西海岸旅行記2014夏(10):6月7日:ポートランド、はじめてのAirbnb

2014-07-27 19:44:27 | 西海岸旅行記
 知らない街の外れに真夜中に到着し、人通りのない暗い道を少し奥に入ると何軒かの家が並んでいた。この家のどれかが今夜僕達の泊まる家だ。
 まだそれ程名前が轟いているわけでもないので、ここでAirbnbの説明をしておきたいと思う。
 Airbnbというのはウェブサービスの名前で、説明的にもっとちゃんと書くと" Air B and B"となる。"B and B"というのは"Bed and Breakfast"のことで、民宿みたいな意味合いだ。Airbnbのサイト上では、職業的に宿を運営している人でなく、普通の人が「余っている部屋」とか「出張中で誰もいない家」とかを貸し出すことができる。サービスは日本を含む多くの国に普及しているので、大抵どこの国へ行くにしてもこのサービスは使える。

 Airbnbを使う理由は人それぞれで、安い宿を探している人もいれば、ホストとのふれあいを求めている人も、単にホテルには飽きたという人もいると思う。
 僕達が今回Airbnbを利用したのは、このシステムに多少興味があったというのと、あとは適度に安い宿泊先が見つかったからだ。

 どうしてかは分からないけれど、ポートランドはホテルが高い。僕は旅行中にわざわざ知らない宿主との触れ合いを求めていないので、サラッとホテルに泊まり、プライバシーと快適さをビジネスライクにお金で手に入れたかった。けれどポートランドには、ちょうどいい値段のホテルがあまりない。というか値段とクオリティが釣り合っていないようなところが多い。

 後にソルティという、高校から大学院までカナダやアメリカで過ごしている日本人の女の子が登場する。彼女は今テキサスに住んでいて、当初の予定では僕達がテキサスまで彼女を訪ねる予定だったけれど、西海岸旅行の日程にテキサスを組み込むとかなり無理のあるスケジュールになるのでやめにして、代わりに彼女がポートランドまで遊びに来てくれた。ソルティは僕達より一日早くポートランドに来ていて、Red Lionというホテルに泊まっていて、「あのホテルで一泊百何十ドルってありえない」と文句を言っていた。

 ケリーの家はきれいで快適そうだったし、値段も手頃だったので2泊の予約。彼女はこの家に住んでいるのだが、僕達が到着する時には多分いないだろうということでドアを開ける暗証番号をメールで教えてくれた。
 「あっ、ここだ」
 暗い中、目を凝らしてクミコがケリーの家を見つけた。iPhoneを引っ張り出してメールに書かれた暗証番号と鍵の開け方をチェックする。よその国の知らない街の知らない人の家の前で、真夜中に玄関の開け方を調べるのは妙な気分だった。さらにドアが開いて中に足を踏み入れるともっと奇妙な気分がする。僕達は今夜、この誰も迎えてくれない他人の家に泊まるのだ。
 「電気どこかな?」
 「ちょっと待って」
 僕はiPhoneのライトを付けて玄関ドアの周囲を照らし、スイッチを見つけて電気を点けた。灯りの点いたその空間は、玄関を入ってすぐに設けられた20畳程度の部屋で、大きなテレビとソファ、本棚、猫が登ったりして遊ぶ木のようなものが置いてあった。
 「それで私達の部屋はどれなんだろう?」
 少し奥に進むとキッチンとダイニングがあって、電気を点けると冷蔵庫のホワイトボードに書き置きがあった。
 「冷蔵庫は自由に使ってね。テーブルにスナックとフルーツも用意してあるから自由に食べて!」
 それからケリー本人だと思われる人物の写真も冷蔵庫に貼られていた。どんな人なのだろう。ダイニングを抜けるとバスルームで、そこへ行く途中に部屋が1つあるけれどドアを勝手に開けるのも憚られる。二階ってことはなさそうだしなと、もう一度玄関の部屋に戻ると何の事はない入って左にドアがあって、そこに張り紙がしてあった。

『 ようこそ!
  この部屋を自由に使ってね!
  くつろいで下さい! 
  Wi-Fiのパスワードはxxxxxxxxxxxxxxx
  家には猫が二匹いて、1匹は警戒心が強いけれど、もう1匹は好奇心旺盛だからお邪魔するかもしれません。人懐っこいから悪さはしないわ 』

 僕達はドアを開いて中へ入り、電気を点けた。大きなベッドの上には二人分のバスタオルとフェイスタオル、それからペットボトルの水とエナジーバーまで用意してあった。壁には日本の侍みたいなのが描かれている古い絵や中国の書、置物などが飾られていて、東洋が好きなのが伺える。
 荷物を置いて一息付き、ケリーに「着いた」と一応メールを送っておく。あれ?っと思って視線を動かすと、きれいな毛並みの三毛猫が開けたままのドアからこちらを見ていた。

かわいい隠れ家
二見書房

西海岸旅行記2014夏(09):6月7日:ポートランドの暗い夜

2014-07-27 14:43:48 | 西海岸旅行記
 ポートランド・ユニオン駅に着いたのは夜10時だった。駅は暗くて、ほとんど人はいない。アムトラックからパラパラと下りてきた人達もパラパラとどこかへ消えて行く。
 ガランとした待合室の奥にトイレがあって、そこで用を足して待合室に戻ろうと廊下を歩いていると、窓の外に黒人の男がいて僕に向かって何かをいいながら窓をドンドンと叩いた。なんだこの荒廃した空気は、クミコを一人で待たせて来て大丈夫だったろうか。
 待合室ではクミコが今夜の宿までのルートを調べていた。駅から少し歩いたところのバス停でバスに乗り、一度バスを乗り換える必要があるようだ。バスの待ち時間などを入れると、宿に着くまではまだ1時間くらい掛かる。

