犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

新風舎倒産

2008-02-05 00:36:23 | 言語・論理・構造
年明けから地味に世間を騒がせているのが、自費出版の大手であった新風舎の倒産である。以前から著者とのトラブルが多く、詐欺的商法ではないかと叩かれており、現に民事裁判に訴えられている最中であった。刑法的に見れば同社の行為は詐欺罪にはあたらず、著者は「犯罪被害者」ではない。しかしながら、詐欺的勧誘の悪質性、放漫経営による破綻の是非以上に、その後の同社の態度は余りにも情けなく、浅ましい。このブログでは、過去にS・逸代氏の『ある交通事故死の真実 ─12年と4カ月の贈り物─』という新風舎からの自費出版本について書いたことがあったが、同社の態度は、この交通事故死の被害者と遺族をさらに愚弄するものとも思える。

新風舎の松崎義行社長は、ホームページでこのように述べていた。「今までコマーシャリズムと権威主義に偏向していた出版という舞台を開放し、表現者と、読者、出版社が三位一体となった新しい世界を創っていきたいと思います。私は一貫して『表現する人』の立場から出版事業を行ってきました。それは 『表現する人』と共にありたいし、共感したいし、それを仕事にするほど素晴らしいことはないと信じてきたからです」。そして、S・逸代氏は松崎社長の理念を信じて、一言一句血の滲むような思いで言葉を紡ぎ出した。さらに、その言葉を末永く語り継ぐことを新風舎に託した。「あの娘は天女になったんだね…… たとえ過失であっても、どんな理由であっても、ひとつの命を奪った重さを人として、真摯に受け止める必要があると思います。自分の起こした行いの現実から逃げるのではなく、しっかりと受け止めて初めて、新たな次のスタートが切れるのではないかと思うのです」。

ここまで「言葉の仕事の矜持」にこだわった新風舎の、破産手続に際しての保全管理人を通じた弁はどのようなものだったのか。「既刊本の在庫は倉庫会社の倉庫に保管されております。新風舎が通常支払っていた倉庫料(保管料と荷役料)は月額2000万円程度です。倉庫会社にしてみれば、在庫本の倉庫料が支払われないのであれば、本を処分して、別の会社から荷物を入れて料金をとるのは当然のことであり、また在庫本に対して担保権を持っています(古紙として廃棄するとのことです)。ご質問・苦情の多くは『在庫本は作者のものである』というものですが、もし所有権が作者の側にあるとしたら、作者の所有物が倉庫内にあるわけですから、今後の倉庫料は最終的には作者の方の負担となってしまいます。在庫本の所有権が作者にあるとする考えは、作者にとって大変困った結論となってしまいます」(1月30日の新風舎のホームページより抜粋)。

「表現する人」の「想い」を一瞬にして絶版にしてしまった同社の著者に対する「想い」がこれである。命を削って書いた自分の本、それが古紙として裁断されて廃棄される。自分の精魂込めて書いた文章の活字、さらには写真が無残にも資源ゴミと化す。契約書の細かい文字とは関係がなく、法律的な所有権の所在とも全く関係なく、お金の額の問題とはさらに関係なく、著者が本能的に身を切られる思いがすることは当然の話である。にもかかわらず、言葉を扱う会社であった新風舎の関心はそこにはない。著者による在庫本の買い取り価格を2割にするか4割にするか、1月後半はその攻防に終始していた。数字のことしか頭にないらしい。命の言葉を何としても買い戻したい、このような著者の叫びを聞く耳もない。この期に及んで、最低限の想像力すらないのか。このような会社の人間に掛ける言葉は1つしかない。「恥を知れ」。