- プロ野球選手一覧 > 増渕竜義
増渕竜義(ますぶち たつよし、1988年5月3日-)とは、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
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増渕竜義 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県草加市 |
生年月日 | 1988年5月3日 |
身長 体重 |
186cm 86kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2006年高校生ドラフト1巡目 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
公立の鷲宮高校で剛速球を武器にエースとして活躍し、その投球フォームと埼玉の公立校ということから斎藤雅樹2世と呼ばれる。2006年の高校生ドラフトでは田中将大や前田健太とともに目玉投手とされ、西武ライオンズとの競合の末、1位指名で東京ヤクルトスワローズに入団。背番号22。ちなみに母親はヤクルトレディだったという縁がある。
プロ入り後
2007年(1年目)から開幕ローテーション入りし初登板では好投するが、その後は打たれてすぐに二軍落ち。シーズン終盤に一軍に復帰し、鈴木健の引退試合でひっそりとプロ初勝利を挙げた。
2008年は先発ローテーションとして期待され開幕から12試合に登板したが、肩の故障で戦線離脱。
2009年も練習中に打球の直撃を受ける不運な故障などでほとんど二軍暮らしで、一軍登板は1試合に終わった。
2010年、リリーフに転向。一時は130km/h台まで落ち込んでいた球速は再び150km/hの剛速球を取り戻し、不調の押本健彦に代わってセットアッパーを任される立場になる。最終的に57試合に登板して2勝3敗20ホールド、防御率2.69と大車輪の活躍を見せ、後半戦のチームの快進撃に貢献した。
2011年は先発に再転向。チームのシーズン初勝利など前半戦で5勝を挙げたが、全体としては安定感を欠き、27試合に登板して7勝11敗、防御率4.22という成績だった。
2012年はまたリリーフに配置転換。序盤はそこそこ好投していたが、徐々に安定感を失う。交流戦では一時先発に回ったが結果が出ず後半戦は再びリリーフに。ほぼシーズンを通して使われ続けたが、49試合に登板して2勝7敗8ホールド、防御率5.38という成績に終わり、「なぜ使われ続けたのか謎」とか言われる羽目に。
2014年の開幕直後、今浪隆博とのトレードで北海道日本ハムファイターズへ移籍。背番号45。しかし一軍登板はなかった。
2015年も一軍登板がないまま戦力外通告を受け、現役を引退した。
人物・その他
制球難・スタミナ不足・緩急が使えないといった弱点から先発では芽が出ず、リリーフ転向で球威を取り戻し開花、という展開はヤクルトでは松岡健一と似たようなパターンであるが、その後は先発とリリーフを行ったり来たりと迷走し、結局日本ハムへトレードされることになった。
ニックネームは「ドラゴン」とWikipediaには書いてあるが、「誰がそう呼んでいるんだ?」とヤクルトファンは首を傾げている。愛称としては「ぶっちー」の方が通りが良い。
なんJではヤクルト時代の一時期、なぜか異様に増渕を持ち上げるレスが頻出したことから、増渕=沢村賞というのが定番ネタとして扱われている。なんJで沢村賞に関する話題が出れば、成績にかかわらず増渕が候補に挙げられる。
通算成績
通算:7年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 157 | 44 | 0 | 0 | 15 | 26 | 0 | 29 | .366 | 363.1 | 158 | 257 | 185 | 176 | 4.36 |
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関連項目
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