ポリス 単語

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ポリス

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ポリスとは、

  1. 警察を意味する英単語(Police)。2が原義
  2. 古代ギリシャを中心に存在した都市国家
  3. 英国1970年代から1980年代にかけて存在したバンド

本記事では2について説明する。

概要

都市国家市民権、市民を中心とする政体す。多くの場合では、古代ギリシャ都市国家して用いる。

ポリスは、古代ギリシャ語ではアクロポリスから来た言葉とされており、アクロポリスはポリスの中枢をなしていたため、その徴として時代を下るごとにポリスがその全体をすようになったとされている。また、時代を下るごとに人口が増えたり、大規模化したことから、ポリスはの内側だけでなくやがて周辺落を含めた広大な意味となったとされている。その構成員である市民とその共同体も、ポリスと呼ぶようになり、彼らの持つ権利、すなわち市民権も包含し、また軍事的側面から砦をもすなど、実に多義的な意味をもった用語となった。このため、それぞれの側面から、政治家(Politician)、警察(Police)、政治(Politic)などの言葉が誕生した。

ポリスの代名詞的な存在であるアテナイをはじめ、ポリスはいくつかの部族や共同体を意味するデーモスによって統治され、それらのみが市民権を有して彼らによる政治が行われていた。市民とはいうものの、でいうところの社会や、ウチとソト(ヨソ)の概念に近しいものがあったと考えてよいだろう。その下には参政権を持たない在留外国人メトコイや、市民に奉仕する奴隷が存在し、どの都市も詳細は違えど似たような階層で社会をまわしていたと考えられる。

また、官僚制や軍制といったものが未だ発達する前の時代の為、それを専らとするものはなく、にポリスの行政軍事市民たちが体となって行った。

教科書ではアテナイスパルタが代表例なので勘違いされやすいが、あれはあくまで例外的に広い領域をもったポリスであり、その他のコリントスやアルゴスなどの大半のポリスはあくまで小規模な都市を持ったに過ぎない。現代に置き換えるなら、都道府県ではなく、◯◯や◯◯町の更に中心地をすくらいの領域というイメージを持つとだいたいそれに近い。

ポリスを構成する諸々

アクロポリス

ポリスの中枢を成す小高い丘。中心には祭神をった神殿があり、アテナイパルテノン殿がその典例といえるだろう。アクロ古代ギリシャ語では小高いを意味し、小高いところにあるポリスという意味合い。また、砦や防なども建造されており、敵から攻撃を受けた時の防御地点や避難所としての役割も持った。

ポリスの成立以前には王の宮殿があった場所とされている。

アゴラ

クロポリスの麓に作られた広場。市民たちの外交兵士の動員、戦功を立てたものへのなど、様々な意思決定の場である民会や、商取引などを行う場所であり、市民生活の中心となる間を担った。

アテナイの例ではあるが、民会を行う時と商取引を行う時というのは明確に分離されており、民会の開催日は終わるまで出店は一切禁止されていた。

アゴラには列柱廊(ストア)とよばれる議論間があり、古代ギリシャ哲学の一であるストアの名称はここから作られた。

クレーロス

厳密にはポリスの内部ではなく、外に位置するが、ポリスとは切り離せないものなのでここで扱う。

ポリスのの外に広がる農部分であり、ポリスに居住する市民たちが所有権(持ち分)を持っていた。市民奴隷を使ってクレーロス耕作させ、そこからの上納で食事をしたり、金に変えて生活していた。

クレーロス市民たちの持ち分の土地を意味し、農という意味合いはないが、当時において私有地の利用的は大体農業に限られているためここでは同じ意味合いのものとして扱う。

クレーロス市民それぞれが所属する部族や共同体の力のでもあるため、個人の意思での売買には大きな制限がかけられている。

主なポリスや地域の例

アテナイ

ポリスの代名詞ともいうべき、現在ギリシャ首都アテネとなっているポリス。

高度な民主政を行い、交易都市としても大いに栄えた。詳細はアテナイの記事にて

スパルタ

アテナイの強力なライバルにあたる強力な都市国家

厳格なリュクルゴスの制に基づく軍事国家であり、精強さを誇った。詳細はスパルタの記事にて

テーベ(テーバイ)

スパルタの後に覇権を握った、アテナイより山を挟んで北側に存在した都市国家一発屋

アイリス人が建てたとされ、ペルシャ戦争ではテルモピレーの戦いでスパルタと共に戦ったが、スパルタと異なり玉砕せずペルシャに投降してしまったため、アテナイからの不を買ってしまった。

下級貴族であったエパメイノンダスが、ペロポネソス戦争勝利して覇権を握っていたスパルタクーデターを起こして紀元前379年より独立すると、近隣の諸都市とボイオティア同盟を組織し、紀元前371年にレウクトラの戦いでスパルタを撃破。この際にはファランクスの伝統的な戦法を改善した斜線という兵法と、精鋭部隊である神隊が用いられ、散々に打ち負かしたという。