 駅前のノースウエスト6番通りはポツポツと街灯があるだけでとても暗い。そしてほとんど全てのブロックにゴロツキがたむろしていて必ず声を掛けてくる。
 ポートランドは、最近日本で結構流行っていると思うし、イメージとしては「大都市に疲れた人達が、再開発されたやや小振りのきれいな都市で丁寧にオーガニックにクリエイティブに生活している」というものだと思う。
 けれど、今回僕が訪ねた街で一番治安が悪そうだったのはポートランドだった。もちろんLAの行ってはならないような地域には足を踏み入れてないので、そういう所は除いての話だけど、一番たくさんゴロツキに声を掛けられて、一番たくさんホームレスを見たのは間違いなくポートランドだ。
 ポートランドの紹介をするメディアが必ず載せている"Portland Oregon, old town"という大きなネオンサイン(シカのシルエットが付いたやつだ)も、それを掲げているビルの前にはたくさんのホームレスが寝ていて、僕達が通った時には隣のビルにパトカーが2台来ていた。少なくとも平和でどうにも退屈だから文化的な活動でもするか、というような街ではない。

 そんなわけで、バス停のあるウエスト・バーンサイド通りまで辿り着いた時、僕達はそこはかとない不安に包まれていた。
「なんか、思ってた所と全然違うかもね」
 一度不安を感じると、バス停でバスを待つ人々も怪しく見えてくる。真っ白いセーラー服に身を包んだ2人の水兵が通りを歩いていく。
 バスが来たのは結構な時間が経過してからだ、15分くらいは待ったと思う。やってきたバスには人がたくさん乗っていて、お金を払って乗り込むとバスの運転手が「そこの手すりは触っちゃダメだ、すごい病気の奴が触ったから」と言う。僕は最初聞き取れなくて危うく触るところだった。バスの運転手がわざわざ「病気の奴が触ったから触るな」と断るとは、一体どんな種類のどのような症状を持つ病人がこのバスに乗っていたのだろうか。何かの感染症だろうか。その病人は手すりのこの部分しか触らなかったのか?こんなバスに乗っても大丈夫なのだろうか。

 前の方に1つだけ開いていた座席にクミコが座り、僕はその前に立つことにした。向かい側は座席を3個くらい跳ね上げて車椅子が入るようになっているスペースで、そこに車椅子を付けていたホームレス然としたおじいさんが、「どこまで行くんだ?」と言いながら車椅子をスペースぎりぎりまで寄せ、座席を1つ水平に戻してくれた。お礼を言って僕がそこに座り、向かい合わせでクミコと話していると、今度はクミコの隣に座っていた杖を付いているおじさんが「君達一緒なんだったら、席代わるよ」と言って、僕と席を交代してくれた。

 さっきまで暗い通りをゴロツキにYo,Hey menと言われながら歩いていたので、ここへ来て小さな親切が心を解してくれる。見渡せばバスの中は多様な人々がおしゃべりしていて賑やかだ。
 アメリカで電車やバスのような公共交通機関を利用したのは、ここポートランドとシアトルでだけなので、この2つの街しか比較できないのだけど、シアトルに比べてポートランドの公共交通機関の方がずっとおしゃべりだったと思う。特にこの最初に乗ったバスは運転手が乗客の顔と名前と降りるバス停を覚えていて、「次はサウス・イースト18だよ、ジムとマギー降りるでしょ、じゃあな、おやすみ」という風にしじゅう話していた。乗客もパンクの若者から仕事帰りのおじさん、ホームレスみたいな人までバラエティが一番強かったように思う。ネイキッド・バイク・ライドの夜だったからだろうか。

 サウス・イースト82番通りは郊外と田舎の間を走る国道という風情だ。基本的に目に入ってくるのは中古車の店で、たまにデニーズみたいなチェーンのファミレスがある。暗くて、ただ車だけはビュンビュンと走っている。
 僕達はさっきのバスを下りて、82番通りのバス停で別のバスに乗り換えた。もう10分もしないうちに目的のバス停に着く。アメリカのバスは車内に黄色い紐が張り巡らされていて、それの端が「次止まります」のスイッチに接続されている。乗客はそれを引っ張って「次止まって」のサインを出すことができる。これは極めて合理的なシステムで、日本のバスみたいに何個も何個もスイッチボタンを用意しなくてもいいし、紐は大抵のところを通っているのでどの位置からも”止まってサイン”を出すことができる。「点」のどれかを狙って押すのではなく、「線」のどこかを適当に引けばいい。

 目的のバス停で下りると、やっぱりそこにも中古車の店があった。暗くて人は一人も歩いていない。ケリーのメールによると、今夜の宿はバス停から徒歩1分の場所にあるらしい。ケリーというのは今夜の宿というか、家の持ち主の女の子で、僕達とは赤の他人でしかない。そう今夜の宿はホテルでもゲストハウスでもなく、Airbnbで予約した知らない女の子の家だった。

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西海岸旅行記2014夏(08):6月6日:いったんさらばシアトル

2014-07-26 13:42:44 | 西海岸旅行記
 ウォーター・フロント・パークを後にした僕達はノッキー夫妻に案内してもらい、夜のシアトルを散歩することにした。海からビル群を抜けて坂を上がって行く。神戸みたいな街だと思う。実際に僕はまだ自分がアメリカにいるのだと、はっきりは感じていなかった。本当に神戸かどこか日本のあまり行かない街にいるような気がしていた。
 この「日本の知らない街にいるような気分」というのは、旅のかなりの期間感じていたものだ。もう先進国はどこへ行っても同じかもしれないなと思う。

 街の規模も別に日本とそんなに変わらない。なんとなくアメリカの都市は日本の都市よりも巨大なんじゃないかという先入観があったけれど、都市の規模と国土の規模は単純に比例しないのは考えてみれば当然だ。都市の規模はどちらかというと経済規模とヒューマンスケールで決定される。東京とか大阪は世界最大規模の都市で、それらを知っていれば特にどこの国の都市を見ても驚くことはないのかもしれない。なんだかんだ日本は先進国で、なんだかんだ僕はそこの住人なのだ。

