銘柄である。ウィリアムズ&ハンバートは英国人2人がわざわざスペインのヘレス・デ・ラ・フロンテーラに設立した企業である。ちなみにDryは「辛口」という意味で、Sackは英国の文豪シェイクスピアがシェリー酒を呼ぶときに使った名前であるから、Dry Sackは「辛口のシェリー酒」という意味になる。ところがその名前とは裏腹に「Dry Sackはそんなに辛口ではなく、辛口と甘口の中間のシェリー酒」という評価が固まっているらしい。
6コーナーを「ダニ・ペドロサコーナー」へ改名することが2018年12月に発表された(記事)。2019年5月3日に改名され、ダニ・ペドロサにちなんだ兜の像もお披露目となった(記事、ツィート1、ツィート2)
8コーナーは2010年5月にホルヘ・マルチネスの名前が冠せられた(記事)。
Peluqui(ペルキ)はヘレス・デ・ラ・フロンテーラ出身のライダーである。本名はアントニオ・サンチェス・ガリドといい、ペルキは愛称である。ちなみにペルキはスペイン語で「美容師」という意味を持つ。1936年に生まれて1963年9月23日に早世した(記事1、記事2、記事3、記事4、記事5)。
13コーナーは2013年5月3日までDucadosという名前だった。Ducadosはスペインのアルタディス社が所有するタバコ銘柄。アルタディス社は他にGauloisesやFortunaという銘柄を持ち、2003年から2005年までヤマハワークスのスポンサーとしてMotoGPに関わっていた。2013年5月4日、ホルヘ・ロレンソが26歳になる誕生日に、13コーナーをホルヘ・ロレンソコーナーに改名した(記事)。
四輪レイアウトだと11コーナーのところにシケインが追加される。このシケインはアイルトン・セナ(ブラジル人のF1ドライバー)という名前が付いている。1994年5月1日にアイルトン・セナがイモラサーキットで他界した(イモラの悲劇)。それを受けて、サーキットの中にアイルトン・セナ・シケインを追加して、1994年10月16日に本サーキットでF1ヨーロッパGPを開催した。
コース形状の変遷
1991年までのバックストレートが短い形状
1985年12月の開業から1991年まで、オートバイも四輪もこのコース形状でレースをしていた。2021年現在のコースよりもバックストレートがずいぶんと短い。
1991年5月に行われたサイドカーのレースの動画があり、3コーナーあたりからの様子が映っている(動画)。左・右と切り返してからバックストレートに入っているので、「バックストレートの短い旧形状」でレースをしたことがよく分かる。
1992年からのオートバイ用コース形状
1992年と1993年は、オートバイも四輪もこのコース形状でレースをした。バックストレート前のシケインがなくなり、バックストレートが長くなっている。
オートバイのレース関係者たちは、1992年に確立されたこのコース形状を使用し続けている。
1994年10月からの四輪用コース形状
先述のように、1994年5月1日にイモラサーキットでアイルトン・セナが事故を起こした(イモラの悲劇)。それに合わせてヘレスサーキットでも四輪レースの安全性を追求するようになり、後半の高速区間に四輪向けのシケインを追加することになった。11コーナー周辺にシケインを作り(画像)、「アイルトン・セナ・シケイン」と名前を付けた。そのシケインを使う形状で1994年10月16日のF1ヨーロッパGPを開催した。
2021年現在でも、四輪車がヘレスサーキットを使う時は、アイルトン・セナ・シケインを通るコース形状を使う。
コース紹介(MotoGP)
概要
コース全長は4423mで、2018年~2019年にMotoGPが開催された19ヶ所のサーキットの中で上から13番目である。
コーナー数は13ヶ所で、2018年~2019年にMotoGPが開催された19ヶ所のサーキットの中で上から15番目である。
中速コーナー・高速コーナーが織り込まれた典型的なテクニカルサーキットであり、しっかり曲がるマシンを作り上げなければならない。3~4コーナー、7~8コーナー、10~12コーナーと中速高速コーナーが流れるように続く。
一方で1コーナー、6コーナー、最終13コーナーといったハードブレーキングの低速コーナーもあり、ここできっちり止まるバイクに仕上げることも忘れてはならない。
ブレンボ(イタリアのブレーキメーカー。MotoGPクラスのほとんどのマシンにブレーキを供給する)が選んだ「ブレーキに厳しいサーキット」の中で、最もブレーキに厳しい「VERY HARD」グループはツインリンクもてぎ、カタルーニャサーキット、レッドブルリンク、セパン・インターナショナルサーキットであるが、ヘレスサーキットはそのトップ4に次ぐ「HARD」のグループに入っている(記事1、記事2)。
