松輪(まつわ)とは、大日本帝国海軍所属の択捉型海防艦2番艦〈松輪〉をモチーフとした、ブラウザゲーム『艦隊これくしょん~艦これ~』に登場する艦娘(かんむす)である。
概要が、お待ちのようです……
海防艦娘「松輪」は、2017年8月に行われたイベント『西方再打通!欧州救援作戦』の5面目のボスドロップとして実装された。「海防艦」としては、同年春イベントで実装された3人に続く4人目であり、択捉型としては「択捉」に続く2人目となる。日本語っぽい名前だが、同じ千島列島組の択捉や国後と同様に、名前はアイヌ語由来である。
なお、イベントの開始前に公開された、択捉の「三越お買い物mode」イラストにて、腕に下げたかごからひょこっと顔を出している女の子のぬいぐるみが描かれており、「これは択捉の姉妹艦では?」と話題になっていた。結論から言えば大当たりであった。
制服は択捉と同じ白と青のセーラー服に水色のスカーフタイ、そして同じく白と青のベレー帽を頭に乗せている。やや紺がかったロングヘアは、毛先に行くにつれて赤くなっていくという、いわゆるグラデーション髪の持ち主である。頭にはいわゆるリボンカチューシャを、探照灯を模したアクセサリで留めている。そしてやっぱりペドい。姉の択捉のことは「択捉ちゃん」と呼んでいる。性格はかなりおどおど気味で、同僚の海防艦(松輪実装時点では、実装済み海防艦は全員姉にあたるのだが)は「ちゃん」付けで呼んでいる。一部では「羽黒の幼虫」とも。
例によって高解像度でよく見ないと判らないが、微かにそばかすがある模様(むしろ、前述した択捉ちゃん三越modeでの人形の方がよく判る)。
性能的には、同型艦の択捉とほぼ同じなので、使う際の注意点も同じである。四式ソナー×2で、Lv3で先制対潜爆雷攻撃が可能になるので、1-5に連れて行って育てるのが良いであろう。本人は史実の関係から、潜水艦恐怖症っぽいところがあるが、ステータス的には「潜水艦絶対殺すガールズ」の一員として充分な能力持ちである。ただ、史実でも最後まで生き残った択捉とは違い、華々しい活躍とも無縁で早々に潜水艦に撃沈されたことからか、運の値はかなり低い(改造前:7、改造後:9でいずれもこの時点の海防艦では最低値)。
史実ですか……? お待ち下さい
択捉型海防艦の2番艦となる〈松輪〉は1942年(昭和17年)2月20日、三井造船玉野造船所(岡山県玉野市にあった)にて起工、翌1943年(昭和18年)3月23日に竣工した。ちなみに日本海軍の艦艇類別等級では「択捉型」は占守型の改良型(言わばマイナーチェンジ)としており、〈松輪〉も占守型6番艦となっている(松輪の「私、択捉お姉ちゃんのいも……え? 占守、ちゃんの……? えっと、あの……ぁ、すみません、わかりません……」のセリフはこれが元ネタと思われる)。「松輪」は、千島列島の松輪島[1]から。余談だが、択捉型で千島列島の島名を使っているのは〈択捉〉とこの〈松輪〉の2隻のみで、あとの12隻は別の地域の島名を使っている。
さて、択捉型(そしてその原型である占守型)は北氷洋で活動することを前提として設計されたのだが、〈松輪〉は完成するとすぐさま第一海上護衛総隊の所属となり、南方の輸送護衛任務に駆り出される羽目になる。前述の通り完成したのは3月23日だが、それから2週間もたたない4月8日にはもう台湾の高雄におり、さらに完成後約1ヶ月となる4月25日にはフィリピンのマニラに到着し、それ以降シンガポールやフィリピンといった東南アジア方面で活動する。
