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海田市駐屯地

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海田市駐屯地
駐屯地正門
駐屯地正門
位置
地図
所在地 広島県安芸郡海田町寿町2-1(大代表)
座標 北緯34度21分30秒 東経132度31分54秒 / 北緯34.35833度 東経132.53167度 / 34.35833; 132.53167
概要
駐屯地司令 第13旅団副旅団長 兼務
主要部隊 第13旅団司令部
第46普通科連隊
第47普通科連隊ほか

開設年 1950年
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海田市駐屯地(かいたいちちゅうとんち、JGSDF Camp Kaitaichi)は、広島県安芸郡海田町寿町2-1・広島市安芸区矢野に所在し、第13旅団司令部等が駐屯する陸上自衛隊駐屯地

概要

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最寄の演習場は、原村演習場駐屯地司令は、第13旅団副旅団長が兼務。

1956年(昭和31年)9月30日、海田市町と東海田町の両町が合併し海田町が発足、海田市町は無くなったが駐屯地及びJR駅名にはそのまま海田市の名が残っている[1]。毎年3月には桜まつりが開催され、一般開放されている。また毎年11月には、第13旅団の創立記念と海田市駐屯地創設記念を兼ねて、模擬訓練の展示が実施される。

沿革

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日本陸軍

連合軍

  • 1945年(昭和20年):連合国軍により接収。アメリカ軍第6軍第10軍団第41師団のうち3500人が進駐[3]
  • 1946年(昭和21年):アメリカ軍に代りイギリス連邦占領軍により使用[4]
  • 1950年(昭和25年)1月:イギリス連邦占領軍による接収解除。
  • 1951年(昭和26年)10月:イギリス連邦軍が一部を再接収。
  • 1955年(昭和30年)8月25日:イギリス連邦軍から日本へ返還[5]

警察予備隊海田市駐屯地

  • 1950年(昭和25年)10月14日:福岡管区警察学校に入校していた隊員1000名を収容して警察予備隊海田市部隊の駐屯する警察予備隊の駐屯地として海田市駐屯地が開設[1]。海田市訓練所の入隊式を実施[4]
  • 1951年(昭和26年)5月1日:第3管区隊第8連隊編成により、第2大隊が駐屯。

保安隊海田市駐屯地

  • 1952年(昭和27年)10月15日:保安隊海田市部隊として発足[6]
  • 1953年(昭和28年):
    • 時期不明:第33会計隊第2分遣隊が新編[7]
    • 9月1日:海田市駐屯地業務隊が編成完結。
    • 10月10日:第33会計隊第2分遣隊が出雲駐屯地へ移駐。

陸上自衛隊海田市駐屯地

  • 1954年(昭和29年)7月1日:陸上自衛隊発足により移管[8]。陸上自衛隊海田市駐屯部隊が発足。
  1. 第13施設中隊を第13施設隊に改編。
  2. 第13通信中隊を第13通信隊に改編。
  3. 第13化学武器防護隊を第13特殊武器防護隊に改編。  
  • 2018年(平成30年)3月27日:中部方面輸送隊第104輸送業務隊第2端末地業務班を廃止し、陸上自衛隊中央輸送隊隷下の第4方面分遣隊第2端末地業務班に改編。

駐屯部隊

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中部方面隊隷下部隊

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防衛大臣直轄部隊

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最寄の幹線交通

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近隣の重要施設

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脚注

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  1. ^ a b 陸上自衛隊海田市駐屯地HP 駐屯地の歴史
  2. ^ 海田史年表『海田町史 通史編』p846、海田町編集、昭和61年9月10日、全国書誌番号:87013317
  3. ^ 『海田町史 通史編』p847
  4. ^ a b 『海田町史 通史編』p848
  5. ^ 『海田町史 通史編』p850
  6. ^ 『海田町史 通史編』p849
  7. ^ 陸上自衛隊出雲駐屯地”. www.mod.go.jp. 2022年5月5日閲覧。
  8. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年6月30日政令第179号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ. 2016年5月14日閲覧。
  9. ^ 【公式】 陸上自衛隊 海田市駐屯地オフィシャルサイト”. www.mod.go.jp. 2023年1月7日閲覧。

外部リンク

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