友人のI君が、朝、鴨川でパンを食べていると、トビにそれを奪われたそうです。
ふた口食べただけのコロッケパンを、斜め後ろから飛んできたトビにばっと奪い取られた。と、僕はそれを聞いて笑いが収まりませんでした。
最近は鴨川に行けば「トビに気をつけてください」という立て看板も目にするし、実際に「おばあさんがお菓子を奪われた」とか、目撃談も聞くけれど、まさか自分の友達がトビにやられるとは。
被害の程度や加害者のことを思うと、なんかおもしろいですね。
ちょうど僕も昨日Pと鴨川でお菓子を食べていて、そのとき少しだけトビのことを考えて警戒した。
僕らのクッキーとポッキーを獲りに降りてきたなら、逆に捕まえて羽をちょんぎってやるところだ。
でも、トビってパン食べるのかな。
そういえば2年くらい前に、鴨川に『ワニが目撃されたので気を付けてください』という看板がいくつかあったけれど、ワニはどうなったんだろう。
このワニは、目撃情報が寄せられた、というだけだからこれは誤認だった可能性もある。だけど、誰かがペットを捨てたというような可能性だって十分に考えられる。
本当にありそうな、でも如何にも胡散臭い話、つまり都市伝説の一つに、
『ニューヨークの地下にはワニがたくさんいる』
というものがあった。
子供たちの間でワニを飼う事が流行って、でも飽きてたくさんのワニがトイレに流されて捨てられたから、というのがその根拠とされることで、まさか下水の中でワニが繁殖するなんてことはないだろうけれど、可能性としてゼロだ、とは言い切れない。
生き物はときどき驚異的な変化を起こすものだし、それは人知を超えていると思ったほうがいいに決まっている。下水に適応したワニ、というものが現れないとは限らない。
『生命は道を見つけ出す』
というようなことを確か映画「ジュラシック・パーク」のなかで誰かが言っていた。ジュラシック・パークには恐竜の勝手な繁殖を防ぐためにメスの恐竜しかいないはずなのに、何頭かの恐竜が性転換を起こしてオスになり繁殖を遂げた。
こういった性転換は自然界では結構あることだ。
僕たちはそこに不思議な力の存在を感じる。
僕らの科学がまだまだ知らないこと。
一般的にどれくらいの人々がダーウィンの進化論を信じているのか分からないけれど、進化というのはまだほとんど分かっていないジャンルです。僕は進化論というものを信じていません。
たとえば、自然界には擬態を持つたくさんの生き物がいる。花にそっくりのカマキリだとか、葉っぱにそっくりのガだとか、ナナフシとか。僕にはそういった生き物が「突然変異で葉っぱにそっくりなガがたまたま生まれて、そのガは敵の目を逃れたので生き残りました」なんていう風な仕方で現在存在しているとは全然信じられない。こんなに葉っぱに似てるのが”たまたま”できた、なんて。何十億年あっても起こることじゃない。しかも擬態する生き物は一種類ではなくて何種類もいるのだ。
『リング』という鈴木光司さんのホラーが流行ったとき、実は僕は『リング』『らせん』『ループ』の3部作を全部読みました。とても面白い小説だった。
今から書くことは所謂ネタバレというものになりますが、『ループ』というのは最も衝撃的な作品です。なぜなら、『ループ』によって、『リング』『らせん』の起こった世界というのは”バーチャルな世界でした”チャンチャン、という夢オチが成されるからです。
でも、「なんだ夢オチか。真剣に読んでたのに。損したなあ」ということにはならない。『ループ』のいう”バーチャルな世界”というのがどういう風に作られたものだったのか僕は忘れてしまったけれど、この”バーチャルな世界”というのは、僕達の言う”バーチャルな世界”のことではなくて、まさしく僕達の世界そのものなのだ。
『リング』『らせん』は超自然的なものが登場するものの、極めて厳密にリアリズムの手法に則って書かれた小説だ。当然、読者は『リング』『らせん』を、僕らの住むこの世界と同じ次元で起きているリアルなものとして読む。
つまり、
(『リング』『らせん』の世界) = (私達の生きる現実世界)
なる構造を持っていて、その上に立って『ループ』により、
(『リング』『らせん』の世界) = (作られた虚構世界)
だと作者は言ったのだ。
2つの等号を見れば作者の本当に言いたいことはすぐに分かる。
(私達の生きる現実世界)=(『リング』『らせん』の世界)=(作られた虚構世界)
もはや真ん中の(『リング』『らせん』の世界)なんて要らない。
(私達の生きる現実世界)=(作られた虚構世界)
夢オチだけど、「なんだ夢だったのか」ではなくて、「あなたは夢の中にいるのだ」という夢オチです。
作品中に、
「もしもサイコロを100000回振って、全部”1”の目が出たらどう思う?」
という問いかけが出てくる。
主人公の青年は、「サイコロに仕掛けがあるんじゃないかと思う」と答える。
この宇宙で人類が発生する確率は、いうまでもなく100000回サイコロを振って全部1、という確率よりもずっと低い。ならば、この人類の発生ということに関しても何かの仕掛けがあるんじゃないかと疑うのが自然ではないのか。この世界は何者かによって意図的に仕組まれ作られたのだ。と主人公は諭される。
