みどり市とは、群馬県東部にある、両脇を桐生市に挟まれた市である(下図参照)。
いわゆる「平成の大合併」で2006年に誕生した比較的新しい市。群馬県で新しい市が誕生するのは48年ぶりであり、平成の大合併で誕生した群馬県の市はみどり市のみである。
元の自治体は
であり、3つ全ての所属する郡が異なっていた。また、東西を桐生市に挟まれており(経緯は後述)、特に笠懸町と大間々町は桐生市との人の行き来が多く、実質的には桐生都市圏の一部として機能している。
笠懸町と大間々町の境界は1.1km程度のみで接しており、場所によっては両地域の行き来には桐生市を経由した方が早いこともある。さらに、大間々町と東村を直接結ぶ道路(林道小平座間線)は路面が荒れており貧弱で、安全に行き来するには市外の桐生市黒保根町を国道・鉄道で経由する必要がある。
このような別々の郡に所属している、それぞれが独立した自治体の合併であったため、市名の選定も難儀したと思われる。「みどり市」は市内に緑が多いことから名づけられた。市名の他の主な候補としては
があったが、最終的には「みどり市」になった。しかし、歴史ある地名が残ることなく、どこにあるのか市名から全くイメージが湧かないものになってしまったため、批判する声も見られる。
旧3町村の中では最も開けた場所にある地域。JR両毛線の岩宿駅、東武桐生線の阿左美駅があり、市役所もここに所在する。また、国道50号が東西を通る。
源頼朝がこの周辺で「笠懸」を行ったとする伝説から、太田市からみどり市南部にかけての地域が「笠懸野」と呼ばれるようになり、明治時代に町名に採用された。
最も有名なのは「岩宿遺跡」と思われる。1946年に考古学者の相沢忠洋が打製石器を発見したことがきっかけとなり、日本にも旧石器時代が存在したことが証明された。他には、「桐生競艇場」「桐生大学」など「桐生」の名前が付く施設が多く存在しており、桐生市中心部との人の行き来も多い。
ちなみに、当地に所在する桐生競艇場がみどり市の誕生の原因となった(後述)。
足尾山地の入口にある谷あいの町。上毛電鉄と東武桐生線が止まり、東武特急りょうもうの終着駅でもある赤城駅や、昔からの町の中心部に近いわたらせ渓谷鉄道の大間々駅が所在する。また、国道122号と353号も通っている。
いわゆる谷口集落であり、過去には周辺で生産された生糸の集散地として栄えた。渡良瀬川が作った河岸段丘上に位置しており、市名の「間々」も崖を意味する。大間々高校や大間々中学校は、町の中心部よりもさらに崖の上の一段高いところに位置している。
渡良瀬川沿いに「高津戸峡」があり、花見や紅葉の名所として知られるほか、水流で回転する石が削って作った穴である「ポットホール」や、奇岩の「ゴリラ岩」を見ることができる。
また、旧大間々銀行の建物を活用した大間々博物館は、通称「コノドント館」と呼ばれており、小さいながらも歴史・自然の両方を押さえた多彩な展示を行っている。なお、1958年に大間々町の林信悟氏が「コノドント」という生物の化石を発見したことが「コノドント館」の由来で、化石も展示されている。
※ちなみに、群馬県にはかつて5ヶ所も「東村」があり、平成まで3ヶ所も残っていたが、現在は全て自治体としては消滅している。
市内では最も北に位置し、山地が区域の大半を占める。わたらせ渓谷鉄道の花輪駅が中心部であり、他に神戸駅、沢入駅などがある。
手足の自由を失いながらも、口で筆を持ち、花と詩をともに描いた星野富弘の出生地であり、富弘美術館が所在する。また、童謡「うさぎとかめ」「金太郎(まさかり担いだ金太郎)」の作詞者である石原章三郎の出生地でもある。さらに、日本鋼管の創業者である今泉嘉一郎の出生地でもあり、後者2人が通った花輪小学校も今泉の寄付により建て替えられ、現在は資料館として存続している。
もともとは桐生市が西側の笠懸町・大間々町・黒保根村などの地域を含めた「桐生広域圏」で合併する構想があった。しかし、「桐生競艇場」をめぐる対立がきっかけとなり、笠懸町・大間々町・東村はみどり市として独立することになった。
桐生競艇場は1956年から桐生市が経営していたが、競艇場は市境付近の笠懸町側に設置されていた。翌年から周辺の笠懸町・大間々町・藪塚本町も参加して運営されていた。
しかし、2003年9月に経営悪化により桐生市が競艇事業から撤退を表明する。この一件が原因となり、残された笠懸町と桐生市の関係が悪化し、笠懸町は桐生市と合併しない方向に動いた。
大間々町はしばらく桐生市と笠懸町の両方の合併協議に参加しており、最終的には住民投票により賛成5349票、反対4845票により、桐生市との合併が一時的に決まった。
しかし、住民投票後も当時の町長が笠懸町との協議を続行。約6500人分の町長リコール決議が出されるも、途中で住民から撤回されたものや選挙管理委員会で無効とされたものが除かれ、リコールも失敗に終わった。
最終的には、大間々町も桐生市とは合併せず、当時時点での広域合併に村長が反対していた東村を含めて「みどり市」が成立した。しかし、みどり市の西にあった黒保根村・新里村は広域合併に賛成の立場を取り、みどり市を挟んで桐生市との合併を選択した。
※なお、笠懸町・大間々町とともに桐生競艇場を運営していた藪塚本町は広域合併について態度を決めかねていたが、最終的には南の太田市と合併することになった。
その後、2016年に桐生市がみどり市との合併協議を提案しているが、2017年に断られている。2019年以降には「行政連携強化」という目的で桐生市とみどり市が参加する会議が開催されるようになっているが、両市長が「合併ありきではない」「イコール合併ではない」ともしており、当面はこの奇妙な行政区画が残るのかもしれない。
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最終更新:2024/12/19(木) 21:00
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