KTMワークスとは、KTMがレース活動を行うためにメーカー直営で運営するチームである。
本稿では、MotoGPに参戦するKTMワークスについて記述する。特に、最大排気量クラスに関する記述が多い。
近年の動向
最大排気量クラス
2017年からKTMは最大排気量クラスに参戦するようになった。
2017年と2018年はポル・エスパルガロとブラッドリー・スミスで、2016年はヤマハサテライトのTech3に所属していたライダーである。この2年間のKTMの戦闘力は低く、1桁順位に滑り込むこともできなかった。しかし2018年最終戦のバレンシアGPで、雨が降る波乱のレースの中でポル・エスパルガロが3位表彰台を獲得した。
2019年からはTech3がKTMサテライトになり、4台のKTMマシンが走って走行データを多く取得するようになり、開発速度の向上が期待できた。それもあってか、ポル・エスパルガロが6回も1桁順位をもぎとってきた。
2020年はコロナ禍が吹き荒れる異様なシーズンであり、ミシュランタイヤがタイヤの構造をガラッと変更して前年までの走行データを紙くずにした革新的な1年となった。この年では日本メーカーの技術者が渡航するのも難しかったが、KTMなど欧州メーカーはほぼ通常どおりに開発をしていたという(記事)。そんなこともあってか、チェコGPでKTMワークスのブラッド・ビンダーが優勝し、スティリアGPとポルトガルGPでKTMサテライトのミゲール・オリヴェイラが優勝するという、KTMが大躍進する1年となった。
2021年はミシュランが持ち込んだ新しいフロントタイヤがイマイチ合わなかったので前半はやや苦しんだが(記事)、KTMワークスは2勝を挙げた。
Moto2クラス
2017年からKTMはMoto2クラスに参戦し、アジョ・モータースポーツのMoto2クラス部門にシャーシを供給するようになった。
Moto2クラスはMoto3クラスほどシャーシ均質化の規制が厳しいわけではなく、メーカーが特定のチームに優先的にシャーシを供給することができる。このため「2017年~2019年のKTMはアジョ・モータースポーツのMoto2クラス部門に人員を派遣して優先的にシャーシを供給するという形式でワークス活動をしていた」と表現できる。
2017年と2018年の2年間におけるMoto2クラスは、ホンダのCBR600RRエンジンをワンメイクで使っていた時期だった。この2年間におけるアジョ・モータースポーツMoto2クラス部門の成績はとても良好で、2年間で9勝を挙げている(アジョ・モータースポーツ英語版Wikipedia記事)。
2019年になるとMoto2クラスはトライアンフのStreet Triple RSエンジンをワンメイクで使うようになった。するとシーズン前半戦はアジョ・モータースポーツMoto2クラス部門の成績がガクッと落ちた。どうやらエンジンとシャーシの相性がイマイチだったらしい。とはいえ、シャーシを必死に改良して後半戦にブラッド・ビンダーが躍進し、ランキング2位になっている。
2019年8月のオーストリアGPのときに「2019年シーズンをもってMoto2クラスにシャーシを供給することをとりやめる」と発表した。Moto2クラス部門に投入する10人から15人ほどの技術者をMoto3クラスや最大排気量クラスに振り分けるのが狙いであるという(記事)。
Moto3クラス
2012年からMoto3クラスが始まり、その年からKTMが積極的に参加している。ホンダとの開発競争が激化しており、ホンダといい勝負になっている。初年度から10年経って2021年が終わった時点で、ホンダとKTMがともにライダーチャンピオンを5回獲得している。
本記事の『Moto3クラスにおけるホンダとの抗争』の項目で、KTMとホンダの舌戦を振り返ることができる。
Moto3クラスにはマシン均質化の規制がある。Moto3クラスにおいてメーカーがシャーシを変更するときは、契約するチームすべてに同時に供給しなければならない。またMoto3クラスにおいては「10台のマシンに供給するメーカーは、運営に10個のエンジンを預け、運営がくじ引きで抽選して10個のエンジンを各ライダーに分配する」という体制になっており、メーカーが特定のチームに特製エンジンを供給することができない。
このため「Moto3クラスにおいてKTMはワークス活動をしていない」と表現することができる。
KTMをワンメイクで使用するレッドブルルーキーズカップ(若手向け選手権)でチャンピオンになったらイダーがアジョ・モータースポーツのMoto3クラス部門に雇用されることが多いので「KTMがMoto3クラスでアジョ・モータースポーツに人員を送り込む形でワークス活動をしている」という印象を受けるが、そういうわけではない。
ライダー
最大排気量クラス
# | 名前 | 国籍 | 出身地 | 身長・体重 | 誕生日 |
33 | ブラッド・ビンダー | ポチェフストルーム | 170cm63kg | 1995年8月11日 | |
88 | ミゲール・オリヴェイラ | プラガル | 170cm64kg | 1995年1月4日 |
歴代ライダーはKTMワークス英語版Wikipedia記事を参照のこと。
また、2019年からTech3がKTMサテライトになっている。Tech3の歴代ライダーも英語版Wikipedia記事で確認できる。
現在のスタッフ
クルーチーフ
ミゲール・オリヴェイラのクルーチーフ。ニュージーランド人。
もともとはモトクロス(起伏のある土の路面をジャンプしながら走る競技)のレーサーだった。
1991年からヨーロッパに住み始め、モトクロスのチームでメカニックとして働くようになった。1995年から2003年までカワサキワークスのモトクロスチームに所属した。
2004~2005年はMotoGPに移り、どこかのチームのクルーチーフになっていた。
2006~2014年はオーリンズ(スウェーデンのサスペンション企業)に就職し、MotoGPの各チームに出向していた。モトクロスというのはサスペンションの出来が極めて重要な競技なので、モトクロスのメカニック出身者がサスペンション企業に就職する例がしばしば見られる。
2015年からはKTMに就職した。2015年はアジョ・モータースポーツ(Moto3クラス)にいて、ミゲール・オリヴェイラやブラッド・ビンダーを支援していたらしい。画像1、画像2、画像3
