まずは昨日の続きから。
どんな豪華なスタッフやキャストを揃えても、メッセージの送り手の「思想」がしっかりとしたものでなければ(すなわちこの部分が「センス」です)、結局“借りてきた衣装”に過ぎず、ブランドを構築したり明確なメッセージを伝えたりすることはできないというお話でした。
例えて言うなら、どんな高級ブランドの素晴らしい衣装も、自分のファッションとしての着こなしができなければ、“ブランドが歩いている”状態の実に田舎臭いかっこわるい出で立ちになってしまいますよね。要は、それと同じこと。昨日の、「ルイ・ヴィトン」は自社の明確なポリシーに裏打されたメッセージがるがゆえに、強烈な個性のキース・リチャーズさえも、きっちりと自社ブランドのイメージに取り込んで、実に「センス」のよい広告展開ができた訳です。
今日は先の“ブランドが歩いている”とは逆のお話。
何の変哲もないことやモノも「センス」ひとつで光ると言う例で、みうらじゅんという人にまつわる話です。
彼は、マンガ家から派生しミュージシャン、ライターなどをも手がけるサブカルチャーの旗手(というとやけにかっこいいイメージですが、見かけは全然違います)。本人曰くの職業は「イラストレーター他」。これまでも、本業のマンガの他にも、みうらが撮影した写真にいとうせいこうが突っ込みを入れるという「ザ・スライドショー」が人気を呼んだり、趣味が昂じてボブ・ディラン公認ベスト盤の選曲&ジャケット画を担当したり、「マイ・ブーム」という言葉の生みの親であったり(1997年に新語・流行語大賞で表彰)と、活動範囲はかなり幅広いです。
最近またまた抜群の「センス」を見せた企画が「勝手に観光協会」。イラストレーター安齋肇と結成した、日本各県を盛り上げるべく運動を続ける自称「大きなお世話」ユニット。勝手に日本各地を視察し、勝手に観光ポスターやご当地マスコット、ご当地ソングをつくっている。ご当地ソングの制作は泊まった旅館の部屋内で録音し、「リョカ録」なる新語をも生んでいる。
その活動は、雑誌連載、ラジオ、テレビなど、多角的でメディアミックスを実現し、さらに同ユニットの活動から、DVDやCDアルバムも発売しています。「観光」というごくごく日常的な古くからの行為をオリジナルでアレンジ。独自の切口で各県を勝手に紹介し、自身のビジネスにしてしまうという「センス」には、ただただ脱帽するのみです。
さらに白眉なのがご当地ソングの質の高さ。どれもこれも音楽ファンなら思わずニヤリとさせられる洋楽・邦楽の懐かしパロディを、小型ギターとオカリナだけで、それと分かる作りこみをするという離れ技です。例えば、「ガッタ山形」ではチェイスをイメージした口ペットの“ブラス・ロック”を、ジェスロ・タル的オカリナソロが不気味な「やるね埼玉」等々、かなりコアな洋楽ファンも唸らせる出来です。
この、みうらじゅんのセンスはどこから来ているのか、と思い経歴を調べてみれば、ウィキペディアに「在学中から、友人が糸井重里の事務所でバイトしていたため、特に何をするでもなく入り浸り、糸井が「ただでイラストを仕上げる奴がいる」と紹介し、カットの仕事をもらっていた」「86年に糸井重里を「相談」役にすえた漫画『見ぐるしいほど愛されたい』で、現在のスタイルを確立」との記載。なるほど、天才的「センス」の持ち主糸井重里氏の下で育つという幸運もあった訳ですね。ただ、糸井事務所に「何をするでもなく入り浸り」という行為の「センス」の良さは、ある意味糸井氏以上の“素質”を感じずにはいられません。“やるね、じゅんちゃん”。
しかし、同じギターを抱えた絵でありながら、当ブログの昨日と今日の写真の違いは何だ!それでも共に「センス」はいい訳で、「センス」には人類の人数分のやり方があるのです。「思想」ですからね。「思想」のないところに「センス」なしです。
★コメント欄に「勝手に観光協会」の“ライブ”リンクを入れておきますので、ぜひご覧ください。すごいですよ。
