「全艦、長波に続け!突撃する!」
長波(ながなみ)とは、大日本帝国海軍所属の夕雲型駆逐艦4番艦「長波」をモデルとした、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘(かんむす)である。
念のため確認しておくが、読みは「ながなみ」である。「ちょうは」では無いので注意されたし。
2013年10月16日のアップデートで「巻雲」と共に実装された駆逐艦娘。
表が黒で裏がピンクと2色が混在するインパクトの強い髪の毛と八重歯が特徴的な、男勝りで活発な言動が多い元気っ娘。武勲艦として名を立てた艦のためか、運の値がやや高めに設定されている。
時報ボイスに他の艦娘の名前が多数出てくるのも大きな特徴で、
となんと6人もの艦娘の名前が出てくる。さらに照月の14時や沖波の13時の時報で調子を伺いにくるなど、駆逐艦同士での交友関係は広いようだ。
中破すると夕雲型ではお約束?のおぱんつもろ見えになるのだが、上部装甲も駆逐艦とは思えないものであることが覗える。なかなか見事な曲線を披露してくれるので入手の暁にはぜひチェックしてほしい。
娘Type2016年4月号の夕雲型集合ピンナップにおいて、夕雲型すべての中でも一回り大きな体格をしていることが明かされ、ゲーム内の等身バランスからやや小さめとイメージしていた提督諸氏に衝撃を与えた。
第二水雷戦隊所属となる長波以降の妹艦たちのよい姉として振舞っていることからも、その見た目的に姉らしい大人っぽさを見せてくれている意外な一面となった。
(後に同じ武闘派である妹の朝霜が実装されたので、長波のキャラクターの方向性を被らないように若干軌道修正しているという声もある)
最大の難点は夕雲と同等、もしくはそれ以上かもしれないそのレア度。入手手段は3-2,4-4,5-1,5-3各ボス、並びに5-4でのドロップのみであり、 中でも3-2と5-3は非常に難易度が高く、4-4も西方海域の最終面とあって一筋縄ではいかない。当初は入手難易度の高さから「第2の初風」と呼ばれた時代もあったが、戦果海域で頻繁な周回を行える5-4に加え、季節ごとに行われるイベント海域においてドロップするため、そちらで入手出来た提督の方が多いはず。
実装から4年を過ぎる現在、入手難易度が下がったことにより、それなりのプレイ期間のある提督にほぼ行き渡ってきたため、最近は彼女の存在感を振り返る声も大きくなってきている。
……が、第二期移行に伴い5-4の周回難易度がはね上がったため、長波のレア度も上昇した。代わりに、ルート固定が容易になり、ウィークリー任務も進められる4-4が有力な堀り場として注目されている。
提督達からは、圧倒的に「長波さま」と呼ばれることが多い。入手時(もしくはログイン時)に「長波さまだよ」と自称しており、なおかつその自称に見合うだけの武勲持ち(それにナイスバディ)であるところから、提督達もごく自然にこの呼び方を受け入れた模様である。なお、他の「さま付け」艦娘と異なり、テキストは「長波サマだよ!」とカタカナになっている(北上、摩耶はひらがな、佐渡は漢字)。
2017年12月27日のアップデートで改二が実装された。夕雲型の前級である陽炎型をすっ飛ばして、夕雲型で初めて実装された改二となる。夕雲型は陽炎型の準同型艦である「甲型駆逐艦」なのでこの括りだと全38隻(陽炎型・夕雲型ともに19隻)の一番乗りを果たした・・・あ、何処かの一番艦が悔しがってる。
改装に必要なレベルは75で文月改二や満潮改二に次ぐ。また、改装設計図と戦闘詳報も要求される。戦闘詳報は先の17年の秋イベントにて海域突破報酬として提供されたが、秋イベントに参加していない提督も編成や出撃任務をクリアする事で入手できるので安心されたし。
グラフィックの違いとしてわかりやすいのは白いリボンと白いボレロを身に着けているところであろう。また、左の二の腕に爆雷をつけている。それに加え、胸部装甲もかなり目立つようになった気が…。