 パイク・ストリートを上り、途中で1つ北のパイン・ストリートへ移る。流石に日没は過ぎ、夜らしい暗さが街を優しく包み始める。坂を登るにつれて建築物の規模が段々と小さくなり、飲食店が目立つようになってくる。どこの店もセンスがいいし、人が溢れていて賑やかだ。パラマウント・シアターの外に長い列ができている。海岸部から、観光地、高層都市、文化的郊外という大雑把なグラデーションを感じる。そして、あちこちの店先に掲げられるはレインボー・フラッグだ。

「ちょうど今ゲイ・プライドのイベント色々して盛り上がってるから、うちの近所のクラブみたいなところも夜うるさくて寝れない」とノッキーが言い、「ちょっとその膝上の短パンはヤバいかも」とシュウイチ君が言った。
 僕は思想としては「自由なセックス」なので、勘違いされても別に構わない、というか肌が白くて細いせいか元々良く勘違いされる。クミコも最初は僕のことをゲイだと思っていたらしい。クミコとはじめて会ったのは京都のクラブで、その時僕はフィンランド人の男友達と一緒だったのだけど、その友達と僕がゲイのカップルだと思っていたという話だ。

 ノッキー夫妻と別れた後、コンビニで水を買ってグリーン・トータス・ホステルへ戻り眠る。

 朝7時頃、トイレに行きたくて目が覚める。フロアに4つあるバスルームはあいにく全部使用中で、旅行者の朝は早いのだなと思う。トイレを済ませた後、もう一度眠り、起きると10時だった。シャワーを浴びて身支度を整え、11時にチェック・アウト。疲れた旅行者達がアンニュイな空気を作り上げるダイニングで、そのままになっていたノキアのセットアップを済ませて、一日の予定を立てる。つまり、この場にいる旅行者の8割と同じように僕達もラップトップに向かう。

 この日は夕方5時半にキング・ストリート駅を出る長距離列車AMTRAKで次の目的地ポートランドまで移動するので、それほど時間があるわけではなかった。それから、前回の記事に書いた時差ボケがこの日の昼下がりピークに達して観光する集中力もほとんどなかった。さらに、シアトルにはもう一度戻ってくる予定だ。
 なので、この日のことは手短にまとめたいと思う。

 ホステルを出た僕達はまずスペース・ニードル目指して歩いた。途中でスタバ1号店があったので一応写真だけ撮る。スターバックスはシアトルの本当に至る所にある。スペース・ニードルは登るのに随分な列ができていたので、見た目にも低いし見るだけで済ませる。そのままフランク・ゲーリー設計のEMPミュージアム、ビル&メリンダ・ゲイツ財団をさっと見る。ビル・ゲイツの活動はそれはそれでいいと思うけれど、途上国の問題は先進国というか、戦勝国のデザインした経済システムに拠るところが大きいと思うので、それをプロダクトでなんとかというのには違和感がある。ただの新しい市場じゃないか。
 僕は時差ボケで胃が気持ち悪かったので、この日は夕方まで何も食べれなかったのだけど、クミコが空腹だったのでシアトル・センターARMORYの中でフィリピン・フェスティバルを眺めながらご飯にする。僕はオレンジジュースのみ。
 帰りは、こちらも大阪と同じ万博の名残、今は一駅しかないモノレールで街中へ戻る。モノレールを下りたビルにはダイソーが入っていて思わず入る。街中では結構保守的なシアトルの建築の中で飛び抜けて有名な先進建築、シアトル中央図書館を見る。

 キング・ストリート駅についたのは4時半くらいで、ちょっと早すぎたけれど周囲には特に何もないので待合室にずっといる。駅にある唯一の自動販売機が故障していて水を買えないので、駅員に他に水を買えるところがないかと聞くと「ない」とのこと。日本のコンビニと自動販売機は異常だがちょっと恋しい。水は電車の中でやっと買えた。
 近くに座った良く喋るビジネス専攻修士過程の女の子の自慢気な話をBGMにして4時間弱の電車の旅が始まった。電車が動き始めると、僕達の隣の席では太った東洋人のおばさんがでかいラップトップをガチャガチャしながら誰かと電話で話し、電話が済むとナッツが入ったこれも巨大なタッパーを取り出してムシャムシャとかじり始めた。

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西海岸旅行記2014夏(07):6月6日:シアトル;時差ボケのウォーター・フロント・パーク

2014-07-23 17:01:08 | 西海岸旅行記
 グリーン・トータス・ホステルの前で無事に落ち合った僕達4人の日本人は、パイク・プレイス・マーケットを抜け、坂を下り海へ向かって歩く。
 6月のシアトルは日没が9時半くらいなので、夕方6時はまだまだ明るかった。目指しているウォーター・フロント・パークは、シアトル水族館や観覧車、レストランなどの並ぶ観光地で人もたくさん歩いている。にも関わらず、僕は頭のどこかがボーっとしていた。つまりとても眠かった。つまり時差ボケが起こりつつあった。日本を出たのは日本時間の6月6日13時で、こっちについたのも6月6日の13時だから調子が狂わないわけない。
 実は僕は睡眠時間がとても長く、眠いのがものすごく大嫌いだ。8時間以上眠らないと頭のどこかが機能してないのをはっきり感じるし、その感覚があると何をしても楽しくなくて極めて機嫌が悪い。せっかく旅行に来ているんだから、と言って睡眠時間を削って行動することはできないし、みんなで旅行して夜中まで飲んだのに翌朝7時起きだったりすると絶望的に機嫌が悪い。

