セバスチャン・ベッテル(Sebastian Vettel, 1987年 -)とは、ドイツ出身のアストンマーティンF1チーム所属の世界最高給の釘拾いF1ドライバーである。
F1昇格前からドイツの新星として注目され、昇格後はF1の最年少記録を次々と塗り替える天才ドライバー。2010年のアブダビGPで優勝してワールドチャンピオンとなり、ワールドチャンピオンの最年少記録を塗り替えた。2011年には第15戦日本GPでワールドチャンピオンを決め、史上9人目、最年少での2連覇を達成、2012年には最終戦ブラジルGPでワールドを決め、ファン・マヌエル・ファンジオ、ミハエル・シューマッハに次ぐ史上3人目の3連覇、2013年にはインドGPで同じく、ファン・マヌエル・ファンジオ、ミハエル・シューマッハに次ぐ史上3人目の4連覇を達成し、最年少での4連覇を達成した。
2010年シーズン、レッドブルは昨年シリーズ2位のベッテルそしてエイドリアンニューウェイ謹製の圧倒的戦闘力を誇るRB6を擁し死角は無いと望んだ。
ベッテルは19戦中10回のPPを獲得し、さぁ決勝も大暴れだ!!というところでマシントラブルや接触が多発し、19戦中リタイア3回を喫してしまう。さらにトルコGPではチームメイトウェバーとの1位争いの中でクラッシュ。ベッテルはリタイア、ウェバーは3位になるという悲劇に見舞われる。チームの体制に不満を募らせていたウェバーはぶち切れイギリスGPでは「ナンバー2にしては上出来だろ?」と発言し、チーム内の確執があらわになる。
日本GP開催直前の時点でベッテルは1位2回(マレーシアGP、ヨーロッパGP)2位2回(モナコGP、シンガポールGP)3位3回(スペインGP、ドイツGP、ハンガリーGP)という不本意な成績だった。
この時点でシリーズチャンピオン争いは激化しており、ウェバー202ポイント、アロンソ191ポイント、ハミルトン182ポイント、ベッテル181ポイント、バトン177ポイントと拮抗しており誰もがシリーズチャンピオンを獲れる位置にいた。
ついにベッテルの大逆襲が始まった。日本GPではPPを獲るとそのままポールトゥーウィンで3勝目、韓国GPでは某国の法則か呪いか知らないが急造のサーキット、大雨の中開催され、1位走行中にマシントラブルで無念のリタイアを喫するが、続くブラジルGPで優勝し4勝目
そして運命の最終戦ベッテルは231ポイントで首位アロンソ246ポイント、2位ウェバー238ポイントこの二人に勝ち、なおかつ二人が下位に沈まなければベッテルの優勝は無かった。
PPベッテルでスタート、アロンソ、ウェバー、ベッテルの見えない戦いが続いた。
ベッテルはポールトゥーウィンを目指しひた走る。後方に沈んでいたアロンソ、ウェバーは猛追するもそれを阻止したのは意外な人物だった。ヴィタリー・ペトロフである。このレースのキーマンは彼だったといっても過言ではないだろう。
ヴィタリー・ペトロフの必死の走りにより、知ってか知らずかアロンソ、ウェバーを押さえ込みベッテルの優勝を決定付けた。
ベッテルはポールトゥーウィンで勝利し、シリーズランキングを256ポイントにしアロンソ、ウェバーを逆転。
悲願のワールドチャンピオンに輝いた。そしてこの勝利はハミルトンの持つ史上最年少ワールドチャンピオン記録「23歳300日」を、「23歳134日」へと塗り替えることになった。
2011年シーズン、昨年の覇者ベッテルとエイドリアン・ニューウェイ謹製RB7を擁し2年連続のWチャンピオンを目指しシリーズをスタートさせた。
この年からタイヤサプライヤーがブリヂストンからピレリに変更。またKRESの復活やDRSというオーバーテイク促進の新デバイスも登場した。前年に引き続きブロウンディフューザーシステムを中心としたマシン開発を行ったことや他のライバルの苦戦からか前のシーズン、クラッシュやマシントラブルにより不本意な成績が続いた事を忘れさせるかのようなレース運びを続けた。