2016年は最大排気量クラスのテストチームに移った。2016年最終戦バレンシアGPではスポット参戦したミカ・カリオのクルーチーフを務めた。2017年からはポル・エスパルガロのクルーチーフになった。2021年からはポル・エスパルガロに代わってKTMワークスに加入したミゲール・オリヴェイラのクルーチーフを務めている。
※この項の資料・・・記事1、記事2
2017年から2019年までアジョ・モータースポーツのMoto2クラス部門でブラッド・ビンダーのクルーチーフだった。2020年はアジョ・モータースポーツのMoto2クラス部門で長島哲太のクルーチーフだった。
2021年からKTMワークス入りしてブラッド・ビンダーのクルーチーフになった。
チーム・コーディネーター
愛称はベア(Bea)で、チーム・コーディネーターとして働いている。物流やホテルの予約やホスピタリティの手配などを担当している。もともとはラグリース・レーシングのCEV部門でチーム・コーディネーターをしていたという。
後述のエステバン・ガルシアの、妹かまたは姉である。
※この項の資料・・・記事1、記事2
首脳陣
テクニカルディレクター。技術的な相談を一手に受ける立場の人。この動画で喋っている。
ちなみにRisseとはドイツ語で「ひび割れ」という意味である。
1983年頃生まれで、かなりの若手である。ドイツ生まれで、アーヘン工科大学という名門校でオートバイ系自動車工学を学んだ後、2008年にインターンシップでKTMの職場体験をして、そのまま入社した。
技術者としての専門分野はシャーシ設計である。
※この記事が資料
1973年頃にトスカナ地方で生まれたイタリア人である。2006年から2009年までの4年間、125ccクラスおよび250ccクラスのKTMワークスのチーム監督を務めていた。ちなみに2009年にはマルク・マルケスが所属していた(画像)。
KTMワークスは2008年をもって250ccクラスの活動をやめ、2009年をもって125ccクラスの活動をやめた。このためフランチェスコは転職し、2010年~2011年はマックスビアッジとレオンキャミアと共にアプリリアスーパーバイクチームのチーム監督を務めた。2010年にマックスがチャンピオンを獲得している。
2012年にMotoGPへ移籍し、ドゥカティサテライトのプラマックレーシングのチーム監督を務めるようになった。
2021年まで10年間もプラマックレーシングのチーム監督を務め続け、2011年の末になってKTMへ引き抜かれた。プラマックレーシングのオーナーであるパオロ・カンピノティは快くフランチェスコを送り出してくれたが「すべてのレースでKTMを負かしてやるよ」という温かい言葉も掛けてくれたという(記事)。
2021年までのKTMワークスのチーム監督はマイク・ライトナーだった。マイクは技術面で詳しい人物で、技術者に近い人物であり、あまりチーム監督らしい存在ではなかった。ライダーにとっては、あまり技術的な会話をせずにいてくれる「チーム監督らしい存在」がいてくれた方が、精神的にすこし楽である。
2022年から加入したフランチェスコ・グイドッティはチーム監督らしい人物で、ライダーに対して技術面でのアドバイスをすることをほどほどにして、それ以外の心理的支援をすることが期待されている。
父親はファブリツィオ・グイドッティという人で、1990年代アプリリアでヤン・ウィットヴェーンと働いていて、市販レーサーを担当する開発技術者だった。
兄はジャコモ・グイドッティで、2022年はチームLCRで中上貴晶のクルーチーフを務めている。
2005年生まれの息子と2011年生まれの息子がいて、どちらもモトクロスを趣味にしている。
フランチェスコは今でもモトクロスが趣味である。2018年フランスGPの直前においてモトクロスで転倒して怪我をしてしまい、チーム監督だというのに自宅療養するはめになった。
2021年まではチーム監督で、2022年からはレース・マネージャーという肩書きの閑職になった。ダニ・ペドロサとの付き合いが長い。
KTMのレース部門の総責任者であり、肩書きはスポーティングディレクター。MotoGPのみならずモトクロスのレースにも顔を出す立場の人である。
たまにKTMワークスピットに現れる人たち
テストライダー
KTMのテストライダーとして、開発の中心を担っている。
「ある程度速いライダーじゃないと、テストライダーとして意味が無い」とホルヘ・ロレンソや原田哲也が語っているように、レギュラーライダーに迫る速いライダーがテストライダーになるのが望ましい。
ミカ・カリオはその点で申し分なく、2017年オーストリアGPで10位、2017年アラゴンGPで11位になった。オーストリアGPでは2人のレギュラーライダーを上回り、アラゴンGPではポル・エスパルガロの3秒遅れ。シーズン終盤はレギュラーライダーの体調やレース勘がピークに達しているのだが、そのレギュラーライダーと互角以上の戦いをしたのは驚異的である。
成績不振のブラッドリー・スミスと入れ替わるのではないか、と噂されたが、結局開発に残留した。ミカ自身はレースをしたがっていて、KTMワークス以外のチームにも接触していたようであるが、KTMに「君が開発の中心だから」と説得された。
1982年11月8日にフィンランドのヴァルケアコスキで生まれ、2002年からMotoGPにフル参戦し始めた。同じフィンランドのアジョ・モータースポーツで走り始め、2003年シーズン途中からKTMワークスに引き抜かれて2008年まで在籍した。KTMワークスでは125ccや250ccクラスの合計で12勝を挙げている。2005年と2006年は125ccクラスで2年連続ランキング2位。
2009年と2010年はドゥカティサテライトのプラマックレーシングで走ったが、イマイチだった。このときの様子を見た青山博一に「ミカ・カリオは、はまっちゃってましたね。最大排気量クラスはセッティングの幅があって、はまりやすいんです」と言われていた(ライディングスポーツ2011年2月号)。ドツボにハマってしまったということである。
2011年からMoto2クラスのMarcVDSに移った。2014年にはMoto2クラスでランキング2位。
2015年限りで現役引退し、2016年からKTM最大排気量クラスのテストライダーになっている。
2018年ドイツGPで大転倒を喫し、右ひざを骨折するなどの大怪我をした。これにより、KTMワークスの開発が止まったと、マイク・ライトナー監督がこの記事で語っている。ミカ・カリオの存在が大きいことを示している。
