筑摩とは、大日本帝国海軍所属の利根型重巡洋艦2番艦「筑摩」をモデルとした、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘である。
CV:井口裕香 デザインは「脱衣パワー絵師」ことbob。図鑑番号:64→189(改二)
利根型姉妹の妹。姉と同じく、カーキ色のボディコンっぽい服に身を包んでいる。左腕に付けているのは、利根型重巡の特徴ともいえる水上偵察機用の滑走台である。
通常絵のポーズが、顎に軽く右手の指を当てているのだが、これがちょうどお面を顔に当てているように見えてしまったためか、「筑摩といえばお面」と、格好のネタにされてしまっている。筑摩にとってみれば完全に風評被害であり、訴訟も辞さない。
ロングの黒髪の持ち主で、すらりとした長身(利根型の絵師の人は妙高型でも言われている通り、艦娘を非常に長身に描く事が多い)で、おムネの方も巨乳とはいかなくても、重巡の名に恥じぬ立派なものをお持ちである。足はブーツを履いており、さらになぜか左脚だけにサイハイソックスを履いているのが目立つ(これは姉と同じ)。
性格はいたって穏やかだが、セリフの端々に姉のことがあがってくる(このため、利根さんをお迎えしていないときは虚空に語りかけていることになるが、これは姉好き艦娘にはよくあること)。若干姉依存なところがあるっぽい?
性能的には、重巡洋艦の最終形態である利根型だけあって非常に高性能なのだが、
一部の駆逐艦や一部の軽巡洋艦のように、クラスを飛び越えるほどの優秀さではないのが無念である。
利根型二番艦、航空巡洋艦の筑摩です。
姉さんと一緒に頑張りますね。
2014年4月23日の一周年アップデートで姉と共に追加された航空巡洋艦への改二。
衣装は概ね利根と同じ大きく開いたスリットのスカートを身に付け、艤装もアームを介して背中で背負うスタイルである。利根との差違としてトレードマークである左腕と左足に身につけた長手袋とニーソックスを機銃を外した状態でそのまま着用している(利根はどちらにも機銃が付いてる。利根がレイテ沖海戦から帰還後に対空兵装を強化したのに対して筑摩は戦没しているため)
利根と筑摩は元の設計から機動部隊の前衛として運用する「偵察巡洋艦」として運用する思想で、
主砲を前部に集中配置し後部甲板を水上偵察機のスペースに割り当てていたことからか、
航空巡洋艦となってもステータスは下がらない。
基本的に姉と同様の仕様で、水上爆撃機である瑞雲や試製晴嵐が運用できるようになった。
搭載スロットは上から2・2・9・5機と、最上型と比べてやや癖がある。
パラメータは利根と比較して対空と雷撃が利根の82に対して筑摩は83、逆に耐久は筑摩が58、利根は59になっている。
利根型改二実装後の色々なアップデートが積み重なった結果、艦載機総搭載量は他の航空巡洋艦より少なく、
2スロットを主砲*2で使用すると限定して三隈改(改二ですらない)と並ぶ14機。
パラメータは流石に改二ではない最上型には勝るものの、鈴谷・熊野改二に勝っているところは索敵だけと設計図を使う割には少々残念なスペックとなっている。
航空巡洋艦という艦種自体が重宝される仕様になっているので、多少のスペック差程度を気にしている場合ではなかったりする。
利根型改二にはレベル70で改装出来る+20.3cm(3号)連装砲、瑞雲(六三四空)、21号対空電探も持ってきてくれるという利点もある。牧場目的ならもっと効率のいい育成候補はいるが。
利根型重巡洋艦2番艦「筑摩」は、1939年5月に長崎の三菱重工造船所で就役した。名前の由来は長野県を流れる筑摩川(=千曲川、下流の新潟県では信濃川に名前が変わる)から。重巡なのになぜ山ではなく軽巡と同じ川の名前かというと、利根型は計画時点では軽巡だったため(→利根(艦これ)を参照されたし)。
後継の伊吹級重巡洋艦は未成であり、戦後「重巡洋艦」と呼ばれる艦種は事実上消滅しているため、この「筑摩」が、日本の最後の重巡洋艦である[1]
竣工後は第二艦隊第6戦隊に所属。第8戦隊に転属後、中国戦線に数回出撃している。
太平洋戦争に入ると、一航戦に所属。真珠湾攻撃にも参加しており、攻撃前に「筑摩」搭載の水上偵察機が真珠湾を偵察し、状況報告をしている。
その後も南太平洋を転戦。ジャワ島ではオランダ貨物船メイモットヨートを、なんと「赤城」の頭越しに射撃し、撃沈するも南雲司令官を怒らせた、というエピソードも。
1942年6月5日のミッドウェー海戦では「筑摩」艦載の水偵1号機が敵機動部隊の上空を通過するも雲が厚く発見できず、さらに敵艦載機と遭遇するも報告しなかったため敵機動部隊発見が遅れ、これが敗因の一つになったと言われている。
その後5号機が「飛龍」攻撃隊を誘導、米空母「ヨークタウン」攻撃に貢献するも、5号機自身は未帰還となった。
1943年10月、栗田艦隊旗下の第7戦隊に所属、索敵要員としてレイテ沖海戦に参加。 25日、サマール島沖海戦において敵艦隊へと突撃。戦艦「金剛」、重巡「羽黒」とともに米護衛空母「ガンビア・ベイ」を撃沈するが、追撃戦中の8時53分頃、米艦載機の反撃により、魚雷1本を艦尾に受けて火災が発生。舵故障と速力低下のため艦隊より落伍してしまう。
このときまで、常に共にあった姉の「利根」とは、この落伍が今生の別れとなってしまった。
筑摩の救助に駆逐艦「雪風」が向けられる予定だったが、駆逐艦「野分」を向かわせることになった。「筑摩」は10時20分頃から再び米軍機の空襲を受け、左舷に複数の魚雷が命中。艦の傾斜が増して11時には航行不能に陥り(「野分」は11時20分に司令部のある大和に筑摩の位置を問い合わせて、11時42分に大和より回答が送信されている)、生存者の証言では16時頃の攻勢による命中弾がダメ押しとなり総員退去が命令された。最期は「野分」の介錯によって雷撃処分されたとも「野分」の到着時には既に沈んでいたとも言われている。
海面を漂っていた「筑摩」の生存者は120名余が「野分」に救助されたが、同艦もその救助活動のために逃げ遅れ、その晩に米艦隊の巡洋艦3隻、駆逐艦2隻によるレーダー砲撃と雷撃により撃沈された。日本海軍の公式記録では、「筑摩」「野分」ともに「行方不明」である。
また、「筑摩」の沈没の際に「野分」に救助されずに漂流していた1名が、米国に救助され、戦後日本に帰国しており、その兵士が「筑摩」乗組員で唯一の生存者である。
「筑摩」の名を持つ軍艦としては二代目(初代は筑摩型防護巡洋艦のネームシップ)。現代になって、海上自衛隊所属のあぶくま型護衛艦の5番艦「ちくま」がその名を受け継いでいる[2] 。
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最終更新:2024/12/25(水) 19:00
最終更新:2024/12/25(水) 18:00
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