1962年(昭和37年)に先行開発された111系をベースに、モーターの出力を強化した近郊形電車。旧型国電70系と同様の通勤・中距離輸送を念頭に置いて設計された3扉セミクロスシート車として登場した系列である。1963年から1982年にかけて約2900両もの多数の車両が製造され、主に本州内の平坦で温暖な地域の路線で、都市圏中距離速達輸送から地方圏ローカル輸送まで広く普通列車から快速列車に用いられた。寒冷地でなおかつ勾配の多い山岳地帯を走る為に作られた115系とあわせて、東北以外、本州ではほぼ全域でその姿を見ることが出来る。また地下線用や体質改善、魔改造なども行われており、マイナーチェンジ車も非常に多い(後述)。
JR東日本では2011年で、JR四国も2019年に運用から撤退してしまったが、JR移行後の現在もJR西日本に在籍しており、さらにJRは地域によって様々な塗装を施して使用されている。
従来の東海道本線東京口の「湘南電車」には80系と153系が使われていたが、どちらも片開き2扉でラッシュ時の運用に難があった。そこで1960年に登場した交直流電車401系・421系と同様の両開き3扉とした111系が1961年に登場し、東海道本線および横須賀線に投入された。
東海道線はオレンジと緑の湘南色、横須賀線にはクリーム色と青の横須賀色(スカ色)が塗られている。この2色は115系にも採用されたが、正面の塗り分けが違うため容易に判別可能である。
111系はモーターが出力100kWのMT46型であったが、その2年後には出力を120kWに向上したMT54型を搭載する113系の製造が開始されたため、111系の製造は2年程度で終了した(モーターのないクハとサハは引き続き111系を名乗っている)。
1972年には総武・横須賀線を結ぶ地下線が開業することとなったため、それに対応する車両として1000番台が増備された。その後内房線・外房線等の房総地区のローカル各線にも投入されている。
国鉄分割民営化後はJR東日本に継承され、引き続き東海道線、横須賀線、総武快速線、房総ローカル各線で運用されていたが、新型車両の投入によって置き換えが進められた。横須賀線、総武快速線からはE217系の投入によって1999年までに撤退、113系発祥の地である東海道線からもE231系投入で2006年までに運行を終了している。最期まで残っていた房総各線からも209系の投入によって2011年に引退、関東地区からすべての113系が姿を消した。
関東地区と同時期に投入され、主に東海道線の熱海駅~米原駅間と御殿場線、中央西線で運用されていた。特に静岡地区の車両は関東地区と一体の運用が組まれており、東京駅にも日常的に顔を出していた。
登場当初より湘南色を維持しており、JR東海に継承された後も大規模な改造を実施せず原型に近い姿で生き残っていたが、313系の大量投入によって2007年までにすべての車両が引退、廃車となった。
現在、名古屋のリニア・鉄道館に111系のトップナンバーであるクハ111-1が保存展示されている。
1964年に113系が京阪神地区の快速列車として運行を開始。1970年より運転を開始した新快速の初代車両としても導入された。その後阪和線、関西本線にも投入されている。1974年には湖西線開業と併せて、雪の多い沿線事情を考慮した耐寒耐雪型車両として700番台が製造された。
1986年には福知山線全線と山陰本線福知山駅~城崎駅間の電化に対応するため、各地の113系初期車を寄せ集めた耐寒耐雪対応車として改造した800番台が誕生。その後国鉄分割民営化を迎え、関西の113系はJR西日本へ継承された。
民営化後は関西地区各地の電化路線で使用された。その線区の事情に応じた改造も盛んに行われ、京阪神地区では最高速度を100km/hから110km/hとする高速化改造、ローカル線ではワンマン化や単編成化が各地で実施されている。1991年には、800番台の一部が七尾線電化用として415系800番台に改造された(改造の流れと歴史は113+485=415+183の記事が詳しい)。
一部の車両では車内外を新車同様に改装する体質改善工事も実施されている。初期の体質改善40N工事車は座席を223系同様の転換クロスシートにするという力の入れようだった。後に工事内容を簡略した体質改善30Nに移行している。
2001年、福知山線篠山口駅以北のワンマン短編成化に際して、800番台を2両編成にする改造が実施され113系3800番台が誕生する。コスト削減のため前面に黄色い補強板を取って付けたような衝撃的なスタイルとなり、多くの鉄道ファンを驚かせた。