長年ゼッケン36番を愛用していたが、2019年の最大排気量クラスにはジョアン・ミルがやってきて、ゼッケン36番を使われてしまった。このためミカ・カリオはゼッケン66番を付けて、2019年2月のセパンテストに臨んでいた。なぜ66かと尋ねらたら「特に意味は無い」と答えていた。
青山博一とは2006~2008年の3年間チームメイトだった。青山からの性格評は次の通り。「彼は北欧人の典型で、感情が表に出ないから、落ち込んでいるかどうかは分からないです。話していても棒読みな感じで、うれしいのか悲しいのか、感情が読めないんです」(ライディングスポーツ2011年2月号)
技術者
イタリア人で2021年夏にKTMへ加入した。KTMに来るまではドゥカティに在籍しており、ジジ・ダッリーニャの片腕として活躍していた。非常に冷静で分析力が高く、2022年にはすでに技術面でのリーダー格になっている。MotoGPのパドックに来るのは3戦に1回程度である。
イタリア人。2010年~2014年はスーパーバイク世界選手権のアプリリアワークスにおり、チャンピオン獲得に貢献していた。2015年から2016年までアプリリアのMotoGP最大排気量クラスの技術者だった。2017年1月からKTMに加入していて、2022年現在も所属している。
資料・・・記事1
KTMの最大排気量クラスマシンRC16のエンジンを設計した技術者。
エンジン(MotoGP)の記事にもあるように、現在のMotoGPのマシンはエンジンの出来で8割が決まってしまう。優秀なエンジン技術者の存在が、勝敗を決めるのである。
1962年頃生まれ。シュトゥットガルト大学という名門校で機械工学を学んだ後、ポルシェ、ロータックス、BMWのF1エンジン製造部門と渡り歩き、2003年にKTMに入社した。それからはKTMエンジン技術者の重鎮となっている。
※資料・・・記事1、記事2
F1の共通電子制御を作った人物である。マクラーレンに所属していたが2016年になってKTMに引き抜かれた。
元ホンダの技術者で、ホンダのシームレスミッションの技術を発明した人物である。
G+の解説者の宮城光さんが「KTMにはホンダにいた日本人技術者がいる」としばしば語っているが、それはおそらく宮崎さんのことである。
※資料・・・記事1
詳しい経歴はMarcVDSの記事を参照のこと。レプソルホンダでクルーチーフで長く働いた人物で、そのあとMarcVDSに入り、2019年はスーパーバイク世界選手権のチームでクルーチーフとなり、2020年からKTM入りし、テストチームに参加した(記事)。
経営者
1973年頃にドイツのショッテンで生まれ、モトクロスのライダーとして競走生活をしていた。モトクロスライダー時代の時はピット・バイラーと知り合いだった。競走生活をやめてからアルファ・レーシングというドイツのオートバイ会社で働いていたが、ピット・バイラーに「KTMに来ないか」と誘われて2016年7月にKTMに入社した。
契約交渉を担当しており、ライダーがKTMと契約を結んでそのことを発表するときの写真に映り込むことが多い(画像1、画像2)。
※資料・・・記事1、記事2
1960年頃生まれ。KTMの創業者ハンス・トゥルンケンポルツの甥である。若いときはKTMのバイクでレースをしていた。1998年になって当時すでにステファン・ピエラが所有していたKTMに入社し、KTMの海外向け営業部門で働くようになった。日本で子会社を設立して日本の輸入規制に悪戦苦闘した時期もある。2004年になって営業系の取締役に昇進し、2014年にはCSO(最高戦略責任者)になっている。MotoGPのパドックに頻繁に顔を出すので、しばしばテレビ中継に映る。
2014年に「マーケティングにとって重要なので最大排気量クラスに参戦すべきだ」と主張したのがこのフーベルト・トゥルンケンポルツである。
※資料・・・記事1、記事2
KTMのCEO(最高経営責任者)。
大企業のトップにしては珍しく非常に率直な人物で、質問から逃げず、言いたいことを喋ってくれる。
ホンダに強い対抗意識を燃やしており「ホンダは一番嫌いなライバル」「ヤマハやカワサキのバイクは好きだが、ホンダを負かすことは最高に満足感を得られる」などと公言する。
かつてのスタッフ
クルーチーフ
スキンヘッドで髭を生やさないのが目印。Twitterのアカウントがある。
2006年から2007年はチーム・ロバーツでケニー・ロバーツ・ジュニアやカーティス・ロバーツのクルーチーフだった。 2008年はカワサキワークスのテストチームに移り、オリヴィエ・ジャックとテストを繰り返した。 2010年はインターウェッテン・ホンダで青山博一のクルーチーフ。
2011年から2012年はTech3のMoto2部門でブラッドリー・スミスのクルーチーフ。 2013年はブルセンス・アビンティアで青山博一のクルーチーフ。 2014年にKTM入りし、Moto3クラスを担当、2014年にジャックミラー、2015年にミゲール・オリヴェイラやブラッド・ビンダーとともに仕事をした。2016年から最大排気量クラスのテストチームに入り、2017年からは最大排気量クラスのレースチームに移ってブラッドリー・スミスのクルーチーフ。スミスからの信頼は厚かったが、KTM首脳から交代を告げられた。
2013年はMoto3クラスのラグリース・レーシング(チーム・カルヴォ)で、マーヴェリック・ヴィニャーレスのクルーチーフを務めていた。
KTMの最大排気量クラス事業の最初期からテストチームに参加していた。2017年夏まで、ミカ・カリオのクルーチーフとしてテストを繰り返していた。
2017年シーズンに低迷するブラッドリー・スミスを見かねて、KTM首脳はクルーチーフの交代を奨め、第12戦イギリスGPの前にスミスはこの勧めを受け入れた。トム・ヨイックの代わりに加入したのがエステバン・ガルシアだった。2018年も引き続きスミスのクルーチーフを務めた。
2019年からはマーカス・エシェンバッハがやってくることが決まっていたので、KTMのテストチームに戻るはずだったが、なんとヤマハワークスのマーヴェリック・ヴィニャーレスから誘いが来た。
2019年からヤマハワークスに引き抜かれ、マーヴェリック・ヴィニャーレスのクルーチーフを務めている。2021年6月になって、マーヴェリックの成績を向上させるためのテコ入れとしてヤマハの意向でクルーチーフの座を解任されてしまった(記事1、記事2)。