それはそれで筋の通った話ではある。
ふた口食べただけのコロッケパンを、斜め後ろから飛んできたトビにばっと奪い取られた。と、僕はそれを聞いて笑いが収まりませんでした。
最近は鴨川に行けば「トビに気をつけてください」という立て看板も目にするし、実際に「おばあさんがお菓子を奪われた」とか、目撃談も聞くけれど、まさか自分の友達がトビにやられるとは。
被害の程度や加害者のことを思うと、なんかおもしろいですね。
ちょうど僕も昨日Pと鴨川でお菓子を食べていて、そのとき少しだけトビのことを考えて警戒した。
僕らのクッキーとポッキーを獲りに降りてきたなら、逆に捕まえて羽をちょんぎってやるところだ。
でも、トビってパン食べるのかな。
そういえば2年くらい前に、鴨川に『ワニが目撃されたので気を付けてください』という看板がいくつかあったけれど、ワニはどうなったんだろう。
このワニは、目撃情報が寄せられた、というだけだからこれは誤認だった可能性もある。だけど、誰かがペットを捨てたというような可能性だって十分に考えられる。
本当にありそうな、でも如何にも胡散臭い話、つまり都市伝説の一つに、
『ニューヨークの地下にはワニがたくさんいる』
というものがあった。
子供たちの間でワニを飼う事が流行って、でも飽きてたくさんのワニがトイレに流されて捨てられたから、というのがその根拠とされることで、まさか下水の中でワニが繁殖するなんてことはないだろうけれど、可能性としてゼロだ、とは言い切れない。
生き物はときどき驚異的な変化を起こすものだし、それは人知を超えていると思ったほうがいいに決まっている。下水に適応したワニ、というものが現れないとは限らない。
『生命は道を見つけ出す』
というようなことを確か映画「ジュラシック・パーク」のなかで誰かが言っていた。ジュラシック・パークには恐竜の勝手な繁殖を防ぐためにメスの恐竜しかいないはずなのに、何頭かの恐竜が性転換を起こしてオスになり繁殖を遂げた。
こういった性転換は自然界では結構あることだ。
僕たちはそこに不思議な力の存在を感じる。
僕らの科学がまだまだ知らないこと。
一般的にどれくらいの人々がダーウィンの進化論を信じているのか分からないけれど、進化というのはまだほとんど分かっていないジャンルです。僕は進化論というものを信じていません。
たとえば、自然界には擬態を持つたくさんの生き物がいる。花にそっくりのカマキリだとか、葉っぱにそっくりのガだとか、ナナフシとか。僕にはそういった生き物が「突然変異で葉っぱにそっくりなガがたまたま生まれて、そのガは敵の目を逃れたので生き残りました」なんていう風な仕方で現在存在しているとは全然信じられない。こんなに葉っぱに似てるのが”たまたま”できた、なんて。何十億年あっても起こることじゃない。しかも擬態する生き物は一種類ではなくて何種類もいるのだ。
『リング』という鈴木光司さんのホラーが流行ったとき、実は僕は『リング』『らせん』『ループ』の3部作を全部読みました。とても面白い小説だった。
今から書くことは所謂ネタバレというものになりますが、『ループ』というのは最も衝撃的な作品です。なぜなら、『ループ』によって、『リング』『らせん』の起こった世界というのは”バーチャルな世界でした”チャンチャン、という夢オチが成されるからです。
でも、「なんだ夢オチか。真剣に読んでたのに。損したなあ」ということにはならない。『ループ』のいう”バーチャルな世界”というのがどういう風に作られたものだったのか僕は忘れてしまったけれど、この”バーチャルな世界”というのは、僕達の言う”バーチャルな世界”のことではなくて、まさしく僕達の世界そのものなのだ。
『リング』『らせん』は超自然的なものが登場するものの、極めて厳密にリアリズムの手法に則って書かれた小説だ。当然、読者は『リング』『らせん』を、僕らの住むこの世界と同じ次元で起きているリアルなものとして読む。
つまり、
(『リング』『らせん』の世界) = (私達の生きる現実世界)
なる構造を持っていて、その上に立って『ループ』により、
(『リング』『らせん』の世界) = (作られた虚構世界)
だと作者は言ったのだ。
2つの等号を見れば作者の本当に言いたいことはすぐに分かる。
(私達の生きる現実世界)=(『リング』『らせん』の世界)=(作られた虚構世界)
もはや真ん中の(『リング』『らせん』の世界)なんて要らない。
(私達の生きる現実世界)=(作られた虚構世界)
夢オチだけど、「なんだ夢だったのか」ではなくて、「あなたは夢の中にいるのだ」という夢オチです。
作品中に、
「もしもサイコロを100000回振って、全部”1”の目が出たらどう思う?」
という問いかけが出てくる。
主人公の青年は、「サイコロに仕掛けがあるんじゃないかと思う」と答える。
この宇宙で人類が発生する確率は、いうまでもなく100000回サイコロを振って全部1、という確率よりもずっと低い。ならば、この人類の発生ということに関しても何かの仕掛けがあるんじゃないかと疑うのが自然ではないのか。この世界は何者かによって意図的に仕組まれ作られたのだ。と主人公は諭される。
それはそれで筋の通った話ではある。