オーストラリアGP、マレーシアGPでポールトゥーウィン、続く中国GPでもPPを獲るがタイヤ選択のミスでハミルトンに競り負け2位、トルコGPではフリー走行でクラッシュするもPP獲得そのまま優勝。
スペインGPではポールを逃すもアロンソを猛追、ピットストップの差で首位に立つとそのまま逃げ切り優勝。
モナコGPでは中断やSC導入も集中力を切らさずそのままポールトゥーウィン。カナダGPでポールを獲得するも大雨のため中断、再開されたがファイナルラップで痛恨のスピン、バトンに勝利を譲ってしまい2位。
レギュレーションの変更が多々あったもののお構いナシにヨーロッパGPでもポールトゥーウィン。イギリスGPでもポールポジションを獲得するが、ピット作業のミスで順位を落とし2位。
シリーズ折り返しの第10戦ドイツGP、母国開催のレースはなんとしても勝ちたかったが、予選3位からスタートし、後方から攻めてくるアロンソとのバトルを展開、しかし痛恨のコースアウトを喫し一時は5位まで順位を落とす。しかし順位を4位まで回復させゴール。母国開催のレースを勝利で飾ることはできなかったものの、第10戦までで6勝、2位3回という圧倒的力を見せ付けた。
ハンガリーGPではPPを獲得するもマクラーレンの2台に抜かれさらに、ピットストップでアロンソにも抜かれるが、怒涛の追い上げを見せ、さらにハミルトンのスピンによって2位フィニッシュ
ベルギーGP、PPスタート、直後にニコ・ロズベルグに抜かれるが落ち着いて対応しすぐに首位に返り咲く、SC出動時のタイヤ交換などで一時的に順位を落とすも、抜き返し優勝した。
イタリアGP、PPスタート 母国優勝をねらうアロンソに一時は首位を譲ったが、猛烈な追い上げを見せぬき返し圧倒的スピードで逃げ切り優勝
シンガポールGP、PPスタート 破竹の勢いのベッテルを誰も止められない。スタートから専攻逃げ切りを図り圧倒的マージンを築くとそのまま安定した走りで優勝
5戦を残し、ポイントランキングはベッテル309ポイント、バトン185ポイント、アロンソ184ポイントとなった。この時点でアロンソとのポイント差が125ポイントでアロンソのシリーズチャンピオンは無くなり、バトンについても124ポイント差となり、ベッテルがポイントを獲得した、もしくはバトンが優勝できなかった時点でシリーズチャンピオンが決まることになった。
10月8日日本GP予選、Q2の時点でハミルトンにトップを奪われていたベッテルがQ3で怒涛のアタックをかけハミルトンを抜きトップに踊りでる。バトンが必死のアタックを駆けるも9/1000秒を逃げ切りベッテルが日本GPでの3年連続ポールポジションを決めた。
10月9日に行われる日本GPでのシリーズチャンピオン争いの決着、ベッテルの3年連続の優勝が期待された。
レースではピットでの戻り位置の不運などで3位となり鈴鹿3連覇こそ逃したものの、史上9人目2年連続のワールドチャンピオンに輝いた。また、これは史上最年少での連覇でもある。
あまりにベッテルの一方的な試合運びのため、第12戦には他のチームは2012年のレースを目標に切り替えたとされる。
この1シーズンでベッテルは19戦11勝を記録。これはミハエル・シューマッハの1シーズン13勝に次ぐ記録である。またPP回数は1シーズン15回と、ナイジェル・マンセルが記録した1シーズン14PPを上回り史上最多となった。
またコースレコードもこの年新規開催のインドGPを除く既存サーキットだと、4つのサーキット(メルボルン・モナコ・バレンシア・アブダビ)で記録しており。現在も更新されていない。
2012年シーズン、3連覇を目指すベッテルとエイドリアン・ニューウェイ謹製RB8を擁して始まった。
