740年
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千年紀: | 1千年紀 |
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世紀: | 7世紀 - 8世紀 - 9世紀 |
十年紀: | 720年代 730年代 740年代 750年代 760年代 |
年: | 737年 738年 739年 740年 741年 742年 743年 |
740年(740 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、閏年。
他の紀年法
[編集]カレンダー
[編集]できごと
[編集]→「740年の日本」も参照
- 旧暦5月 - 聖武天皇が山城国相楽郡玉井にある橘諸兄(右大臣)の別荘へ行幸し、宴会で上機嫌になって諸兄の息子・橘奈良麻呂に従五位下を授ける。
- 9月15日(天平12年8月20日)- 和泉監を河内国に併合する。
- 9月24日(天平12年8月29日) - 大宰少弐藤原広嗣が吉備真備と玄昉を除くよう上表する。
- 9月28日(天平12年9月3日)- 広嗣が挙兵したとの報を受け、天皇は大野東人を大将軍とし広嗣征討を命じる(=藤原広嗣の乱)。
- 11月12日(天平12年10月19日)- 天皇が「旅行するから伊勢に仮宮をつくれ」と命じる。
- 11月16日(天平12年10月23日)- 肥前国松浦郡値嘉嶋(五島列島)に潜んでいた広嗣が安倍黒麻呂に捕まる。
- 11月19日(天平12年10月26日)- 天皇が九州の大野東人へ「思うところあって東へ行く。乱の最中だが仕方の無いことなので、聞いても驚くな」という勅を送る。
- 11月22日(天平12年10月29日)- 九州の大野東人が広嗣が既に逮捕されていることを知る。天皇が光明皇后・橘諸兄ら群臣とともに平城京を離れ、伊賀・伊勢へ巡幸する。
- 11月24日(天平12年11月1日)- 広嗣が斬首される。
- 11月25日(天平12年11月2日)- 天皇一行が関宮(松阪の北西)に到着する。
- 11月26日(天平12年11月3日)- 天皇の元へ広嗣逮捕の報が届き、天皇は広嗣を斬首するよう命じる。
- 12月5日(天平12年11月12日)- 天皇一行が関宮を出発し、美濃・近江へ北上する。
誕生
[編集]→「Category:740年生」も参照
死去
[編集]→「Category:740年没」も参照
- 11月28日(天平12年11月1日) - 藤原広嗣、奈良時代の廷臣(* 生年不詳)
- (開元28年12月13日) - 青原行思、中国唐代の禅僧
- 張九齢、中国唐代の政治家・詩人(* 678年)
- 孟浩然、中国唐代の詩人(* 689年)
脚注
[編集]注釈
出典