やはり新型車両の導入で置き換えが進んでおり、関西では福知山線・阪和線撤退後の2013年頃は湖西線、草津線、山陰本線福知山地区、および紀勢本線の一部区間で残るのみであった。京都、福知山の113系は緑一色への塗替えが進み、2017年4月に京都のC10編成の出場をもって湘南色113系が消滅した。紀勢本線ではワンマン運転対応の2両編成が活躍していた。
が、残る車両も老朽化には勝てず、227系1000番台の投入によりまず和歌山エリアから113系を含む国鉄型車両が撤退。その和歌山エリアで余剰となった223系2500番台などが京都に集結し、2023年4月1日に草津線でのラストランを以て京都・滋賀エリアでの定期運用も終了した。一部の緑一色編成はまだ向日町に留置されていた(後に吹田に回送され、2023年度に全車除籍)。
113系は北近畿エリアに5300番台が6本12両残るのみとなったが、125系が福知山に顔を出しはじめるなど予断を許さない状況である。京都鉄道博物館の展示イベントにて北近畿エリアの113系も1編成(S5編成)が2024年度に廃車になることが示唆された。同じ北近畿エリアのS9編成も2024年4月10日に吹田へ回送されているが、こちらは廃車とならず旧福知山色になって出場した。それ以外の編成もJR西日本が車両更新の前倒しを表明しているため、早期に置き換える可能性もあるので注意しておこう。
東海道線からの転属車が広島、下関地区に配備され、山陽本線と呉線で115系に混じって使用されていた。抑速ブレーキがないため、急勾配区間である山陽本線の「瀬野八」は通過しない。国鉄分割民営化までに他地区からの115系の転属によって111系は姿を消している。
その後、国鉄分割民営化後のJR西日本への継承も経て長らく115系が主力であったが、広島支社管内の103系置き換えのため、嵯峨野線への221系投入で余剰となった113系が多数転属し、F編成を名乗った。湘南色のままだったり広島地区の体質改善色に塗られたりした編成もいたが、黄色一色の末期色への塗替えが進行していた。その後、紀勢本線・福知山線等への225系投入で余剰となった113系がP編成を名乗り転属したことで、F編成の一部を置き換えた。この際体質改善車を中心に115系に改造されるクハが出現し、老朽化が顕著な115系(一部113系)のクハを置き換えている。
また、岡山支社管内でも他地区からの貸出車が数編成配備されていたが、広島で余剰となった体質改善モハユニットと阪和線・紀勢本線で余剰となった未体質改善のクハを組み合わせて黄色一色に塗り替えた編成が正式に配備され、貸出車は返却されたのち廃車となった。その後、広島地区での227系投入に伴い40N体質改善工事車を中心に一部車両が転属し、115系K編成と上記の未更新クハを置き換えている。2023年より岡山にも227系が導入され、117系置き換え後は伯備線新見以北に入れず4両固定編成の為融通の効きにくい113系の置き換えが優先され、廃車が進んでいる。
予讃線、土讃線の一部電化と瀬戸大橋線の開業に備えるため、国鉄分割民営化直前の1987年3月に111系の4両編成5本が配備され、JR四国に継承された。JRに継承された唯一の111系グループである。
111系は老朽化に伴って2001年に廃車となり、自社の6000系およびJR東日本より購入した113系によって置き換えられた。113系は4両編成3本が購入され、編成ごとに黄色、青、紫の3色を貴重とした塗装に塗られた。前面も大幅に改造され、車内も座席を転換クロスシートとするなどの改良が加えられている。
黄色の編成は瀬戸内国際芸術祭の開催に伴い「アラーキー列車」なる奇抜なラッピングが施されたりしたのち、2018年3月に廃車された。残る2本も2019年3月のダイヤ改正をもって運用離脱、これをもってJR四国から国鉄型電車が消滅した。
モハ111 | 制御装置・補助電源を搭載する電動車。 |
モハ110 | 集電装置・空気圧縮機を搭載する電動車。 |
モハ113 | 制御装置を搭載。モハ111のパワーアップ版。 |
モハ112 | 集電装置・補助電源・空気圧縮機を搭載。モハ110のパワーアップ版。 |
クハ111 | 制御車。モハ112側に連結される車両は、空気圧縮機を搭載する。 |
サハ111 | 付随車。 |
サロ110 | 153系からの改造車と新造車がある。 |
サロ111 | 111系投入当初に導入された一等車。 |
サロ112 | 153系のサロ152・163を改造・編入した車輌。 |
サロ113 | シートピッチを拡大・リクライニングシートを装備し、定員を減らしたグリーン車。 |
サロ124、125 | 定員増加を図る為に作られたダブルデッカー車。定員は何と1.5倍にも増えた。 |