前年からタイサプライヤーとなったピレリが前年よりもデグラテーションの大きいタイヤにしたことにより全チームがセッティング及びタイヤ戦略に苦しめられることとなった。レッドブルも例外では無く、またレギュレーションの変更により、前縁まで持っていた大きなアドバンテージは無くなったとされる。前半戦では第4戦バーレーンGPで勝ったのみで下位に沈む事もあり、2010年のような苦戦を強いられた。またルノー製のオルタネータ―のトラブルにも悩まされ第8戦ヨーロッパGPでは首位走行中リタイア、第13戦イタリアGPでは6位走行中にリタイアとなった(レッドブルはこの年唯一のダブルリタイアとなった)
再びベッテルが勝利するのは第14戦シンガポールGPその後日本GP、韓国GP、インドGPで4連勝し、ワールドチャンピオンまで一気に近づく。
アブダビGPでは予選終了後コースにマシンを止めてしまい燃料サンプルの対象となり、燃料を採取をされたがレギュレーションで定められたサンプル量の1ℓに足りない850mlだったため予選タイム抹消、最後尾スタートとなりドライバーズランキング首位の座が危うくなった。予選タイム抹消を受けてギアを最高速寄りのセッティングに変更して決勝はピットスタートとなった。SCラン中に看板にぶつけてフロントウイングを交換する羽目になり、再び最後尾に転落するが終わってみれば3位表彰台と21台ごぼう抜きのオーバーテイクラッシュ。13ポイント差で2位のアロンソにとっては楽々ランキング首位奪還ができるはずだったが大きな誤算となった。
最終戦ブラジルGPの段階でアロンソとのポイント差は13ポイントとアロンソは表彰台が必須でベッテルは4位以上で無条件戴冠とベッテル有利の状況。ベッテルは予選4番手、アロンソは予選8位(予選6位のマルドナドが10グリッド降格ペナルティにより7位繰り上げ)とベッテルが楽に戴冠かと思われた。しかし、スタートで7位に落ち、更に4コーナーでブルーノ・セナと接触し最後尾まで落ち、更にマシンにもかなりのダメージを受けており3年連続戴冠は絶体絶命となった。しかしレース中天候が目まぐるしく変わり、更にベッテル自身も怒涛のオーバーテイクラッシュを見せ、最終的にアロンソ2位ベッテル6位と3ポイント差で3年連続のワールドチャンピオンを決めた。その後レース中にイエローフラッグ掲示中にオーバーテイクを行った疑惑がもたれたが、判定は白で3年連続戴冠確定となった。
2013年シーズン、4連覇を目指すベッテルはエイドリアン・ニューウェイ謹製のRB9でシリーズをスタート
開幕戦オーストラリアGP:2013年最初のPPをゲットするも今年のピレリタイヤが低気温やダウンフォースが強すぎると摩耗スピードが速くなる特性があり、高ダウンフォースのRB9に合っておらず、数周でタイヤがだめになり、タイヤ交換を行っても数周しか最適な状態で走れない状況が続き、3位表彰台が精いっぱい。
第2戦マレーシアGP:今季初優勝を達成するが、実はこの優勝はベッテルがチームオーダーを無視(首位走行中でクルーズ状態に入っていたウェーバーをオーバテイクして優勝を奪う)して獲得したものだった。この事件はウェバーが表彰台控室でベッテルに放った「Multi21だろセブ?」という言葉からMulti21騒動となり、ウェーバーとの関係はこれでほぼ修復不可のものとなる。この行為は当然首脳陣からの怒りを買い、マレーシアGP後ミルトンキーンズのレッドブルのファクトリーでスタッフに謝罪した。(この騒動後レッドブルはチームオーダー廃止を決定)
第3戦中国GP:決勝スタート時に硬い側のタイヤとするためにQ3でタイムを出さず予選9位にとどまりこの年唯一の3列目以降スタート。決勝では上位陣と異なる戦略をとって、表彰台を狙うが4位が精いっぱいであった。それでも残り6周で8秒以上離れていた3位のハミルトンに0.2秒差まで接近して表彰台獲得なるかという展開となった。
第4戦バーレーンGP:序盤でPPを獲得したロズベルグを交わした後は圧倒的なレースを展開し、FLラップを出す余裕も見せ今季2勝目をマークする。(このGPの表彰台のメンバーは去年と全く同じ人物達だった)