海防艦〈佐渡〉〈日振〉〈択捉〉と共に第三掃討小隊を編制し、1944年(昭和19年)8月17日からはヒ71船団("ヒ"は日本-シンガポール間を航行する輸送船団に付けられ、奇数がシンガポール行き、偶数が日本行きとなっている)の護衛についていた。このヒ71船団はタンカーを含む輸送船20隻(タンカーの中には、給油艦〈速吸〉がいた)が中心となり、護衛にも対潜護衛として空母〈大鷹〉をはじめ、駆逐艦2隻(〈藤波〉〈夕凪〉)、そして海防艦は最初から5隻が付いていた、日本の出せる最大規模の輸送船団となっていた。第三掃討小隊は、この規模でも途中で潜水艦に襲われたことから、経由地の一つだった中国の馬公でヒ71船団の護衛に加わった。
さて、その頃は既にフィリピン近海はアメリカが制海権を握っていたと言ってもよい状態で、米潜水艦による群狼作戦(ウルフパック)が猛威を振るっていた。経由地のマニラに向かっていたヒ71船団も例外なくその網にかかり、19日には折からの嵐にて混乱したところに忍び寄った潜水艦群の襲撃を受け、〈ラッシャー〉により護衛空母〈大鷹〉が、〈ブルーフィッシュ〉により給油艦〈速吸〉が撃沈されたのを始め、タンカーや輸送船を次々と失う大被害を被ってしまう。
第三掃討小隊は、翌日〈択捉〉のみ船団の残存船に付けて護衛を継続させ(結果的には、これが〈択捉〉と他の艦の生死を分けてしまった)、残る3隻は一旦ヒ71船団と別れ、その場に残って潜水艦の掃討にあたったが、日本側は知る由も無かったが、この時潜水艦チームはとっくにその場を離れ、別の船団(タマ24A船団)に襲いかかっていた。
8月21日まで対潜掃討を続けたが何ら戦果を挙げられず、3隻は仕方なくマニラに戻ることにした。しかし、疲れ切った海防艦3隻を狙う潜水艦がいた。歴戦の潜水艦にして駆逐艦キラーで知られる〈ハーダー〉と、その僚艦〈ハッド〉である。22日の早朝、マニラも近くなってきたところで、2隻の潜水艦は航行を続ける海防艦に一斉に襲いかかった。
〈松輪〉〈佐渡〉〈日振〉の3隻は、2隻の潜水艦から魚雷を立て続けに当てられ、ほとんど轟沈に近い状態で沈んでいった。一応、〈ハーダー〉が沈めたのが〈松輪〉と〈日振〉、〈ハッド〉が沈めたのが〈佐渡〉とされているが、いずれにせよ3隻の海防艦はなすすべ無く全滅してしまった。
一方その後、〈ハーダー〉と〈ハッド〉はさらに獲物を探していたが、そこに現れたのが前述したタマ24A船団の生き残りだった。〈ハッド〉が護衛についていた〈朝風〉を雷撃で大破させ無力化した(後に沈没)後、そこで弾切れになった〈ハッド〉と別れ、〈ハーダー〉は残る輸送船を追っていった。が、深追いしすぎ、マニラから輸送船の援護のために出てきた海防艦によってついに撃沈された。
1944年(昭和19年)10月10日、〈松輪〉は除籍された。竣工から轟沈までわずか1年半にも満たない短い艦暦であり、設計上本来の活動場所だった北方には一度も行くことが無かった。
あの、その……、これ(関連動画)を……。
すみません、ごめんなさい、はうぅ……(関連静画)
関連コミュニティに突入します。皆さん、続いて下さい
関連項目? ふぅ、違うみたい……(合ってます)
2017年夏イベント 『西方再打通!欧州救援作戦』 新規実装艦娘 | ||
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脚注
- *ロシア語では"マトゥア島"もしくは"マツア島"。語源はアイヌ語の"モト・ア"。意味は「我々は土着の者だ」で、調査隊がこの島を訪れた際に、元々この島に住んでいたアイヌ人達が言った言葉から取られた、と言われている。戦争中は陸軍の基地があった。位置的には、お馴染みパラムシル島と択捉島との中間あたりになる。活火山の芙蓉山(サリチェフ山)があり、最近では2009年にも噴火している。
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