トムフール(Tom Fool)とは、1949年生まれのアメリカ産・調教の競走馬である。
ブラッド・ホース社選定『20世紀のアメリカ名馬100選』第11位。
概要
父Menow、母Gara、母父Bull Dogというアメリカン血統。
この馬は生まれた時から素晴らしい馬体で柔軟な動きをしていたので生産者は2万5000ドル以上でセリに出したいと考えていたのだが、1歳時に柵に激突して脚に怪我をしてしまった。幸い競走能力には影響のない軽度のものだったが、傷物になったということで2万ドルで売却されることになった。また、柵にぶつかるというエピソードからトムフール(大馬鹿者)という不名誉な名前をつけられてしまった。
2歳時(1951年)
トムフールは元教師であるジョン・M・ゲーヴァー調教師に預けられた。与えられた調教を忠実に実行するという優等生ぶりだった。
すでに半姉のAunt Jinnyが最優秀2歳牝馬に選ばれていたこともあり、トムフールはデビュー前から当時のホースマンの間で話題になっていた。
裂蹄で若干デビューが遅れたものの、8月13日のサラトガの未勝利戦に出走すると4馬身差で楽勝した。1週間後のサンフォードSでも2馬身1/4差のセーフティーリードで勝利した。さらに1週間後のグランドユニオンホテルSでも1馬身差で3連勝を飾った。
トムフールはさらに1週間後の2歳チャンピオン戦の1つであるホープフルSに出走したが、重馬場に足を取られたのか先行したCousinの斜行により力を発揮できなかったのかCousinから1馬身1/4差の2着に敗れた。次走のアローワンスでも道中で不利を受け、またも2着に敗れた。
10月にベルモントパークの2歳チャンピオン決定戦であるベルモントフューチュリティSに出走すると今度は進路が阻まれないように大外から加速し、1馬身3/4差で勝利した。
2週間後ジャマイカ競馬場のイーストヴューSでは重馬場に苦戦したがクビ差で勝利した。これらの活躍が評価され、最優秀2歳牡馬となった。
3歳時(1952年)
3歳となったトムフールは初戦として4月のアローワンスに出走するとクビ差で勝利した。しかし同月のウッドメモリアルSでは早めに抜け出したのが仇となってMaster Fiddleに交わされ2着に敗れた。
そしてレース2日後から熱発に苦しむようになり、大事を取ってアメリカ三冠路線を断念することとなった。
2か月半の休養明けのリッペイSでは2着、そして1週間後のアローワンスでは4着と2連敗を喫し、トムフールにはサラトガに戻して短期休養を取らせることにした。
8月には「真夏のダービー」トラヴァーズSを目標にウィルソンSに出走し、苦手とする不良馬場に見舞われたが4馬身半差で完勝した。しかし、1週間後のアローワンスではまたも重馬場になりハナ差に敗れ、さらに本番のトラヴァーズSでも不良馬場に見舞われ、ベルモントS優勝馬One Countと3着のArmageddonに競り負け3着に敗れた。
9月のジェロームHでは7馬身半差で圧勝し、トップハンデを背負って古馬との対戦となったシスオンバイHでは1馬身1/4差で勝利した。10月のローマーHでは2着に敗れた。1週間後のグレイラグHではハナ差で辛勝した。11月のウエストチェスターHではハナ差に競り負け、12月のエンパイアシティHではアタマ差で勝利した。
ここまで3歳時では大レースに勝利していないし、13戦6勝と勝ったり負けたりなので、良くて一流半という競走結果であった。
4歳時
4歳初戦は4月のハンデ戦で2馬身半差で勝利し、5月のジョー・パーマーHでは1馬身半差、4日後のメトロポリタンHを半馬身差、1週間後のサバーバンHをハナ差と快勝を続けた。
6月のカーターHでは135ポンド(約61.2kg)ものハンデを背負わされるが2馬身差のコースレコードで勝利した。7月のブルックリンHではさらに重い136ポンド(約61.5kg)のハンデになったが、単勝1.2倍の圧倒的人気に推され、それに応えるように1馬身1/2差で勝利した。
これ以降はハンデ戦を避け、トムフールの出走するレースでは馬券の発売は停止された。8月のウィルソンSでは8馬身差、4日後のホイットニーSでは3馬身1/2差、ベルモントパークでのサイゾンビーSでは3馬身差といずれも楽勝した。
最終戦となったピムリコスペシャルSでは8馬身差のレコード勝ちで有終の美を飾った。
4歳時のみの成績で10戦10勝、3歳最終戦を含めれば11連勝。この年の二冠馬Native Dancerを抑えて堂々と年度代表馬の座に輝いた。ちなみにこの2頭はサイゾンビーSで直接対決する話もあったのだが、Native Dancerが骨膜炎を発症して年内休養となったため残念ながら実現することはなかった。
通算成績30戦21勝(2着7回)。
種牡馬として
引退後はケンタッキー州のグリーンツリー牧場で種牡馬として供用された。
初年度から二冠馬Tim Tamを出すなど好調だったが、1963年の産駒からBuckpasserを輩出しその名をさらに高めた。
また、Northern Dancer系やMr. Prospector系などの母系に入り力を伝え、1971年には北米リーディングブルードメアサイヤーとなった。
1976年に四肢が馬体を支えきれなくなり安楽死の処分が取られた。享年28歳。
血統表
Menow 1935 黒鹿毛 |
Pharamond 1925 黒鹿毛 |
Phalaris | Polymelus |
Bromus | |||
Selene | Chaucer | ||
Serenissima | |||
Alcibiades 1927 栗毛 |
Supremus | Ultimus | |
Mandy Hamilton | |||
Regal Roman | Roi Herode | ||
Lady Cicero | |||
Gaga 1942 鹿毛 FNo.3-j |
Bull Dog 1927 黒鹿毛 |
Teddy | Ajax |
Rondeau | |||
Plucky Liege | Spearmint | ||
Concertina | |||
Alpoise 1937 鹿毛 |
Equipoise | Pennant | |
Swinging | |||
Laughing Queen | Sun Briar | ||
Cleopatra | |||
競走馬の4代血統表 |
主な産駒
- Tim Tam (1955年産 牡 母 Two Lea 母父 Bull Lea)
- *トンピオン (1957年産 牡 母 Sunlight 母父 Count Fleet)
- Silly Season (1962年産 牡 母 Double Deal 母父 Straight Deal)
- Buckpasser (1963年産 牡 母 Busanda 母父 War Admiral)
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関連項目
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