慶州
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中国地名の変遷 | |
建置 | 596年 |
使用状況 | 1125年に改編 |
南北朝 | 朔州 |
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隋 | 慶州 弘化郡 |
唐 | 慶州 安化郡 慶州 |
五代 | 慶州 |
北宋/遼 | 慶州団練 慶州 慶陽府 |
南宋/金 | 慶原路 |
元 | 慶陽散府 慶陽府 |
明 | 慶陽府 |
清 | 慶陽府 |
中華民国 | 隴東道 |
現代 | 慶陽専区 慶陽地区 慶陽市 |
慶州(けいしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から宋代にかけて、現在の甘粛省慶陽市および寧夏回族自治区南部一帯に設置された。
隋代
[編集]596年(開皇16年)、隋により寧州帰徳県に慶州が設置された。605年(大業元年)、弘州が廃止され、管轄県の弘化県が移管された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、弘化郡と改称され、下部に6県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | |||||||||||
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区分 | 開皇16年 | 区分 | 大業3年 | ||||||||
州 | 慶州 | 弘州[2] | 郡 | 弘化郡 | |||||||
郡 | 不詳 | 不詳 | 県 | 洛源県 弘化県 合水県 華池県 馬嶺県 弘徳県 | |||||||
県 | 帰徳県 | 弘化県 |
唐代
[編集]618年(武徳元年)、唐により弘化郡は慶州と改められた。742年(天宝元年)、慶州は安化郡と改称された。756年(至徳元載)、安化郡は順化郡と改称された。758年(乾元元年)、順化郡は慶州の称にもどされた。慶州は関内道に属し、順化・合水・楽蟠・馬嶺・同川・華池・懐安・延慶・洛源・方渠の10県を管轄した[3]。
五代十国時代
[編集]五代十国時代の行政区画変遷 | |||||||||||
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区分 | 後梁 | 後唐 | 後晋 | 後漢 | 後周 | ||||||
名称 | 慶州 | 慶州 | 慶州 | 慶州 | 慶州 | ||||||
県 | 順化県 | ||||||||||
合水県 | - | ||||||||||
楽蟠県 | |||||||||||
同川県 | |||||||||||
華池県 | |||||||||||
彭原県 | |||||||||||
真寧県 | |||||||||||
定安県 | |||||||||||
定平県 | |||||||||||
襄楽県 | |||||||||||
- | 通遠県 | ||||||||||
州 | 寧州 | ||||||||||
- | 威州 | - | |||||||||
軍 | - | 通遠軍 |
宋代
[編集]960年(建隆元年)、北宋により陝西路の下部に慶州団練が設置された。963年(乾徳元年)、慶州と改称された。1125年(宣和7年)、慶州は慶陽府に昇格した[4]。
金代
[編集]1142年(皇統2年)、金により慶陽府は慶原路と改められ、安化・彭原・合水の3県を管轄した[5]。
元代
[編集]モンゴル帝国により慶原路は慶陽散府と改められた。1270年(至元7年)に慶陽散府は慶陽府と改められた。安化県と彭原県が廃止され、慶陽府は合水県1県を管轄した[6]。
脚注
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