日本文理高等学校とは、新潟県新潟市西区にある高等学校。
2009年夏の甲子園で準優勝したチームである。
大分県佐伯市にある「日本文理大学付属高等学校」とは別法人で無関係。
激闘の始まり
日本文理は、新潟の予選で圧倒的な成績で最後は中越を破り甲子園への切符を手に入れた。
しかし新潟県勢は、序盤で敗戦し消えていくというのが甲子園ファンの認識であり決して評価は高くなかった。
初戦は、香川代表の寒川と対戦であった。
序盤は、寒川にリードされる展開ながら後半怒濤の攻めで逆転し勝利する。
ここから、日本文理の激闘が始まった。
次戦の石川代表日本航空石川戦では、打ちも打ったり20安打で12得点を挙げ勝利。
続く島根代表立正大湘南戦でも19安打11得点と打線の破壊力を見せつけた。
なお、日本文理は2試合連続毎回安打という史上初の記録を達成している。
この時点で、日本文理は新潟県勢としては初のベスト4進出を果たす。
準決勝は、岐阜代表の県岐阜商との対戦となった。
下馬評では優勝候補の一角とされた県岐阜商との対戦は、死闘を繰り広げた。
山田投手の前にヒットを打つものの得点が入らず。
一方、一回戦から投げ続けてきた日本文理の伊藤投手も多くの三振を奪う力投で失点を防いできた。
試合が動いたのは、中盤の5回。
日本文理が高橋の右前打で1点を先制すると続く6回にも中村の右前打で1点を挙げる。
2対0のまま迎えた9回、日本文理は2アウトまでこぎ着けるが古川に適時打を打たれ1点差に詰め寄られる。
しかし、伊藤の力のある投球の前に県岐阜商はあと一本が打てず敗戦した。
そして伝説へ
新潟県勢初の決勝進出に地元は大いに湧いた。
勝っても負けても語りぐさとして人々の記憶に残るであろう最後の試合を県民は喜びの中見守った。
決勝の相手は、最多タイの優勝数を誇る中京大中京だった。
高校生離れした体格の選手たちは、ホームランを量産し圧倒的打力で優勝候補の花巻東にも勝利した。
(ただし、菊池の怪我もあり菊池が万全であれば結果も変わっていたのではないかとする意見もある。)
試合前の予想では、中京大中京が優勢であるとの見方だった。
試合が動いたのは、1回裏の中京大中京の攻撃。
先頭の山中がヒットを打つと2アウトまで来るものの4番の堂林がホームランで先制した。
一方、日本文理も2回と3回に一点ずつを挙げ同点に追いつく。
同点のまま迎えた6回だった。
中京大中京は、2安打1四球で満塁とするとまたも堂林が左前打で4対2と逆転に成功する。
その後も伊藤、柴田の適時打で4点を挙げ8対2とした。
7回と8回には両チームが2点ずつ得点し10対4で9回を迎える。
若林・中村が打ち取られ2アウト。
もはや観客の誰もが中京大中京の優勝を確信していたに違いない。
しかし切手が四球で出塁すると盗塁を成功させ2塁へ。
さらに高橋の適時打で1点を加える。
それでもまだ5点差あることを考えると誰も逆転など想像出来なかった。
しかし、武石の適時打で4点差に詰め寄り2四死球で満塁となると球場は騒然となってきた。
ここで伊藤は、レフト前に適時打を放ち2点差。
球場は、新潟の奇跡的な追い上げに大歓声に包まれる。
続くバッターは、代打の石塚。
レフト前に適時打を放ちついに1点差。
そして迎えたのは、甲子園で一人投げ抜いてきた伊藤と小学生からバッテリーを組んできた若林だった。
ノーストライク1ボールからの二球目。
快音を残した打球は、直前に簡単なフライを落球し奇しくも怒濤の追い上げを演出してしまったサード河合のグラブにすっぽりと入った。
目の前で試合を決する瞬間を見ていた三塁ランナーは、伊藤であった。
試合に敗れた日本文理には、涙はなかった。
みな笑顔で抱き合い健闘を称え合った。
一方9回のマウンドを任されながらも抑えられなかった堂林の悔し涙のインタビューは、まるで勝者と敗者が入れ替わったかのように見えた。
9回2アウトランナーなしからの5点の猛攻。
そして新潟県勢初の準優勝は、高校球史の中でも伝説として語り継がれるに違いない。
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