サッカーイングランド代表とは、フットボール・アソシエーション (FA) により組織されるサッカーのイングランド代表チームである。
愛称はスリー・ライオンズ。ユニホームはホームがシャツが白でパンツが紺。アウェイがシャツが赤でパンツが白。
ホームスタジアムは首都ロンドン郊外にあるサッカーの聖地とも呼ばれるウェンブリー・スタジアム。
サッカーのナショナルチーム | |||
イングランド代表 | |||
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基本情報 | |||
国旗 | |||
協会 | FA | ||
大陸 | UEFA(ヨーロッパ) | ||
FIFAコード | ENG | ||
FIFA加盟 | 1905年 | ||
監督 | リー・ガーズリー | ||
FIFAワールドカップ | |||
出場 | 16回 | ||
最高成績 | 優勝(1回) | ||
UEFA欧州選手権 | |||
出場 | 11回 | ||
最高成績 | 準優勝(2回) |
サッカーの母国イングランドの代表チーム。愛称の「スリーライオンズ」はイングランドサッカー協会のエンブレムに描かれる「3頭の獅子」が由来となっている。
古くから世界を代表する強豪国として知られており、ボビー・チャールトン、ケビン・キーガン、ポール・ガスコイン、デイヴィッド・ベッカム、ウェイン・ルーニー、ハリー・ケインなど数多くの名選手を輩出している。しかし大舞台で勝負弱いという歴史があり、サッカーの母国という事や自国リーグの強さからか常に上位進出をしている国だと思われがちだが、獲得したビッグタイトルは1966年の自国開催のFIFAワールドカップのみである。ベスト4に進出したのも1966年を合わせて三度のみ。UEFA欧州選手権では2020年と2024年大会で準優勝したのが最高成績であり、思うような結果を残せていない。
イングランド代表が国際舞台で結果を残せていない理由としては、世界最高峰のリーグとなったプレミアリーグに多くの外国人選手が所属していることで国内若手選手の出場機会が減っていることが指摘されている。また、伝統的にPK戦に弱く、ワールドカップでは1勝3敗、UEFA欧州選手権では1勝4敗である。「イングランドのサッカー界でPK戦はある種のトラウマとなっている」という声もある。
また、サッカーのスタイルそのものが時代遅れであるという声もあり、近年のプレミアリーグの各チームは国外の世界的名将が多く招聘している反面、代表チームでは未だにフィジカル重視の古いブリティッシュ・スタイルから脱却できておらず、ベスト4に進出した2018 FIFAワールドカップでも内容の乏しさからあまり高く評価されていない。
最初に代表チームによる試合が行われたのは1870年のスコットランド戦であるが、以後40年近くサッカーの母国としてのプライドやら移動の問題やらで(当時は空路が整備されていない)、スコットランド、ウェールズ、アイルランド以外の国の代表とは試合をしてこなかった。
1909年に初めてイギリス以外のチームと試合をするようになったが、FIFAとThe FA(イングランドサッカー協会)の仲の悪さから初期のFIFAワールドカップには参加していなかった。それでも、サッカーの母国であるが故にイングランドこそが世界最強のチームだと信じる者は多かった。
初めてワールドカップに参加したのは第二次大戦後の1950 FIFAワールドカップ・ブラジル大会であった。スタンリー・マシューズやトム・フィーニ―を擁し、当然優勝を狙っての参加だったが、初戦こそチリ相手に勝利したものの、第2戦ではアマチュアの選手を含んだ超格下のはずのアメリカに0-1で敗れるというワールドカップ史上に残る大番狂わせを喫してしまう。この出来事は「イングランドサッカー史上最大の恥」と称され、試合で着用していた青のユニフォームは今日に至るまで使用されていない。失意のイングランドは第3戦のスペイン戦も0-1で落とし、初めてのワールドカップは1勝もできないまま1分2敗というまさかの結果に終わる。
1953年に当時「マジック・マジェール」と呼ばれ、世界最強の呼び声の高かったハンガリー代表とホームのウェンブリー・スタジアムで親善試合を開催するが、3-6で大敗。翌年、リベンジのためにブタベストへ乗り込むが、1-7と返り討ちに遭ってしまう。世界最先端の戦術をこなすハンガリーとの実力差は明らかであり、イングランドのロングボールを主体とする古き良きプレースタイルが時代の推移と共に時代遅れなものとなっていた。1954 FIFAワールドカップ・スイス大会では、初めてグループリーグ突破に成功するも、準々決勝でウルグアイに完敗している。