 話が大きく逸れるけれど、僕は野口整体という整体が好きだ。これは一般的なイメージの整体とは随分違っていて、誤解を前提として書けば宗教のように怪しく面白い。僕は実践しているのではなく、ただ何冊か本を読んでいいなと思っている程度だが、病気や不調を「健康」と対峙させて考えない野口整体の理論がかなり気にいっている。「風邪の効用」とかタイトルだけでも素敵だし、「多くの人は山の自然、海の自然を自然のつもりになっている。しかし人間の自然は自分の体の構造に従って、全力を尽して生くることである」とか格好いいことがそこここに書かれている。

 野口整体を作った野口晴哉という人は、子供の頃からパッと手を当てるだけで不調を治すことができたらしく、この辺の話をどう捉えるかは難しいところだけど、僕は一度だけ野口晴哉の施術を受けたという人に会ったことがある。そのおじいさんは「野口先生はもう本当にすごかった、なんや知らんけどパッとやったらパッと治るんやもん」と関西弁で嬉しそうに話してくれた。

 野口整体には「体癖」という分類があり、僕は自分は上下型1種だろうなと漠然と思っていた。"漠然と"というのは、まず野口整体の本できれいに理論を整理して書かれたものがないのと(人体は漠然としたものなのでカチッとした理論はないのかもしれない)、あと僕は実践者ではなく本を読んだことがあるだけなので、実際に体重の偏りなどを測ったことがないからだ。
 ある日、「体癖」というそのものズバリなタイトルの本を読んでいると、「上下型1種の人はとにかく睡眠時間を大事にするし、それを邪魔すると怒る」と書かれていて、僕はこれだと確信した。この一点だけで確信するのは十分だった。それくらい僕にとって睡眠は重大なものだ。
 だから時差ボケというのは本当に苦しい。翌日の昼過ぎまで僕は圧倒的な睡魔の中にいて、シアトル観光どころではなかった。クミコは僕が眠さに特別弱いことを知っているけれど、ノッキー夫妻は知らないので断っておくことにした、そうでないと僕はただの不機嫌でイヤなヤツでしかない。
 
 桟橋にある"Elliott's Oyster House"という有名なレストランをノッキー夫妻が予約してくれていた。店は大繁盛していて、ウェイターが日本のレストランの2倍くらいのスピードでてきぱき動いている。僕達のテーブルは小太りのレオナルド・ディカプリオみたいな男が担当してくれた。オイスター・ハウスというだけあって、生牡蠣だけでも40種類くらいの選択肢がある。
 食事中、シュウイチ君にシアトルで手掛けた仕事のことなどを聞いて、結構すごい仕事をしているので内心グググと刺激を受ける。ちなみにシュウイチというのは適当に付けさせてもらった偽名で、彼は誰が聞いても知っているようなクライアントと大きな仕事をしている。
 ディナーの窓から見える外はまだ早い夕方のように明るく、着飾った中学生の集団が桟橋に並んで観覧船に乗り込んで行くのがよく見えた。卒業パーティーか何かだろうと、僕達は初々しく着こなされたスーツやドレスの批評をしたりする。

 レストランを出た後、桟橋を歩いて先端で海と観覧車を望んだ。正面に夕日が僕達を照らし夜という概念が海へ溶けていく。振り返ると背後は高層ビルが平面的で艶やかなな景色を構成している。きれいな街だ。世界は美しい。

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西海岸旅行記2014夏(06):6月6日:シアトル;ターゲットでGoPhone

2014-07-22 21:48:41 | 西海岸旅行記
 グリーン・トータス・ホステルは、シアトル観光を考える上でかなりの好立地ではないかと思う。パイク・ストリート、ファースト・アベニューに建つホステルの目の前はパイク・プレイス・マーケットという活気溢れる市場で、まあなんというかスターバックスの一号店などもここにある。別に市場で何か買いたいというようなことが無くても、海と都市の間の賑やかな市場というのは気持ちのいいものだと思う。

 ホステルの入り口は少し分かり難く、入ると塗りたてのペンキの匂いがした。受付にいた2人が忙しいのかただ気が向かないだけなのか、僕達を無視して取りあわない。そういうものだと思っていたので特に腹も立たず、「すみません」としつこく言っていると、奥からタトゥーとかピアスとかがしっかり目の男が出てきて、こちらは親切に対応してくれた。奥の部屋に目をやると、スターバックスのでかいプラスチックカップがある。受付のカウンターにも2つ。つまり1人1つ。ハロー、シアトル。

 さて、チェックインを済ませた僕達が最初にしなくてはならないことは、携帯を手に入れることだった。
 僕もクミコも日本からiPhoneを持ってきているが、それらはSIMロックが掛かっているのでこっちのLTEは使えない。デザリングの出来るスマートフォンかモバイルWi-Fiと、それに挿して使えるプリペイドのSIMカードをこっちで買って、それにiPhoneをWi-Fiで繋いで使うつもりだった。
 ホステルの周りにある電気屋RadioShack、電話会社AT&T、それからアメリカの西友みたいな量販店targetを周り、結果的にはtargetでNokiaのスマートフォンLumia520とAT&TのプリペイドSIMカードを買った。AT&Tのプリペイド携帯はGoPhoneというブランド名で展開しているようで、スマートフォンにもSIMカードにもGoPhoneのロゴが付いている。Lumia520はWindowOSのスマートフォンで65ドル。SIMカードは60ドルで通話とSMS無制限、LTEで2.5ギガまでのデータが使える。旅行中にネットが繋がらないのは考えられないし、これくらいの値段なら十分にリーズナブルだ。
 人ごとであるうちは誰も彼も口を揃えて「アメリカはどこでもWi-Fi飛んでるから大丈夫だよ」というけれど、そんなわけないのを僕は知っていた(実際にそんなことなかった)。なによりiPhoneのグーグルマップをカーナビの代わりに使う予定だったし、ど田舎の延々と同じ風景が広がるような荒涼地でもWi-Fiが繋がると考えるほどお目出度くもない。LTEですら怪しいものだ。

