はてなキーワード: 幼児とは
タイトルの通り。
あまりにもショックでここ数日眠れていない。
相手バレ怖いからプロフは若干フェイクありで書くけど、当方バツイチ幼児持ち猫持ちのアラフォーシングルマザー。
男を見る目がないのでもう結婚はこりごりと、子供を1人育てる決意で燃えていた矢先に、同僚だった現事実婚相手が好きになった。
それから私が告白して、最初は子供に遠慮しながらの付き合いだったけど、私と同じ目線で子供と猫を大事にしてくれる彼の人間性と深い愛情のおかげで、数年かけて家族に近い関係になった。
んで、この春から彼が地元にUターン転職することになり、遠距離が始まろうとしている矢先に、タイトルの件よ。
いや、隠してたAVコレクション見ちゃった、とかなら良いのよ。こちとらそれなりに男性経験もあるし、そこは「そういうもんだからね」で目つぶれるよ。
でもね、見ちゃったのが彼のスマホの写真に保存され隠し撮りで。明らかにAVとかのダウンロードじゃなくて、店舗で動画回して撮影してるやつで。具体的に言うと、ミニスカ履いてる女の子のお尻とか太ももを下からのアングルで撮影してる動画で。アングル的に絶対スマホ隠して持って撮ってるんだよ。ミニスカのななめ下から、っていうか。
あーもう書いてて吐きそう。思い出したくないけどフラッシュバックする。胃がムカムカする。気持ち悪い。
しかも昔じゃないんだよ。動画の撮影日が昨日とか先々週とかなの。その撮影時間は彼が出かけてたり、何なら私と出かけて彼が待ってる時間だったりしてさ。
え、1人で居ても居なくてもその衝動抑えられずにやっちゃってるの?って思って。(1人なら良いってわけじゃない)
社会的に、倫理的に、やっちゃダメな行為、てか犯罪なんだよ。私は自分が若いときキャバでバイトしてたのもあって、性犯罪というか女性側が承諾してない状況で性的な目を向ける、あるいは行動をしてくる男性側、みたいな構造はまじで心理的に無理。というか許せなくて。
ちなみにスマホを見てしまったのは、彼がスマホ片手に寝落ちしてて、画面開いたままでうっかり見てしまった。これは私が悪い、だけどUターン先に子供と猫も一緒に連れて引っ越すか?悩んでる矢先だったから「考え直せ」という神様(無宗教です)のおぼしめしなのかとも思ってしまった。
さらにちなみに、彼との性生活はオープンかつ順風満帆でお互いなんの不満もない。性欲は強いほうではあるが、ちゃんと社会人やってきてる人間。借金は奨学金くらいで、ギャンブル風俗浮気は「興味がないから」と距離を置いてるタイプの人。ただ、カメラ好きでその片鱗が性生活でも見えるときはある。いわゆる撮りながら、みたいなことね。
毎日一緒に過ごしてるので態度でバレそうだから「ごめん、いまちょっと考えたいことあって」とだけ伝えて家の中では距離置いてる。子供にはもちろんバレないように平穏装いながら。
普段ほんと優しいしデキる人なんだよ。私にはもったいないくらいで、この人にはもう何も求めない、一緒にいてくれるだけで心底感謝してるんだ。人に言えない趣味の一つや二つ、誰にだってある。見なかったことにする?
でもさ、盗撮はだめだよ。犯罪だよ?バレなきゃいい?その女の子は何も知らずに生きてるのに?そんな倫理観の人と、子供暮らさせて良いのかな。
口癖は「使えねえ」マネージャー8人が辞めた橋本環奈(25)の“壮絶パワハラ” | 文春オンライ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/76384
25歳の社会人のパワハラについて「社長が悪い」「周りが悪い」「ある意味被害者」
hate_flag 増田は脳ではなくチンコで考えてるので女性タレントが問題を起こすと女性全般の問題に拡大するが例えば氷川きよしがマネージャーを暴行しても男性全体の問題に拡大したりしないのである
こいつほんと頭悪いなあ
女性タレントが問題を起こした時だけ必死に問題を矮小化しようとするお前の姿勢を問うているのであって
おチンポで物を考えてるのはどっちだろうね
どっちも純度100%の気持ちで死刑にしてほしいとしか思えないのは私が喪女だからか?
