劉備の養子となり、武将として仕えた。
概要
略歴
20X年:劉備の養子になる。
213年:諸葛亮・張飛らとともに入蜀合戦に参加し、連戦連勝。平定後に副軍中郎将となる。
219年:上庸攻略中の孟達への援軍として同地に派遣、平定。副軍将軍に昇進し、上庸に駐屯。
樊城を攻囲中の関羽から援軍要請が届くも、領地の治安維持を理由に拒否。
220年:不仲であった孟達が出奔。夏侯尚・徐晃らと共に上庸に来襲。孟達から寝返りを誘われるが拒否。
配下の申儀が寝返り、敗北。戦後、劉封の勇猛さと立場を憂慮した諸葛亮の勧めにより、死を賜る。
出生
羅候寇氏の一族で、さらに長沙劉氏(光武帝もこの一族)の係累でもあり、もし本当であれば結構な血筋である。また、羅候の寇氏は史書に見られず、鄧氏の間違いではないかという説もある。
年齢に関しては、入蜀合戦時に「二十余歳」という記述がある。また、跡継ぎがいなかったための縁組であるため、劉備の養子となったのは201年(入荊州)~207年(劉禅生誕)の間となる。
能力
非凡な気力と武芸を持ちあわせていたとあり、諸葛亮にも勇猛と評されている。加えて、入蜀や上庸攻撃をそつなくこなしているため、軍務の力量はあったと思われる。上庸の防衛には失敗しているが、配下が寝返っている上、相手が徐晃・夏侯尚・孟達と名将揃いである。関羽の援軍要請無視は、どう捉えるかによって評価が変わってくる。
ただし、僚将の孟達と不仲になり出奔の一因を作るなど、指揮官としての器量には疑問が残る。
伝があるのは蜀志十巻。蜀の「不名誉な最期を遂げた人物」を纏めたような巻である(他のメンツは魏延、楊儀、李厳、彭羕、廖立、劉エン)。作者の陳寿は「劉封は嫌疑をかけられるだけの立場にありながら、自らを守る方策を考えるのを怠った」と評価し、十巻の人物をまとめて「彼らの咎は自業自得」とコメントしている。(´・ω・) カワイソス
劉封の子孫
劉封の子孫については、正史三国志では裴松之の注釈によると劉林(りゅうりん)という子がいたことが分かる。劉林は蜀漢に仕え、牙門将となり、蜀漢の滅亡後、河東に移住させられた。
各メディアでの扱い
三国志演義
関平と共に次世代担う若武者として登場。
創出された出番自体は多いが、どこか悪意の見え隠れする構成。
・劉禅が生まれた後に養子となったため、「お家騒動の一因になる」と関羽に絡まれる。
・曹操の息子・黄髭児曹彰との一騎討ちが描かれる・・・が、負ける。
・第七十九回のタイトル後半が「甥、叔を陥れて劉封法に伏す」。なんか関羽死亡の主犯格に見える。
・諸葛亮曰く、「劉封に孟達を討伐させて、成否に関わらず成都に帰ってきた時に殺しましょう」 (´;ω;`)ブワッ
孟達の誘いを断ったことを知った劉備が、劉封の処刑を後悔するあたりが唯一の救いか。
光栄三国志
統率力と武力が高めだが知力はかなり低い。魅力値がある作品だと魅力も結構高い。
また、顔グラが9→10→11と回を追うごとに表情が暗くなっていく。
三国志大戦
三作を通して皆勤。Ver1ではショタ絵の1コス槍だったが、Ver2で絵師が変更された。
Ver2では5/4無特技、Ver3では6/5無特技の1.5コス騎馬。二つ名は「若き希望」。スターターパックに封入されている武将らしく、可もなく不可もなく、といった印象のカード。Ver3では能力値が改善されたものの、計略が強化戦法であり、アピールポイントは薄い。
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関連項目
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