イギリス・ロンドンの地名だが当地で開かれるウィンブルドン選手権を指す場合が多い。本記事でもこの大会を中心に記載する。
概要
ウィンブルドン選手権はテニスの四大大会の一つである。会場はオールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ。だが長いからかオールイングランド・クラブと略されてることが多いと思う。第1回が開かれたのは実に1877年。現存する中では一番歴史の長い大会であることからか、テニス界で最も権威のある大会として扱われることが多い。以下にあげるような伝統が存在する。
- 着用できるウェアは白のみ
- 日程中真ん中の日曜日に試合を入れず休養日にするミドルサンデー
- センターコート入退場時のロイヤルボックスへのお辞儀
- 毎年センターコートのオープニングマッチは前年度の男子シングルス優勝選手の試合が組まれる
- 大会専用シードの存在(ランキングに最近の芝の実績を加味して決まる)
ロイヤルボックスへのお辞儀はオールイングランド(略)クラブ会長であるケント公の意向で2003年から原則廃止となったが、女王陛下とその家族に対しては現在も継続されている。ミドルサンデーは1990年代以降、試合の消化状況によって何回か破れられている。これについてはロンドン名物の雨で日程が遅れがちなことを鑑みてセンターコートに開閉式の屋根を設置するなど、先進的なところを見せている。全体的には伝統を守りつつも少しずつ時代に合わせる努力をしている様子。しかし一方でウェアについてはロンドン五輪会場として使われたときは各国のナショナルカラーを特例として認めたが、近年のウィンブルドン選手権では過剰なまでに厳格化している。昔からの芝の大会を守っているのも伝統と言えるかもしれない。現代のツアーレベルで芝の大会はウィンブルドンとその前哨戦以外殆ど残っていない。
大会の特徴としては芝の特性(速くて弾みにくいといわれる)から以前はビッグサーバーとサーブ&ボレーが目立つ大会だった。しかし近年は芝の品種変更や用具、技術の発展に伴いベースラインでのラリーが続くようになってきている。芝の禿げ方もベースライン付近が激しくなっており、一部では大会終盤になると殆どクレーと変わらないという冗談ともつかない声も。また他のサーフェスに比べて滑りやすいため、フットワークが苦手な選手も散見される。雨による中断が非常に多く、それによって試合の流れが変わるのもよくあること。
国際化と共に自国イギリス人選手が勝てなくなったことで知られる(ウィンブルドン現象という言葉まであるらしい)。男子の優勝は単複とも1930年代が最後だったが、2013年にアンディ・マレーが久しぶりの地元優勝者となった。女子は1977年のバージニア・ウェードがシングルス最後の優勝となっているが、ダブルスの優勝はやはりオープン化前の1950年代まで遡る。現役に有力な選手がいないという意味では女子の方が悲観的かもしれない。頑張れローラ・ロブソン。実はミックスダブルスでは2007年にジェイミー・マレー(アンディの兄)がセルビアのエレナ・ヤンコビッチと組んで優勝している。こちらは20年ぶりの快挙だった。
これまでの主なトピック
年 | 出来事 |
---|---|
1877年 | 記念すべき第1回開催。はじめは男子シングルスのみだった。 |
1884年 | 女子シングルスと男子ダブルスが開催される。男子ダブルスは1879年から別会場で実施されていたものが大会公式競技に合流した形。また外国人選手の参加もこの年から始まった。 |
1886年 | ウィリアム・レンショーが男子シングルス大会記録の6連覇を達成。当時はトーナメントの勝者がディフェンディング・チャンピオンと戦うチャレンジ方式が採られており、前年度優勝者はトーナメントを免除されていた。 |
1905年 | 女子シングルスでアメリカのメイ・サットンが優勝。外国人選手の優勝は大会初。 |
1907年 | 男子シングルスでオーストラリアのノーマン・ブルックスが優勝。男子シングルスでは初の外国人選手の優勝となった。 |
1913年 | 女子ダブルスとミックスダブルスが公式に加わる。これまでは両部門とも大会非公式で実施されていた。 |
1915年~1918年 | 第1次世界大戦の影響で中止。 |