高速コーナーリングとハードブレーキングの両方を要求する二面性のあるサーキットである。
高速区間で速いセッティングを優先するのか、低速コーナーのブレーキングを優先するのか、ライダーたちは二者択一で迷わされることになる。
こちらがMotoGP公式サイトの使用ギア明示動画である。一番低いギアは2速で、1速を使わない。
主なパッシングポイントはメインストレートエンドの1コーナー、2コーナー、5コーナー、バックストレートエンドの6コーナー、9コーナー、最終13コーナーとなっている。
コース幅が狭い
全体的にどこもコース幅が狭く、パッシングしにくい。
コース幅が狭くてコーナー数が多いので、1つのコーナーでミスすると次のコーナーに大きく響く[2]。ゆえに全てのコーナーでミスをせずにしっかり曲がっていかなければならない。コーナリングがイマイチなマシンにとっては誤魔化しがきかず、苦戦することになる。この点でロサイル・インターナショナルサーキットとは対照的なサーキットと言える。
ドゥカティにとっての鬼門だった
ジジ・ダッリーニャが2013年10月に加入するまでのドゥカティワークスは、コーナーリングがイマイチのマシンを作っていたので、ヘレスサーキットを非常に苦手としていた。2003年のMotoGP初参戦から2016年までで表彰台に上ったのは、次の4回のみだった。
2003年 | 3位 | トロイ・ベイリス |
2006年 | 1位 | ロリス・カピロッシ |
2009年 | 3位 | ケーシー・ストーナー |
2011年 | 3位 | ニッキー・ヘイデン(雨のレース) |
かつて、負けず嫌いのケーシー・ストーナーでさえ「ヘレスだけはダメ」とコメントしていた。ヘレスで下位に沈み「今年のドゥカティはイマイチじゃないか」と印象づけることが毎年の恒例だった。
ところが2017年にホルヘ・ロレンソが6年振り、晴れのレースに限れば8年振りに3位表彰台を獲得した。
2018年は途中で2人とも転倒したがレース途中までドゥカティの2人が表彰台圏内を走っていたし(動画)、2020年にもアンドレア・ドヴィツィオーゾが3位表彰台を獲得している。ドゥカティにとって苦手なサーキットではなくなってきている。
メインストレート~2コーナー
メインストレートエンドの1コーナーは急な上り勾配になっている(画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、前方車載動画)。2階建て建物程度(約6m)の高低差があるように見える。この急激な上り坂のため、かなりブレーキングしやすくなっている。
2008年スペインGP予選において、1コーナーでコリン・エドワーズが転倒しかかった体勢から奇跡的な復活をしたことがある(動画1、動画2)。余談ながら、このように外側のステップから足が外れることをマモラ乗りという。ランディ・マモラという80年代の名物ライダーにちなんだ言い方である。
2コーナーは転倒多発地帯で、フロントからスリップダウンして転倒するライダーが多い(動画)。直後の3~4コーナーが緩い角度の高速セクションとなっており、3~4コーナーを速く走るために2コーナーで速くコーナーリングしたい。しかしながら2コーナーはこのサーキットで最も小さいコーナーで、しかも下り勾配で難しい。無理がたたって転倒してしまうケースが非常に多い。
3コーナー~バックストレートエンドの6コーナー
3~4コーナーは左・左の高速コーナーでタイムの稼ぎどころ。
3コーナーは悲劇を生む魔のコーナーである。1999年にミック・ドゥーハンがここで大転倒し、重傷を負って、そのまま引退した。2020年にマルク・マルケスがここで大転倒し(動画)、選手生命に関わる負傷を負っている(記事1、記事2)。
3~4コーナーで先行者の背後に付けスリップストリームの恩恵を受けて車速を伸ばし、右に切り返して5コーナーのインに飛び込んでパッシングする、そういう光景がたまに見られる(動画)。
5コーナーは右コーナーで、進入が上り勾配、バックストレートに向かう部分は下り勾配になっている。MotoGPマシンが豪快に上り下りする見応えのあるポイント。完全なブラインドコーナーになっており、アクセルを開けるポイントが掴みにくく難しい。四輪のオンボード動画を見ても、そのことがよく分かる。
5コーナーのイン側には黄色いタンポポがびっしり生えていて、のどかな雰囲気になっており、その脇を最先端のレース専用マシンが駆け抜けていくのは良い絵になる(動画)。
5コーナーをバックストレートから見上げた画像はこのリンクの3枚目で、結構な急勾配だと分かる。5コーナーからバックストレートを見下ろした画像はこのリンクの13秒ごろで、相当な下りである。