クモハ113 | モハ113を先頭車改造。800番代や、2000番代などがある。 |
クモハ112 | モハ112を先頭車改造。JR西日本に存在。 |
現在の113系の基となったグループで、モーター出力の小さい初期量産車である。モーターはMT46を搭載し、出力は100kW。
111系のモーター出力を向上したグループ。モーターはMT54を搭載し、出力は120kW。
基本となる初期車のほか、降雪地帯向けに屋上の通風器をグローブ型から押込型に変更した初期防寒車、ユニット窓の新製冷房車(0’番代)の各グループが存在している。
2000番台は本番台のシートピッチ(座席の間隔)・座席幅を急行用車両と同等の寸法に拡大したグループで、従来車とは窓配置が違うため遠目からでも区別が可能である。
地下区間走行のため、防災装備を強化したグループ。いずれの車両もA-A基準を満たして作られている。
初期車の製造後に地下線へのATC導入が決定したことから、ATCを装備した改良車が増備されることとなった(通称1000’番代)。初期車はそのほとんどが房総地区のローカル運用に就いていた。
ATCに対応した後期車はユニット窓で、途中から冷房を搭載しての増備に移行した。また、近郊型で運転台窓の後ろに小窓が付けられた(運転台が広げられた)のは、このグループが最初である。
後期の増備車は2000番台同様シートピッチ及び座席幅が拡大され、1500番代となっている。
115系との折衷型ともいえる、本格的な耐寒装備を持ったグループ。主に湖西線に投入された。
サロ110には、153系からの改造車と新造車の2種類が存在する。
0番台はサロ153を改造・編入した車輌で、難燃化改造されたものは1000番代を名乗る。ステンレス試作車のサロ153-901,902を種車とする900番代も存在した。
1200番代は新造車であり、113系グリーン車の決定版。最後まで使われた平屋サロである。
1970年に試作冷房改造車が登場。その後、量産冷房車の登場から程なくして、量産冷房車と同じ装備での冷房改造が始まる。
JR化後は各社様々の方式で行われるようになった。(例 東日本:AU712)
JR東海がC-AU711で冷房化改造した車輌に付けた番代区分。原番号+5000で付番。
1986年改造。福知山線向けに、0番代初期車に耐寒工事を施行したもの。
JR東海でATS-Pを搭載したグループ。東京への直通が可能な車両を識別するためと思われる。
京都・神戸線向けに最高速度を110km/hに引き上げ、ブレーキ性能の向上などの改造をされた車輌。
原番号+5000で付番。(例)クハ111-102を高速対応改造→クハ111-5102に
現在は一部で復帰工事が行われ、高速対応でなくなった車輌は元の番号に戻されている。
いずれも、ドアに取っ手が残っているのが特徴。
クハ115を必要最小限の改造で編入。更新工事、冷房化改造されるとこなく廃車となった。
編成中に組み込まれていたクハを他の編成に転用する為に、サハ115-300から改造・編入。
出来るだけ少ない設備投資で、老朽化していたサロ110などを置き換えようとして出来た。
113系とは車輌断面が違うので、編成中でよく目立っていた。
ユニットの相方を事故で無くしたモハ113-1027を電装解除・先頭車化。
モハ113、モハ112電装解除してサハ化した車輌。
401・403が元モハ113、402・404が元モハ112であった。
JR東海静岡地区の短編成化改造車。モハ113-2000に運転台を付けたものがクモハ113-2000、それに伴い、編成の向きを揃える為にクハ 111-2000を方転したものがクハ111-2200。
掲示板
52 ななしのよっしん
2019/08/26(月) 19:53:53 ID: P4sxi+oAl0
53 ななしのよっしん
2022/05/13(金) 22:44:27 ID: tdILCvaglW
1000'番台以降はようわけわからん113になったのう。1500とか2000番台とか、0番台から大きく見た目が違い過ぎて113じゃない説
54 ななしのよっしん
2024/03/28(木) 15:31:55 ID: XXax6g1S8q
福知山の113系、1編成廃車予定らしい
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急上昇ワード改
最終更新:2025/03/09(日) 03:00
最終更新:2025/03/09(日) 02:00
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