1920年 | 日本の清水善造が男子シングルストーナメント決勝に進出。決勝では伝説的ビッグサーバー、ビル・チルデンに敗れている。トーナメントを勝ち上がったチルデンはディフェンディング・チャンピオンのジェラルド・パターソンにも勝って優勝した。 |
1922年 | チャーチ・ロードにクラブの新しい施設がオープン、現在も使用されている施設である。またこの年から前年度優勝者も含めた全員がトーナメントを戦う現行方式に変更された。 |
1932年 | 日本の佐藤次郎が男子シングルスで準決勝進出。現行方式のトーナメントで男子シングルス準決勝に進んだ日本人選手は佐藤しかいない。 |
1933年 | 佐藤次郎が男子シングルスで2年連続となる準決勝進出。男子ダブルスでは佐藤と布井良助のペアが決勝に進出したがセットカウント3-1で敗れ準優勝に終わった。 |
1934年 | 日本の三木龍喜がイギリスのドロシー・ラウンドとのペアでミックスダブルス優勝。日本人選手初の四大大会優勝となった。 |
1936年 | イギリスのフレッド・ペリーが男子シングルス3連覇。これ以降2013年のアンディ・マレーまでイギリス人の男子シングルス優勝は出なかった。 |
1940年~1945年 | 第2次世界大戦の影響で中止。 |
1956年 | アメリカのアリシア・ギブソンが女子ダブルスで初優勝。大会初の黒人選手の優勝となった。彼女は翌年にはシングルスでも優勝している。 |
1968年 | オープン化によりプロ選手の出場が解禁される。 |
1975年 | 男子シングルスでアーサー・アッシュが優勝。黒人選手の優勝は男子シングルスでは彼が唯一の事例となっている。 また沢松和子がアメリカのアン清村とのペアで女子ダブルスに優勝している。ウィンブルドンにおける日本人女子の初優勝となった。 |
1977年 | バージニア・ウェードが女子シングルス優勝。現在に至るまで女子シングルスにおけるイギリス人選手最後の優勝となっている。 |
1980年 | 男子シングルスでビヨン・ボルグが5連覇を達成。ジョン・マッケンローとの決勝は長くウィンブルドン史上最高の一戦として語られてきた。特に7度のチャンピオンシップポイントをしのいだ末タイブレーク18-16でマッケンローが取った第4セットは今でも語り草になっている。 |
1981年 | 男子シングルスはマッケンローが決勝でボルグを下して優勝。ボルグの連覇は止まったが5連覇はオープン化後の男子シングルスタイ記録として今も残る。 |
1983年 | 女子シングルスのドロー数が現行の128に拡大される。オープン化後それまでは96ドローで実施されていた。 |
1985年 | ボリス・ベッカーが初優勝。17歳7ヶ月は男子の大会最年少記録。 |
1987年 | マルチナ・ナブラチロワが女子シングルスで大会記録の6連覇を達成。 |
1988年 | 前年準優勝のステフィ・グラフが女子シングルス初優勝、ナブラチロワの連覇を止めた。この年のグラフはソウル五輪を含めた年間ゴールデンスラムを達成している。 |
1990年 | ナブラチロワが女子シングルスで最後の優勝。シングルス9回の優勝は大会最多記録。 |
1991年 | 雨で日程が遅れたため、ミドルサンデーの伝統が初めて破られる。 |
1993年 | 女子シングルス決勝でヤナ・ノボトナがグラフに対して最終セット4-1とリードしながら逆転される。表彰式でノボトナがケント公夫人に慰められるシーンは90年代の名場面の一つ。 |
1995年 | 男子シングルスで松岡修造が、女子シングルスで伊達公子がそれぞれ準々決勝進出。日本人のシングルス準々決勝進出は男子では佐藤以来62年ぶり、女子は史上初の快挙。 |
1996年 | 伊達が女子シングルスでは日本人初の準決勝進出。敗れたものの日没順延をはさんだグラフとの準決勝は日本テニス界におけるハイライトの一つ。伊達に引っ張られたのか当時の日本女子テニスは非常に盛り上がっており、この年と翌年のウィンブルドン本選には9人が出場している。しかしこの年限りで当の伊達が引退してしまい徐々に萎んでいった。この年、女子ダブルスでは天才少女マルチナ・ヒンギスが15歳9ヶ月で大会ダブルス史上最年少の優勝をあげている。 |
