李典とは、1面で討ち取られる武将三国志に登場する人物である。
概要
字は曼成。謙虚な人物で、学問を好み、儒学もたしなみ、功を焦ることもなかったため、魏将から広く信頼されたという。
先祖の李乾は乗氏県の有力豪族であり、食客数千人を率いてまだ無名に近い曹操に従い、黄巾賊戦や袁術戦、徐州戦にても大いに活躍したという。李乾が亡くなるとそのあとを李整が継ぎ、李整が亡くなると李典が継いだ。官度戦では兵站を任されたという。
後に劉表の後押しを得た劉備が侵攻してきた時、夏侯惇の配下として戦った。戦いの最中、劉備が突然陣営を焼き払い退却したため、夏侯惇は追撃の好機と見た。李典はこれを劉備の策であるとして諫めたが、夏侯惇は聴き容れず追撃した。果たして夏侯惇は劉備の伏兵に遭い敗北したが、李典が救援に赴いたため撤退することができた(これが『演義』の博望坡の戦いの原型となっている)。
215年の合肥の戦いでは、不仲であったとされる李典・張遼・楽進が「国家の大事に私情は差し挟まない」として協力して戦うことを誓いあい、結果李典・張遼は孫権率いる10万の軍勢を800の兵で迎え撃ち、撃退した。
36歳の若さで病死したが、史料によって曖昧なため生没年不詳とされている。後に曹操の後を継いだ曹丕は李典の勲を思い起こし、李典の後継者と実子に100戸を加増した。
演義ではこの計略への洞察能力に加え合肥における奮戦ぶりから知勇兼備の将とされ、また計略の可能性を無視して突っ込もうとする夏候惇・曹仁を諌める(しかし出撃して大敗してしまう)というポジションにもなっている。
また、合肥駐屯時に攻め寄せた呉の宋謙・太史慈を討ち取る功を挙げている。
李典の子孫
李典の子孫については、正史三国志で李禎(りてい)という息子がいることが確認できる。李禎は、李典の死後、李典の後を継いた。曹丕の即位後は、李禎は100戸の加増を受け、別の子が関内侯と100戸を与えられている。
創作物における李典
ゲームとして最も有名なのは、カプコンのアーケード版「天地を喰らう2」の1面ボスである李典を倒した時のセリフ「敵将、李典、討ち取ったりぃー」。これが影響してか、2chの三国志大戦本スレッドではレスに李典を忍ばせて書き込むと「討ち取ったり」と返されることが多かった。
セガ「三国志大戦」シリーズのC李典はVer3現在では反計を持っている。範囲が広いのでわかっていてもひっかかるプレイヤーが少なくない。ちなみに、最初期の李典の所持計略は「強化戦法」であった。
その後、1のみ追加カードとして「看破」を所持するR李典が登場したが、絵師がMMRで有名な石垣ゆうきだったため、どう見ても某編集長のような顔つきをしている。武力5の看破持ちということで接近戦もこなせる器用な武将だったが、2以降はCのみとなっている。
再始動後の新・三国志大戦では戦国大戦の武田信玄でおなじみJUNNY氏のイラストで登場。相変わらず反計持ちの弓だが今回の反計はダメージは返せない。
それだけならいいのだが、何のノイズが入ったのか不明だが何と知力が2に…。二つ名が「眼識ある副将」だった為、「これでは眼識ある知障だ」と言われる事も…。
三國志においては、特に最新作の11では知勇兼備の将というイメージを強く出し、武力・統率・知力・政治共に70代をキープしている(魅力のみ65)。また槍兵・戟兵・弩兵適正A、兵器適正Sと兵種適性においてもスキがないが、史書では兵器を操ったという記述がない李典が兵器適正Sである理由は判然としない。
漫画・蒼天航路では知に秀でた将ということをアレンジされたのか、曹操と共に霹靂車の設計を行う、数々の奇想天外な武具・兵器を製作する、といった発明家としてのイメージが付加されている。その発明品の数々は本人が物語から退場した後も徐晃らが受け継ぎ、樊城の戦いでは彼が関羽に正面から渡り合う援けとなった。
「恋姫†無双」シリーズでは「真・恋姫†無双」より参戦。主人公の直属の部下である三人娘の一人。真名は「真桜」。
見た目も台詞も武器もどこぞの天元突破から大きな影響を受けている。そこ、三国時代にドリル?とか言わない。多分上のからくり屋のせい。ちなみに三人娘の内訳は他に于禁、楽進がおり三人の仲は良い。
発明好きで「こんなこともあろうかと」とばかりに色んな物を開発する。ドリルの例からわかる様に各種考証ガン無視の恋姫シリーズの中にあっても完全にチートの域である。
公式で魏国一のおっぱいの持ち主と書かれているが○○○リは無い。ナズェダ!
関連動画
関連項目
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