 レジを打ってくれた店員はルー大柴がちょいワルオヤジになったような、どことなく危なっかしいおじさんだった。
「どこから来たんだ?」
 と彼はバーコードをスキャンしながら聞き、僕は日本だと答えた。
「おお、日本か。日本、いいね。東京に1回行ってみたいんだよね。だってほら、東京は東京だから、ハッハッハ。タトゥーも、日本のあれ何だっけ?日本のあれみたいなタトゥー入れたいんだよね」
「ヤクザのこと? 日本のマフィア」
「そうそう、ヤクザ、ヤクザ。ヤクザみたいなタトゥー入れたいんだ」
 まあこの人が東京へ行ってヤクザみたいな刺青を入れたいと言っても、全然驚かないしどこかものすごく納得がいくなと思いながら、僕がクレジットカードのサインを書いていると、クミコが「電話のセットアップまでやってもらえますか」とちょいワルのルー大柴に言った。
「もちろんだよ」

 が、ことはそう簡単には行かない。
 まず、ちょいワルのルー大柴はGoPhoneのパッケージを開けることができなかった。手では開けられないとなると、今度はハサミを使って開けようとするのだが、少し肉厚なのか、透明のプラスチックでできたパッケージは全然切れない。パッケージなんてどうでもいいといえばどうでもいいわけだけど、これは一応僕達が買った商品であり、それなりの丁寧さがあっても良さそうなものだ。しかし彼はなりふり構わずハサミでパッケージに襲いかかる。
 そのハサミを持つ手つきで、僕はもうルー大柴さんに任せるのはやめようと判断すべきだったのかもしれない。とはいっても彼はここのGoPhoneの係だし、パッケージが開いてしまえばさっとセットアップしてくれるだろう。
 僕はポケットからレザーマンを取り出し、ナイフブレードを開いて彼に渡した。
「ハサミじゃ無理そうだから、これ使って下さい」
「えっ!あっ、ありがとう。これ開けるの大変なんだよね、ハッハッハ」

 ナイフを持ったちょいワルのルー大柴は、ハサミの時とは比べ物にならないくらいに危なっかしい。突き刺そうとしたナイフが何度も何度もパッケージの表面を滑る。そういえば、このナイフにはロックが付いていないけれど、ルー大柴はそういうの分かってるだろうか。手どころか勢い余って自分のお腹とか、近くを通った客を切り付けてしまって大変な惨事にならないだろうか。どうして僕達はこんな危ない橋を渡っているんだ。
「もうやっぱり自分でやるので大丈夫です」と言おうとした頃、ナイフは無事にパッケージに突き刺さり、力任せでそれはやっと開いた。
「あとはもう簡単。これってこの固いパッケージ開けるのが一番難しいところだから、ハッハッハ」

 もう予想はついていたが、その後も簡単には終わらなかった。手際が良さそうだったのはSIMカードの挿入だけだ。もしかしたらルー大柴のせいではなくて、他に原因があったのかもしれない。どちらにしてもセットアップはなかなか終わらず、当のルーもややイライラして見えた。店の中がすこし混んできたのもあって、僕は「忙しいと思うから、あとはもう自分でできると思うし大丈夫です、ありがとう」とNokiaを返してもらった。
「そうか、うん、あとはもう簡単だから、じゃあな」

 時計はそろそろ6時前を指していた。僕達は6時にノッキー夫妻とホステルの前で待ち合わせている。

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西海岸旅行記2014夏(05):6月6日:シアトル都市部到着

2014-07-19 20:08:37 | 西海岸旅行記
 アメリカの第一印象は「人がいない」というものだった。この印象も、旅行を通じて変わらなかった。入国審査を出て、キャリーバッグを受け取り歩き始めると、すぐに人が少ないと思う。まだ日差しの強い真っ昼間の1時なのに、大きな空港の中も人が少なくてガランとしているし、外に出ると大きな立体駐車場に大きな車がたくさん留まっている割りに、やっぱり歩いている人が全然いない。

 人口密度を都市単位ではなく、国単位で見るのは多少乱暴かもしれないけれど、ざっと国単位では日本とアメリカの人口密度は10倍も違う。2013年のデータでは、日本の人口密度は世界19位で1平方キロメートル当たり337人、アメリカは138位で32人。さらにアメリカは車社会で人々は車に乗って移動するので、外で人に会うことが少ないと感じるのは当然なのだろう。

 僕はこれまでに韓国、香港、中国にしか行ったことがなくて、韓国の人口密度は日本より高い世界10位の1平方キロメートル当たり504人、香港はいうまでもない世界2位の高人口密度で6562人、中国は52位だが都市部にしか行っていないので人はたくさんいた。アメリカみたいに人口密度の低い国を訪ねるのははじめてで、すっきりしていて良いんじゃないかと思っていたら、かなり寂しい。

「アメリカで電車に乗るなんて、なんか新鮮、アメリカっぽくない」
 空港からレンタカーセンターを越えてすぐの駅で切符を買いながらクミコが言った。ここからユニバーシティ・ストリート駅まで30分程度電車に乗る。券売機の表記も時刻表も路線図も何もかもが分かりにくい。標識や説明図の類が分かりにくいというのは、この他にも色々あった。僕が日本の過剰なサイン計画に慣れ親しんでいるせいでも、コンタクトを入れても視力が1.0ないせいでもあるのだろうけれど、アメリカのサインは小さくて分かりにくい。少し前に話題になっていた、佐藤可士和がデザインしたセブンイレブンのコーヒー販売機の話を思い出す。シンプルな英語だけの表示が分かりにくくて、各店舗がそれぞれテプラなどを貼って対応しているということだ。聞いてはいたけれど、トイレのサインも男女で色分けがされていたりしない。両方とも黒なら黒で、例の男女ピクトグラムが付いている。