第5戦スペインGP:ピット戦略を3ストップに拘りすぎていたためペースが上がらず一時2位を走行するも最終的にはタイヤに優しいフェラーリ2台とロータスのキミ・ライコネンの後塵を期し4位にとどまる。またレッドブルのマシンが予選1発のタイムにおいてメルセデスに劣ってることが判明し、このGPから夏休みに入るまでPPを1回しか獲得できなかった。
第6戦モナコGP。メルセデス2台のすぐ後ろの3番グリッドからスタート。このレースはSC3回+25分のレース中断という荒れに荒れたレースとなった。ベッテルは1回目のSCのタイミングでベッテルはタイヤ交換を行い、3位から2位に浮上。そのままチェッカーを受ける。
第7戦カナダGP:マレーシアGP以来のPPを獲得し、決勝もお得意の先行逃げ切りのパターンに持ち込む。壁にヒットしかけることや1コーナーで膨らんだりすることもあったがそれ以外は危なげない独走状態に持って行き、6位以下のマシンを全て周回遅れにし、2位チェッカーのアロンソとも10秒以上の差をつける圧勝だった。
第8戦イギリスGP:予選はメルセデス2台のスーパーラップに完敗し3位。決勝では2位のロズベルグがスタートで出遅れて2位に浮上。8周目にトップ快走中のハミルトンの左リアタイヤが突然バーストしてトップに浮上し、快走を続けていたが42周目にギアボックストラブルによりスローダウン。今季初にして唯一のリタイアとなった。
第9戦ドイツGP:予選はメルセデスのロズベルグがまさかのQ2落ちもあって予選2位。決勝はスタートでPPのハミルトンをすぐさまオーバーテイクし、トップに立つ。レース中盤SCが入ったり、タイヤに優しいロータスに追いかけられる展開がずっと続いたがどうにかトップを守りきりキャリア初の母国優勝を達成。また今回の優勝で7月に勝てない・〇〇リンク系のサーキットで勝てない・母国で勝てないという3つのジンクスをぶち壊すことに成功する。
第10戦ハンガリーGP:予選はQ2で圧倒的な速さを見せ、誰もが40回目のポール獲得と予想していたがそれを上回るハミルトンのスーパーラップにより2位。決勝ではスタートで若干出遅れたがオープニングラップでは2位で戻る。しかしハミルトンについて行けず、1回目のピットストップでバトンに引っかかってしまったのが響き、タイヤに優しいロータスのライコネンに2位を奪われ3位表彰台が精いっぱいでベッテル自身かなり不満の残る週末になった。
第11戦ベルギーGP:予選は路面コンディションが改善したタイミングでアタックラップを行うことができ、ハミルトンに次ぐ2位。決勝はオープニングラップ、ケメルストレートでハミルトンをオーバーテイクし首位に立つと後続とのリードをどんどん広げる圧倒的な速さを見せた。終わってみれば40周目にはファステストラップを出すなど、2位チェッカーのアロンソと16.8秒もの大差をつける圧勝を遂げた。ここからベッテルの連勝劇が幕を開ける。
第12戦イタリアGP:カナダGP以来となるPPを獲得し、40回目のPPは初PP、初優勝の地で達成した。決勝はスタートで若干出遅れ、ブレーキング時にはタイヤスモークを上げてしまったものの、ポジションを譲らずそのまま後続との差を広げる。レース中盤にギアボックスに不具合が生じてレースペースを上げることができなくなったものの、それまでに築いていたマージンが大きかったためそのままポールトゥーウィンを達成。表彰台ではティフォシから激しいブーイングを浴びせられたがベッテル自身は特に気にしてはいなかった。(フェラーリの地元なのだからブーイングを予想していた)
