人生を変革する言葉やコミュニティとの出会いがキャリアを形成
一般的なソフトウェアエンジニアとは全く異なる経歴を持つ曽根氏。高校卒業後に1年間の浪人生活を送った後、警察官として社会に飛び出した。5年間勤務したのちに、キャリアチェンジを決意して退職したものの、なんとリーマン・ショックが発生。派遣切りや契約社員の大量解雇が横行する大不況の時代に突入し、曽根氏自身の就職活動も困難を極めた。
やむを得ず派遣社員として働き始めることとなった曽根氏だが、一般事務員として大量のエクセル作業をプログラミングしなおして修正したことが評価され、社内SEとして正社員採用を掴み取る。
その後はインフラエンジニアやWebエンジニア、フルスタックエンジニアとしてさまざまな経験を積んできた。さらにはマネジメントやWeb系システムインテグレーター、CTOなども経験してきたというから、その厚みには驚かされるばかりだ。
曽根氏はこうしたキャリアを形成するきっかけとして、2010年7月31日に開催された第1回オープンラボ備後での出会いを挙げる。この勉強会で、Linuxカーネルのメンテナンスを担当する平田氏から「曽根君は自分の柱を決めてないの? 僕は25歳のときにはLinuxカーネルで生きていくって決めていたよ」と投げかけられた言葉に、当時25歳だった曽根氏は感銘を受けた。
また、別の回でPostgreSQLとOracleの比較について発表した際は、PostgreSQLのメンテナンスを担当する大垣 靖男氏との出会いも果たす。大垣氏から「PostgreSQLはOracleに比べて機能が不足しているが、オープンソースなのだから、自分で機能を追加していいんだよ」という助言を受けた曽根氏は、データベースエンジニアとしてのキャリアを築く決意をしたという。
「自分の柱を決めたり、ロールモデルを見つけたり。そのようなきっかけは、意外なところに潜んでいる。まさに本日のようなイベントでのふとした一言や飲み会、Twitter(現X)で見かけた人や、本の著者との出会いも、自分を変える契機になる」(曽根氏)。
自分に変革をもたらす上で、コミュニティが果たす役割も大きい。たとえば曽根氏は「8時間だけ、理想のエンジニアを演じてみる」取り組みをしているが、継続できているのは、ともに努力してくれる周囲の存在があってこそだという。「周りを巻き込む」コミュニティに身を置くことで、おのずと視点・視座が上がったり、経験を積んだりといった自己研鑽につながるため、まずは環境を変えることも有効だと曽根氏は話す。