スパルタの穀物地帯にあたるメッセニア解放し、あと一歩のところまでスパルタを追い詰めるほどの覇権を手にしたが、窮地に陥ったスパルタは宿敵のアテナイと手を結び、紀元前362年にマンティネイアにおいてテーベに再び再戦を挑んだ。テーベは多数の将軍を失いながらもなんとか蹴散らすことに成功するも、最終盤で総司令官のエパメイノンダスが敵のを胸に受け、戦死。彼一人のカリスマに頼り切っていたテーベは覇権を維持できるはずもなく、ほどなくその覇権は失われることになる。

ちなみに、その短い覇権の間に後にマケドニア王としてギリシャを席巻するフィリッポス2世が人質としてとらわれており、エパメイノンダスの教育を受けたとされている。

紀元前338年のカイロネイアの戦いでアテナイと結んでマケドニアと戦うも敗北し、その従属下におさまる。フィリッポス2世の死後に再び反旗を翻すも、今度はその子にして後に大王と称されるアレクサンドロスに惨敗し、テーベは見せしめに底的に破壊される憂きを見た(アテナイはこれを見てビビって降したらしい)。

コリントス(コリント)

アテナイスパルタの中間にあるイストモス地峡に存在したとされるポリス。

ドーリア人によって紀元前9世紀頃に建てられたとされている。アフロディテを祭神とし、現在でも神殿の遺構が残っている。奔放だったアフロディテをっただけあって、そこには千人の遊女がいたとかいないとか。

地峡という要衝に存在しただけあってコリントスは経済的にとても繁栄し、ペロポネソス同盟においては、スパルタを財政面から相当に援助をしていたとされる(但しスパルタ覇権確立すると、アテナイやテーベと同盟を組織し、コリントス戦争スパルタと戦うことになる)。その財力で植民も盛んに行い、シチリにまでポリスの建設を進めていたことで知られる。

また、建築面でも大変な功績を遺しており、アカンサスの葉でられた装飾の柱頭を特徴とする建築様式はコリント式として現在でもローマパンテオンや、でも日銀本店など様々なところで用いられている。

現在ではスパルタの後継であるスパティの三倍以上の人口を有し、ペロポネソス半島では二番の人口をもつ都市となっている。

アルゴス

リントスとスパルタの間に存在した、アカイア人によって建てられたポリス。

ポリスが立する前の時代にあたるミケーネ文明の時代においては肥沃な土地柄で、ミケーネやティリンスといった要な都市に近接したため、くから建設や開発が進み、重要な拠点として大きな価値を持った。

しかし、スパルタの台頭によってアルゴスは相対的に存在感を失い、またスパルタの勢力伸長に巻き込まれたせいもあってか互いを敵と反しあっており、ペロポネソス同盟にも参加しなかったという。また、ペルシア戦争においてもアテネスパルタ一致団結していたのにも関わらずペルシャとの友好的な関係を保持していたアルゴスは中立を貫いたため、他のポリスから孤立することになる。ペロポネソス戦争ではアテナイ側にたってスパルタと敵対したが、立った活躍はなかった。

この基本的な中立政策のおかげか、はたまたが薄かったせいなのかはともかく、マケドニアの侵攻においては破壊を免れた数少ないポリスとして知られる。だが、紀元前146年のローマの侵攻には抗えず、他のポリスと同じく支配下に組み込まれた。

デルフォイ

紀元前15世紀頃から存在したとされる、古代ギリシャ世界では最も重要な神託を受ける場所として知られる聖域。ここでは明と予言をるオリンポス十二神の一柱・アポロンからの神託を受ける。

アテナイから西北に120kmほど離れたところに所在古代ギリシャ世界観において、デルフォイのあるあたりは世界へそ(≒中心)として信じられていたため、聖域となったと考えられている。

ペルシア戦争では滅亡を予見させる神託を行ったり、ソクラテス友人ソクラテスより賢い人間はいないと託宣を下して彼がアテナイ中の智者にレスバ問答を仕掛けるきっかけを作ったりしているが、それだけ、古代ギリシャの人々にとっては信仰の中心として代えがたいものだった。

しかし、その信仰は古代ギリシャ世界の衰退と共にれていき、2世紀頃のローマ歴史・プルタルコスはこれを嘆いてその信仰の再に尽力したという。現在はデルフィと呼ばれ、4万人ほどの人口を持つ。

オリンピア

ペロポネソス半島西部に位置する紀元前8世紀から393年にローマのテオドシウスに中止を命されるまで続いた、オリンピア、いわゆる古代オリンピックの開催地。神域なのでポリスとは趣を異にする。様々な競技場やその関連施設、神々をる神殿などが建てられ、現在も遺跡がのこっている。

ゼウスへの信仰で知られ、紀元前5世紀には世界の七不思議にも選ばれたとされる、ゼウス殿が建造されている。現在アルヘア・オリンピアと名乗っており、13000人ほどの人口を有する。

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