急勾配をアクセル全開で駆け下り(動画)、途中でドシンと平坦な路面になり、エンジン音を鳴らしながら6コーナーに猛然と突っ込んでくる各ライダーの姿はこのサーキットの見所といえる。
バックストレートエンドの6コーナーが本サーキット最大のパッシングポイントとなる。複数のマシンが横に並び、激しいブレーキング合戦を繰り広げる。勝負所なのでドルナも2ヶ所にカメラを配置して、迫力あるパッシングシーンを撮影している。6コーナー外側から撮影したり(動画1、動画2)。6コーナー内側のクレーンでカメラを吊ってクレーンごと旋回して撮影したりする(動画)。
6コーナーは転倒多発地帯で、路面温度が上がると真っ先にここでの転倒が増加する傾向がある。
6コーナー立ち上がり~8コーナー
6コーナーは角度がきついヘアピンコーナーで、最低速に落ち、各車がフラフラッと立ち上がる。
6コーナー立ち上がりは上り勾配で、7コーナーに向けてマシンを左に傾けようかという地点で急に下り勾配になる。トリッキーな勾配変化になっている。
下り勾配で切り返すのでフロントタイヤがウィリーすることもある。ウィリーしてしまうと加速力が鈍ってしまうので好ましくない。この動画では、ゼッケン15番のセテ・ジベルナウのマシンはウィリーせず、
ゼッケン46番のヴァレンティーノ・ロッシのマシンはウィリーしている。ウィリーを抑える電子制御やサスペンションの差が出たものと思われる。
緩い角度の7コーナーはかなりの高速コーナーで、べったりとマシンを寝かせて走る(動画)。7コーナーを過ぎると少しだけ直線があるので、左に倒していたマシンを垂直に戻す。
8コーナーは巨大な左コーナーで、長い時間マシンを傾ける状態が続く。
9コーナー~10コーナー スタジアムセクション
9コーナーは長い左コーナーのあとの右コーナーで、実際の角度よりもきつい角度のコーナーに感じられ、ついつい早めにブレーキを掛けたくなるコーナーであるらしい。しかし経験豊富な地元スペインのライダーはよく知っていて、遅めのブレーキで見事に飛び込んでいく。経験の差が現れやすいコーナーであるという。
8コーナーで左に傾いたマシンを右に切り返しつつ9コーナーでインに入る姿は躍動感がある(動画)。
9コーナーから10コーナーは観客席が目の前であり、スタジアムセクション(スタジアム区間)と言われ、観客の声援が凄い。ここを経験したライダーによると、走っている最中にも地響きのように声援が聞こえて、さらには爆竹が鳴り響く、とんでもない場所であるとのこと。
1996年スペインGP最大排気量クラスの最終周におけるスタジアムセクションの光景は、このようになった。これはひどい。なんという牧歌的な時代だろうか。
9コーナーから12コーナーまでの高速区間と、ドラマを生んだ最終13コーナー
9コーナーから12コーナーまで4つ連続して右コーナーが続く。この高速区間はタイム出しにとって重要で、ここで勢いを付けメインストレートにリズム良く入りたい。
11コーナーの右に四輪専用シケインがあり、車載映像でシケイン入口とシケイン出口がちらりと見える(動画)。四輪だとこのシケインを器用に通っていく(動画)。
最終13コーナーは最後の勝負所である。ここで後続のライダーが無理矢理インに突っ込んで相手ライダーを外にはじき飛ばしつつ抜き去り、遺恨を残したことが何度もある。1996年のミック・ドゥーハン対アレックス・クリヴィーレ、2005年のヴァレンティーノ・ロッシ対セテ・ジベルナウ、2013年のマルク・マルケス対ホルヘ・ロレンソが代表例である
「野心が才能を上回ったようだね」
MotoGPの2011年第2戦がヘレスサーキットで開催され、ヘレスにしては珍しく雨が降り波乱のレースとなった。
その中で1コーナーでヴァレンティーノ・ロッシが転倒し、ケーシー・ストーナーを巻き込んでしまう。
レースが終わったあとヴァレンティーノは、ヘルメットを被ったままテレビ局クルーを伴ってケーシーのいるレプソルホンダのピットに赴いて謝りに行ったが、そのときケーシーは口元に笑みを浮かべて
「Obviously your ambition outweighed your talent.(君の野心が才能を上回ったようだね)」
と言い放った(動画、記事)。
これが世に言う「野心が才能を上回ったようだね」事件である。
コース学習用動画
関連リンク
関連項目
脚注
- *2015年振り返りG+座談会でそのように発言している
- *ブラッド・ビンダーはこの記事で「ヘレスサーキットはコーナーが相互につながっており、1つのコーナーをミスするとそのコーナーを含むセクター(サーキットを4つに区切ったうちの1つ)全体が台無しになる」と発言している
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