第13戦シンガポールGP:予選はQ2でただ1人、1分42秒台となる1分42秒905を出してトップでQ3進出を決めると、そのQ3でQ2のタイムを更に上回る1分42秒841を叩き出しポールポジション獲得。決勝では好スタートを決めた予選2番手のロズベルグに1コーナーで前に出られるも2~3コーナーでポジションを取りかえし、その後は得意の逃げ切り作戦を開始。17周目にタイヤ交換を行いそのままトップでコースに復帰するも、25周目にSCが入ってそれまで築いたマージンが無くなった。タイヤに優しいフェラーリのアロンソがSC走行中にミディアムにタイヤ交換をして最後まで走りきる作戦を取って首位を奪取する作戦を取るも、30周目のリスタートからベッテルはFLを連発し、44周目にピットインをした時には何とピットストップ1回分の30秒ものマージンを築き上げる異次元の走りを見せ、ベッテルは悠々とトップでコースに復帰。48周目にはレース中のFLを叩き出すなど終わってみれば2位のアロンソと32.6秒という大差を作りだしてトップチェッカー。表彰台ではまたもやブーイングを浴びせられたベッテルだったが、これに対して冗談を返すほどの余裕を見せていた。
第14戦韓国GP:予選はQ3の1回目で出した1分37秒202が最速タイムとなり3戦連続PP。決勝では第2スティントで履いたミディアムタイヤの右フロントにかなりの摩耗が出ており(霊岩インターナショナルサーキット自体が右フロントに厳しいサーキット)ペースの悪化が懸念されたが、ペレスの右フロントタイヤのトレッド剥離でコース上に大きなデフリが散乱したためSCが出動。このタイミングでピットに入ってミディアムにタイヤ交換してトップでコース復帰。38周目に再びSCが出るが、SC明け後も良いペースで走行し、53周目にFLを出してロッキーにいつものように怒られた後そのままトップチェッカー。
第15戦日本GP:予選はチームメイトのウェバーのタイムに届かない2番手タイムとなり、2009年に鈴鹿でF1が再び開催され始めてから初めてPPを逃す。決勝は自身も「酷いスタート」だったと述べる悪い蹴り出しだったため、1周目終了時点では4番手からスーパースタートを見せてトップに浮上したグロージャンにも抜かされ、ポジションを1つ落とす3位となり、ペースもあまり上がっていなかった。そこで、ベッテルは上位陣では一番遅い15周目にハードタイヤに交換すると、そこからタイヤを労わりつつ走る2ピット作戦を取ることにした。これが上手くはまり、37周目に再びハードタイヤを履いたベッテルは29周目にタイヤ交換をしたグロージャンを41周目にオーバーテイクすることに成功し、更にウェバーが3ピットに作戦変更していたため、44周目にトップに躍り出るとそのままトップでチェッカーを受けた。チェッカー後のチームラジオでは「イチバン!イチバン!」と去年の表彰台インタビューで約束した通り新しく覚えてくれた日本語を披露してくれた。
第16戦インドGP:Q3に進出した半数以上のドライバーがレースを考えてミディアムを選択する(ソフトが使い物にならない)中、そんなこと知るかと言わんばかりにソフトを履いてコースに出ると、自身が出したコースレコードを0秒059短縮する1分24秒119を叩き出し、2位のロズベルグに0.7秒以上もの大差をつけて3年連続のポールポジション。決勝は2周目にソフトを早々に捨ててミディアムに交換。一度後方に下がるが、21周目にはミディアムスタートのウェバーから11.6秒後方の2位までポジションを戻す。その後ウェバーがソフトにタイヤ交換して再び首位に立ち、32周目にベッテルはミディアムにタイヤを交換して再度2位となるが、その2周後にウェバーがミディアムに交換し、三度トップに躍り出る。ウェバーがオルタネータ―の不具合でリタイアとなり、ピットのデータによればベッテルにもその予兆が見られていたためKERSのオフは勿論、ドリンクボトルのスイッチを押すなという指示も飛び、最悪リタイアも懸念されたが、無事トップチェッカー。残り3戦を残して4年連続のワールドチャンピオンを確定する。
なお初戴冠から4連覇は60年を超えるF1の歴史の中でも史上初の快挙である。