1958 FIFAワールドカップ・スウェーデン大会は、グループリーグの勝ち点で並んだソ連とのプレーオフに敗れ敗退。ここでも1勝を挙げることはできなかった。1962 FIFAワールドカップ・チリ大会では初めて大会に参加したボビー・チャールトンがチームの中心となり、得失点差でアルゼンチンを上回りグループリーグを突破したものの、準々決勝ではガリンシャを擁したブラジルに敗れてしまう。
1963年に監督に就任したアルフ・ラムゼイは、就任早々独自に代表選手選考を行なえる権限を得て選手強化に努める。そして迎えた自国開催の1966 FIFAワールドカップ・イングランド大会ではウイングを外し中盤の運動量を重視した4-4-2システム(ウイングレス・システム)を採用。地元開催の重圧の中、グループリーグを首位で突破。準々決勝でもアルゼンチン相手に完封勝利を飾り、ボビー・ムーア、ジャッキー・チャールトンやGKゴードン・バンクスの活躍により4試合連続完封勝利で過去最高のベスト4進出を果たす。準決勝ではエウゼビオ擁するポルトガルをボビー・チャールトンの2ゴールで撃破。聖地ウェンブリーに98000人も観客を集めた西ドイツとの決勝は、2-2のまま延長戦に突入。延長戦に入り、ジェフ・ハーストが2つのゴールを決め、念願だったワールドカップ初優勝を果たす。試合後、主将のボビー・ムーアがエリザベス女王2世からジュール・リメ杯を受け取る姿はイングランドサッカー史上最高の瞬間とされている。また、優勝に大きく貢献したボビー・チャールトンは後に「サー」の称号を授けられた。一方、西ドイツ戦でのハーストの延長前半11分の決勝ゴールは、ゴールラインを越えたか否かで物議を醸しており、この因縁は現代に至るまで引きずられている。
UEFA欧州選手権には第3回となった1968年から参加、初出場となったこの大会では2年前のW杯優勝メンバーを中心に構成されていたが、準決勝でユーゴスラビアに敗れ、3位となる。1970 FIFAワールドカップ・メキシコ大会では、準々決勝で前回大会の決勝で因縁が勃発した西ドイツとの再戦が実現するが、またも延長まで持つれこみながらリベンジを許してしまう。
1970年代に入ると、EURO1972、1974 FIFAワールドカップと連続で予選敗退となり本大会出場を逃す。低迷の責任を問われたラムゼイ監督は辞任に追い込まれる。しかし、それでも低迷から脱出することはできず、EURO1976、1978 FIFAワールドカップでも予選を通過できず、実に10年もの間国際大会から姿を消すこととなった。EURO1980で久々に本大会出場を果たしたが、グループリーグ敗退。12年ぶりの出場となった1982 FIFAワールドカップ・スペイン大会では、期待されたケビン・キーガンの負傷の影響もあって得点力不足に悩まされ、2次リーグで敗退となった。
スペインW杯後、イプスウィッチを躍進させたボビー・ロブソンが監督に就任。EURO1984で予選敗退となり批判を集めたが、1986 FIFAワールドカップ・メキシコ大会ではグループリーグ初戦のポルトガル戦に敗れる厳しい出足となり、第2戦も伏兵モロッコにスコアレスドローに持ち込まれるが、ポーランド戦でゲーリー・リネカーが前半だけでハットトリックを達成し、チームは盛り返す。ラウンド16のポーランド戦もリネカーの2ゴールの活躍で勝ち抜くが、準々決勝のアルゼンチン戦では伝説として語り継がれているディエゴ・マラドーナの神の手ゴールと5人抜きゴールの前に敗れている。なお、この大会で6ゴールを記録したリネカーは得点王に輝いている。2年後のEURO1988本大会ではグループリーグ3戦全敗に終わり、ロブソンは再びメディアからの批判を受けることになる。
1990 FIFAワールドカップ・イタリア大会では、スイーパーを導入したシステムが功を奏しグループリーグを首位で突破。決勝トーナメントに入ると、負傷した主将のブライアン・ロブソンに代わって司令塔を任された若手のポール・ガスコインと前回得点王のリネカーが活躍。準々決勝では大会の台風の目となっていたカメルーンを延長戦の末に破り、1966年大会以来となるベスト4進出を果たす。準決勝の西ドイツ戦でも先制されながら後半のリネカーのゴールで追いつくが、最後はPK戦で敗れている。3位決定戦でも開催国のイタリアに敗れ、4位で大会を終える。準決勝で敗れた際にガスコインが見せた涙はこの大会のハイライトシーンの1つとして取り上げられている。
