工作員には気をつけてくれや
俺が罪悪感とか後ろめたさを感じずに面倒見ないで済むように人権派の皆さんに崇高な理念の下に面倒を見てやってほしいと言ってるんだよ。
リモートワークでもう半年くらい美容院いってない。おっさんです。
猫っ毛というやつでまっすぐピーンとしてて、自分でいうのもなんだけどサラサラ。髪が細いんだ。
マスクするにもモミ毛が邪魔になるし、モミ毛を耳に掛けるのもキモい(何度もいうが、ワイおっさん)
嫁からも、ロン毛キモい、切れというんだけど、ある程度伸びちゃうと、逆に楽なんだよなあ。
帽子被ってりゃいいし。
見なければいい
ごちゃごちゃ安全圏から美しい理念を唱えるだけの人権派の皆さんにはその立派な信念に従って俺の兄弟(知的障害あり、40越えのオッサン)の面倒を見て欲しいわ。俺は見たくないので。
Cubo Ai最強だよ
アラサーの独身OLがビジネスホテルに泊まり、お風呂や晩酌を満喫し、職場であったことや出会いがない等を顔出しせず字幕で伝える動画がある。
中々飲みっぷりや食べっぷりが見てて爽快なので前から楽しみに見ていたのだが、気になることがある。
似ているyoutuber増えたな~ということだ。
後発のyoutuberであからさまに似ている人がいて、プロフィールの文章もアイコンも、動画のつくりもいらすとや(いらすとやさんは万能過ぎるので仕方ないが)を使用している所もそっくりなのだ。
そちらも人気があり、見ていて楽しいのだが処●アピールとかがすごいんだよな、、
あと全国へのひとり旅の様子をあげていた人があからさまにビジホ宿泊動画に切り替えて投稿しているのも個人的には残念だ。そちらの方が受けがいいかもしれないけど、前のスタイルの方が好きだったなと思ってしまう。
1.相模原障害者殺傷事件の犯人は「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させれば世界平和につながる」という思想のもと犯行に及んだ。
ここで犯人が訴えているのは、意思疎通のできない重度障害者はその存在が不幸で、かつ、社会的に何も生み出さないわりにそのお世話に多額の税金と労力が費やされていて、単なる社会のお荷物だから安楽死させればよい、ということだ。
なかなか先鋭的な意見で、絶対に賛成はしたくないと直感的には思う。しかし、理屈でどうやって対抗すればよいのか。この主張に反論するのは結構難問なのではないかと思うに至った。
2.意思疎通のできない重度障害者が社会のお荷物なのは事実だろう。彼・彼女らが社会に何か貢献できるかと言われれば、今の高度に複雑化した社会では極めて困難だろう。そして、いるだけで税金がかかってしまうし、介護・医療などで人手も取られる。もし彼・彼女がいなければそこに投入されていた税金や労力を別に回すことができる。
実利的、合理的、功利主義的に考えれば、彼・彼女らはいない方が社会全体にとってよいという考えに至る人はそれなりにいるのではないか。相模原障害者殺傷事件の犯人のように実行に移すかどうかは別として。
こういう実利的、合理的、功利主義的な観点から犯人の優生思想に反論しようとすると、なかなか難しい。
3.実利的、合理的、功利主義的な観点からの反論として「今回のコロナ禍で引きこもり属性が強者となり、自宅でじっとしていられない陽キャは弱者となった。このように今の社会では確かにお荷物かもしれないが、社会の変化があったときにその属性が強者となることはありうる。多様性に富むことが種の強みなのだ」的な言説に触れることが増えた。これも一つの反論としてはありうるだろう。
しかし、私は意思疎通のできない重度障害者が適者となる社会を想像できない。それはどんな社会なんだろうか。また人類史においてそんな時代はかつてあったのか?
上記の「コロナ禍で〜」という反論も、ある特定のタイプの障害や特性の持ち主を殺処分してはならない理由とはなり得ても、意思疎通のできない重度障害者を安楽死させよという主張に対する反論としては成功しているとは言い難い。
「「生きるに値しない生命」などない。人間の生命に対して人間がそのような問いを持ち出すことは許されない。私たちは,あらゆる人間の生命に対する線引きを頑なに拒否しなければならない。人間がこの世に存在するための特別な条件などどこにもない。
私たちの意識のなかにそのような考え方が深く根を張らない限り,真の共生社会の実現などありえない。」
という説明がなされている。
しかし結局のところ、これとて実利的、合理的、功利主義的観点からは反論できてなくて、「我々の住む日本は全ての人に人権があり、それを恣意的に選別したりすることを許さない社会なのだ。」という以上の意味を持たない。
言ってしまえば今の日本国憲法の「理念」に合わないから駄目という理念的な話だ。なんとも脆弱な見解に思えてしまう。相模原障害者殺傷事件の犯人はこの反論を受けても考えを変えることは絶対にないだろう。
5.犯人の思想に実利的、合理的、功利主義的な観点から反論を加えることはなかなか難しい。
この辺について専門家はどういう回答を持っているのだろうか。
それとも我々には「命の選別は許さない」という理念的で倫理的で道徳的なお題目を念仏のように唱え続け、実利的で合理的で功利主義的な思想に蓋をし続けるしか道は用意されていないのか。
そういう細けー話をしてるんじゃないんだよな。50歳でも55歳でもどっちでも俺の感想は変わらんわ。