村中恭兵(むらなか きょうへい、1987年10月25日-)とは、神奈川県出身のプロゲーマー元プロ野球選手(投手)である。
OB | |
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村中恭兵 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県愛甲郡愛川町 |
生年月日 | 1987年10月25日 |
身長 体重 |
188cm 88kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2005年高校生ドラフト1巡目 |
引退 | 2021年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
東海大学甲府高等学校では在学中に2回甲子園に出場しているが、1年夏はベンチ、2年夏は故障明けだったため出場はなかった。
2005年の高校生ドラフト1巡目で指名され東京ヤクルトスワローズに入団。背番号15。
2008年(3年目)に開幕一軍を勝ち取り、先発ローテーション入りを果たす。5月3日の読売ジャイアンツ戦では9回1死までノーヒットに抑えたが、亀井義行に打たれてノーヒットノーランを逃し、試合にも敗れた。8月までローテーションで奮闘したが、終盤は肘の故障で戦線離脱。無援護もあって6勝11敗、防御率4.34という成績だった。なおこの年はリーグ3位の12暴投を記録している。
2009年は前年の故障を引きずり、夏場にようやく一軍復帰。ローテーションの一角となることを期待されたが制球難から9試合で1勝6敗、防御率7.12と散々だった。
2010年は宮本慎也から15勝をノルマに設定され、開幕から先発ローテーション入り。コントロールと立ち上がりの悪さは毎度のことだったが大崩れはしなくなり、安定してQSの範囲でまとめられるようになる。無援護気味なのは相変わらずで、前田健太に次ぐ21QSを達成したがQS非勝率は5割越え。とはいえ1年間ローテーションを守り、28試合で11勝10敗、防御率3.44と好成績を残した。
2011年は開幕早々から故障続きで、本格的にローテーションに戻ってきたのは7月だった。復帰後も内容的にはピリッとせず、15試合で4勝6敗、防御率4.29に終わる。
2012年は開幕一軍入り、5月に一度離脱したが6月からローテーションに復帰。7月26日の広島東洋カープ戦で4回途中11失点なんて一幕もあったが、ギリギリで規定投球回数にも到達し、25試合で10勝7敗、防御率3.88(規定到達投手としてはワースト)の成績を残した。
2013年も先発ローテーションの軸として期待されたが、開幕から不安定な投球が目立ち、6月には中継ぎ調整を命じられた。7月後半から先発に戻るが打たれて二軍落ち。9月に復帰したあとも投球内容は冴えず、最終的に25試合(先発18試合)で5勝9敗、防御率5.00という成績に終わった。
2014年は開幕早々に腰痛で離脱。1ヶ月ほどは歩くのがやっとという状況だったという。7月に復帰したが8月に右肩関節炎で離脱と、二度の故障のため7試合の登板に終わった。
2015年は開幕早々の二軍戦で4回途中8四球11失点という大乱調。そこから深刻な制球難に陥ってしまい、二軍で35回2/3を投げて41四球・7死球、防御率8点台という惨状に終わり、一軍登板なしに終わる。オフに背番号を43に変更した。
2016年は開幕早々に一軍昇格。ビハインド担当のリリーフとして起用され、6月末には2試合先発も任され2年ぶりの先発勝利を挙げる。7月末に左肘の張りで1ヶ月ほど離脱したものの9月には復帰。52試合の登板で7勝3敗6ホールド、防御率3.90と復活を果たした。
2017年はリリーフとして開幕一軍入りしたものの、14回2/3で15四球と2年前の制球難が再発して一軍と二軍を往復。13試合の登板に留まった。
2018年も制球難は改善せず、6月に一軍昇格したが、5日のソフトバンク戦では上林誠知に3ランを浴び、15日の日本ハム戦で11球連続ボールなど打者6人に対して1安打4四球1暴投で1アウトしか取れず3失点して二軍落ち。3試合で2回4安打6四死球7失点、防御率31.50という成績に終わる。オフの契約更改では減額制限を大幅に超える50%ダウンを食らい、2014年から悩まされる腰の手術を受ける。
2019年は二軍で実戦復帰したものの、21回1/3で19四球と結局制球難を改善できないまま、一軍での登板なしに終わる。球団からは引退勧告を受けたがこれを固辞し、戦力外通告を受けた。トライアウトに参加したがNPBからのオファーはなく、現役続行を目指してオーストラリアのウィンターリーグに参加。
2020年2月、沖縄初のプロ野球球団・琉球ブルーオーシャンズへの入団が発表された。背番号はヤクルト入団時と同じ15。オフに退団、球団公式Twitterは「ご家庭事情」と発表したが、本人のTwitterによると「特に家庭で何か問題があったとかではないので訂正させていただきます。」とのこと。
2021年はBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスと契約。背番号15。同年9月14日に引退試合が行われ、オフに退団となった。
2022年より古巣・東京ヤクルトスワローズのアカデミーコーチを務める。
よく間違われるが、「恭平」ではなく柴田恭兵と同じ「恭兵」である。名前の由来はその柴田恭兵から。
いわゆる辻内崇伸の世代だが、スカウトは村中を評して「辻内が『剛』なら、村中は『柔』」と言った。コントロールが良いとも言われたが、プロ入り後は制球難が弱点の投手として通っている。ヤクルトのミスターフルカウント。
2010年から2012年の3年間は対巨人の成績が8勝4敗と相性が良かったため、阪神タイガースの能見篤史と並ぶ巨人キラーと言われた。特に2011年はシーズン4勝のうち3勝が巨人戦と、巨人ファンからは天敵として怖れられた。ただし2009年以前はむしろ苦手にしており(0勝6敗)、通算では負け越している(9勝10敗)。
さかなクンに似ているとよく言われる。
コミュ障話をするのが苦手なのか試合で好投してもヒーローインタビューで毎回のように炎上する。スワローズTVに出演した際にも司会者・共演者からイジられ続けた。
ドラゴンクエストモンスターズで神奈川3位、全国110位になったことがある(出典:白球男子vol.3)。野球しろよ。
琉球ブルーオーシャンズ入団時、球団が2日前に選手名を伏せて会見の告知をしていたため、ネット上では鳥谷敬、新庄剛志、川崎宗則といった大物の入団ではないかと噂されてしまい、会見では開口一番「ネットではいろいろ騒がれていましたが、すみません、僕です」と本人は何も悪くないの謝罪する羽目になってしまった。
通算:11年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 199 | 123 | 5 | 3 | 46 | 55 | 0 | 6 | .455 | 805.1 | 372 | 600 | 411 | 385 | 4.30 |
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最終更新:2025/01/07(火) 08:00
最終更新:2025/01/07(火) 07:00
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