大会後にロブソンから代表監督を引き継いだグレアム・テイラーだったが、不可解な采配や偏った選手起用でせっかく回復しつつあった母国の威信を失墜させることになる。EURO1992ではグループリーグ敗退、そして1994 FIFAワールドカップは欧州予選で得失点差で敗退し、大会出場を逃す。ちなみにこの大会は、イギリス4協会の代表チーム全てが出場権を逃している。
失意に暮れる間もなく、自国開催のEURO1996を控え、テリー・ヴェナブルズが監督に就任。大きな重圧を受ける中での大会では、これまで代表では結果を出せずにいたアラン・シアラーが得点王に輝く活躍を見せたこともあり、ベスト4まで勝ち上がる。30年ぶりの国際大会でのタイトル獲得に国民の大きな期待が集まるが、準決勝でまたもやドイツにPK戦で敗れて優勝を逃す。大会後、ヴェナブルズは辞任し、グレン・ホドルが後任として就任。
2大会ぶりの出場となった1998 FIFAワールドカップ・フランス大会は、精神面に不安を抱えていたガスコインが落選となるが、当時18歳の「ワンダーボーイ」マイケル・オーウェンが期待通りの活躍を見せ、グループリーグを首位で突破し、決勝トーナメントへ進出する。しかし、ラウンド16のアルゼンチン戦ではまだ23歳だったデイヴィッド・ベッカムがディエゴ・シメオネの兆発に乗って報復行為をおこない退場となり敗退。大会後、ベッカムは戦犯扱いで大バッシングを浴び、10人の勇敢な獅子と1人の愚かな若者と評された。
EURO2000でグループリーグ敗退に終わり、FAは史上初の外国人監督であるスヴェン・ゴラン・エリクソンを監督として招聘する。2002 FIFAワールドカップ・日韓大会では、キャリアの絶頂期にあったベッカムに注目が集まり、開催国の日本では空前のフィーバーとなるほどだった。アルゼンチン、ナイジェリア、スウェーデンという「死の組」に入ったグループリーグでは、前回因縁が燃え上がったアルゼンチン戦でベッカムがPKを決めて勝利し、リベンジを果たす。準々決勝のブラジル戦ではロナウジーニョの2ゴールによって逆転負けを喫し、ベスト8で姿を消すことになる。
この頃のイングランドは、ベッカム、オーウェンに加えてウェイン・ルーニー、スティーブン・ジェラード、フランク・ランパード、ジョン・テリーといった名選手を数多く揃えており、常に優勝候補として名前が挙がるなど大きな期待が集まったが、EURO2004、2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会といずれもベスト8止まりと期待外れの成績に終わっている。この頃には国内のプレミアリーグは世界最高峰のリーグへと成長していたが、それが代表の結果には結び付いていなかった。特にベッカムは世界的な人気選手となっていたが、代表キャリアではタイトルを獲得できないままとなった。
EURO2008本大会の出場権を逃したことを受け、2007年に2人目の外国人監督であるファビオ・カペッロを招聘。2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会では欧州予選で圧倒的な攻撃力を見せたものの、本大会では守備的で低調なパフォーマンスに終始し、ラウンド16でドイツ相手に1-4と大敗。なお、この試合ではランパードの放ったシュートが認められず、相手がドイツということもあって1966年大会のハーストの決勝ゴールを思わせる誤審が話題となった。
続投となったカペッロだったが、EURO2012本大会出場権を獲得した後にFAとの対立で辞任。後任監督となったロイ・ホジソンのもとで戦ったEURO2012は、イタリアとの準々決勝で苦手のPK戦の末に敗れている。イタリア、ウルグアイとワールドカップ優勝経験国が3チーム同居する「死の組」に入った2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会は、伏兵コスタリカに出し抜かれ、1勝もできないままグループリーグ敗退に終わる。EURO2016でも特にインパクトを残せないままラウンド16で伏兵アイスランドに敗れてしまう。