どっちも性欲を抑えきれなかった結果じゃん
どん💀
@don_dorei
これは感情論なんだけど
母親の子殺しって、殺したくて殺したわけじゃないっていう背景が見えちゃって純度100%で批判できないんだよね。
それに対して幼児への性犯罪者とかは純度100%の気持ちで死刑にしてほしい。
https://x.com/don_dorei/status/1880501980008968239
増田が幼児の頃(40年くらい前)よくおつかいに行かされたのはサンマートとかいうコンビニの走りのような酒屋を兼ねた雑貨屋
(港が近かったので魚は朝市で買う人も多く、他の地域よりは鮮魚店というものが少ない土地柄だったんだと思う)
街道が四車線になってロードサイドにホームセンターやスーパーマーケットができ始め、飲食のチェーン店も進出してきた
この段階に至るとみんな基本的にスーパーやホムセンに車で乗り付けて買い物するのがデフォになっていた
いや、そういえば近所で手に入らないようなものを買うときには専門店を求めて10kmくらい離れたJR駅前の繁華街に行っていた気がする
駅前は狭い範囲だけど碁盤目状の街区に八百屋や雑貨と並んで専門店や雑居ビルが立ち並んでいた
小さいデパートもあったしメインの通りにはアーケードもあった気もする
電車で帰省するときには今でもそこの駅を使うので再開発されたその地域を見ることもあるが、官製のショッピングモール以外は完全に寂れている
昨年行った旅行で建物見たさで行ってみた。大満足。今年の手作りカレンダーで写真入れるぐらい気に入っている
だがあそこで本当に良かったのは、キッズスペースが充実していた事なんだよな
ああ、「これ」って「指示語」のことなの?
おまえの日本語本当に酷いな
おまえの用法は完全に間違ってるんだよ
おまえが幼児だったら「ぶーぶー」「わんわん」でもいいぞ
https://hoikukyuujin.com/hoiku_club/42241
自分も夫側の考えだったけど子供を持つことを決断した。今は2歳の息子がいる。
昔は欲しいって言ってたんだけど、それは子供を持つのが当たり前って思ってただけで、冷静に考えたらお金も手間も労力もかかるからいらないって。
このあたりの考え方はほぼ同じ。結婚当初は何となく子供持てたらいいなと思って妻ともそういう話をしていた。でも普通に妊娠することは叶わず、妻が不妊治療をしたいと言い出したことで初めて真剣に考えることになった。
今は不妊治療が保険適用になったけど、当時はそうでなかったので数百万円、下手したら1千万円以上かかるかもしれない。
生まれてきた子にお金をかけるならまだしも、生まれるかわからない治療にそれだけのお金をかけるの?そもそも子供を持つことはそんなに必要なことなの?
