安田猛とは、以下の人物の事を指す。
この記事では1について記述する
安田猛(やすだ たけし、1947年4月25日-2021年2月20日)とは、ヤクルトスワローズに所属していた元プロ野球選手(投手)である。
現役時代はスピードは無いながらも、抜群の制球力と「魔球」とも言われた超スローボールを用いて活躍。その投球術でセ・リーグの打者を翻弄し、あの王貞治ですら抑え込んで「王キラー」とも呼ばれた。
OB(故人) | |
---|---|
安田猛 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県北九州市 |
生年月日 | 1947年4月25日 |
没年月日 | 2021年2月20日 (満73歳没) |
身長 体重 |
173cm 72kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1971年ドラフト6位 |
引退 | 1981年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
高校時代は3年次に甲子園に出場するが、1回戦で敗退する。
当初は明大に進学予定だったが、たまたま観戦した早慶戦の影響で一般入試で早稲田大学に入学する。高校時代は本格派であったが、一年生の夏に肘を痛めてしまい速い球が投げられなくなってしまう。しかし、高校時代からのライバルであった山中正竹(法政大学)が活躍する姿に刺激を受けて一念発起し、腕を下げてシュートを覚えた。大学では小坂敏彦に続く2番手投手で、通算でもわずか4勝しか挙げていない。
大学卒業後は大昭和製紙に入社するが、ここでも速球が投げられないことがネックとなって三輪田勝利らの影に隠れていた。
転機となってのは入社2年目の70年、大昭和製紙は激戦の末に都市対抗野球への出場を決める。
本戦を1か月後に控えたある日、早稲田時代からの先輩でもあった捕手の長倉春生から「もっと遅い球を投げろ!」と言われ、練習の末に安田は球速が60キロ代の超スローボールを習得。都市対抗の予選では打たれまくっていた安田はこのボールを武器に都市対抗野球にロングリリーフとして乗り込むと、他チームの打者たちはあまりの緩急さに内野ゴロの山を築いていき、チームは見事17年振りの都市対抗野球優勝を果たし、安田は橋戸賞を獲得した。
この活躍を受けて安田はヤクルトからドラフト指名を受ける。「長嶋さん、王さんに一度でいいから投げてみたかった。」のがプロを志望した理由だという。ただしやはり球速がないことが響いたのか、順位は6位と評価は決して高くはなかった。
プロ1年目の72年はオールスター前までは余り期待されていなかったこともあり、江夏豊などのエース級にぶつけられる謂わば「捨て駒」で1勝4敗という成績だったが、後半戦は投球内容を評価され、江夏らエース級との勝負を避けて貰えるようになって6勝1敗と巻き返し、最終的に7勝5敗、防御率2.08で新人王と最優秀防御率のタイトルを獲得している。
なお、この年のオフに丸の内の明治屋でアルバイトをしていた。当時の三原脩監督が秋キャンプを免除してくれて暇だったのが理由だとしているが、結局3年ほど続けたそうだ。
73年も前年同様抜群の制球力を生かして活躍、特に7月17日の阪神戦の8回から9月9日の2回までに1950年に白木義一郎が作った74イニング連続無四球記録を更新、そのまま9回2死まで無四球・無失点で抑えるが、直後に中村勝広、遠井吾郎に連打を浴びて同点とされ、ここで4番・田淵幸一を迎える。
ここで安田は監督の三原脩の指示により田淵を敬遠、連続無四球記録は81イニングで途絶えることとなる。ちなみにこの記録は7月17日の田淵の敬遠から始まっているため、田淵に始まり田淵に終わった記録であるともいえる。
なお記録が途切れたことによって気持ちが切れたのか、直後に池田祥浩にサヨナラ3ランを浴びている。
この年は打線が弱かったこともあり、防御率2.02で2年連続で最優秀防御率を獲得するも、10勝12敗と負け越している。
74年は右ひざの故障で一時離脱したが、それでも9勝を挙げ、75年は自己最多となる243と2/3イニングを投げて16勝12敗4セーブ、さらにこれだけのイニングを投げながらこの年は死球0を記録している。
77年は17勝16敗6セーブの活躍でチームの2位躍進に貢献、また王貞治が756号の世界記録更新にあと一歩と迫っていた時には8月27日から9月3日までの間の巨人戦に全て登板し、王を7打席ノーヒットに抑えている。(756号は9月3日にヤクルトの同僚である鈴木康二朗が打たれ、安田は気が緩んだのか翌日に757号目となるサヨナラホームランを打たれている。)
