いずれ燃え尽きることが
恒星の宿命ならば
宙駆けめぐる光跡を
せめて彩りで満たさんと
ベガとは、1990年生まれの日本の元競走馬、繁殖牝馬である。
父は凱旋門賞馬トニービン、母アンティックヴァリュー、母父Northern Dancer。ベガはトニービンの初年度産駒だった。母は社台グループ総帥の吉田善哉氏がノーザンダンサーの直仔を求めて15万$で輸入した馬で、血統にはTom FoolやBold Rulerといった名種牡馬の名前が並ぶ良血。近親には夭逝した桜花賞馬シャダイソフィアがいる。
と、血統的には文句の付けどころがないのだが、ベガには大きな問題があった。その外見である。
やはり脚の内向を抱えていた母の遺伝だろうが、ベガは左前脚が「デビューできれば御の字だ」なんて言われるほど極端に内に曲がっていた。しかもその顔も、白い流星にところどころ茶色い斑点があるという妙なもの。今でも「競馬史に残るブサイク」としてその名が知られてしまっている。よく見れば細面だし目もきれいで、けっこう可愛い顔してると思うんだけどなぁ。豊もかわいいって言ってたし。
そんなこんなで、わざわざ総帥の肝煎りで買った牝馬の子なのに社台レースホースではなく善哉氏の妻である吉田和子氏の個人所有になってしまったのである。このベガという名前も和子氏の命名で、流星の斑点を星に見立てたらしい。そう聞くとロマンチックだけど実際は…。
育成調教も脚の異常続きで思うように進まなかったベガ。しかし、試しに坂路で調教してみたところ、脚への負担が少ないことが判明。さらに調教を積めるようになり、動きも良化していった。「引き続き坂路で調教すること」を条件として松田博資調教師に預託される。それ以外は「好きにやっていい」と言われたらしいが。
松田師は脚部不安を見越し、ゆったりと調教を進めていく。その中で、スタッフはこの馬の柔軟性や賢さに気づき、彼女への期待を深めていた。1回練習しただけのゲート試験も一発で通っている。93年初頭、状態が良くなったので試しに強めの調教をかけてみると、オープン馬と見紛うほどのすごいタイムを叩き出す。ということで、なんと1回追い切っただけでこの週のデビューが決まった。鞍上は厩舎所属の橋本美純。いくらなんでも追い切り一回ではファンも半信半疑だったか4番人気にとどまったが、先行して2着に好走する。
ベガは折り返しの新馬戦を圧勝して初勝利。このレースから武豊が騎乗している。なんでもこの新馬戦の直前、橋本が調教に遅刻したことに松田氏が激怒し、たまたま通りがかった豊を乗せたらしい。当時はユタカとマツパクは別に仲悪くなかったし。豊はこの馬の強さを感じ取り「この馬、オークス勝ちますよ」と話したという。
松田師は、そもそもデビューが遅かったうえ、初勝利の後で脚に異常が発生したことからオークスを目標に考えていた。しかし状態が好転したので桜花賞トライアルのチューリップ賞に出してみると3馬身差で圧勝。桜花賞の権利を持って帰ってきてしまう。これじゃ出ないわけにいかないということで桜花賞に挑むことになった。
前走の結果もあり1番人気に支持された本番。オッズはジャスト2倍とかなりの人気を集める。これが全盛期の武豊人気であろうか。レースもこの人気に応えるように、逃げ馬と並ぶような2番手から直線で抜け出し、最後はベガと真逆の美女と名高いユキノビジンの追撃を退けて勝利。ユタカが今も「自分でレースを作れた」と自賛する会心の競馬だった。この時善哉氏は危篤寸前の状態だったが、テレビでこのレースを観戦した後に体調を持ち直し、「また馬に助けられたな」と語ったという。なお、この勝利はトニービン産駒のGⅠ初勝利であり、産駒唯一の阪神競馬場でのGⅠ勝利である。
続くは陣営が本番に定めたオークス。一時はダービー出走も検討されたらしいが。勝利したら仏・ヴェルメイユ賞という遠征プランも明かされる。調教もいたって順調で、意気揚々と府中に向かった。ところがこの長距離輸送が堪えたか、発熱や食欲不振といった体調不良が発生。これが不安視され、1番人気ながら3.4倍とかなり人気を落としてしまう。もっとも、桜花賞のラスト1ハロンが13.4秒とマイル戦にしては異常に遅かったため、1600mでスタミナが切れたんじゃないか、2400m持たねえんじゃないかと予想する向きもあったが。
しかしベガはレースで全ての不安を粉砕。先団追走から直線では余裕綽々の手応えで伸び、先に抜けていたユキノビジンを難なく競り落として完勝。史上9頭目の春の牝馬二冠を達成した。レースを実況していたアナウンサーの三宅正治は、「勝ったのは13番のベガ!西の一等星は東の空にも輝いた!6年振り史上9頭目の牝馬二冠達成!」という名実況でベガの偉業を祝福した。武豊は「なんでこんな低いオッズだったんだろう?」と不思議がったとか。1番人気なのに。よほど自信があったのだろう。松田師も「不安らしい不安はなかった」と語った。
