- プロ野球選手一覧 > 野口茂樹
野口茂樹(のぐち しげき、1974年5月13日-)とは、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
---|---|
野口茂樹 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県東予市 (現:西条市) |
生年月日 | 1974年5月13日 |
身長 体重 |
179cm 88kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1992年ドラフト3位 |
引退 | 2011年 |
経歴 | |
選手歴
コーチ歴
|
|
プロ野球選手テンプレート |
愛媛県立丹原高等学校では、2年時には夏の県大会で大会新記録となる40奪三振を記録。3年時には春の県大会で1試合19奪三振やノーヒットノーランを達成するなど四国No.1左腕として名を馳せ、『四国のドクターK』と呼ばれるなどプロからも注目を集めた。しかし、県大会ベスト4が最高成績で、甲子園大会出場はなかった。
1992年ドラフト3位で中日ドラゴンズに入団した。背番号は57。
中日時代
1984年(2年目)に野球留学した後、8月25日の広島東洋カープ戦でデビュー。8試合に登板した。
1995年に背番号を47に変更。30試合に登板し3勝10敗2セーブだった。
1996年、1996年8月11日の対読売ジャイアンツ戦で、6四死球与えながらノーヒットノーランを達成。5勝5敗、防御率3.23だった。
1998年にブレイク。14勝9敗、防御率2.34を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得した。
1999年には19勝を挙げ、リーグ優勝に貢献。セ・リーグMVPにも選ばれた。
2001年は12勝9敗、防御率2.42を記録し、2度目の最優秀防御率獲得となった。
2004年は17試合の登板で4勝8敗。オフに岩隈久志との交換要員として新規球団の東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍すると報じられたこともあったが、残留した。
巨人時代
2005年オフにFA宣言し、読売ジャイアンツに移籍した。背番号は31。
2007年は中継ぎのみで31試合に登板。1勝1敗4ホールドだった。
巨人退団後
東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受けたが不合格。トロント・ブルージェイズとマイナー契約を結ぶと思われたが、メディカルチェックで左肘に異変が見つかったため破談となった。
引退後
2012年からはNPOルーキーズのコーチを務める傍ら、東海ラジオの野球解説者も務めた。
人物・エピソード
中村武志と相性が良く、バッテリーを組むことが多かった。ヒーローインタビューでは必ずと言っていい程「中村さんのおかげです」というコメントを残していた。
1998年8月30日のヤクルトスワローズ戦で200球を投じているが、この試合以降、NPBで1試合200球以上を投じた投手は現れていない。
普段は温厚で無口な正確であった。
実況パワフルプロ野球では全盛期に変化量7のHスライダーを決め球としていたが、Hスライダー以外の変化球が球質の似ているSスライダーしか無いため、対人戦では能力値ほど力を発揮できない選手となっていた。
成績
通算投手成績
通算:14年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 281 | 214 | 37 | 15 | 81 | 79 | 2 | 4 | .506 | 1405.2 | 528 | 1122 | 638 | 577 | 3.69 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
---|---|---|
最優秀防御率 | 2回 | 1998年、2001年 |
最多奪三振 | 1回 | 2002年 |
表彰 | ||
月間MVP | 4回 | 1999年7月・9月、2001年4月・5月 |
MVP | 1回 | 1999年 |
ゴールデングラブ賞 | 1回 | 2001年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 3回 | 1998年、1999年、2001年 |
関連動画
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 0
- 0pt