78年は開幕投手を務めて完投勝利、この年は15勝を挙げる活躍でヤクルトの初の日本一に貢献した。
引退後はヤクルトのコーチやスコアラーを務めた。特に1995年は日本シリーズでイチローを封じ込め、野村克也監督から「日本一のスコアラー」と称賛された。2010年に編成部が統合されたことで退任し、評論家として活動。また母校の小倉高校でコーチを務めた。
2017年にステージ4の胃癌で余命1年と宣告されたが、闘病しながら不定期で小倉高校でのコーチ業も継続。2019年にはスワローズドリームゲームに登板して2球を投じ、これが生前最後の公の場での姿となった。
身長は小柄ながら抜群の制球力とタフネスを兼ね備えており、サイドスローの投法はペンギン投法と呼ばれた。
その制球力はボール半個分単位のクラスで、右・左打者双方を攻める時も、ホームベースをギリギリかすめる程の球からさらに打者の内角をえぐることで数センチ単位でストライクゾーンを広げ、打者どころか審判も翻弄している。
また超スローボール以外にもスローカーブ、シュート、チェンジアップ、スライダーなど様々な変化球を投げ分ける一方、ストレートはつり球くらいにしか使わなかったとは本人談。相手がどんな相手でも物怖じしない強心臓の持ち主。王貞治にも真っ向から勝負し、初対決はストレートの四球だったが敬遠は一度もしたことが無いと語っている。(ちなみに王には10年間で10本の本塁打を許しているが、通算打率は.254と抑えている)
王貞治に対してはその一本足打法こそが弱点と語り、タイミングを崩すために投球モーションをわざとゆっくりにしたり、時にはクイックで投げたり、足も上げたり下げたりを一球ごとに変えて幻惑している。
引退に際して王から送られた「安田は詰まらされて打ち取られた数少ないピッチャーのひとりでした」という賛辞に胸が熱くなったという。
イニング連続無四球記録を作った際も、81イニングで9失点(防御率1.00)に止めている。
本人曰く「ボールの遅い本格派」。
周りから見たら「何で打てないんだろう」と思うかもしれないけど、いろんな球を駆使して遅い球を速く見せていた。まさにプロ中のプロ。あとは度胸も凄かった。王さん相手にあれだけ堂々と投げられるピッチャーはそういない。
(大杉勝男)
どの球を絞ったらいいのかわからない。スローボールを待つとストレートに遅れるし、ストレートを待つと変化球に泳がされてしまう。こちらの思いを見透かしたように絶妙のタイミングで投げてくる。
(藤田平)
前述のように王貞治に対しても物怖じせずに勝負した安田だが、その安田がここまで王に対して勝負を挑めたのは当時のヤクルトの正捕手・大矢明彦の存在が大きい。
ニコニコではやる大矢などと馬鹿にされネタにされているが、大矢には強肩、そしてなによりどんなコースの球でも受け止められるキャッチング技術という武器があった。そのため抜群の制球力と厳しいところでも投げ込める強心臓を持つ安田とはまさしく最高の組み合わせであった。
安田には「捕手が取りやすい球こそ打たれやすい」という持論があり、そのため時にはノーサインでボールを厳しいコースに投げ込むことすらあったが、大矢はどんなコースでも受け止め、さらにボール気味の球でも「よっし!」と声を上げて審判にストライクコールを促した。
二人はまさに以心伝心の仲といっていいほどであり、王貞治に対して他の投手が逃げの投球を繰り返す中、安田-大矢のバッテリーは王の内角にストレートを3球続けて投げ込んで王や周囲を唖然とさせたこともある。
いしいひさいちの漫画「がんばれ!!タブチくん!!」では、作者がスワローズのファンであったこともあってか、安田がモデルのヤスダくんがレギュラーキャラとしてよく登場していた。「魔球」スローカーブを投げてたことから、魔球開発が大好きという設定で、その為に相棒で大矢明彦がモデルのオーヤくんをよくブチ切れさせたりしていた。
主人公のタブチくんとは腐れ縁でつながっており、子供を連れて飯をたかりに来たり、無理矢理お歳暮をもらおうとしたりしていた。
後に朝日新聞連載の「ののちゃん」でも図工教師のヤスダ先生として登場している。
通算:10年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 358 | 160 | 59 | 13 | 93 | 80 | 17 | -- | .538 | 1508.1 | 285 | 655 | 601 | 547 | 3.26 |
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最終更新:2025/01/22(水) 14:00
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