ベネッセの個人情報漏えい事件で時の人となっていた、原田泳幸同社会長兼社長。今度は古巣の日本マクドナルドで事件発生です。腐敗肉を混入させていたという中国の食肉工場から、チキンナゲット用の肉を仕入れていたことが明らかになりました。昨日今日取引を始めた相手ではなさそうですから、原田氏の時代からの付き合いではあるのでしょう。
食の安全が叫ばれて久しい昨今ではありますが、マクドナルドは子供たち向けのキャンペーンを積極的に展開してファミリー層の取り込みに注力していただけに、子供を持つ親たちを中心としてその注目度は特に高いようです。
結論から申し上げると、コストと安全リスクのトレードオフ関係に尽きる話であると言ってしまえる事件なのですが、安全性を危うくするようなコストダウン戦略は見直しを迫られること必至なのではないかと思うところです。
原田氏はアップルコンピュータの日本代表から日本マクドナルドへ転じた、いわば典型的アメリカンスタイルの経営者です。すなわち、コストダウンや価格戦略を重視する経営スタイルがその本質であります。
日本企業はバブル崩壊後のデフレ不況に移行する過程において、原田氏だけでなく日本企業の多くは、様々な面でアメリカ的な合理性、効率化などを重視した制度やオペレーション・システムを導入しました。しかしそれがうまくいったのかと言えば、一時的な組織浮上の助けにはなったものの、長期的には必ずしも日本人気質に合ったものとは言い難く、見直しを迫られた例も数多く確認することができます。
例えば人事制度において、90年代後半にトレンドとなったアメリカ的成果主義の導入は、年功制を代表とする日本的な情緒的人事制度を打破する合理的人事システムとして一時期もてはやされたものの、数年後にはそのままの運用ではやはり日本的な労働環境にはしっくりこない面もあると、多くの企業で見直しを迫られました。
製造現場においてもこの時期、人件費の安い発展途上国での製造、加工の流れは従来以上の進展を見せ、国内においては産業の空洞化が叫ばれもした訳なのです。しかし日本人消費者にとっての本当に重要な問題は、産業の空洞化以上にコストダウンや価格戦略を重視する経営スタイルが及ぼす安全性を含めた品質とのトレードオフであったはずなのですが、これまであまり注目されてきませんでした。
特に食の安全性欠如の問題は神経質な日本人気質にとっては許しがたいことでありながら、販売者が知名度の高い日本企業ある限りその陰に隠れて見えてこなかったという盲点があったのかもしれません。マクドナルドの価格戦略はある意味、そのブランド力によってコストダウン・リスクの存在を意識させないという一種の催眠戦術でもあったのです。
実際には、「安かろう悪かろう」は至極当たり前のこと。適正な範囲での無駄の排除はコストを下げるのですが、価格戦略重視を前面に掲げることによる行き過ぎたコストダウンは「悪かろう」を招きかねず、それが食に関わるものであるなら当然安全性を疑ってかかる必要があるということを、今回の一件は改めて我々の前に指し示してくれたのだと思います。
この問題一つをとって、原田泳幸的アメリカンスタイル経営の限界であるとまで言ってしまうのは暴論であるでしょうからそれは差し控えますが、ベネッセの一件でもそのアメリカンスタイルの経営姿勢にちょっと気になることがあったので触れておきます。
原田氏は情報漏えい事件の容疑者逮捕の報を受けた会見の席上で、当初はしないと言っていた被害者へのお詫びとして200億円の予算を計上して受講料減免やおわび品の配布をおこなうと発表しました。事件の全容解明、再発防止策も全くなされていない段階で、騒ぎが大きいと見るや、とにかく金銭的な対策で幕引きをはかりたいという意図がうかがえるかのようなこの施策発表。個人的には、やはり「何事もカネで解決する」という経営姿勢の表れではないのかと感じたものです。
「何事もカネで解決する」のが「100円マック」に代表される価格戦略一辺倒の日本マクドナルド時代の原田流アメリカンスタイル経営であり、そのコストダウンのツケが今回の腐敗肉加工工場からの仕入れをおこなわせてしまったのではなかったのか。そう考えると、新天地ベネッセにおいて果たしてその原田流がうまく機能するのか否か、会見での原田氏の対応を見る限りにおいては、不安な要素の方が圧倒的に多いように思えてならないのです。
最後に原田氏がベネッセのトップに就任した際に、コンサルタントの大前健一氏が彼を評したコメントを転載させていただきます。納得のコメントです。
「進研ゼミなどの教育事業や老人介護事業などを展開しているベネッセは、確固とした企業理念と人間的な温もりが必要な会社だ。それに対して原田氏は、コストダウンや価格戦略を重視するアメリカ型の経営者であり、日本マクドナルド創業者の藤田田氏が亡くなった時に社葬どこ ろか会社として偲ぶ会さえ営まなかった人物だ。そういう合理的思考の経営者がベネッセの適切な舵取りと変革を担うのは極めて難しいだろう」(大前健一氏談週刊ポスト2014年5月2日号)