2022年からはKTMサテライトのTech3に所属し、技術系の相談役という地位になっている(記事)。
先述のように、チーム・コーディネーターのベアトリス・ガルシア(Beatriz Garcia)は、エステバン・ガルシアの妹かまたは姉である。
ドイツ人。KTMワークスに在籍したのは2019年のわずか1年だけであるが、本項目で詳しく紹介する。
2010年はスーパーバイク世界選手権のヤマハ・ステリルガルダ・チームに所属し、カル・クラッチローのクルーチーフとして働いていて、カル・クラッチローが3勝してランキング5位になることに貢献した。
2011年にカル・クラッチローはMotoGPのTech3に移籍するのだが、そのとき「マーカス・エシェンバッハを一緒にクルーチーフとして雇ってくれないか」とエルヴェ・ポンシャラルに持ちかけている。しかしエルヴェは「ウチにはダニエレ・ロマニョーリがいるし、勘弁してくれないか」と言われて、カルは渋々諦めた。
2012年~2013年はスーパーバイク世界選手権でアプリリア系のチームに所属し、ユージン・ラヴァティのクルーチーフとなっていた。特に2013年はユージンが9勝してランキング2位になることに貢献している。
2015年~2018年はグレッシーニレーシング(アプリリアワークス)に所属していた。2015年~2016年はマルコ・メランドリやステファン・ブラドルのチームの電子制御スタッフだった(記事)。
2017年からアレイシ・エスパルガロのクルーチーフになった。近年の最大排気量クラスは電子制御の重要性が増しているので、電子制御スタッフからクルーチーフに昇格する例が多いが、その好例である。
2018年9月のサンマリノGP直前にグレッシーニレーシングを離脱した。2019年からKTMワークスへ移籍してヨハン・ザルコのクルーチーフになることが決まったので、双方合意の上、チーム離脱となった。アプリリア側としてはKTMへ移籍する人に機密情報を見せたくないし、マーカス側は早くKTMへ行ってマシンに習熟したい。アレイシ・エスパルガロからの評価は高く、「マーカスとはいい関係を築けていた」とコメントしていた(記事)。
ちなみに、ヨハン・ザルコは2019年にKTMワークスに移籍するにあたってアジョ・モータースポーツのマッシモ・ブランキーニを呼ぼうとしたが、マッシモに断わられた。マーカス・エシェンバッハを選んだのはマイク・ライトナー監督である(記事)。
2019年の途中までヨハン・ザルコのクルーチーフを務めた。2019年の途中でヨハン・ザルコはKTMから離脱したので、シーズンの残りのレースに参戦するミカ・カリオのクルーチーフになっていた。
2020年からはスーパーバイク世界選手権に戻り、BMWのチームでユージン・ラヴァティのクルーチーフになった(記事)。
MotoGPのテレビゲームの設定方法についてアドバイスしている動画がある(動画)。
KTMの車体の特徴
KTMの最大排気量クラスのマシンの正式名称はRC16という。KTMは伝統的にスポーツバイクに対してRCという名称を与える傾向があり、Road(舗装路面)とCompetition(競争)の頭文字をとっている。RC16の16は、4つのバルブを備えたシリンダーが4つあって、バルブの数が16個ある、という意味である(記事)。
ちなみに、ホンダは4ストロークエンジンのレース車両にRC~という名前を付ける伝統があり、2019年現在のレプソルホンダのマシンもRC213Vである。
不倶戴天の敵のはずだが、仲良くRC~という名前を使っている。
鋼管トレリスフレーム
鋼管トレリスフレームを最大排気量クラス、Moto2クラス、Moto3クラスの全てで採用している。
さまざまな名称
鋼管トレリスフレームとは、鋼のパイプで格子状になったフレーム。トレリス(trellis)は格子という意味で、画像検索すると格子状になった園芸用品が出てくる。
「鋼管トラスフレーム」とも呼ばれる。トラス(truss)とは三角形という意味で、画像検索すると三角形の建材が目に入る(検索例)。三角形にすると潰れにくいので、構造力学や土木工学でトラスという術語が出てくる(記事)。橋の形状の1つにトラス橋というものがあり、三角形をびっしりと繋げた形である。
「クロモリ・パイプ・フレーム」とも呼ばれる。クロモリは鋼の一種で、クロムモリブデン鋼のこと。鋼にクロムとモリブデンを混ぜた合金である。パイプ(pipe)は管の意味。
「チューブラー・スチール・フレーム」とも呼ばれる。チューブラー(tubular)は管のこと。スチール(steel)は鋼という意味。
「鉄のフレーム」とも呼ばれる。これはだいたい合ってる。鉄(iron)と鋼(steel)はほんのちょっとだけ違う。鉄(iron)に炭素がほんのわずかだけ混じっているのが鋼(steel)である。
「鉄パイプフレーム」という呼ばれ方もある。
2019年11月から最大排気量クラスでのフレームの断面が四角形になった(記事1、記事2)。断面が四角形ならビーム(beam)と呼ぶことがある。このため「クロモリ・ビーム・フレーム」とか「ビーム・スチール・フレーム」と呼ぶこともありうる。
開発速度が速い
他のメーカーがことごとくアルミ・ツインスパーフレームを採用しているのに対し、KTMは鋼管トレリスフレームでのレースを追求している。KTMの技術者達も「鋼管トレリスフレームでやれる」と手応えを感じているらしい。
鋼管トレリスフレームの良さの1つは開発速度が速いという点にある。アルミ・ツインスパーフレームもアルミの切削性の良さから開発速度が速いのだが、鋼管トレリスフレームはそれよりさらに速い。パイプをちょん切って溶接し直せば、すぐに新しくなる。要らないと思ったら切って短くすれば良い、長くしたいなら切って溶接すれば良い。ステファン・ピエラCEOがそう語っている(記事)。
G+の宮城光さんが2017年に日本GPでKTMの技術者達に話を聞いたところ、フレームの種類がなんと20種類もあるとの答えが返ってきたという。パイプとパイプの間につけるガセット(gusset)という補強板があり、これを付けたり外したりして20種類にまでバリエーションが増えているのだそうだ。
クロムモリブデン鋼が「しなり」を生む
鋼管トレリスフレームに使われるのはクロムモリブデン鋼が定番である。
クロムモリブデン鋼には靱性があり、粘り強く、良い感じに「しなり」がある。
「クロムモリブデン鋼を使った鋼管トレリスフレームのオートバイは、良い感じの『しなり』がある。そのため、コーナー旋回中にフレームがグニャグニャとしなって、フレーム自体がサスペンションのようになってくれる。コーナーで乗りやすいマシンである」とよく言われる。