性能としては火力、雷装、対空が特に上昇している。火力は69、雷装は89となり、夜戦火力は夕立改二、綾波改二、朝潮改二に次ぐ駆逐艦第4位タイ。運も16上昇して30となった。ちなみに対潜はグラフィックに爆雷が追加されたにも関わらずほとんど変わらない。
長波改二の特徴が、直前の戦果報酬で先行実装され、改二で本実装となった「12.7cm連装砲D型改二」である。これは火力+3、命中+2、対空+3、回避+1、装甲+1なのだが、長波改二が装備時には火力+3、装甲+1、回避+1のボーナスが付き、火力+6、命中+2、対空+3、回避+2、装甲+2と中口径主砲とも見まがうほどの性能となるのである[1]水上電探と併用することでさらに火力+1、雷装+3、回避+2のボーナスが付く。つまり12.7cm連装砲D型改二と水上電探を装備すると夜戦火力は174。夕立改二が火力+3の主砲を2つ装備したときの夜戦火力は172なので、連撃装備に限り駆逐艦の夜戦火力トップに躍り出たのである。後に夕雲型・陽炎型・朝潮型も電探とのシナジー補正付きの改二実装はされたが、長波改二の火力の高さは健在、流石は第二水雷戦隊こと二水戦の申し子と云うべきだろう。
特性としてはВерныйに続いて中型バルジが、霞改二に続いて艦隊司令部が装備可能となっている。こちらは一時的に二水戦の旗艦を引き継いだ事からと想像される(期間は照月戦没後の1942年12月13日から神通が復帰する43年1月13日まで)
防御面では特に中型バルジによって、素の装甲自体は53と並なのだが、12.7cm連装砲D型改二のボーナスとバルジによってВерный並の装甲を得ることができるのである。
2016年4月22日には、長波さま初の限定グラフィックとして、艦これ三周年記念「春の花束mode」が実装された。花束を抱えてご機嫌な長波さまが可愛い。ちなみに長波さまの抱えている花束の花はピンクのチューリップとリナリア(姫金魚草)。花言葉はそれぞれ「愛の芽生え」と「この恋に気付いて」。その解釈は提督次第である。
中破すると、豊かな胸が露わになりかけるのも構わず、花束を後ろ手に庇っている。健気な!
2016年9月16日のアップデートでは「浴衣mode」が実装された。同じ夕雲型武闘派である朝霜が法被姿なのに対して、髪を結い上げ、青い浴衣姿の長波に驚きの声が上がった。なにやら見上げている風なのは、同時に実装された秋の母港セリフと連動しているものと思われる。中破グラは、ポーズ自体は普段の中破のポーズと同じだが、あっかんべーをしている。かわいい。あと、浴衣の裾から生ふとももが露わになっているのもポイント。
2017年4月23日のオンメンテにて去年と同じく「春の花束mode」が実装された……のだが、実は微妙に違う絵となっている。右手が四周年に合わせたのか指を4本広げており、そして花束は(おそらく)かすみ草を加え、よりゴージャスになっている。ちなみにかすみ草の花言葉は「清らかな心」。
2017年7月18日、ローソンコラボ係として抜擢され「長波サマも大満足!提督の大きな炒飯」が発売された。併せてゲーム内でも「戦闘糧食(特別なおにぎり)」としてアイテム実装。
ゲーム内の長波サマのグラフィック自体に変化はないが、この特別おにぎりのイラストに長波サマ妖精が登場。一緒にいるのは阿賀野妖精。
ローソンコラボのおにぎりは提督が作って霞が宣伝しているおにぎりなのだが、ゲーム内の特別おにぎりは明石が改修で作るおにぎりである。肝心の長波サマの出番は改修サポートの2番艦。イラストの通り、長波サマまたは阿賀野をサポートに据える事で改修できるようになる。
また、同日2017年7月18日のメンテでおにぎり関係のアップデートがされたのと同じくして、ボイスのうち遠征から帰投した時のボイスだけが地味に変更された。
