廖化とは、三国志に登場する武将である。
概要
関羽の主簿として荊州で務める。後に丞相参軍、右車騎将軍と昇進。北伐へ参戦。姜維と共に蜀が滅亡する日まで戦い抜いた。
蜀漢を支えた名将ながら、一部のゲームでは秀でた能力がない事を理由に"地味"や"凡将"と呼ばれている。しかし戦争において地味というのは脅威な存在である事も付け加えておく。
演義
演義では、関羽千里行の頃に関羽本人に直接召し抱えてもらいに行ったのが初登場と正史に比べ大きく時代が遡る。ただしその時は黄巾残党と言うことで断られている。後の荊州時代にいつの間にか関羽の部下として登場してくるが。関羽が呂蒙との戦いで麦城へ追い詰められた際、上庸の劉封へ救援を求めたが孟達に拒絶され成都まで走らされた。結果、関羽は呉軍に殺され、劉封も処罰を受ける。その後、北伐では多くの戦功を立てるが、司馬懿を追いつめた戦いで、逃げ道と逆の方向に冠を落とした司馬懿の釣りにひっかかり逃してしまう。諸葛亮は蜀軍の将の小粒ぶりを嘆いた。
寿命の長さ
荊州時代から蜀滅亡まで最前線、ある意味黄忠よりタフな老将ぷりで有名な廖化だが実際の年齢はいくつだったのか。
史書には没年は264年(蜀滅亡の翌年病没)とあるものの年齢は不明だが、ちょっと考察してみる。
正史
蜀志・宗預伝によると、「我らは70歳を越えているし、(中略)なんでわざわざこちらから若造(諸葛瞻)に会いに行く必要がある?」(原文:吾等年踰七十、…何求於年少輩而屑屑造門邪?)
と、宗預が廖化へゴネる逸話がある。話の内容はさておき廖化の年齢を量る貴重な資料である。
これは258年のことのようなので享年は80歳前後ではないかと推測できる。
演義
演義での初登場は200年、いわゆる関羽千里行の最中のこと。"黄巾賊の少年"として登場する。(原文:只見一少年黄巾錦衣)
なお黄巾=黄巾の乱の参加者だと決めつけるのは早計である。
黄巾党は教祖が死んだ後も長期に活動(少なくとも10年以上)しており、また本来は宗教団体なので幼老の非戦闘員も多数居た。
無理に黄巾の乱(184年)から信徒だったとする必要はない。
というか黄巾の乱で戦える歳だとすると、初登場時に少年なわけがない(てかおっさん)という矛盾、
また現役年齢が非常識な高齢さになるなど色々おかしいことになる。
結局何歳なのかというと、色々総合すると初登場時16歳、享年80くらいではないだろうか。
正史にだいたい沿っているという点も妥当と考えられる理由。
なお、黄巾党と無関係に黄巾つけてただけだけも知れないとか、千里行は全体的に無茶な設定が多いとか、そもそも演義の年齢設定はたまに適当だったりするとか考察の余地は多数あるが割愛
コーエー三國志シリーズ
何を血迷ったのか黄巾の乱に15歳、享年95歳という設定である。
作品によって差異もあるがこの設定が多い模様。
正史より約15歳も高齢化してるが、ゲームでは加齢で弱くなる仕様はないので気にする必要はない。たぶん。
黄巾の乱にも当然の如く参戦している。というかそれ前提の齢設定なのは明らかだろう。
実際、黄巾の乱が無い作品だともっと若く設定されてることもある。
この「廖化90歳越え」という超長寿説は有名なので演義でもそうだと思われがちだが、上記の通り演義の記述と矛盾している点には注意。
漫画・ゲーム等の廖化
コーエー「三國志」シリーズ
弱くも強くもない。「特徴がないのが特徴」と表現される事が多い。
「三國志11」では特技・血路(部隊が壊滅しても同じ部隊の武将が捕虜にならない)を持っている。寿命が高く設定されており90歳を過ぎても戦線で働ける。呂岱かおまえは。
セガ「三国志大戦」シリーズ
セガの「三国志大戦」ではコモンカード(レアリティが一番低いカード)でありながら、計略・憤激戦法の使いやすさと基本スペックが高いため、便利なカードとして使われている。またボイスも”凡将”という言葉を頻繁に使う。三国志大戦2では「凡将と侮ったな」「俺のような凡将はただただ戦い続けるのみよ!」、三国志大戦3では「もう凡将とは呼ばせん」と攻城ボイスも専用となった。落城させると「凡将卒業よ!」と決め台詞を吐く。ニコニコ動画の頂上対決動画では、これでフィニッシュすると『卒業おめでとう』とコメントされる。
現在ではプレイできない三国志大戦2の群雄伝だが、廖化のイベントも地味に用意されていた。
廖化「(俺を)目指してくれるのは嬉しいが……地味なので目立たなくなるぞ。」
……何も起こらなければよいが。」
廖化「確かにこの廖化、目立つ功績もなくただ長く生きてきただけかもしれん……」
廖化「だが! その年数の分だけ……
他
関連項目
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