どんな豪華なスタッフやキャストを揃えても、メッセージの送り手の「思想」がしっかりとしたものでなければ(すなわちこの部分が「センス」です)、結局“借りてきた衣装”に過ぎず、ブランドを構築したり明確なメッセージを伝えたりすることはできないというお話でした。
例えて言うなら、どんな高級ブランドの素晴らしい衣装も、自分のファッションとしての着こなしができなければ、“ブランドが歩いている”状態の実に田舎臭いかっこわるい出で立ちになってしまいますよね。要は、それと同じこと。昨日の、「ルイ・ヴィトン」は自社の明確なポリシーに裏打されたメッセージがるがゆえに、強烈な個性のキース・リチャーズさえも、きっちりと自社ブランドのイメージに取り込んで、実に「センス」のよい広告展開ができた訳です。
今日は先の“ブランドが歩いている”とは逆のお話。
何の変哲もないことやモノも「センス」ひとつで光ると言う例で、みうらじゅんという人にまつわる話です。
彼は、マンガ家から派生しミュージシャン、ライターなどをも手がけるサブカルチャーの旗手(というとやけにかっこいいイメージですが、見かけは全然違います)。本人曰くの職業は「イラストレーター他」。これまでも、本業のマンガの他にも、みうらが撮影した写真にいとうせいこうが突っ込みを入れるという「ザ・スライドショー」が人気を呼んだり、趣味が昂じてボブ・ディラン公認ベスト盤の選曲&ジャケット画を担当したり、「マイ・ブーム」という言葉の生みの親であったり(1997年に新語・流行語大賞で表彰)と、活動範囲はかなり幅広いです。
最近またまた抜群の「センス」を見せた企画が「勝手に観光協会」。イラストレーター安齋肇と結成した、日本各県を盛り上げるべく運動を続ける自称「大きなお世話」ユニット。勝手に日本各地を視察し、勝手に観光ポスターやご当地マスコット、ご当地ソングをつくっている。ご当地ソングの制作は泊まった旅館の部屋内で録音し、「リョカ録」なる新語をも生んでいる。
その活動は、雑誌連載、ラジオ、テレビなど、多角的でメディアミックスを実現し、さらに同ユニットの活動から、DVDやCDアルバムも発売しています。「観光」というごくごく日常的な古くからの行為をオリジナルでアレンジ。独自の切口で各県を勝手に紹介し、自身のビジネスにしてしまうという「センス」には、ただただ脱帽するのみです。
さらに白眉なのがご当地ソングの質の高さ。どれもこれも音楽ファンなら思わずニヤリとさせられる洋楽・邦楽の懐かしパロディを、小型ギターとオカリナだけで、それと分かる作りこみをするという離れ技です。例えば、「ガッタ山形」ではチェイスをイメージした口ペットの“ブラス・ロック”を、ジェスロ・タル的オカリナソロが不気味な「やるね埼玉」等々、かなりコアな洋楽ファンも唸らせる出来です。
この、みうらじゅんのセンスはどこから来ているのか、と思い経歴を調べてみれば、ウィキペディアに「在学中から、友人が糸井重里の事務所でバイトしていたため、特に何をするでもなく入り浸り、糸井が「ただでイラストを仕上げる奴がいる」と紹介し、カットの仕事をもらっていた」「86年に糸井重里を「相談」役にすえた漫画『見ぐるしいほど愛されたい』で、現在のスタイルを確立」との記載。なるほど、天才的「センス」の持ち主糸井重里氏の下で育つという幸運もあった訳ですね。ただ、糸井事務所に「何をするでもなく入り浸り」という行為の「センス」の良さは、ある意味糸井氏以上の“素質”を感じずにはいられません。“やるね、じゅんちゃん”。
しかし、同じギターを抱えた絵でありながら、当ブログの昨日と今日の写真の違いは何だ!それでも共に「センス」はいい訳で、「センス」には人類の人数分のやり方があるのです。「思想」ですからね。「思想」のないところに「センス」なしです。
★コメント欄に「勝手に観光協会」の“ライブ”リンクを入れておきますので、ぜひご覧ください。すごいですよ。