 車窓から眺める風景は、ただ車や建物の形が少し違うだけで、日本の中途半端な田舎の国道沿いとそんなに変わらない。庭にガラクタが散乱した家や廃業した何かの小さな事務所、やってるんだか潰れたんだかよく分からない飲食店が断続的に並んでいる。線路に並行して走る道路を走る自動車も、心なしかくたびれて埃っぽいように見えた。
 電車は最初ガラガラだった。シアトル都市部に近づくに連れて乗客の数も増え、それに比例して街並みの都市度も増加していく。畑や空き地がちらほらする田舎から、ペラペラであれど小奇麗な建売住宅の並ぶ郊外へ。郊外から高層建築物の並ぶ都市部へ。
 都市部に入るとシアトル・マリナーズの本拠地「セーフコ・フィールド」が見えて、シアトルに来たのだなとぼんやり思う。僕はほとんど野球に興味がないけれど、それでもイチローがマリナーズで活躍していたことは印象的で、今でもやっぱりシアトルといえばマリナーズを連想する。

 シアトルに来たのは、マリナーズを見るためでもスペースニードルを見るためでもない。昔見ていた「グレイズ・アナトミー」というシアトルが舞台のドラマがあるのだけど、その撮影も別にシアトルで行なわれていたのではないし、ロケ地巡りのようなミーハーなこともできない。その他シアトルに何があるのかはまったく知らなかった。ただ雨が多い街らしいということだけ知っていた。
 僕達がシアトルに来たのは、シアトルに友達が住んでいたからだ。友達とは言っても、もともとクミコの友達で僕は一度しか会ったことがない。それも酔っ払って挨拶を交わした程度。彼女はノッキーという名前でつい1年前まで京都に住んでいた。もう長い間付き合っている彼氏がシアトルで建築家をしていて、結婚を機にシアトルに移り住んだのだ。 その彼氏というか夫になった建築家はシュウイチ君という名前で、大学院からはアメリカだけど、学部は僕とクミコと同じ京都の大学だったらしい。三人共、学生時代は顔を合わせたことのない赤の他人だった。他人が知り合うと他人でなくなるというのは不思議なことだなといつも思う。
 2人とはシアトルに着いてすぐの夕方に待ち合わせていた。
 
 ユニバーシティ・ストリート駅で電車を下り、短い地下道を抜けてセカンド・アベニューで地上に出る。近代的な都市の向こう、大きな通りから坂を見下ろしたすぐ眼と鼻の先に、昼下がりの太陽で光る静かな海が見えていた。このブロックの向こう側はシアトル美術館で、僕達が泊まるグリーン・トータス・ホステルはその隣のブロックにあった。

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西海岸旅行記2014夏(04):6月6日:シアトル、タコマ富士とアメリカの匂い

2014-07-16 17:00:20 | 西海岸旅行記
 富士が見える、と思った。2度目の機内食のあと、僕はいつの間にか眠っていて、「そろそろ着くよ」と起こされた時には既に北米大陸の上を飛んでいた。窓の外、遠くに見える富士山のような山はレーニア山という4392メートルの山だった。昔、「富士山が有名なのは日本で一番高いからというだけではなく、独立峰として他にはない珍しい形をしているから」という話をまことしやかに聞いたことがあるけれど、別にここにも似たような形の山があるじゃないか、と思う。実際にレーニア山は、周辺に移住して来た日系人に「タコマ富士」と呼ばれていたという。富士山ほど滑らかではないし、違うと云えば違う形だけど、似たような山はこのあと何度か目撃した。

 空港が近づき、飛行機が高度を下げる。眼下にシアトルの郊外が広がり、それは僕がはじめて目にする現実のアメリカだった。アジアの国々とは違う、いかにも西洋といった風情で整然とした低密度で住宅が並んでいる。このとき心の片隅に起こった、微かな寂しさのような感情は、良いも悪いもなしに今回の旅の根底を伏流するものになった。静かに地面へ潜り込んだ流れの出口には、近代の崩壊と隈研吾という建築家が待っていたのだが、それはまだまだ先の話だ。

 飛行機を降りるとアメリカの匂いがした。
 正確に言うと、これがアメリカの匂いなのだろうという匂いがした。村上龍の「ヒュウガ・ウィルス」という作品には"アメリカ合衆国の匂い"という表現が出てくる。

 """それは取材で長く外国にいるコウリーにしかわからないアメリカ合衆国の匂いだ。アフリカや中東や南米での長期の取材を終えて、アトランタに戻るとそこら中に立ち込めている匂い。ハンバーガーのケチャップとマスタードの匂い、ポップコーンのバターの匂い、プリッツェルの匂い、高校生のオールドスパイスの匂い、チューインガムの匂い、パーコレーターから漂うコーヒーの匂い。そういう匂いを発して死体は目を大きく開けたまま横たわっていた。わたしはアメリカ人なのだ。多勢のアメリカ人が目の前で死んでいくのを仕事のために黙って見ているわけにはいかない。"""
 (村上龍『ヒュウガ・ウィルス』)

 空港でしたこの匂いが果たして"アメリカ合衆国の匂い"なのかどうかは分からないが、あとでターゲットというアメリカの西友みたいな店のエレベーターに乗った時にも似たような匂いがして、UCLAに通っていたクミコが「アメリカの匂いがする!」と言ったので、たぶん空港で嗅いだのもアメリカの匂いだったのだと思う。
 やっとアメリカに着いた。
 いや、まだか。まだ入国審査を通過していない。

 「アメリカ国籍の人、永住権のある人はこっち、それ以外はあっち」
 アジア系の髪をポニーテールにした女の子が通路に立って、ぶっきらぼうに案内をしている。
 入国審査の列に並んでいる間、アメリカの入国審査は特に横柄に見えると思っていた。「どうだ、世界一豊かなこの国へ入りたいか。世界のディズニーランドに」とでも言うかの如く。様々な国籍、人種の人間が長時間のフライトで疲れた顔をして並んでいる。まるで食品に回しても大丈夫かどうか疫病のチェックをされている家畜の様だと思う。まったく国境というやつは。英語の全く話せない中国人らしきおじさんに手を焼いた審査官が、さっきのぶっきらぼうな女の子を呼び、彼女が通訳をはじめた。
 僕の審査官は結構気さくなエジソンに似たおじさんだ。
 「アメリカのどこへ行くの?」
 「シアトルとポートランドとサンフランシスコとロサンゼルス」
 「ポートランド? ポートランドへ何しに行く」
 「日本でポートランドが話題なんです。再開発が成功したクリエイティブ・シティだって。ちょっと見てみようと思って」
 写真と指紋を取られた後、ゲートを抜けた。つまり、完全にようやく本当にアメリカへやって来た。ワォ、僕はアメリカへやってきた!