クロムモリブデン鋼はスポーツ系自転車のフレームにも使われる。クロムモリブデン鋼の自転車のユーザーは口を揃えて「クロムモリブデン鋼はしなりがあり、バネのようであり、振動吸収性が良い」と語っている。検索すると、クロムモリブデン鋼の使用者たちの体験談を読むことができる(検索例)。
どうでもいい豆知識だが、クロムモリブデン鋼はボルトに使われる。ホームセンターなどで材質SCM435のボルトが多く売られているが、これはクロムモリブデン鋼の一種である。クロムモリブデン鋼は靱性があって「しなり」があり、ブチッと破断する危険性が少ない。破断してもらっては困るボルトに使われる。
エンジン冷却性能が高い
鋼管トレリスフレームはアルミツインスパーフレームよりも細いので空気の抜けがよく、熱が溜まりにくく、エンジンを冷却しやすい。アルミツインスパーフレームは太いので空気の抜けが悪く、熱が溜まりやすく、エンジンを冷却しにくい。
鋼管トレリスフレームとアルミツインスパーフレームを比べたとき、鋼管トレリスフレームの方がはるかに冷却性能が高く、5度ほどの違いを生むという(記事)。
エンジンを冷却できると、エンジンが生き生きしてよく回り、加速しやすいマシンになる。
商業的な効果が期待できる
KTMというのは、市販しているバイクの多くに鋼管トレリスフレームを採用している。このため、鋼管トレリスフレームの車体で勝つことで、市販車の売り上げを伸ばしたいという野望がある(記事)。
「日曜日に勝ち、月曜日には売る(win on Sunday, sell on Monday)」とステファン・ピエラCEOが語っているが、これはオートバイレースの業界で昔から言われていることで、日曜日のレースに勝つことが市販車の売り上げに大きく響くことを示している。
鋼管トレリスフレームでの勝利が会社の悲願となっており、そのためピット・バイラーも「鋼管トラスフレームは捨てない」「鋼管フレームは宗教だ」と語っている(記事1、記事2)。
肋骨みたいに見える
鋼管トレリスフレームを採用したオートバイは、カウルの隙間から鉄パイプをチラチラ見せるのが定番である(画像1、画像2、画像3)。
なんだか猛獣の肋骨みたいにみえる。
鋼管トレリスフレーム信者の中には「どうだい、セクシーだろう」と言う人がいる。
3Dプリンターを使用
2021年の時点で3Dプリンターを使用しており、迅速な開発速度を実現している(記事1、記事2、記事3)。
V型エンジン
最大排気量クラスのマシンのエンジンはV型エンジンを採用している。ブレーキをガツンと掛けてアクセルをガンガン開ける激しいライディングに合う。
2018年まで電子制御が今ひとつ
2018年までの最大排気量クラスのチームの弱点は電子制御であり、これはKTMの技術者も認めている。2017年から走り始めたのだから、絶対的に走行データが少ない。
また、参戦台数2台というのも電子制御のデータ蓄積にとってマイナスポイントである。参戦台数が多いほど電子制御に有用なデータが増えて電子制御のレベルが上がる。2017年において電子制御が最も進んでいるドゥカティは参戦台数8台であった。
参戦台数を少なくともヤマハと同じ4台にしないと勝ち負けできない、そのようにKTM首脳も考えていて、最大排気量クラスのプライベートチームに「KTMサテライトにならないか」と声を掛けていた。
有力チームのTech3がその誘いに応じ、2019年からKTM陣営の一員になった。これで4台体制になり、電子制御の開発速度も向上するだろう。
空力パーツの開発には消極的
空力パーツの開発には一貫して消極的で、「コストがかかる」「乱気流が発生して、後続のライダーが危険だ」とマイク・ライトナー監督が繰り返し語っている。
スプーン(MotoGP)の記事でも、KTM関係者が空力パーツの開発競争を嫌がっているコメントがいくつか掲載されている。
得意なサーキットと不得意なサーキット
ミサノサーキットやバレンシアサーキットで良成績が目立つ。どちらも低速サーキットで、小さく回り込んだ低速コーナーが多い。
ちなみにMoto2クラスのフォワードレーシングは、スッターが製作してMVアグスタという名前を付けた鋼管トレリスフレームのシャーシを使っている。そのフォワードレーシングはバレンシアサーキットで妙に速く、2019年はステファノ・マンツィが予選3番手決勝4位となり、2020年バレンシアGPはステファノ・マンツィがポールポジションを獲得し、2021年はシモーネ・コルシがポールポジションを獲得していた。
このため「バレンシアサーキットは鋼管トレリスフレームに合うサーキット」という印象がある。
ロサイル・インターナショナルサーキットを苦手のサーキットとしており、関係者も口々にそのことを語っていたが(記事1、記事2、記事3、記事4)、2022年カタールGPはブラッド・ビンダーが2位を獲得した。
KTMのMotoGPにおける方針
2017年シーズンから最大排気量クラスとMoto2クラスに参戦を開始した。これにより、レッドブルルーキーズカップからMoto3、Moto2、最大排気量クラスと一貫してライダーを起用し続ける流れが出来上がった。
レッドブル・ルーキーズカップにはKTMマシンが独占供給されている。車庫にオレンジ色の鉄パイプ・オートバイが並んでいる様子は圧巻。若いうちから、鋼管トレリスフレームの良さ、KTMの良さを植え付けていくのである。
若手ライダーを囲い込んで自力で育成した方が安上がりだ、とステファン・ピエラCEOが語っている。
ピット・バイラーも、レッドブルルーキーズカップからMoto3クラスまではKTMで育成できるのにMoto2クラスになるとKTMから縁が切れてしまうことに不満を感じていたと語っている。
そこで忌まわしきホンダエンジンを積むという屈辱に甘んじながらもMoto2に参戦したのであった。
Moto3クラスにおけるホンダとの抗争
この項は2012年以降の出来事を細かく記録しています。 |
2012年から始まったMoto3クラスに初年度から参加しているKTM。そこで真っ向から立ち向かってきたのがホンダだった。
毎年のようにKTMとホンダは良い勝負を繰り広げている。両陣営で最高成績を挙げたライダーを比べると、以下のようになる。
KTM | ホンダ | |
2012年 | 1位 サンドロ・コルテセ | 3位 マーヴェリック・ヴィニャーレス |