今までは「艦隊が帰投したぞ、出迎えようぜ!」だったものが「長波、今回も無事帰投したぜ!提督のおかげだ!」と変わった。
2018年7月12日のアップデートによる夕雲改二実装と合わせて、長波改二限定で夏服modeが実装された。同日実装の夕雲改二に合わせた意匠でボレロを外した半袖シャツに加えて、夕雲型の共通特徴である前止めのワンピーススカートから同色のベストを着用(スカートも同色)、穴開きタイプの長手袋を身に着けた涼しげな姿。なお夕雲も今回は『夏服mode』であり、夏終了後冬服に変わるとのアナウンスあった・・・スカートの側面から見える「黒いメッシュ地のアンダースカート」が追加(夕雲改二も同形)・・・なんというか色気マシマシである(・・・実は改二実装時の冬服modeでも履いてはいたが、解像度の問題でメッシュ地が潰れて見えていた。解像度が上がった二期の冬服modeで確認できる)
1939年度(マル4計画)仮称第119号艦として藤永田造船所で建造され、1942年(昭和17年)6月30日に竣工し舞鶴鎮守府籍に編入、横須賀防備隊に所属した。護衛任務[2]の後、8月31日、同型艦の〈巻波〉との2隻編成で第31駆逐隊が編成され、10月1日に〈高波〉を加えたところで第二水雷戦隊に所属となる。ガダルカナル島をめぐる戦いでヘンダーソン航空基地に艦砲射撃を加える〈金剛〉〈榛名〉ら第三戦隊を護衛、群がってくる魚雷艇を蹴散らした。
そして彼女のセリフにも登場する11月30日のルンガ沖夜戦では、田中頼三司令官座上の第二水雷戦隊の臨時旗艦として、戦隊合わせて米重巡1隻(〈ノーザンプトン〉)撃沈・重巡3隻(〈ミネアポリス〉〈ニューオーリンズ〉〈ペンサコラ〉)大破、自戦隊の損失は駆逐艦〈高波〉1隻のみという大戦果を挙げた。
しかし、本来の目的である輸送作戦には失敗しており(ドラム缶の揚陸作業中に奇襲を仕掛けられたため、揚陸準備で固縛を解除されていたのを直せなかったドラム缶は投棄されてしまった上、飢えてて弱っていた陸軍はドラム缶を回収できなかった)、この戦いで田中少将は本来の任務である輸送作戦を中断して戦闘に専念したと上層部から批判を受け、「長波は警戒艦として次発魚雷を持っていたにも関わらず魚雷を1発撃ったらそのまま逃げて高波を見捨てた」(詳細は「高波(艦これ)」を参照)と僚艦の部下たちからは批難された。さらにその後の山本五十六長官直々の檄文を貰った輸送任務(第四次輸送作戦)で、旗艦としていた最新鋭である秋月型の〈照月〉を魚雷艇とおぼしき雷撃によって一方的に沈められた(沈められた後、田中少将は旗艦を〈長波〉に戻して作戦を続行したが、結局失敗に終わる)こともあり、もともと上層部と折りの合わなかった田中少将は一ヶ月後に二水戦司令官を解任されてしまう。
一方、米国では対照的に、「突撃命令を出した時期が極めて適切であって、十分敵を引き付けておいて突撃命令を出しその飽和雷撃によって米巡洋艦部隊に大打撃を与えたその判断力とよく訓練された日本の駆逐艦部隊の動きにアメリカ軍巡洋艦部隊は正にしてやられた」と彼の指揮は絶賛されている。なんとも皮肉な話である。
日本から見れば最大の目的である輸送作戦を自ら失敗させた無能の将、米軍から見れば米軍の目的である敵艦隊撃滅には失敗している上、優勢なはずの自軍艦隊が壊滅しているわけで、どちらの評価も妥当な物ではある。この時、米軍に与えた被害を日本軍が正確に把握していたら、日本軍が補給に失敗した事を米軍が早期に知ればこの評価もまた異なる物になっていた可能性がある。
その後〈長波〉は、ガ島輸送任務の終了と共に二水戦臨時旗艦の任も解かれたが、それからも二水戦の一員として戦火をくぐり抜けていく。
