多摩(たま)とは、大日本帝国海軍の軽巡洋艦、多摩をモデルにした艦娘だにゃ。
語尾に“にゃ”が付くのが特徴だにゃ。
担当イラストレーターはUGUME、担当声優は佐倉綾音だにゃ。
概要だにゃ
序盤から入手可能な軽巡洋艦娘の1人にゃ。
多摩は“たま”って名前だけど猫じゃないにゃ。時々間違えられるけど、“くま”ではないのにゃ。それは姉ちゃんにゃ。
ドックで丸くなるけど猫じゃないにゃ。
足跡が猫っぽいけど猫じゃないのにゃ。
球磨と木曾とはお揃いの白いセーラー服だにゃ。2人と比べると無口だけど、意外と闘争本能は強くてやる時はやるのにゃ。実は静かに燃えるタイプなのにゃ。
電ちゃんが掛け軸を書いてる時は邪魔して悪い事をしたのにゃ。でも、そのおかげでとっても可愛くなったみたいで良かったのにゃ。
お着替えにゃ
2015年9月には、球磨といっしょに浴衣modeが実装されたにゃ。
多摩のは青い浴衣で、右手には金魚を入れたビニール袋を持ってるにゃ。
左手に持ってるのは焼きイカにゃ。ちなみに猫にイカを与えると腰を抜かすから与えてはいけない、と言われてるけど、あれは生のイカがよくないというだけで、焼いてしまえばいいのにゃ[1]。だから、中破絵でしゃがみ込んでるのはイカのせいじゃないのにゃ。
2016年も、去年に引き続いて浴衣modeが実装されてたにゃけど、10月21日の秋刀魚漁解禁と一緒に、秋刀魚modeが実装されたにゃ。
秋刀魚漁は北の方でやるから、多摩にもカーディガンがもらえたにゃ。これでぬくぬくにゃ。……睦月みたいとかいうにゃ。
大漁旗も背負って、多摩もちょっと本気を出すにゃ。
あと、中破絵はあまり見ないでほしいにゃ……。おっきいとか言われても、その、困るにゃ……。[2]
改二だにゃ
2017/12/11、多摩にも改二が実装されたにゃ。
必要レベルは70で、改装設計図が必要にゃ。
史実では7番砲を12.7cm砲後期型に換装しただけだったけど、今回は全ての主砲を12.7cm砲後期型に換装、さらに魚雷発射管も四連装酸素魚雷に交換、立派なカタパルトも積んで、ほぼ全身をおニューにしてもらったにゃ。
最近は色んな装備品を搭載できたりできなかったりする軽巡改二業界、木曾みたいな甲標的の扱いは習得できなかったけど、その代わり水上戦闘機とか熟練整備員とかカ号観測機とか大発とか色々積めるようになったにゃ。
特に水上戦闘機を積んで制空権争いに加われる軽巡としては由良ちゃんに続いて2人目で、由良ちゃんと違って甲標的までは使えないけど、その代わりステータスは阿武隈ちゃんにとほぼ同レベルの水準があるにゃ。
ちなみに地味にデフォルトの射程が中から短になってるにゃ。
多摩の改二の持参にある、ちょっと前にランカー報酬で実装された新装備「北方迷彩(+北方装備)」は装甲と回避が挙がるバルジの一種にゃ。
私と、同じく北方迷彩を施している木曾、北の方に縁がある繋がりなのかВерныйちゃんと神威さん、後は香取さんと鹿島さんと大鯨さんが装備できるにゃ。ガングートさんは装備できないみたいにゃ。
そのままだと装甲+2回避+2と少なくとも装甲目的では微妙な装備だけど、私か木曾が装備した場合だけ装甲+2回避+7のボーナスが発生するらしくて、装甲+4・回避+9と言うすごい装備になるにゃ。
補強増設枠に積めるので多摩に遠慮なく補強増設使ってくれて構わないにゃ。
戦史だにゃ
球磨型軽巡洋艦の二番艦であり、艦名は東京都(竣工当時は東京府)の多摩川に由来する。
1918年8月10日に三菱造船(現在の三菱重工業)長崎造船所にて起工し、1920年に進水、1921年に竣工。実は一番艦である球磨よりも起工日は早かったりする(球磨は8月29日)が、進水・竣工時期は半年近く遅れている。
太平洋戦争開戦時には5番艦木曾とともに第五艦隊に配備され、主にアリューシャン列島~小笠原諸島にかけての北東海域に展開。艦娘の木曾改二には北方迷彩がデザインされているが、史実では木曾だけではなく多摩にも北方迷彩は施されていた。