2013年 | 1位 マーヴェリック・ヴィニャーレス | 7位 ジャック・ミラー |
2014年 | 2位 ジャック・ミラー | 1位 アレックス・マルケス |
2015年 | 2位 ミゲール・オリヴェイラ | 1位 ダニー・ケント |
2016年 | 1位 ブラッド・ビンダー | 2位 エネア・バスティアニーニ |
2017年 | 8位 マルコス・ラミレス | 1位 ジョアン・ミル |
2018年 | 3位 マルコ・ベッツェッキ | 1位 ホルヘ・マルティン |
2019年 | 2位 アロン・カネット | 1位 ロレンツォ・ダラポルタ |
2020年 | 1位 アルベルト・アレナス | 2位 トニー・アルボリーノ |
2021年 | 1位 ペドロ・アコスタ | 2位 デニス・フォッジャ |
ドルナが「安価なエンジンを提供してください」と要請、ホンダはそれに応じる
2008年秋に発生したリーマン・ショックにより、MotoGPに参加する各チームの財政事情は厳しくなった。
この状況を憂えたドルナは、少額資金で運営するチームがMoto3に参戦しやすくなるよう、各メーカーに「性能を抑えたエンジンを作り、安価に供給してください」と要請をした。
ホンダはそれに応じ、性能が低くて安価なエンジンを供給していた。また、チームに対してエンジンだけを供給していた。2012年シーズンや2013年シーズンのホンダ陣営を見てみると「FTR-HONDA」「Sutar-HONDA」「TSR-HONDA」というマシンで参戦しているライダーばかりである。これは、ホンダがエンジンのみを供給し、シャーシをFTRやSutarやTSRといった(大メーカーに比べて技術力がちょっと落ちる)メーカーが作っている体制である。
ところがKTMは高性能なエンジンを作っていた。そして、エンジンだけではなくシャーシも作り、各チームに供給していた。大メーカーのKTMが作るシャーシだから、FTRやSutarやTSRといった町工場なみのメーカーが作るシャーシよりも性能が良いのは当然である。
ドルナはエンジンに価格制限をかけていた。エンジンだけ供給のホンダは、その価格制限のとおりに安価で低性能なエンジンを供給することになった。
ところがKTMはエンジンだけでなくシャーシも供給していたので「エンジンは安いんです。このため、エンジン価格制限の規則はちゃんと守ってます」という態度をとりつつ、シャーシの価格を高く設定して、各チームからお金を回収することができた。エンジン価格制限の制度が骨抜きにされたのである。
この記事で、KTMのそういう方針が指摘されている。「エンジンは安価だったが、シャーシの価格によって十分に助けられた。シャーシの価格はしばしば20万ユーロを超えた。そういう状況をホンダは『規則の精神に違反している』と非難した」
まさに、2012~2013年のKTMは「高額になってもいいから、高性能なマシン」という方針だった。
中本修平HRC副社長が公然とKTMを批判。ピット・バイラーも反撃する
この状況を見た中本修平HRC副社長は、KTMを公然と批判した。この記事で次のように語っている。
「KTMはモータースポーツを破壊しています。Moto3クラスは狂気のクラスと化しました。Moto2クラスよりはるかにお金がかかります。これは規制の精神に違反しています。プライベートチームがすべて撤退したらどうするのでしょう。」
これに対して、ピット・バイラーがこの記事で反論している。
「『KTMがモータースポーツを破壊している』という言い草には驚かされましたね・・・。ですが、我々はその発言を気にしません。ただ単に我々の髪を引っ張っているだけですから(挑発しているだけですから)」
「我々は2007年からレッドブル・ルーキーズカップを始めましたし、2014年からはADAC(ドイツ自動車連盟)が主催するジュニアカップにも協力しているのです」
「マシンをKTMから買い取ってMoto3クラスを戦った各チームは、シーズン末にマシンを65,000ユーロで(CEVのような選手権に参加するチームに)売却することができるのです。ですから各チームの財政を圧迫しているという指摘は当たりません」
ホンダが巧妙な手口を使いつつ2014年シーズンに猛反撃
2013年も低調な成績に終わったホンダ勢。このため、2013年9月頃には「2014年はKTMが20台以上」という状況だった。それに加えてマヒンドラが6台になるので、ホンダ勢がわずか6台にまで減少しそうになった。
ところが、これはホンダの巧妙な手口だったのだ。
2014年から、「メーカーはすべてのチームに平等にエンジンを供給しなければならない」という規則が導入されることになっていた。このため20台以上を抱えるKTMは、エンジンの大幅な改良が難しくなった。20台のエンジンを同時に一気に改善するのは大変だからである。一方で、ホンダは6台程度しか味方陣営がいないので、エンジンの大幅な改善も比較的にやりやすい状況になった。
この記事やこの記事で、ピット・バイラーとSPEEDWEEKの編集長が「ホンダは故意に参戦台数を減らし、開発しやすい状況に誘導している・・・」と語っている。
そうした誘導が功を奏したのか、2014年のホンダはシーズン中盤以降から一気に実力を伸ばし始めた。2014年からはエンジンだけでなくシャーシも一括で供給するようになった。NSF250RWという車名のマシンであり、すべてを一から設計し直した本格的ワークスマシンだった。
しかも、ホンダが最も力を注ぐTeam Monlauは、非常に高額なオーリンズ製フロントフォークを導入した。この記事では「100万ドルのフロントフォークだ」「オーリンズのカタログに載っていない特注品も供給される。こんな契約を結ぶことができるのは最大排気量クラスでも一部である」と論じられている。
ホンダがKTMをも上回る資金力を発揮し、2014年のMoto3クラスはホンダ勢の勝利に終わった。
2016年2月 KTMが「ホンダがレブ・リミットを超過している」と告発
2015年はホンダ陣営のレオパードレーシングに所属するダニー・ケントがチャンピオンを獲得した。
ちょうど2015年は、レブ・リミット(回転数上限)が変更となった年だった。2014年までは14,000rpmが上限だったのだが、2015年からは13,500rpmが上限となった。
ここでのrpmという単位は「1分当たりの回転数」という意味である。14,000rpmは1秒で233回回っており、13,500回転は1秒で225回転回っているという意味。