あのキスカ島撤退作戦で〈五月雨〉や〈島風〉と共に警戒隊として参加(濃霧のため〈初霜〉と衝突したが損傷は軽微)、その後南方の輸送任務に従事したのちにブーゲンビル島沖海戦などに参加した。このブーゲンビル戦の帰り道に5機、自身が損傷しないラバウル空襲で2機撃墜したという記録が残っている。その後ラバウル空襲で受けた爆撃によって、艦尾損傷のうえスクリューが無くなってしまい航行不能になる。〈夕張〉の護衛の中、駆逐艦〈水無月〉によってトラックまで曳航され、トラックからは航行できるものの損傷のあった軽巡〈長良〉によって日本まで曳航され、修理された。この修理に半年以上を要したためにマリアナ沖海戦には間に合っていない。
しかも彼女の所属していた第31駆には〈大波〉〈清波〉が新たに編入されていたが、この修理の間に僚艦だった〈巻波〉を含め3隻とも喪失。第31駆にはさらに〈沖波〉〈岸波〉〈朝霜〉が竣工する端から編成されていく。
レイテ沖海戦では、〈朝霜〉と共に、大破して退避した〈高雄〉〈妙高〉の護衛をしたために本隊の戦闘には加わらなかったものの、重巡〈愛宕〉を撃沈し、〈高雄〉を大破させた米潜水艦〈ダーター〉が座礁しているのを発見し、砲撃後に艦内に乗り込み、機銃や写真などの鹵獲品を得ている。(この分捕った13ミリ機銃はちゃっかり自分に据え付けている)
彼女の最後の出撃は多号作戦。第三次輸送部隊が米軍空襲の影響で準備が遅れたために第四次輸送部隊として出撃。しかし、到着先の大発の大半が台風や敵空襲で使い物にならなくなっていたため、船団の陸軍を身一つ同然の状態で送り込まざるを得なかった。その帰路の最中にP38とB25の敵機群による空襲にあって、護衛していた輸送船3隻のうち2隻が沈没してしまうがなんとかやり過ごす。後に第三次輸送作戦で出撃してきた〈島風〉らとすれ違う。〈長波〉は当初の作戦計画に基づいて〈朝霜〉と共に第三次輸送部隊に合流し、Uターンした。そして目的地であるレイテ島のオルモック湾に到着する予定だった11月11日に米軍艦載機の大群(記録によると347機)による空襲を受ける。「オルモックの虐殺」とまで言われた米軍機の熾烈な攻撃にさらされる中、歴戦の駆逐艦〈長波〉は弾薬が尽きるまで応戦したが力及ばず、〈島風〉共々沈没し、船団は駆逐艦〈朝霜〉ただ1隻を残して壊滅した。また、ここで二水戦司令部も全滅したため、その後の二水戦は一水戦司令部がスライドする形で第10戦隊と合併・再建されることになる。
また、彼女亡き後、31駆の僚艦〈沖波〉も戦没。残された〈朝霜〉は第2駆へ転出し、そして最期の1隻となった〈岸波〉の戦没をもって、31駆は解隊となる。〈長波〉の沈没からわずか1ヶ月、12月11日のことである。
1945年1月10日、除籍。
前述したとおり、〈長波〉は戦局に飲み込まれ次々と戦没した夕雲型全19隻の全てを知る(と言っても、活動時期が被っているだけで結局面識がない艦も少なからずいるが)唯一の艦である。また、華の二水戦にもっとも長く在籍した駆逐艦でもあり、二水戦を語る上では〈神通〉と共に〈長波〉もまた避けて通れない存在と言えよう。
↑のように長波さまが絶賛しているので、二水戦司令官の田中頼三少将についても軽く触れておきたい。が、実際に書いてみると、ちと長めになってしまった上に「長波」自身とは関係ないので、スクロールの下に置いておく。
田中少将は生粋の水雷屋で、太平洋戦争開戦を最強の水雷戦隊として名高い第二水雷戦隊(通称:二水戦)の司令官として迎え(余談だが、彼の前の二水戦司令は、「ワレアオバ」で有名な五藤少将)、各地で戦果を挙げた。
しかし、その戦闘においては上層部や部下達に批判されることが多かった。
1942年2月のスラバヤ沖海戦では、突進した四水戦に対してへっぴり腰の二水戦というように、アウトレンジ戦法に固執したことを「敢闘精神に欠ける」と批判されていた(実際に188本打った魚雷のうち命中が4本では、いくらロングランスと恐れられた酸素魚雷でも使い物にならない)。
