今宮健太(いまみや けんた、1991年7月15日-)とは、大分県別府市出身のプロ野球選手(遊撃手)である。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
2007年、県内の野球の強豪校である明豊高校に入学し、野球部に所属。1年次から遊撃手としてレギュラー入りし、その年の夏から投手も兼任。打っては高校通算62本塁打、投げてはMAX154km/hという、打って良し投げて良しというオールラウンダーぶりを発揮。
3年次には夏の甲子園に出場。その際の対戦は
というその年の有力選手と毎試合戦うという組み合わせ。クジ運が良いのか悪いのか。ちなみに県大会では当時2年生の甲斐拓也とも対戦している。
福岡ソフトバンクホークス #6 | |
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今宮健太 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県別府市 |
生年月日 | 1991年7月15日 |
身長 体重 |
172cm 76kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 遊撃手 |
プロ入り | 2009年ドラフト1位 |
経歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
日米野球 | 2014年 |
プレミア12 | 2015年 |
プロ野球選手テンプレート |
2009年のドラフト1位で指名され、福岡ソフトバンクホークスに入団。背番号は「2」となった。この「2」は明豊の先輩である城島健司が付けていて、将来有望な捕手が誕生したら「2」を贈呈するというものだったが、恐らく城島が阪神タイガースに移籍したことにより、明豊の後輩である今宮が付けることになったと思われる。
2010年は1度だけ一軍に登録されるが、一軍の出場は一度もなかった。
2011年4月12日に一塁手の守備でプロ初出場。2011年6月6日に訪れたプロ初打席は三振に倒れた。
2012年、川崎宗則がシアトル・マリナーズに移籍したため、ポスト川崎の正遊撃手候補としてキャンプから大きな期待を寄せられ、積極的に起用される。しかし課題のバッティングで結果が出ず、打撃でアピールした明石健志に開幕スタメンを譲ることになった。開幕からしばらくは代走守備要員としての起用が中心だったが、本多雄一が首痛で離脱すると明石を二塁に回して遊撃スタメンで起用。本多の復帰後は再びバックアップに回ったが、8月に松田宣浩が離脱するとまた遊撃スタメンとなり、そのまま閉幕、クライマックスシリーズまで遊撃レギュラーの地位を守った。前半戦は全く結果の出なかった打撃も7月以降は高打率を残し、8月にはプロ第1号、翌日に2試合連発も記録。最終的に126試合に出場、打率.238、2本塁打14打点、21犠打8盗塁をマークした。
クライマックスシリーズでは、埼玉西武ライオンズとの1stステージ第1戦で本人曰く「小学生以来」という先制のスクイズを決める活躍を見せた。
2013年は完全に明石を蹴落とし、開幕から遊撃レギュラーとして起用される。6月までは低打率にあえぎ下位打線を打っていたが、徐々に調子を上げ、8月以降は本多雄一を押しのけて2番打者に定着。シーズンを通して遊撃レギュラーの地位を守り抜き、シーズン62犠打のパ・リーグ新記録をマーク。143試合に出場、打率.253、5本塁打43打点、10盗塁と打撃面でもまずまずの成績を残し、初のゴールデングラブ賞を受賞した。
2014年は全試合に出場。うち132試合で2番を打ち、NPB史上初となる2年連続60犠打を達成。ソフトバンクの優勝と日本一に貢献した。オフに初のベストナインと、2年連続のゴールデングラブ賞を獲得した。オフには日米野球にも出場した。
2015年はパ・リーグワースト2位の打率.228に終わったこともあって2番起用が22試合と大幅に減り、8番がメインとなったため犠打が35と大幅に減ったが(それでもリーグ最多)、自己最多の7本塁打を記録。3年連続ゴールデングラブ賞を受賞、オフにWBSCプレミア12に出場した。
2016年6月2日の中日ドラゴンズ戦で史上38人目の通算200犠打を達成。この年は122安打、10本塁打56打点と打撃成績を伸ばした。6月6日に一般女性と結婚。9月に右肘を痛めたため、オフに手術した。4年連続ゴールデングラブ賞を受賞。
2017年は前年の手術の影響でWBC日本代表を辞退。開幕には間に合い、ほぼシーズンを通して2番(たまに1番)として起用され、打率.264、14本塁打、64打点とさらに打撃成績を伸ばした。また2年ぶりに50犠打以上を記録した。5年連続のゴールデングラブ賞と、3年ぶり2度目のベストナインを獲得。
2018年は肘痛、左太もも痛と2回も故障に苦しみ、99試合の出場に留まりレギュラー定着後では初めて規定打席も逃した。そのためゴールデングラブ賞の連続受賞は5年でストップ。オフに背番号を「6」に変更。空いた「2」については甲斐拓也につけてもらいたいと球団に要望した。
2019年は前年からの左太もも痛を引きずりつつも、開幕当初は例年になく絶好調。5月にはチーム事情もあってプロ入り後初めて3番打者を任され、3割中盤の打率をマークして一時は首位打者にも立った。しかし左太もも痛は引かず、6月にあえなく登録抹消。7月に復帰したが開幕当初の調子は戻らずあっという間に打率を下げ、自己最多タイの14本塁打を放ったものの、打率は.256と結局例年通りの数字に。後半戦も左足の状態を考慮して休み休みの起用になったこともあり、前年に続いて規定打席にも届かなかった。
クライマックスシリーズでは、ファイナルステージ第4戦でCS史上初となる1試合3本塁打を放つなど19打数10安打と大暴れしてMVPを受賞した。
2020年も背中から右肩周囲の張りを抱えながらのプレーとなり、開幕から休み休み起用されていたが、8月20日に左ふくらはぎ痛で戦線離脱。左ヒラメ筋損傷と診断され、そのままシーズンを終えた。レギュラー定着後で最少の43試合の出場に留まる。
2021年は久々にほぼフルシーズン一軍でプレー。開幕から2番・遊撃で起用されたが相変わらず休みを挟んでの出場で、打撃も2015年以前に戻ってしまったかのような低空飛行。10月21日の日本ハム戦で走者と交錯し担架で運ばれ、3試合を残して戦線離脱してシーズンを追えた。125試合に出場したが4年連続で規定打席に届かず、打率.214、4本塁打に留まった。
遊撃手の守備は、一軍定着前から川﨑宗則以上という高い評価を受けており、ライバル明石健志の守備難もあってその守備力で遊撃レギュラーの地位を確保した。高校時代は投手で最速154km/hを記録した強肩には定評がある。