2016年2月、KTMのピット・バイラーはドルナのコラード・チェッキネリ技術監督に対して告発をした。「ホンダ系のチームはレブ・リミットを超過し、13,600rpmまで回している」というものだった。
この記事で、ピット・バイラーがこう喋っている。「2016年になってホンダ陣営からKTM陣営に来たらイダーが数人いた。彼らは、『KTMのマシンは厳格にレブ・リミットが働き、突然回転が止まる感じだ。ホンダのマシンはレブ・リミットが優しく働き、高回転域でも快適に運転できる』と語っていた。そこで、ホンダ系チームにいたメカニックにコンピュータのデータを見せてもらったら、13,500rpmに達してもホンダのライダーたちが全開で走行しており、13,600rpmに達してからゆっくりと減速していった」
13,500rpmのレブ・リミットはホンダが賛成しており、それにドルナが乗った形で導入していた。KTMは終始一貫して反対していたが、ホンダとドルナに押し切られ、14,000rpmレブ・リミットで設計していたエンジンを作り直す羽目になった。そのころから、KTM側の不満が溜まっていたのである。
ちなみに、2015年までホンダで2016年からKTMになったチームはレオパードレーシングである。ゆえに、ピット・バイラーにデータを見せたのはレオパードレーシングのスタッフである。
レオパードレーシングにしてみたら、2016年現在で協力関係にあるKTMから、「2015年におけるホンダでのチャンピオン獲得は、ホンダのレブ・リミット超過のおかげだ」とケチを付けられたわけで、この記事でステファン・キーファー監督が困惑している。
ドルナ側の見解は「4スト250cc単気筒エンジンにおいて、レブ・リミットに到達したときエンジン出力を正確に停止させるというのは非常に難しい。データを確認したら、レブ・リミットの動きに異常なものは見られなかった。とはいえ、ささやかで一時的な(modest and temporary)回転数超過は存在した」というものだった。つまり、KTMの訴えは却下されたのである。
この記事では、レオパードレーシングで2015年にダニー・ケントのクルーチーフを務めたピーター・ボム(長身で髭をはやしていてレース中はピットの中でいつもニヤケ面だった人。最大排気量クラスのチームLCRにいたことがある)にインタビューしている。ピーター・ボムは「レブ・リミット周辺の高回転域で上手くいくよう、ホンダが努力を重ねただけだ」「レブ・リミットはMoto3の電子制御ソフトを統一的に供給するDell’Orto社が設定している。チームやメーカーがそれを変更することなどできない」と語っている。インタビューした記者も「ホンダのマシンはレブ・リミット周辺の動きやシフトチェンジの滑らかさに優れている。それはホンダの技術者が電子制御の面で大いなる努力をしたからだ」と結論付けている。
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ご存じ世界最大のエナジードリンク企業。ニコニコ大百科にも記事がある(→Red Bull)。レッドブルとは英語で「赤い牛」という意味。
オーストリアのザルツブルグ近郊のフシュル・アム・ゼーという湖の畔のド田舎に本社がある。正確な住所はここで、湖の南岸にある。
モータースポーツに理解があり、F1やMotoGPなどに多額の資金をつぎ込んでくれる。さらには飛行機レースであるレッドブルエアレースも主催している。こんな風に飛び回る競技。
MotoGPは2007年からルーキーズカップを開催していて、これの看板スポンサーがレッドブル。2016年に佐々木歩夢、2017年に真崎一輝がチャンピオンに輝いた。
日本の一部のネットユーザーの中に、レッドブルのことを「赤べこ」と呼ぶ人がいる。「赤べこ」とは福島県会津地方のおもちゃであり、日本語版Wikipediaもある。「べこ」というのは東北地方の方言で「牛」という意味。
2018年8月、F1でレッドブルの支援を受けるトロロッソ(イタリア語で「赤い牛」という意味)が、マシンの愛称をAkabekoにしていた。同年10月、会津若松市の市長が、トロロッソのドライバーに赤べこを贈っていた。
レッドブルはオーストリア・タルガウのこの場所にトレーニングセンターを持っており、レッドブルに関係があるスポーツ選手に利用させている。心理学や栄養学だけではなく、休養の重要性なども教えてくれる優良な施設である(記事)。KTMと契約するライダーたちもタルガウで検査を受けるなどしている(記事)。
2019年2月にステファン・ピエラCEOが語ったところによると、2019年のKTMのMotoGP関連予算は4,000万ユーロで、3,000万ユーロが最大排気量クラス、1,000万ユーロがMoto2・Moto3・ルーキーズカップだという。2,000万ユーロをレッドブルが負担してくれていて、2,000万ユーロはKTMが負担していると言っている。
ただ、これは本当なのだろうか。最大排気量クラスの予算が3,000万ユーロというのが、すこし怪しい。
この記事で、カワサキワークスの首脳を務める依田一郎が「カワサキのMotoGP最大排気量クラスの予算は6,000万~7,000万ユーロでした。ホンダは1億ユーロを使っています」と発言しているのである。
ドイツのトラック企業。フォルクスワーゲン・グループに属する。
このツイートの左の画像をクリックすると、KTMスタッフのシャツの左腕部分にMANの文字が入っていることが確認できる。
KTMワークスの資材を運ぶトラックはMANが使われている。このツイートの3つ目にトラックの画像がある。
ちなみにレプソルホンダのトラックはメルセデス(ダイムラーAG)、ヤマハワークスのトラックはIVECOである。
協力企業
オーストリアのサスペンションメーカーで、KTMの傘下企業である。
1977年後半にオランダで設立され、1995年にKTMの傘下に入った。現在はオーストリアのムンダーフィングに本社を持つ。ムンダーフィングはKTMの本社があるマッティヒホーフェンの隣町である。両社の距離は2km程度。
KTMの車両にはすべてWPのサスペンションが付いている。MotoGPのサスペンションはスウェーデンのオーリンズ(金色~黄色の塗装が目印)が主流なのだが、それに対抗している。
2015年のMoto2クラスにおけるヨハン・ザルコの快進撃を支えたのがWPで、そのときは車体にデカデカと「WP」という文字が躍っていた。彼の好成績を見た多くのチームがオーリンズからWPに鞍替えした。