子供を持つ幸せもあるけど、子供を持たないからこそ手に入る幸せもあるんじゃないの?(お金を子供以外に費やせるので)などと考えるようになった。
家の家計管理は自分がやっていて、90歳までのライフプランも作っていたので、子供を持つことでかかるお金もかなりシビアに見ていた。
10年以上投資をしていたので、子供がいなければ近い将来にFIREできそうな状況だった。それなのに、なぜ欲しくない子供のために無理して仕事を続けなければならないのかと感じるようになった。
妻との話し合いはずっとまとまらなかった。
妻は、子供を持てないなら残りの人生はただの暇つぶしになると言った。不妊治療で子供が授からないとしたら養子を取りたいとも言った。
私はあんたに似た生き物を見てみたいよ。
これに近いことも言われたことがある。
このセリフが決め手になったわけではない。でも色々話すなかで、自分の幸せに必ずしも子供は必要ないけど、妻と一緒の幸せを目指すなら子供が必要なのだと感じた。
それに仮にFIREできたとして、その後の人生を充実できるのだろうかという不安もあった。
基本人間嫌いなので家庭以外のコミュニティに参加することはないだろうし、それなら子供の存在が自分にとっての人生の彩りになってくれるかもしれないと思った。
際限なくお金を費やすのは抵抗があったので、300万円までと決めて不妊治療を始めたところ、150万円費やしたところで子供が生まれた。なおFIREを諦めたわけではないので、妊娠が発覚してから副業を始めた。
子供を持って意外に嬉しかったのは、自分のことを一心に愛してくれる存在ができたと感じられたことだった。
子供を持たない幸せもあるという考えは変わらないけど、自分の子に出会ってしまったら過去に戻れたとしても子供を持たない選択はできなくなる。
副業のおかげもあって、子供がいる状況でもサイドFIREを目指せる状態になった。それどころか子供に課金したくなって、幼児教室や私立小学校を考えるようにもなった。
ところが、そこで妻が2人目が欲しいと言い出した。なぜ1人で満足できないのか心底分からなかった。
自分は一人っ子で、これまで兄弟が欲しいと感じたことが全くない。一人っ子は育ちが悪いなどという悪口を言われたこともあるし、子供は2人は持つべきという考えが大嫌いだった。
子供を持つ人生と持たない人生に大きな隔たりがあるのはわかる。でも子供を1人持つか2人持つかで幸せ度合いがどれだけ変わるというのか。
ライフプランを作ってみると、子供が1人か2人かで全く変わる。1人だと成り立っていた諸々が2人だとどうしても成り立たない。子供を増やしたいならライフプランなんて作ってはいけない。世の中の夫婦がなぜ平気で2人、3人と子供を作っているのか分からなくなる。
再び夫婦の話し合いは平行線を辿ることになったのだが、今のところ不妊治療を再開する予定でいる。
また自分が折れることになったのは、一番は息子の存在があるからだと思う。子供のいる生活が良く面も悪い面も理解できて、理屈は無いがもう一人いてもいいかもしれないと感じるようになった。
後は最近の株高のおかげで資産が急増し、2人いてもサイドFIREができる可能性が見えてきたこともある。息子を私立小学校に通わせることは諦めたが。
株価が急上昇している分、今後急落する可能性も当然ある。それが怖くはあるけど、しばらくは仕事を続けながら2人目が産まれる前提でライフプランを考えたいと思う。
昨日、オフィスから家に帰る地下鉄の中で急激に腹が痛くなった。「もうダメかも知れない」などと考えながら、エレベーターで改札階に上がったら運良く多目的トイレがあいていた。急いで個室に駆け込んで「なんてラッキーなんだ」と思いながらベルトを外しはじめた。それがいけなかった…
「勝った」という弛緩した気持ちでベルトを外し始めた。私は腹が出ているのでサスペンダーを愛用している。前2つのクリップはすぐ外せたが後ろ側を外すのに手間取った。電車から降りた時点では存在していた「まさか漏らすのか?」という緊張感はトイレの前に立った時点ですでに消え去っていた。そしてサスペンダーが外れない焦りもあり、ケツの穴がクソを抑えきれなかった。