皇軍にしては珍しく守備隊全員がほぼ無傷での撤退を成し遂げた事、また、多くの提督達の慢心を戒める木村昌福提督の金言、『帰ろう。帰ればまた来られるから』で知られるキスカ島撤退作戦においては、第五艦隊司令長官である川瀬四郎提督の座乗艦を務めている。
ただし、本作戦における多摩は、あくまでも一度帰った木村提督に対する督戦のために投入されたものであり、木村提督が指揮していた第一水雷戦隊の旗艦は阿武隈である。また、当初の予定では司令部座乗艦は那智だったのだが、重油不足のため多摩が投入されたという経緯がある。
ちなみに、この時には既に他の球磨型と同様旧式化していたため、水上機運用能力を持たせる等の改修が行われている。
キスカ撤退作戦の後、多摩は今度は南方に赴き、輸送部隊の護衛に当たる。もはや旧型である球磨型ではあったが、それでも忙しく働いた。
その最期は1944年10月25日、エンガノ岬沖海戦。小沢囮艦隊の一員に多摩も加わっていた。
瑞鶴・瑞鳳・千歳・千代田の4空母が全て沈められる米軍艦載機の猛攻撃に多摩もまたさらされ、雷撃機TBFアベンジャーの雷撃によって大破する。仕方なく、戦場から待避する多摩。他の各艦も大なり小なり損傷を受けており、多摩の護衛など望むべくもなかった(離脱がそれより後になった五十鈴達は、初月の捨て肝によってようやく脱出出来たほど)。単独で待避する多摩とすれ違った日向に座乗していた四航戦司令の松田少将は「単艦待避は危ないな」とは思ったが、何も出来ることは無かったという。そして、それが日本側の知る多摩の最期の姿で、この後多摩の行方は不明となる。
その最期は戦後、米軍側の資料で明らかになる。深夜、日本に向かって単独航行していた多摩を、沖縄とフィリピンの間の地点で捉えたのは、これが初陣であった米バラオ級潜水艦ピンタドとジャラオだった。狙える位置にいたジャラオが7発斉射した魚雷のうち3発が満身創痍の多摩に直撃。多摩は艦体を真っ二つに折って沈んでいったという。時に23時10分。月の綺麗な夜だったという。
生存者はいなかった。
2014年10月25日。多摩が沈没してからちょうど70年後となるこの日、多摩の艦内神社だった東京府中市の大國魂神社にて、多摩の初の慰霊祭及び軍艦多摩戦没者慰霊碑の除幕式が行われた。様々な理由(前述のように、日本側が最期の様子を知らなかったこと、艦内神社の神様も諸共沈んでいたので、それを呼び戻す儀式をする必要があったことなど)で、ここまで伸びに伸びていたものだった。ある意味、多摩の旅はようやくここで終わったのかも知れない。
提督宛ての関連動画にゃ
関連静画、いい感じだにゃ
多摩改二
多摩は…関連コミュニティで…まるくなる…にゃん
関連項目、これで大丈夫にゃ。問題にゃい
- 艦隊これくしょん~艦これ~
- 球磨型軽巡洋艦
- 那智(艦これ) - 第五艦隊旗艦 麾下 - 第二一戦隊 第一水雷戦隊(阿武隈(艦これ) 他)
- キスカ島撤退作戦 / キス島撤退作戦 *艦これ版では関連がないが史実では関連あり(上記参照)
- 軽巡洋艦(艦これ)
- 猫
- しょうがないにゃあ・・ (「多摩の手も借りたいって?しょうがないにゃあ・・」)
- 大丈夫だ、問題ない (「これで大丈夫にゃ。問題にゃい」)
- UGUME / UGUME艦隊
- 佐倉綾音 / 佐倉艦隊
脚注
- *生のイカやタコに含まれているチアミナーゼという酵素にはビタミンB1を破壊する作用がある。ビタミンB1は活動するエネルギー源であるブドウ糖の分解に関係しており、猫は体が小さい分その作用が急速に進み、その結果エネルギー不足でふらふらの状態になってしまう、という仕組み。これをさして「腰を抜かす」と言い習わしている。ただ、このチアミナーゼは熱に弱いため焼いてしまえば問題は無くなる。といっても、そもそも消化に悪いもののため、焼いたから大丈夫だと大量に与えるのはよろしくない。
- *なお、なんということか中破で全裸、しかも裸ニーソになってしまった初かつ唯一の艦娘(2016/11/4メンテ終了時点)である。
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