1997年 | 女子シングルスでヒンギスが優勝。決勝の相手はノボトナだった。16歳9ヶ月はオープン化後の最年少記録。オープン化前には1887年ロッティ・ドッドの15歳9ヶ月がある。 またトッド・ウッドブリッジとマーク・ウッドフォードのペアが男子ダブルス5連覇を達成。この2人のペアは「ウッディーズ」として知られる。 |
1998年 | 男子ダブルスでウッディーズが準優勝に終わり連覇が止まる。女子ダブルスでは前年度シングルス決勝を戦ったヒンギス&ノボトナという豪華ペアが優勝している。ノボトナはシングルスでも3回目の決勝進出でついに優勝できた。この年のジュニア部門では後に芝の王者として君臨するロジャー・フェデラーが単複同時優勝をあげている。 |
2000年 | ピート・サンプラスが男子シングルスタイ記録となる7回目の優勝を大会4連覇で達成。 女子ダブルスではジュリー・アラール・デキュジスと組んだ杉山愛が決勝に進出したが、ウィリアムズ姉妹に敗れて準優勝に終わった。 |
2001年 | サンプラスがシングルス4回戦でフェデラーに敗れ、4連覇でストップ。 男子シングルスを制したゴラン・イバニセビッチは4回目の決勝で念願の初優勝。彼は故障で大きくランキングを落としており、大会史上初のワイルドカードからの優勝者となった。また当時の彼のランキング125位は大会史上最も低いランキングでの優勝である。敗れたパトリック・ラフターは2年連続の準優勝となった。またイバニセビッチがこの年の大会で奪ったエース213本は大会史上最多となった。 女子ダブルスでは杉山がキム・クライシュテルスとのペアで決勝に進んだが、リサ・レイモンドとレネ・スタブスのダブルス巧者ペアに敗れて2年連続準優勝に終わった。 |
2002年 | 前年度男子シングルス決勝を戦ったイバニセビッチとラフターが欠場したため、センターコートでのオープニングマッチに誰を入れるかが議論になった。通常は前年度の男子シングルス優勝者、優勝者不在なら準優勝者の試合が組まれる。結局当時の男子シングルス優勝経験者で最もランキングの高かったアンドレ・アガシの試合が組まれたが、一部女子選手からは男女差別ではないか、前年女子シングルス優勝者であるビーナス・ウィリアムズの試合を入れるべきとの不満が出た。 |
2003年 | 女子ダブルスで杉山がクライシュテルスとのペアで初優勝。日本人では沢松以来の快挙となった。またミックスダブルスではダブルス専門で現役復帰していたナブラチロワがインドのダブルス巧者リーンダー・パエスと組んで優勝。御年46歳で大会全部門を通して最年長の優勝記録である。この年のオープニングマッチではディフェンディング・チャンピオンのレイトン・ヒューイットがイボ・カルロビッチに敗れる波乱があった。オープン化前の1967年スペインのマニュエル・サンタナ以来の珍事となった。 |
2004年 | マリア・シャラポワが女子シングルスで優勝。17歳2ヶ月はヒンギス以来の年少優勝となった。男子ダブルスではウッドブリッジがヨナス・ビヨークマンと組んで優勝、自身9回目の優勝はドハティー兄弟の8回を抜いて男子ダブルス史上最多記録。杉山は女子シングルスで伊達以来の準々決勝進出のほか、女子ダブルスでも南アフリカのリーゼル・フーバーと組んで準優勝している。またこの年47歳のナブラチロワがワイルドカードでシングルスに出場。2回戦で敗退したが初戦を6-0,6-1という圧倒的なスコアで勝ち上がり周囲を驚かせた。 |
2005年 | 女子シングルス決勝のビーナス・ウィリアムズ対リンゼイ・ダベンポートは試合時間2時間45分で女子決勝として史上最長の試合となった。フルセットでビーナスが勝ち、3回目の優勝としている。 |
2007年 | 男子シングルスでフェデラーがオープン化後タイ記録となる5連覇を達成。ラファエル・ナダルとのフルセットの決勝は翌年とのセットで伝説の序章とも思える試合となった。 女子ダブルスでは杉山がカタリナ・スレボトニクと組んで決勝進出したが準優勝に終わる。杉山のウィンブルドンでの決勝はこれが最後となった。 |
