覇権(伊:egemonia、独:hegemmonie、英:hegemony、ヘゲモニー)とは、一般的には主導権のこと。同一組織内部で、あるいは協力共同関係において、また相争う諸勢力間において、特定の人物または集団が長期にわたってほとんど不動とも思われる地位あるいは権力を掌握すること。
語源はギリシャ語のヘーゲスタイつまり、都市国家による別の 国家や農村の支配のことをさした [1] 。
マルクス・レーニン主義では、革命における指導性を指す。革命運動における前衛党の指導的役割は、マルクス・レーニン主義に基づいた前衛党の先見性、不屈性、組織性と大衆性を基礎に、その実践、主張や路線の正しさ、大衆の間での政治的、思想的な働きかけを通じて、広範な人々から信頼と共感、自発的な支持を勝ち取ることによって実現される。この場合は、プロレタリアート独裁と同義。
イタリアの左翼活動家、アントニオ・グラムシ(1891年 - 1937年)による定義は、人々による合意にもとづいた覇権や支配権のことをさす。これは主導権を支配下に置かれる全ての人々に同意させるための複合的なプロセスを含む。グラムシの場合は、イタリアの政治状況、当時ファシスト党政権と反政権勢力が相半ばする状況だった、が影響し、プロレタリアート独裁の一点突破とはいかないところを反映している。
これは単に大国が上から力で秩序をすべての人々に一方的に強制するのではなく、人々に気づかない仕方で同意させながら、この秩序の維持に知らず知らずのうちに参加させ、大国への信頼を高めさせるという、政治経済、社会、文化すべての領域にわたるソフトな管理プロセスを含む。
国際関係において軍事的、政治的、経済的に他国に自己の影響を及ぼして主権を侵害または支配したり、他国の自主的な社会変革の事業に対する干渉・介入の行動のこと。帝国主義は典型的な覇権主義。歴史的には中華思想、大東亜共栄圏、第三帝国などが挙げられる。冷戦期には、米ソが互いに北大西洋条約機構(NATO)やワルシャワ条約機構を構築し、覇権を争った。
覇権国家は、国家間の主導権をめぐる闘争=覇権戦争を引き起こしながらも、国際政治の安定化をもたらしてきたと見なされる。この見方から、第一次世界大戦までの国際秩序体制を「パックス・ブリタニカ(イギリスの力による平和)」、第二次世界大戦以後の冷戦期を「パックス・ルッソ・アメリカーナ(米ソの力による平和)」と言い表される。1970年代以降になると米ソ両国のヘゲモニーの凋落現象が生じることによって、国際社会に多極化や多中心化と呼ばれる状況が進行した。
1970年代において、先進諸国は経済成長を遂げたあと、経済危機に見舞われた。それと同時に、原油価格高騰に逆らえなくなった。また、インドシナ、アフリカ、ラテンアメリカ諸国が社会主義化していく。こうした背景下で、先進諸国は後退を余儀なくされ、互いに利害調整をすることが課題になってくる。このことが、サミット開催の最初の重要なきっかけになった。
1970年代、1980年代の冷戦期のサミットでは、ソ連を封じ込めつつ、先進国と第三世界に、新自由主義的な経済改革を浸透させる事が主眼とされた。第二次世界大戦後、植民地が独立を果たしていったことによって先進諸国の世界的な支配が弱まったことに対して、その支配を新自由主義という、新しい戦略が穴埋めをした。小倉利丸は、「第三世界の国民国家の主権を前提にしながら、主権国家による国境というバリアを市場経済に関わる分野に関しては開放させ、さらに公共部門を国家の規制下から市場へと移行させることによって、国家の経済権力を奪う」ためだったという[2] 。
しかし、1989年の冷戦終結後、国際社会の多極化、多中心化の流れは更に強まり、「覇権なき時代」が到来したが、それでもアメリカは、ポスト冷戦期である1990年代になっても、崩壊した社会主義圏を資本主義へと統合していく事を目指した。更に2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降は、先進諸国内の対立を調整しながら第三世界に対して、対テロ戦争で戦争当事国と協調出来るよな枠組みをどう作るのかということが主眼となっていった。
1980年代以降の、新自由主義/新保守主義への転換を正当化していくには、各国の国民からの十分な同意を得なければならない。
デヴィッド・ハーヴェイは次のように言う。「企業やメディアを通じて、また市民社会を構成する無数の諸機関(大学、学校、教会、職業団体)を通じて、影響力のある強力なイデオロギーが流布された。かつて1947年にハイエクが思い描いた新自由主義思想はこうした諸機関を通じた「長征」を経て、企業が後援し支援するシンクタンクを組織し、一部のメディアを獲得し、知識人の多くを新自由主義的な思考様式に転向させて、自由の唯一の保証としての新自由主義を支持する世論の機運を作り出した。こうした運動は、その後、諸政党を捉え、ついには国家権力を獲得することを通じて確固たるものとなった」[3] 。また大学への影響については、「1982年に、ケインズ経済学はIMFと世界銀行の敷地内から一掃された。世界のエコノミストの大半は、アメリカの研究大学の経済学部で教育されてきた。ところが80年代末までにこれらの学部の大部分がそろって、経済政策の第一目標として完全雇用や社会的保護よりもインフレ抑制と健全財政に力点をおく新自由主義的政策目標にあからさまに忠実となった」[4]という。
スーザン・ジョージによれば、ヘゲモニーを早くから実行に移し成功したのはアメリカの右派であり、このおかげで1980年代以降の新自由主義政策推進の基盤が築かれたという。「右派の人たちは、早くから(・・・)学者や評論家に資金を提供しはじめ、大学の学科長や研究センターに寄付をし、講演やゼミナール、評価の高い雑誌や大学の出版物に援助を与えてきた。そして、誰であれ何であれ、法人資本、金融市場、そして現在の支配者の利益を促進することに有利な新自由主義的観念を発展させ広めるものを、あまねく支持してきたのである」[5] 。
政治的には、2000年代以降、ラテンアメリカでの左翼政権が、脱アメリカ(ベネズエラは石油資源開発からアメリカ企業を撤退させた)へと向かい、2010年には中東の軍事政権の民衆による転覆(ジャスミン革命)があり、エジプトで多極主義的な政治勢力が政権に就くなど、中東へのアメリカ支配が揺らいでいる。
軍事的には、世界に点在する米軍基地の縮小、撤退が行われている。また対テロ戦争においては、その遂行に際し、現地住民の犠牲を出すなど、軋轢も生じている。
経済的には、2008年にリーマン・ショックで深刻な不況に入り、2010年にはGDPが世界二位となった中国、そしてインドといった新興諸国が台頭し、AIIBという新たな国際金融機関が設立されるなど、アメリカを支えてきたIMFや世界銀行といった国際機関に頼らない枠組みも模索されている。
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最終更新:2024/12/19(木) 18:00
最終更新:2024/12/19(木) 17:00
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