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洮州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

洮州(とうしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から初にかけて、現在の甘粛省甘南チベット族自治州一帯に設置された。

魏晋南北朝時代

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561年保定元年)、北周により洮陽県に洮州が置かれた[1]

隋代

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初には、洮州は2郡5県を管轄した。582年開皇2年)に弘州が廃止されると、その管轄区域は洮州に統合された。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、洮州の属郡は廃止された。605年大業元年)、畳州旭州および岷州が廃止されると、それらの管轄区域は洮州に統合された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、洮州は臨洮郡と改称され、下部に11県を管轄した[2]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
洮州 畳州 弘州 旭州 岷州 臨洮郡
洮陽郡 博陵郡 西疆郡 開遠郡 河浜郡 通義郡 広恩郡 同和郡 祐川郡 美相県
臨潭県
畳川県
合川県
楽川県
帰政県
洮源県
洮陽県
溢楽県
和政県
当夷県
美相県
洮陽県
汎潭県
博陵県
寧人県
畳川県
合川県
楽川県
- - 金城県 広恩県 溢楽県
和政県
当夷県
基城県

唐代

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619年武徳2年)、により臨洮郡は洮州と改められた。742年天宝元年)、洮州は臨洮郡と改称された。758年乾元元年)、臨洮郡は洮州の称にもどされた。洮州は隴右道に属し、臨潭県を管轄した[3]。唐末に吐蕃に攻め落とされ、臨洮城と呼ばれた。

宋代

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1099年元符2年)に北宋により臨洮城は奪回されたが、ほどなく放棄された。1108年大観2年)、臨洮城が北宋に奪回され、洮州の称にもどされた。洮州は秦鳳路に属した[4]

のとき、洮州は臨洮路に属し、通祐・鉄城の2堡を管轄した[5]

元代

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のとき、洮州は陝西等処行中書省に属し、可当県を管轄した[6]

明代以降

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1371年洪武4年)、明により洮州軍民千戸が置かれ、河州衛に属した。1379年(洪武12年)、洮州衛軍民指揮使司に昇格し、陝西都司に属した[7]

1748年乾隆13年)、により洮州衛は洮州庁と改められた。洮州庁は鞏昌府に属した[8]

脚注

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  1. ^ 周書』武帝紀上
  2. ^ 隋書』地理志上
  3. ^ 旧唐書』地理志三
  4. ^ 宋史』地理志三
  5. ^ 金史』地理志下
  6. ^ 元史』地理志三
  7. ^ 明史』地理志三
  8. ^ 清史稿』地理志十一