そして11月のルンガ沖夜戦でも同じく「敢闘精神に欠ける」と問題視された。その理由の一つに、十五駆逐隊の「黒潮」を戦隊の先頭に配し、自身の乗艦である「長波」は戦隊の中央に置いていたことによる。(よく誤解されるが、艦隊の先頭に居た「高波」は警戒艦という任務の索敵役であり、指揮官先頭の範疇ではない。)
従来の水雷戦隊の戦闘では、旗艦は先頭に立って後続艦の進路指示と戦闘の指揮を執るというのが定石である。(通常、軽巡を旗艦とするのは、自身が撃たれ役となってでも後続艦艇を導くためであり、そのために駆逐艦よりも防御力に優れる軽巡洋艦を旗艦に据える。突撃時に集中攻撃を受けた二水戦旗艦「神通」や三水戦旗艦「川内」がまさにその例。)
しかしルンガ沖夜戦では正に「高波」がその役目を果たしたことが、「現場指揮官としての指揮統率を怠った」と非難されたのだ。上層部からだけではなく、「高波」救援命令を受けて置き去りにされた挙句、敵艦接近のために逃げるしかなかった配下の駆逐隊や駆逐艦乗組員たちからの非難も凄まじかった。
だが、彼が二水戦司令官を解任されたのはそれだけではなく、そもそもドラム缶輸送という鼠作戦に反対しており、上層部から煙たがられたという面もあるとのこと。(「長波」が"生き方下手"と評したのはこの辺りと思われる)
総じて、「勇猛果敢」なタイプでは無く「慎重かつ大胆」なタイプとされる。
その後は、舞鶴警司令官、舞鶴海兵団長、第13根拠地隊司令官を歴任(根っからの水雷屋が、ずっと陸上勤務を命じられたわけであり、事実上の左遷と考えられている)し、そこで終戦を迎える。
戦後、アメリカ側の好評価(軍事史研究家のハンソン・ボールドウィンは彼を「太平洋戦争における日本の名将の一人」と評した、但し彼の評価は、日本軍側の事情からの観点をほとんど考慮していない外部評価にすぎないとの指摘もある)が伝えられ、彼の司令官としての評価を見直す動きが広がったが、彼自身は功績を誇るでもなく(ルンガ沖夜戦のことを聞かれ、「僕は突撃を命じただけ。あとは部下の駆逐艦乗り達がやってくれた」と述べている)、晴耕雨読の生活を送り、1969年に没している。
なお、彼は「だって君、僕は駆逐艦乗りだよ?」と豪語し、礼号作戦で霞を旗艦とした木村昌福少将と違ってあくまで水雷屋であり、特定の艦にこだわった形跡はない。そのため、長波が彼に寄せる思いはどことなく切ないものを感じるのである。
提督諸氏におかれては、この長波の寂しさを受け止められる度量があるかどうかが試されるだろう。
ルンガ沖夜戦 第十五駆逐隊 - 陽炎 黒潮 親潮 第二四駆逐隊 - 江風 涼風 第三一駆逐隊 - 高波 巻波 長波 キスカ島撤退作戦 阿武隈 響 若葉 初霜 朝雲 薄雲 国後 秋雲 夕雲 風雲 / 島風 五月雨 長波 木曾 多摩 |
レイテ沖海戦(パラワン水道) →栗田艦隊 高雄 愛宕 / 朝霜 長波 多号作戦 第4次船団警戒部隊 霞 秋霜 潮 長波 朝霜 若月 多号作戦 第3次船団警戒部隊 島風 浜波 (初春 竹) + 長波 朝霜 若月 ※( )は第4次船団との合流時に第4次船団に移動 |
夕雲型姉妹 / 夕雲型駆逐艦 |
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1.夕雲 - 2.巻雲 - 3.風雲 - 4.長波 - 5.巻波 - 6.高波 - 7.大波 - 8.清波 - 9.玉波 - 10.涼波 11.藤波 - 12.早波 - 13.浜波 - 14.沖波 - 15.岸波 - 16.朝霜 - 17.早霜 - 18.秋霜 - 19.清霜 |
掲示板
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最終更新:2025/01/08(水) 04:00
最終更新:2025/01/08(水) 04:00
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