若葉とは、艦隊これくしょん~艦これ~に登場する、帝国海軍・初春型駆逐艦3番艦「若葉」をモデルにした艦娘。CVは小林元子。デザインはやどかり。図鑑番号:77。
概要、助かる
初春型の3女。姉の「初春」「子日」とは絵師や服装が異なり、妹の「初霜」と同じく黒いブレザーに赤いネクタイをしている。ただし、きっちり着ている「初霜」と違って若葉はネクタイを緩め、ブレザーはボタンを留めていない。そのラフな着こなしぶりから、「初春型のイケメン枠」とも。絵師・デザインが姉2人と異なるのは、建造途中に「初春」の復元性能不良の問題が発覚し、その改善を受けてから竣工したことに由来すると思われる。(更に言えば、7年越しに実装された「有明」と11年目目前に実装の「夕暮」も建造開始直後に設計変更と修正工事を受けたことから担当絵師・担当声優が異なっている。)
髪や瞳の色は絵師が同じである「雷」「電」「文月」とほぼ同じなので、中破絵や二次創作では区別が難しいとよく言われるとかなんとか。
性格はクールな武人タイプ。ロリロリしい見た目に対して年齢不詳の特徴的な声からの男前な台詞という二段構えのギャップが特徴的。母港でクリックしていると「ん? 解読不能なモールス信号だな、どういう意味だ?」と提督のセクハラをモールス信号と誤解する程度には知識が無いようである。また、中破時の「痛いぞ! だが、悪くない……」という台詞や「24時間寝なくても大丈夫」と言い放つあたりからか、一部でドM扱いされたりする。史実で二度ほど他の艦に突っ込まれているので、何かに目覚めたのかもしれない。その中破絵の脱げっぷりもなかなか豪快で、ぺったんこな胸元にモールス信号を……あっなんですか憲兵さん私は無実でs
性能的には他の初春型と変わらないので運用はお好みで。第五艦隊第一水雷戦隊所属艦の数少ない改二未実装[1]の艦娘であり、更に一切の追加グラもない。冒頭の台詞で言及している「奇跡の作戦」ことキスカ島撤退作戦には衝突事故では参加できなかった(後述)ので、キスカ島撤退作戦を元にした難関ステージである3-2「キス島撤退作戦」マップに、育成して連れていってあげるのもいいだろう。上司(阿武隈)の改二関連任務で必須艦になっていることもあるので、任務遂行を考えるならある程度育ててあげてほしいところ。
余談ではあるが、公式四コマでは第9話(初めての水上訓練)で姿を見せており、「深雪」と「電」の訓練姿をを見たあとに「初霜」を見てトラウマが思い起こされてのか、ゲーム内では見ることのない狼狽えているような素振りを見せていた。
若葉「霧は出てないけど5隻は開けろよ!絶対だぞ!」
初霜「わかってるわよ。」
それ以降も、何かと2人一組で登場しては「初霜」の世話を焼いているのが見られる。悪くない。同作品では初霜改ニ実装の回でも共演していた。
余談だが、二次創作ではよく煙草を吸っている印象がある。煙草の「わかば」からの連想であろうか? まぁロリに見えようと歴戦の駆逐艦なので煙草を吸っていてもおかしくはないのだが。
史実か、それも悪くない
①計画の1艦として1931年12月12日に佐世保海軍工廠で起工。建造途中で「初春」の復元性能不良問題が明らかになったため、妹の「初霜」ともどもその改善工事を受け、1934年10月31日に竣工した。先に竣工した同型艦「初春」「子日」「初霜」で編成されていた第21駆逐隊に編入。最後に竣工した「若葉」は艦歴のほとんどの期間、同隊の司令が座乗する司令駆逐艦を務めていた。
日華事変後の仏印進駐作戦を皮切りに、太平洋戦争が開戦すると、南方でケンダリー攻略作戦、マカッサル攻略作戦、バリ島攻略作戦などに参加したあと、北方部隊に移りアリューシャン作戦、キスカ島輸送作戦などに従事した。キスカ島輸送作戦中に、爆撃機に襲われ航行不能に陥った「初春」を「初霜」とともに救援し幌筵に曳航、第21駆逐隊司令駆逐艦を「初春」より継承している。
1943年3月27日、アッツ島沖海戦に参加。同月30日、「雷」に突っ込まれて軽い損傷を負う(突っ込んだ「雷」は艦首大破の損傷を負った[2]。)。その後は内地~千島間の船団護衛に従事する。
7月にはキスカ島撤退作戦に呼ばれたが、7月26日に濃霧のため、今度は「初霜」に突っ込まれる(図鑑で「初霜」に対して言及しているのはこのため)。ついでにこのとき「初霜」は「長波」にもぶつかっており、そもそも「初霜」が「若葉」に突っ込んで来たのは海防艦「国後」が「阿武隈」にぶつかったためという五重の玉突き事故であった。この衝突による損傷が激しかった「若葉」は警戒隊指揮艦任務を「島風」に移譲(21駆司令が「島風」に移乗)後単独で幌筵に帰投、佐世保で修理することになり、撤退作戦そのものには参加できなかった。修理完了後は北方の船団護衛や対潜掃討任務にあたる。
1944年6月からは硫黄島輸送作戦に従事。10月からは第1水雷戦隊の志摩艦隊に所属し、台湾沖航空戦の残敵掃討に「初春」「初霜」ととも出撃するも、誤報であったため僚艦共々引き返した。捷一号作戦(レイテ沖海戦)では第二遊撃部隊(志摩艦隊)本隊から分派され、台湾~マニラ間の輸送任務に派遣される。この任務を終え志摩艦隊に合流するためスール海を南下していた10月24日、パナイ島西方で米空母「フランクリン」艦載機の攻撃を受け、直撃弾1発、至近弾1発を被弾し沈没。20名が戦死し、生存者は「初春」「初霜」に救助された。12月10日除籍。
戦後、その名前は護衛艦「DE-261 わかば」(1956年就役、1971年除籍)に受け継がれたが、この護衛艦「わかば」は元々戦時中に建造された橘型駆逐艦10番艦「梨」(橘型については「松型駆逐艦」を参照)で、戦時中に沈没したのを戦後スクラップ目的でサルベージしたところ状態が良かったために国がわざわざ買い戻して、復旧した後に護衛艦に転用した。「なし」だと紛らわしいために「わかば」となった。主に実験艦として色んな装備をなされており、なかなか数奇な運命を辿った艦である。これらの経緯から海上自衛隊にとって「わかば」は旧海軍の後継組織であることを証明する『血統書』という意味合いがある。
関連動画があるみたいだぞ
この静画を待っていた
左舷、関連項目発見だ
初春型姉妹 / 初春型駆逐艦 |
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1.初春 - 2.子日 - 3.若葉 - 4.初霜 - 5.有明 - 6.夕暮 |
脚注
- *姉の子日も改二未実装ではあるが、子日は第五艦隊に編入される前に戦没している。他、レイテ沖海戦までに戦没したり一水戦を離れた艦のうち朝雲・薄雲・白雲・涼風が改二未実装。
- *この時の「雷」の艦長は後の坊ノ岬沖海戦時の磯風の艦長となる前田實穂少佐。規律にうるさい性格と前任者「仏の」工藤俊作艦長と比べられ、「雷」での前田艦長の評価は散々だったらしい。なお、当時の僚艦「電」の艦長は後に「磯風」の僚艦となる「雪風」の寺内正道艦長。
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