中途半端にズボンをおろした状態で脱糞がはじまった。ベチャベチャの泥みたいなブツが容赦なく、下着・ズボン・便器・床に降り注いだ。出始めた一瞬の青ざめる感覚、そして出ている最中のわずかなカタストロフィ。そして終わったあとにはずっしりとした失望感が残った。約10年ぶりのクソ漏らしだった。
敗因は何だったのか? 電車の中かエレベーターの中でサスペンダーを外しておけばこの事態は防げた。「今、自分ができることを最後の一瞬まで考え続ける」という自責の発想を失い、成功を運に任せてしまった弱い心が敗因だった。
あたりに飛び散ったクソを、床や便器にべったり手が触れない範囲でトイレットペーパーを使って拭いた。パンツはサニタリーボックスに捨てた。問題はクソまみれのズボンだった。捨てたらフルチンになってしまうので、多目的トイレに設置されたオストメイト用の水道でズボン全体を水洗いした。不可触であるべきクソが手に触れることは避けられない。汚れた水滴も上半身に飛ぶ。そして当然フルチンで作業するしかない。マジで泣きそうだった。石鹸で手を洗って、ハンカチでその手を拭ったら少しだけ気分が落ち着いた。
水洗いしたズボンから水滴がたれないように絞ったあと、やむなくそれを履いて駅を出た。近くにセカンドストリートがあるらしかったので替えのズボンを買うためにそこを目指して歩いたが、足をあげるたびに太ももが冷えたズボンに張り付き、痺れるくらい冷たかった。というかビリビリと痺れた。途中でファミマを見つけたのでパンツを買うために入ったら、なんと「ジョグパンツ」という名前のナイロン製のズボンが売っていた。店員に「うんこくせーな」と思われたくなかったのでセルフレジで会計してトイレで着替えた。水洗いしたズボンはコンビニの袋に入れて持ち帰ることにした。
電車で帰ると他の乗客に迷惑なので1時間くらい歩いて帰ることにしたが、その時、LUUPのキックボードが目に入った。「キックボードなら汚れたズボンをサドルに接触させずに乗れるから迷惑にならない」と思ってキックボードを借りた。実際にはもうズボンを履き替えてたので自転車をレンタルしても良かったはずだが、完全に頭が混乱してたんだろうね。あとはLUUPで家に帰ってズボンを手桶であらった。これが顛末だった。
最近、社会正義に関連するある哲学書を読んだ。その本にこんな事が書いてあった。「健康で自立しているように見える人でもいつ他者からの手助け無しに生きられなくなるか分からない。人には潜在的に”脆弱性”を抱えているのである。自立しているかどうかは、その脆弱性が潜在しているか顕在化しているかの違いに過ぎない。しかも、その脆弱性や、それが顕在化した時の”弱さ”は、普遍的なものではなく人それぞれ違った固有の物でもある。だから、人それぞれの弱さやニーズに気づき、それを手助けしていくことは、”慈愛”などというベストエフォートなものではなく、社会の”責任”なのである。なぜなら、私達全員が脆弱性を抱え、幼児や老人という形でその脆弱性を全員が顕在化させる宿命にあるのだから。弱さに対する手助けは社会を支える根本なのである。」といった事が書いてあった。
もしクソを漏らしたのが多目的トイレではなく普通の個室だったらどうなっていたか。フルチンで手洗い場でズボンを洗う羽目になっていたのである。多目的トイレのオストメイト用水道はクソを漏らした人に対する手助けを目的に設置されたものではない。ただ、クソの付いたズボンを洗いたいという私の”固有”のニーズがこの水道に救われた。また、ハンカチで手を拭ったところで全身に汚い水滴が飛んだ私にとって衛生面での意味はなかっただろう。ただ、清潔なハンカチで手を拭う行為に気持ちは救われた。これも私のその時の心境における”固有”のニーズである。なぜかコンビニで売ってるズボン・店員と話さずに済むセルフレジ・ケツを付けずに乗れるキックボード、これらは別に私のニーズを満たすために用意されたものではないが、たまたま、すべてが私の”固有”のニーズを満たしてくれた。それにどれだけ救われたことか…。人には固有の弱さとニーズがある。これを実感した。
そして、私は地下鉄に乗った時点ではクソを漏らす可能性なんて毛ほども考えてなかった。しかし1時間後にはクソまみれのズボンを泣きそうになりながらフルチンで洗っていたのである。脆弱性は確かに誰にでも顕在化しうるのだ。あなたにも。