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西海岸旅行記2014夏(03):6月6日:出発

2014-07-11 23:32:57 | 西海岸旅行記
 起きるとまだ6時半で、窓の外は曇天だった。薄い雨が降っているかもしれない。クミコはまだ眠っている。昨日、仕事から帰ってきて、遅くまでパッキングをしていたのだろう。既にパッキングを終えていた僕は先に寝てしまった。僕の荷物は普段使っている25リットルのバックパック1つだけだ。BURTONの「DUCT LINE」というシルバーのスケートバッグで、ホルダーにスケートボードを付けて行こうか随分迷ってやめた。飛行機に乗るとき面倒かもしれないし、一人旅ではないのでスケボーに乗って移動する機会も少ないだろう。

 2週間の海外旅行に25リットルの鞄1つは少ないのかもしれないけれど、僕はバックパック以外の荷物を持つのが大嫌いだし、ウルトラライト・パッキングの精神が大好きなので、これ1つに収めることは決めていた。考えてみると普段持ち歩いている物の他に、特別持って行くものはだいたい着替えと洗面道具だけで、夏の服装はほとんどTシャツで事足りるから大してかさ張るものでもない。

 具体的には、旅行用に加えた荷物は以下のようになる。
 そんなの書き出してどうするんだという話だけど、僕は子供の時ジュール・ヴェルヌの「地底探検」を読んで、最初の方に書かれていた持ち物リストで一番ワクワクしたので、それに倣いたい。

 レンジャーロールにしたTシャツ5枚、コットンのショートパンツ1枚、水陸両用のサーフパンツ2枚、ナイロンジャケット1枚、パンツ5枚、靴下6セット、タオル2枚、ビーチサンダル、洗面道具のポーチ、10メートルの細いロープ、7800mAhのANKERモバイルバッテリー、飛行機用の枕、LIGHT MY FIREのスポーク2本、ポンチョ、SOLの超小型エマージェンシー寝袋Bivvy。

 これにいつも持ち歩いているラップトップやKindle paperwhite、ペンとノート、iPhone、LEATHERMANのツールセットSQURTps4、snowpeakのヘッドライトゆきほたる、軍手など細々した物を合わせれば、多少のことでは不自由しない。そもそも僕達は物に溢れかえった大量消費社会のシンボルみたいな国へ行くのだ。クレジットカードが一枚あれば大抵の問題は解決される国へ。

 クミコが起きたのは7時半だった。僕達のフライトは12時50分のアシアナ航空。関西国際空港までは、家から2時間の距離なので7時半に起きれば十分間に合う。僕が6時半に起きたのはもしかしたら心のどこかが高ぶっていた為かもしれない。でも、自覚としては朝起きてもアメリカへ行くのだという感じは全くしなかった。それはただの早い夏の、早い朝だった。

 僕達はシアトルからアメリカに入るつもりだった。
 京都駅から関空特急「はるか」に乗って関空まで行き、仁川国際空港で乗り継いでシアトル・タコマ国際空港という経路だ。
 その後はAmtrakの電車でポートランドへ行き、またAmtrakでシアトルへ戻ってタコマからサンフランシスコまでフライト。
 サンフランシスコ国際空港のAVISでレンタカーを借りて、そのまま10日間ほど車でウロウロした後ロサンゼルス国際空港で車を乗り捨て、仁川経由で関空へ戻る。
 シアトル、ポートランド、サンフランシスコ、ロサンゼルスへ行くのにはそれぞれ理由があるのだが、それについてはおいおい書くことにしたい。

 雨はほんの微かで、駅までは歩いて10分程度。歩いて行くこともできたが、先も長いのでタクシーで京都駅まで移動した。クミコはWILD THINGSの小振りなナップサックの他に、NORTH FACEの黒いキャリーバッグも持っている。運転手がタクシーのトランクから降ろしてくれたキャリーバッグに僕が手を掛けると、「いいよ、嫌でしょ、持つの」とクミコは言った。でもまあ、渋々でもなんでも協力するにはするさ、もちろん。
 灰色の空を背景にした京都タワーをチラリを見上げ、しばらく京都とはお別れだなと思う。キャリーバッグを引いて中央口から駅に入り、ドーナツとコーヒーを買って「はるか」に乗った。コーヒーは変な味で、僕は一口しか飲まずに捨ててしまった。「はるか」は特急という割には遅いし、線路もいつも大阪とか神戸へ行くときと同じ所を通るので、やっぱりアメリカへ行く気がしない。神戸まで買い物にでも行くような気分がする。
 「神戸へ行くんじゃないんだ」という気持ちになるのは、電車が大阪湾に差し掛かり、海に掛かった橋を渡りはじめる頃だ。橋の向こう側は関西国際空港。そうだ、僕達はアメリカへ行くのだ。