夏に筋肉痛でフランス遠征がおじゃんになった上、装蹄ミスが重なりエリザベス女王杯はぶっつけ本番。レース中に右後脚を負傷したこともあり「ベガはベガでもホクトベガ」の3着に敗れ、牝馬三冠は夢と消えてしまう。その後は幼少期のような相次ぐ脚部異常で思うような調教ができなくなり、3戦していずれも惨敗。宝塚記念後に左前脚に骨折が見つかり引退した。
生涯わずか9戦4勝。デビューから引退まで、まともな状態で走れたことはほとんどなかった。ユタカが「理想の牝馬。ベガは特別」と称賛したことに象徴されるように、ベガに関わった人達は皆そのポテンシャルを絶賛している。非常に大人しく我慢強いという気性のよさも持ち合わせており、あるいはもっと順調だったら…と思わずにはいられない。ベガの活躍後飛躍を見せた松田師はベガの管理から「やる前からあきらめてはいけない」ということを学んだとし、「今の自分があるのはベガのおかげ」と語っている。
生まれ故郷に戻ったベガは、母としても出色の活躍。初仔のイケメンアドマイヤベガがダービーを勝つと、2頭目のアドマイヤボスも重賞制覇。さらに3頭目のアドマイヤドンはGⅠ7勝を挙げ、ダート王として君臨。彼らの活躍でベガは一流の牝馬という評価を不動のものとした。しかし2006年、クモ膜下出血で急死し、産駒は5頭のみにとどまった。
その後、唯一残した牝馬ヒストリックスターの子ハープスターが、ベガとは逆に直線一気の競馬で桜花賞を勝利した。ハープスターとはこと座α星のこと、すなわちベガの別名である。ハンデを背負いながら生涯輝き続けた一等星は、その血脈を通じて今なおターフに輝きを放ち続けている。
93年 桜花賞
ハンディは、
強くなるためにある。
2011年度G1レース前に放送されたJRAのテレビコマーシャルは、そのG1で勝利した過去の名馬にフィーチャーした渋い内容で競馬ファンから好評を博した。以後3年に渡って「G1優勝馬」にフォーカスしたCMが制作されていくことになる。
2011年のトップバッターは「皐月賞+ミホノブルボン」だが、実はその前に「桜花賞+ベガ」のCMが放送される予定だったらしい。関係者用の非売品DVDには収録されていたようだが一般公開されることはなく、11年後の2022年になって、一連のCMシリーズを制作した映像ディレクター・小林大祐が自らのホームページで唐突に公開し、ようやくその存在が明らかとなった。
桜花賞の開催一か月前に東日本大震災が発生し、それに伴うCM自粛や諸々の日程変更の影響でお蔵入りしてしまったものと思われる。ハンディを持つ人への嫌味と受け取られかねない文面も自重されたのかもしれない。現在では小林氏のHPからも完全削除されており、公式には幻のCMとなっている。
*トニービン 1983 鹿毛 |
*カンパラ 1976 黒鹿毛 |
Kalamoun | *ゼダーン |
Khairunissa | |||
State Pension | *オンリーフォアライフ | ||
Lorelei | |||
Severn Bridge 1965 栗毛 |
Hornbeam | Hyperion | |
Thicket | |||
Priddy Fair | Preciptic | ||
Campanette | |||
*アンティックヴァリュー 1979 鹿毛 FNo.9-f |
Northern Dancer 1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco |
Lady Angela | |||
Natalma | Native Dancer | ||
Almahmoud | |||
Moonscape 1967 黒鹿毛 |
Tom Fool | Menow | |
Gaga | |||
Brazen | Bold Ruler | ||
Amoret | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Hyperion 4×5(9.38%)、Nasrullah 5×5(6.25%)
掲示板
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最終更新:2024/12/30(月) 09:00
最終更新:2024/12/30(月) 08:00
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