第17アブダビGP:予選はQ3最終アタックのセクター1でミスをしたためウェバーのタイムに届かず2位。決勝ではスタートでトップに躍り出ると再び他のドライバーを寄せ付けない(ウェバーのKERSが故障していたとはいえ)異次元の走行を見せ、終わってみれば2位のウェバーと30秒もの大差をつけてトップチェッカー、この時点で同郷の大先輩であるミハエルシューマッハが2004年に成し遂げた1シーズン7連勝の記録に並ぶ。
第18戦US GP:予選Q3の2回目のアタックで、セクター1・セクター2でタイヤをできるだけ温存し、実質セクター3のみで1回目のタイムより0.5秒タイム短縮をしてPPを獲得。決勝はスタート後のスーティルのクラッシュによりSCが入り5周目にレース再開となると、FLを連発して後続を引き離す。しかしこのGPでピレリが持ち込んだタイヤはミディアムとハードというコンサバなタイヤだったため、1ストップが主流であった。そのため、序盤からロッキーからタイヤを労われと注意を受けていた。レースがほぼ半分終えた27周目に上位3台の中で最初にピットに入りハードタイヤに交換。終盤、マシンにトラブルが疑われるも何事もなかったようで、54周目にはただ1人だけ1分40秒の壁を破る1分39秒856を出すとそのままトップチェッカー。USGP終了段階でシューマッハの1シーズン7連勝の記録を破り、1シーズン8連勝を達成する。
最終戦ブラジルGP:大雨によりQ3開始が40分の遅延となった予選だったが、インターミディエイトタイヤで2位ロズベルグのタイムを0.6秒以上も上回る驚異的な走りを見せて45回目のPPを獲得。決勝は金曜・土曜と打って変わってドライコンディションになる。スタートで出遅れて1コーナーをロズベルグに先に行かれるが、2周目のメインストレートで再びトップに立つといつものようにFLを連発して後続を突き放す。47周目に発生したハミルトンとボッタスのインシデントによりSC導入を警戒したチーム側はこの周でピットに入れる予定だったウェバーと共にダブルピットストップを選択。しかし、急な決定だったためかタイヤが用意されておらず13.0秒ものピットストップとなってしまった。しかし、3位のアロンソもSCを警戒してかピットに入ったためトップのままコースに復帰。天候が悪くなり、雨もポツリポツリと降っていたが最終的にはドライコンディションのままトップチェッカーを迎え、通算39勝目。2004年にミハエル・シューマッハが達成した1シーズン13勝(18戦中13勝)の記録に並ぶと同時に前人未到の1シーズン9連勝を達成し、アルベルト・アスカリの出走レースでの9戦連続優勝にも並ぶ大記録を達成してシーズンを終えた。
なおモナコGPで表彰台を獲得したことで通算50回目のポディウム登壇、また最後にクラッシュが原因によるリタイア(2010年第7戦トルコGP)をしてから70戦連続でクラッシュが原因のリタイアは無く、これはF1の新記録となってる(それまではニック・ハイドフェルドの56戦が最大)
この年は一転して新型ルノーPUの信頼性不足が大きく影響し、トロ・ロッソから昇格した僚友リカルドが3勝を挙げる傍らで、ベッテル自身は未勝利の年間5位に沈んだ。シーズン終盤にレッドブル離脱ならびにフェラーリへの移籍を発表した。
フェラーリに移籍。
この年から採用された固定ナンバー制では「5」を選択。
メルセデスへの対抗馬として期待され、結果的にはメルセデス&ハミルトンの圧倒的な速さの前に屈することとなったが、この年にはアイルトン・セナの優勝回数を上回るなど、ベッテルにとって印象深いシーズンとなった。
前年の好パフォーマンスからメルセデスへの対抗馬として期待された。
しかし終盤戦のマレーシアGPでは、タイトルを争うニコ・ロズベルグに追突し多重クラッシュの原因となって、ロズベルグから「四度のワールドチャンピオン魚雷」と評されるなど、精彩を欠くことが多かった。
しかし序盤戦のアゼルバイジャンGPではSC中に頭にきたのか、ハミルトンに故意に接触しペナルティを受け優勝を逃したり、夏休み明けのシンガポールGPではポールポジションからのスタート直後に2位スタートのフェルスタッペン、3位スタートのチームメイト:ライコネンとトリプルクラッシュをするなどのミスが目立ってしまった。