2008年 | 男子シングルス決勝でナダルがフェデラーを下して優勝、フェデラーの連覇を止めると同時にスペイン人では1966年サンタナ以来の優勝となった。試合時間4時間48分はシングルス決勝としては当時の史上最長、前年の経緯もあいまってウィンブルドン史上最高の試合に挙げる人も多い現代における伝説的一戦。日本ではNHK総合とWOWOWが中継していたが、雨による遅れや中断もあったため日本時間早朝5時ごろまで試合が続き、NHK総合はおはよう日本が始まってしまうため、4時半からラスト1時間ほどNHK教育にリレーして中継を続ける事態となった。このためNHK総合を録画して寝てしまった人は翌日阿鼻叫喚な状態に…。 |
2009年 | 男子シングルスはフェデラー対アンディ・ロディックの決勝で3年連続のフルセットに。試合時間こそ前年度ほどではなかったものの、総ゲーム数ではシングルス決勝史上最多の77に及んだ。最終セット16–14でフェデラーが勝って、大会6回目と同時にサンプラスを抜いて最多となる四大大会15回目の優勝を飾った。 |
2010年 | 男子シングルス1回戦のジョン・イズナー対ニコラ・マウーの試合時間がテニス史上最長記録となった。2度の日没順延を挿み11時間5分のデスマッチの末、最終セット70-68でイズナーが勝った。イズナー113本、マウー103本のエースは1試合のエース数としてATPの記録が始まって以来1位、2位の記録。 ちなみにこの2人、翌年も1回戦で対戦している(このときはストレートでイズナーが勝った)。 |
2012年 | フェデラーが男子シングルスで大会タイ記録となる7回目の優勝。フェデラーはこの優勝でランキング1位に復帰し、サンプラスのランキング1位在位記録に並んだ。 |
2013年 | マレーが男子シングルスで優勝。イギリス人の男子シングルス優勝は1936年フレッド・ペリー以来実に77年ぶりの快挙となった。 |
2015年 | 女子シングルスでセリーナ・ウィリアムズが6回目の優勝。33歳9ヶ月はオープン化後の大会女子シングルス最年長記録。また彼女はこの優勝で前年度の全米オープンから自身2度目となる年跨ぎの四大大会4連勝を達成している。 女子ダブルスとミックスダブルスの両部門では、ダブルス専門で復帰したマルチナ・ヒンギスが優勝。女子ダブルスでは1998年以来、実に17年ぶり3回目、ミックスダブルスでは自身初の優勝となった。 |
2016年 | 女子シングルスでセリーナ・ウィリアムズが7回目の優勝、自身が前年度に更新したオープン化後の大会女子シングルス最年長優勝記録を34歳9ヶ月に引き上げた。さらに彼女はこの優勝でグラフの持つオープン化後の四大大会シングルス最多優勝記録22回に並んだ。 |
2017年 | 男子シングルスでロジャー・フェデラーが史上単独最多となる8回目の優勝、さらにオープン化後の大会男子シングルス最年長優勝記録を35歳11ヶ月に更新した。 |
2018年 | 男子シングルスで錦織圭がウィンブルドンでは自身初のベスト8進出。日本勢男子では修造以来23年ぶり、オープン化後二人目の快挙となった。 スペインのフェリシアーノ・ロペスがフェデラーの持つ四大大会本戦連続出場記録を更新。2002年全仏オープンから16年以上かけて66大会連続の本戦出場となった。 |
2019年 | これまでタイブレークの無かったファイナルセットについて、12-12からタイブレークを導入することとなった。適用第1号は男子シングルス決勝で、決勝として史上最長4時間57分の激闘の末、ノバク・ジョコビッチがロジャー・フェデラーを下して5回目の優勝を飾った。 |
2020年 | 新型コロナウイルス感染症の影響により中止。戦争以外での中止は大会史上初の出来事。 |
その他の関連動画
ほかにも多数の動画がある。「ウィンブルドン」でのタグ検索結果はこちら。
テニス以外の関連動画
ウィンブルドンの駅も結構な歴史があるようで鉄道の動画がいくつか投稿されている。
関連商品
トピックで紹介した以外にも多くの試合や公式映像がDVD化されている。市場の検索結果はこちら(「Wimbledon」「ウィンブルドン」でDVD検索)。総合検索をかけるとスニーカーが大量に出てきて収拾が付かなくなるので注意。なおテニスのDVDは基本海外製なのでリージョン制限により国産プレイヤーでは再生できない場合がある。リージョン情報は商品ページに記載があるはずなのでよく確認すること。
関連項目
- 2
- 0pt