かつてはホワイトパワーと呼ばれていたが、白人至上主義と間違われやすいので、現在ではそのブランド名を用いない。黒字または白字の「W」と赤い「P」の二文字で表示する。
最近ではそうでもないようだが、かつては白いスプリングが同社製品の目印だった。創業直後に知り合いの業者に錆防止のためのスプリング塗装を依頼したところ、たまたまその業者が医療機器専門の企業であったため、白しか塗料がなかった。白いスプリングにして売り出したらよく売れたので、白いスプリングが目印になった。
最大排気量クラスではスウェーデンのオーリンズを使用するマシンが大多数を占めており、走行データの量も圧倒的である。WPを使用するマシンは2017~2018年においてたった2台、2019年でもたったの4台で、走行データの量が少なく、開発速度が遅い。ステファン・ピエラCEOやピット・バイラーが口を揃えて「WPサスペンションはイマイチだ、オーリンズに比べて劣勢だ」と認めている。(記事1、記事2)ひょっとしたら、オーリンズへの乗り換えがあり得るのかもしれない。
オーストリア・シュタイアーマルク州のカップフェンベルグに本社があるエンジン関連企業。KTMの傘下企業である。公式facebook、公式Youtubeチャンネルあり。
とても技術力が高く、F1のエンジン部品を製造して、多くのチームに供給している。「パンクル F1」と検索すると日本語記事が多くヒットする。
ステファン・ピエラCEOも「我々にはパンクルがあるので、エンジン製造技術に関していえば他のメーカーに決して負けない」と自信満々に語っている。
拠点、社名の由来
オーストリア西部・オーバーエスターライヒ州のマッティヒホーフェンにKTMの本社がある。
オーバーエスターライヒを英語に訳すと「Upper Austria(アッパー・オーストリア)」となり、日本語に訳すと「オーストリアの上流」という意味になる。オーストリアを東西に貫く川はドナウ川で、オーバーエスターライヒ州がある西に行くほど上流になる。
マッティヒホーフェンはドイツ南部バイエルン州に近い。バイエルン州は自動車産業が盛んで、BMWやアウディといった有力な自動車メーカーがある。そういう自動車産業の有力企業の協力を得やすい立地にある。
レッドブル本社のあるフシュル・アム・ゼーとも近い。
KTMの社名の由来は2種類ある。Tは創業者のTrunkenpolzの頭文字、Mは本社があるMattighofenの頭文字。Kは、Kraftfahrzeug(「自動車」という意味のドイツ語)の頭文字でもあり、Kronreif(創業19年目に現れた投資家)の頭文字でもある。詳しくは、KTMの個別記事の『KTM社史』の項を参照。
SPEEDWEEK
SPEEDWEEKというドイツ語圏向けのレース記事ニュースサイトがある。
同じドイツ系企業としてKTMの提灯持ち記事をせっせと書き、そしてホンダの粗探しに忙しい。「ホンダのルール違反」「ホンダが札束でゴリ押し」といった記事が出てきて驚いたあとに記事の元を見てみるとSPEEDWEEK.comと書いてあるので、あっそうか(納得)となる。
とはいえ、KTMに関する記事の豊富さは群を抜いていて、とても役に立つサイトである。
その他の雑記
2018年12月には、最大排気量クラスのマシンを売り出していて、お値段25万ユーロだった(記事)。2020年8月にも最大排気量クラスのマシンを売り出していて、28万8千ユーロだった(記事)。
2013年から最大排気量クラスの予選はQ1とQ2に分けるようになった(記事)。金曜日にFP1とFP2が行われ、土曜日朝にFP3が行われ、これらのタイムでQ1組かQ2組かが決まる。Q2に直行した方がレースするに当たって圧倒的に有利なのだが、そのためにはFP1・FP2・FP3を必死に走ってタイムをキッチリ出さねばならない。それゆえ、部品のテストをしている暇が無い。「レギュラーライダーがレースの合間に開発をするのは不可能だ」とポル・エスパルガロが語っている(記事)。他メーカーに追いつくため開発をしなければならないKTMにとって、Q1・Q2の予選方式は好ましくないものである。
「参戦しはじめたときの2017年のマシンは本当に悪く、運転するのが難しかった」とポル・エスパルガロが発言している(記事1、記事2)。
2018年シーズン中、マルク・マルケスへオファーを出したことを首脳の1人が認めている(記事)。
2019年にヨハン・ザルコがKTMワークスに加入したが、ヤマハのマシンからの乗り換えに苦しみ、シーズン途中でKTMワークスを離脱することになった。ジャック・ミラーを「KTMワークスに入らないか」と勧誘し、Moto2クラス部門の中堅ライダーのレミー・ガードナーに「KTMサテライトのTech3に入らないか」と勧誘したが、いずれも断られた(記事1、記事2)。この当時のKTMは勝てるマシンと思われていなかったのである。2020年~2021年の躍進を観た後にそうしたことを思い出すと隔世の観がある。
2019年8月に、ドゥカティの重鎮技術者であるジジ・ダッリーニャにオファーを出しているとの噂が広がった(記事)。
2018年11月に、ステファン・ピエラCEOがドゥカティ買収の可能性をほのめかしていた(記事)。ただし2021年3月には買収を諦めたようである(記事)。
2018年~2019年において、KTMのMoto2クラスのマシンを開発しているテストライダーは、リッキー・カルドゥスとフリアン・シモンである(記事、画像)。
2022年カタールGPはKTMワークスのブラッド・ビンダーが2位になり、レプソルホンダのポル・エスパルガロが3位になった。ポル・エスパルガロは2017年から2020年まで4年もKTMワークスにいたライダーである。このためレース後のパルクフェルメでポル・エスパルガロを祝福するKTMワークスの面々の姿が見られた(画像)。
関連リンク
公式情報
MotoGPのみならず、ダカール・ラリー(南米大陸横断ラリー)やモトクロスも話題となる。
英語版Wikipedia記事
関連項目
- アジョ・モータースポーツ (Moto2やMoto3における実質的なKTMワークス)
- エルヴェ・ポンシャラル (最大排気量クラスやMoto2でKTMサテライトとなったTech3のオーナー)
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