赤渋町
表示
赤渋町 | |
---|---|
北緯34度55分49.84秒 東経137度8分12.51秒 / 北緯34.9305111度 東経137.1368083度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 岡崎市 |
地区 | 六ツ美地区 |
人口 | |
• 合計 | 5,152人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
444-0241[2] |
市外局番 | 0564(岡崎MA)[3] |
ナンバープレート | 岡崎 |
赤渋町(あかしぶちょう)は、愛知県岡崎市の町名。18の小字が存在する。
地理
[編集]岡崎市南西部に位置し、東は天白町・法性寺町・牧御堂町、西は中之郷町、南は土井町、北は渡町に接する[5]。
河川
[編集]小字
[編集]- 圦ノ口(いりのぐち)
- 落(おち)
- 上池(かみいけ)
- 上河原(かみかわら)
- 上郷中(かみごうなか)
- 北浦(きたうら)
- 蔵西(くらにし)
- 下池(しもいけ)
- 下河原(しもかわら)
- 下郷中(しもごうちゅう)
- 千反原(せんだはら)
- 袖広(そでひろ)
- 田中(たなか)
- 寺前(てらまえ)
- 道本(どうほん)
- 西河原(にしかわら)
- 野中(のなか)
- 本屋敷(ほんやしき)
世帯数と人口
[編集]2021年(令和元年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
赤渋町 | 2,124世帯 | 5,152人 |
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校普通科 |
---|---|---|---|
全域 | 岡崎市立六ツ美西部小学校 | 岡崎市立六ツ美北中学校 | 三河学区 |
歴史
[編集]碧海郡赤渋村を前身とする。
町名の由来
[編集]田地の大部分が鉄気を帯びて赤色であったことによるとされる[7]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行・合併に伴い、碧海郡糟海村大字赤渋となる[8]。
- 1906年(明治39年)5月1日 - 合併に伴い、六ツ美村大字赤渋となる[9]。
- 1958年(昭和33年)10月15日 - 町制施行に伴い、六ツ美町大字赤渋となる[9]。
- 1962年(昭和37年)10月15日 - 岡崎市へ編入し、同市赤渋町となる[9]。
施設
[編集]- 岡崎市立六ツ美西部小学校
- 岡崎市六ツ美西部学区市民ホーム
- 岡崎市六ツ美西部学区こどもの家
- オカザキ製パン本社工場
- 松林寺
- 御鍬神社
その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “支所・町別人口・世帯集計表(各月1日現在)”. 岡崎市(統計ポータルサイト) (2021年4月1日). 2021年4月30日閲覧。
- ^ a b “郵便番号検索 愛知県岡崎市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2021年5月1日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年5月19日閲覧。
- ^ “愛知県岡崎市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年5月19日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1623.
- ^ “岡崎市立小中学校通学区域”. 岡崎市 (2020年10月8日). 2021年5月1日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 75.
- ^ 新編岡崎市史編さん委員会 1993, p. 650.
- ^ a b c 新編岡崎市史編さん委員会 1993, p. 651.
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年5月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 新編岡崎市史編さん委員会 編『新編岡崎市史 総集編 20』1993年。
関連項目
[編集]渡町 | ||||
中之郷町 | 天白町・法性寺町・牧御堂町 | |||
赤渋町 | ||||
土井町 |