ホジソン辞任後、サム・アラダイスが監督に就任するも、デイリー・テレグラフの囮取材によって不適切な言動が明らかとなり、2016年9月にわずか1試合のみで契約を解除される。急きょ代表監督に就任したガレス・サウスゲートは伝統の4-4-2を辞めて3バックを導入し、若手を積極的に起用。2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会では組み合わせに恵まれたことは否めないが、大会得点王に輝いたハリー・ケインの活躍もあって1990年大会以来24年ぶりのベスト4進出を果たす。しかし、準決勝ではルカ・モドリッチを擁するクロアチアを相手に延長戦の末に敗れ、3位決定戦でもグループリーグでも対戦したベルギー相手に敗北。タイトルには手が届かなかった。
ロシアワールドカップ後も続投が決まったサウスゲートはメイソン・マウントら新世代のタレントを続々と代表に定着させ、さらなる世代交代を推し進める。EURO2020では手堅すぎるスタイルが一部から批判されたものの、無失点の首位でグループリーグを突破。決勝トーナメントに入ると、それまで鳴りを潜めていたエースのケインの覚醒によってウクライナ、デンマークを破り、初の決勝進出を果たす。ウエンブリーで開催されたイタリアとの決勝は、1-1の同点のままPK戦での決着となるが、キッカーに抜擢された若手3人が連続して失敗したことで敗北。またもあと一歩でタイトル獲得はならなかった。
2022 FIFAワールドカップ・カタール大会では、初戦のイラン戦で大量6ゴールを奪って圧勝すると、2勝1分の首位で順当にグループリーグを首位で突破。特に21歳のブカヨ・サカや19歳のジェード・ベリンガムといった若手の躍動がしていた。優勝候補同士の対戦となった準々決勝のフランス戦では1点を先制されるもケインのPKで同点に追いつく。再びリードを許るすことになるが、直後にこの試合2回目のPKチャンスを獲得。しかし、ケインのPKは枠を外れてしまい、前回王者相手に互角以上の戦いを見せながらベスト8で大会を去ることに。
ベリンガム、フィル・フォーデン、サカらがワールドクラスの選手に成長したことで大会屈指のタレント軍団となったEURO2024では、塩試合が続く乏しい内容ながらも守備力の高さと勝負強さによってグループステージを首位で突破。決勝ラウンドに入ってからも組織力が乏しく、せっかくのタレントが十分に力を発揮できず、試合内容の乏しさから批判を受け続けることになるが、ベスト16でスロバキア、準々決勝でスイス、準決勝でオランダを3試合全て先制されながらもそのビハインドをはねのけ、2大会連続で決勝に進出。ケイン、フォーデンら主力の調子が上がらない中で控えのコール・パーマーや決勝のスペイン戦でも先制ゴールを許しながら、途中出場のコール・パーマーの同点ゴールで追いつき、初優勝への執念を見せる。しかし、延長戦突入も視野に入ってきた86分に勝ち越しゴールを許してしまい、力尽きてしまう。結局、2大会連続で準優勝となり、またもタイトルを獲得できず。保守的な采配が批判されていたサウスゲート監督は大会後に辞任。
太字はワールドカップで指揮を執った監督。赤字はワールドカップ優勝監督。国旗が付いているのは外国人監督。
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掲示板
8 ななしのよっしん
2023/10/22(日) 12:14:45 ID: zsre/du+1v
レジェンドの1人がまた。
ミュンヘンの悲劇で生き残り、事故後のマンチェスターユナイテッドを支えて復活させ、代表ではイングランド唯一の66年の優勝に貢献。
Rest in Peace 🙏
“伝説的サッカー選手” ボビー・チャールトンさん死去 86歳
https://
9 ななしのよっしん
2023/10/22(日) 14:57:47 ID: vKakvoz3qc
サー・ボビーは日本とも縁のある人なんだよね。Jヴィレッジの名付け親も彼になってるくらいだし
10 ななしのよっしん
2024/01/13(土) 06:35:19 ID: mZyjrXHnOS
変なプライド持たずに最初からイギリス代表として出てたら今より成績良かったかもな
イギリスの五輪金メダル獲得数が多いのもクリスホイ他イングランド以外の出身者が多数いるからってのもあるだろうし
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/06(月) 13:00
最終更新:2025/01/06(月) 13:00
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