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西海岸旅行記2014夏(02):いまさら憧れのアメリカ

2014-07-10 21:29:45 | 西海岸旅行記
 こんな風に書くとまるっきり古臭いのだけど、アメリカという国に子供の頃から憧れていた。僕は1979年生まれで、子供時代というのは随分昔の話だから、2014年の今となっては古臭くて当然なのかもしれない。子供の頃テレビでは「ナイトライダー」が地上波のゴールデンタイムで放送されていて、NHKでは「アルフ」が所ジョージの吹き替えで放映されていた。日曜洋画劇場でハリウッド映画を見るのはドキドキする至福の時間だった。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見て、翌日スケートボードを買って貰った。「グーニーズ」を見て"冒険"に出掛けた。ビデオに録画した「スタンド・バイ・ミー」はセリフを覚えてしまうくらい何度も見た。
 世界とはアメリカのことだった。

 憧れとしてのアメリカ合衆国は、年齢を重ねると共に崩壊し、20代の僕は世界中を力でねじ伏せ富を慾るこの国のことを軽蔑するようになっていった。ハリウッドの映画は馬鹿が見るものだと嘲笑し、ヌーベルバーグのフランス映画を見て何か本当らしいものに一歩近付いたような気分になっていた。
「アメリカには歴史がないよ、つまり文化がない」
 アメリカという国は、過去へ消え去りつつあった。実際に出会う人々もヨーロッパやアジアからやって来た人が多かったし、友人達が留学やビジネスで飛んで行く先もドイツやフランスが多かった。
 やっぱりアメリカはもう終わったんだ。
 アイスクリームとハンバーガーの食べ過ぎでブクブク太った人達の情緒なき荒廃した大陸。大量消費社会の成れの果て。病気になっても怪我をしても大金がなきゃ死ぬしかない国。

 アメリカへの憧憬が蘇ってきたのは30歳になってからだろうか。特にきっかけのようなものは思い出せない。気付いたらやっぱり僕はアメリカが好きだなと思うようになっていた。なんだかんだアメリカのドラマは結構見ているせいかもしれない。
 そして、2013年11月17日、「アメリカに本当に住もう。それを視野に入れて動こう」と思った。僕はもう34歳になっていた。
 子供の頃、自分は大人になったらアメリカに住んでいるのだろう、アメリカの大学で研究しているだろうと自然に思っていたけれど、34歳になっても僕は京都に住んでいて、アメリカには足を踏み入れたことすらなかった。ついでに云えば博士課程も途中でやめてしまったので、Ph.Dすら持っていない。それが現実であり、その現実は振り返ってみれば極々当然の納得する他ないものだ。僕は実は一度も本気になって「アメリカの大学で研究する」ということを考えて動いたことがなかったし、自分が本気で考えていないということにも、長い間気付かなかった。

 僕は単に全てが自然に起こると思っていたのだ。
 告白してしまうと、自分は祝福された人間であり全ては勝手に思い通りになると思っていた。僕はそういう子供だった。自分は天才だから努力はいらないと思っていた。
 これは二重に間違っている。
 第一に、残念ながら僕は天才ではない。本をパラっと読んだだけで新しい数学的手法がマスターできたりはしないし、英語だって随分長い間使っているけれど、なかなか上達しない。
 第二に、天才に努力が必要ないとは限らない。

 こうして健康に、恵まれた環境で生き延びていることを、祝福されていると言っても構わないとは思う。けれど、全てが勝手に思い通りになるというのは、放っておいても自分だけは成功すると思うのは、「自分だけは交通事故に合わない」と人々が思い込むのと同種の幻想だ。
 僕はこの幻想を長い間抱いていた。それも自転車で一度、バイクで二度の事故を経験するまで。3回事故を経験して、やっと気づくというのは天才どころか随分なバカ、マヌケの類だと言わざるを得ない。
 交通事故のようにあからさまではないものの、注意して見てみれば人生にも大小様々なサインが出ていた。それらは失敗とか敗北とか後悔とか呼ばれるものだ。運転の仕方を改めなくてはならない。カーブを曲がり損ねてガードレールの外側へ放り出される前に。
 注意深く、意識的に。
 幸いにも、僕はまだ生き延びていて、しかも健康で、若さも残っている。ギリギリかもしれないけれど、まだいくつかの可能性を吟味して試すことはできる。もしもアメリカに住みたいのであれば、意識的にそのように行動した方がいい。それも今すぐに。どれだけ注意深く安全運転をしていても、ガソリンはやがて尽きるのだ。「いつか」は「いつか」である限り永遠に「今」へはやって来ない。とりあえずアメリカを見に行こう。幻想でしか知らない大国の姿を確かめよう。
 そうして、僕はようやく、アメリカへ行くことを決めた。
 本当にようやく。

西海岸旅行記2014夏(01):前書き

2014-07-09 19:19:08 | 西海岸旅行記
 この短い旅の記録をどういう軸でまとめようか、随分と考えた。アメリカと日本の対比。旅行中にシンクロしてきたスティーブン・キングの小説。個人的なアメリカに対する想い。文化の異なり強さと韓国。大量消費社会の病理。コミュニティのサイズ。社会設計とヒューマンスケール。日本で話題になっているポートランドという街について。
 「ああ、そういうことなのかもな」と旅行中に何度か、色々な切り口が頭に浮かんだ。全てを章に分けて、1つ1つ丁寧に書いていこうかとも思ったけれど、それではあまりに分析的で読み物として(あるいは書物として)面白くないものになりそうだったので、結局は時間軸に沿った旅行記を書こうと思う。

 この前書きを、僕はトランスファーの仁川国際空港で書いている。まだ朝の6時半で人はそんなにいない。ロサンゼルスから12時間飛んできて、ここで4時間待ったら、次は関西国際空港まで1時間のフライトだ。日本に帰ったら、関西国際空港から関空特急はるかで京都まで2時間弱。旅はそろそろ終わる。この旅は。人生を旅に喩えるのはあまりに陳腐だが、実際に人生は旅なので、ここではその喩えを使おう。この旅はそろそろ終わるが、僕の旅はまだまだ終わらない。今回の旅行について文章を書くことも、僕の旅の一部である。
 それでは、時間軸を過去へ遡ろう。
 今回の旅がはじまる前へ。
 旅はこれからだ。