明豊高校時代は通算62本塁打のスラッガーでありながら、低打率で守備型のバント職人として一軍定着したため、若手時代には打撃で活躍するとファンから「これは明豊今宮」とか言われた。夏、特に甲子園予選が行われる7月に強いため、夏場に活躍すると「明豊時代を思い出してる」とか言われることも。
2016年からは2桁本塁打を続けるなど打撃でも結果を出し始めたため、最近は活躍すると「神宮」とか「新今宮」と呼ばれることが多い。また、ファインプレーをすると「坊西ィ!」となぜか坊西浩嗣が呼び捨てされる(坊西浩嗣・四家秀治の記事を参照)。
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
ソフトバンク | 応援歌のピコカキコ一覧 | 8792 |
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011年 | ソフトバンク | 18 | 1 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 |
2012年 | 126 | 343 | 307 | 24 | 73 | 8 | 1 | 2 | 14 | 8 | 21 | 2 | 10 | 3 | 75 | 2 | .238 | .267 | |
2013年 | 143 | 600 | 491 | 57 | 124 | 23 | 4 | 5 | 43 | 10 | 62 | 3 | 35 | 9 | 94 | 7 | .253 | .312 | |
2014年 | 144 | 662 | 551 | 61 | 132 | 26 | 1 | 3 | 42 | 10 | 62 | 4 | 41 | 4 | 104 | 10 | .240 | .295 | |
2015年 | 142 | 530 | 457 | 52 | 104 | 18 | 3 | 7 | 45 | 3 | 35 | 4 | 34 | 0 | 83 | 13 | .228 | .279 | |
2016年 | 137 | 590 | 497 | 74 | 122 | 22 | 5 | 10 | 56 | 8 | 38 | 5 | 47 | 3 | 86 | 7 | .245 | .312 | |
2017年 | 141 | 623 | 526 | 78 | 139 | 27 | 7 | 14 | 64 | 15 | 52 | 3 | 38 | 4 | 93 | 12 | .264 | .317 | |
2018年 | 99 | 405 | 354 | 45 | 94 | 18 | 1 | 11 | 45 | 5 | 22 | 2 | 25 | 2 | 60 | 5 | .266 | .316 | |
2019年 | 106 | 426 | 383 | 44 | 98 | 15 | 0 | 14 | 41 | 4 | 7 | 1 | 32 | 3 | 67 | 3 | .256 | .317 | |
2020年 | 43 | 177 | 164 | 30 | 44 | 7 | 2 | 6 | 22 | 2 | 5 | 3 | 5 | 0 | 22 | 2 | .268 | .285 | |
2021年 | 125 | 413 | 365 | 27 | 78 | 15 | 2 | 4 | 30 | 4 | 23 | 2 | 22 | 1 | 70 | 5 | .214 | .259 | |
2022年 | 130 | 510 | 450 | 56 | 133 | 30 | 0 | 7 | 47 | 3 | 19 | 1 | 37 | 3 | 71 | 14 | .296 | .352 | |
2023年 | 126 | 484 | 427 | 38 | 109 | 22 | 0 | 9 | 48 | 4 | 24 | 4 | 27 | 2 | 58 | 14 | .255 | .300 | |
NPB:13年 | 1480 | 5764 | 4973 | 589 | 1250 | 231 | 26 | 92 | 497 | 78 | 370 | 34 | 353 | 34 | 884 | 94 | .251 | .303 |
年度 | 球団 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011年 | ソフトバンク | 一塁手 | 11 | 25 | 0 | 0 | 1 | 1.000 |
2012年 | 遊撃手 | 122 | 143 | 257 | 12 | 35 | .971 | |
2013年 | 143 | 263 | 440 | 13 | 115 | .982 | ||
2014年 | 144 | 248 | 433 | 15 | 109 | .978 | ||
2015年 | 141 | 218 | 382 | 11 | 81 | .982 | ||
2016年 | 136 | 216 | 368 | 11 | 102 | .982 | ||
2017年 | 140 | 183 | 377 | 7 | 54 | .988 | ||
2018年 | 98 | 152 | 226 | 11 | 45 | .972 | ||
2019年 | 104 | 174 | 259 | 6 | 58 | .986 | ||
2020年 | 37 | 60 | 113 | 1 | 26 | .994 | ||
2021年 | 123 | 166 | 269 | 5 | 58 | .989 | ||
2022年 | 130 | 186 | 284 | 7 | 64 | .985 | ||
2023年 | 125 | 186 | 297 | 10 | 50 | .980 | ||
通算 | 一塁手 | 11 | 25 | 0 | 0 | 4 | 1.000 | |
遊撃手 | 1443 | 2195 | 3705 | 109 | 674 | .982 |
表彰 | ||
---|---|---|
ベストナイン | 2回 | 2014年、2017年 |
ゴールデングラブ賞 | 5回 | 2013年-2017年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 5回 | 2014年-2017年、2022年 |
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最終更新:2024/12/20(金) 20:00
最終更新:2024/12/20(金) 20:00
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