開幕2連勝を飾るなど順調な滑り出しとなったが、中盤戦ドイツGPではトップ独走中に単独コースアウト&リタイアを喫して以来、ハミルトン&メルセデスに対する旗色が悪化する。
またイタリアGPではハミルトンと、日本GPではフェルスタッペンと、そしてアメリカGPではリカルドと接触し単独スピンを喫するなど、ミスが目立つ後半戦となってしまった。
ただし、その中でも第7戦カナダGPでは2000年のミハエル・シューマッハ以来の、フェラーリのポールトゥウィンを達成したり、第13戦ベルギーGPでは序盤にハミルトンをオーバーテイクした後は圧巻の走りで優勝するなど、所々で輝きを見せてもいた。
マシンの性能不足やチーム戦略のミス、更にドライバー管理の問題も影響し、ベッテルとしては精彩を欠く場面が多く、ルクレールと対比されて批判的な論調も目立った。最終的には21戦中1勝含む表彰台9回で、年間5位に甘んじた。
フェラーリとの契約はこの年が最終年だったが、新型コロナウィルスの影響でずれ込んだ開幕を待たずして、5月時点で当年限りでのフェラーリ離脱が発表された。
シーズンは7月に開幕したが、マシンは前年よりも性能が低下しており、Q2突破すら厳しい有様だった。決勝でもチーム戦略は改善せず、17戦中未勝利(表彰台1回、最高順位は3位が1回)の13位と大きく成績を落とした。
アストンマーティンF1チーム(旧レーシング・ポイント)へ移籍。
2021年度マシンのAMR-21のテストの際、マシントラブルでマシンを操縦する時間がとれなかったり
チームが新たなレギュレーションへの対応が遅れてしまったため、序盤戦では成績が振るわなかった。
しかし第5戦モナコGPでは8番手スタートからピット戦略に成功し今期初入賞の5位でチェッカーを受け、
第6戦アゼルバイジャンGPではQ2の赤旗中断の影響で予選11番手スタートとなったが、最終的には移籍後初、チームにとっても初めての2位表彰台でフィニッシュした。
第11戦ハンガリーGPではオープニングラップの混乱を上手く回避し2位でチェッカーを受けたが、
レース後の燃料サンプルの抽出で規定の1.0Lより少ない0.3Lの燃料サンプルしか採取出来なかったため
レーススチュワードから失格の裁定を下された。
最終的には総獲得ポイント43でドライバーズランキング12位で終了した。
なお、この年から新たに追加された「Crypto.com オーバーテイクアワード」(シーズン中最もオーバテイク数の多い選手に贈られる賞)に於いて総オーバーテイク数「132」回で優勝した。
(2位は128回のフェルナンド・アロンソ、3位が127回のキミ・ライコネン)
シーズン開幕直前に新型コロナウイルスの陽性反応のため、第1戦、第2戦を欠場する事になった。
(ベッテルの代役はリザーブドライバーのニコ・ヒュルケンベルグ)
第12戦フランスGP後にチームとの話し合いを行うとされていたが、2022年7月28日 自身がそれまで
取得していなかったInstagramのアカウント取得し、Instagramの投稿で同年限りでの現役引退を発表した。
2011年、F1で圧倒的な成績を見せている中でTOPGEARに出演。有名人レースでタイムアタックを行った。
それまでルーベンス・バリチェロが先代スティグを唯一破っていたが、ベッテルはそれをも上回る1分44秒0をたたき出した。これは2013年にルイス・ハミルトン(1分42秒9)に破られるまで同レース最速であった。
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最終更新:2024/12/21(土) 18:00
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