いやいやいやいや、アバターこそ飛び出し3Dをやめて奥行き3Dにして別世界を体験させるために作られたものじゃんか。何を見てたんだこの人は。
自分はJavaからPHPに入ったので、最初はとにかくクソな言語だと思っていた。
Copy On Writeという謎仕様なのに加え、すべての配列が常に「順序付きマップ」という謎なものになっている。ただ単にマップ(連想配列)を使いたいだけの場合でも、なぜが挿入順でキーが順序付けされているという仕様で、内部でどんだけオーバーヘッドがあるんだろうと考えると、それだけでストレスが溜まったものだ。
あと、何も宣言せず、$array['key1']['key2'] = 1としただけで、要素が1の配列が2つ作られる。これも気持ち悪い。この仕様のせいで、どれだけ見つけづらいバグが誘発されているかと思うと、それだけで痒くなった。
そんな風に思いながら、2年近く仕事をして、そこそこ大規模なシステムを一人で書けるようになった。それでも、PHPをやっている引け目のようなものはなくならなかった。
ただ、そんな思いのまま「意識が高い」系のプログラマが集まる会社に移り、RubyだとかPythonだとかScalaだとかが書けるようになった上で、あらためてPHPを見ると、その仕様が優れていることを痛感させられる。同じことを書こうとしたときの行数が圧倒的に少ないのだ。配列についてもたしかに、オーバーヘッドはあるが、実際にはパフォーマンスに影響することは少なく、それを通して得られる開発効率は半端じゃない。他の言語だといくつものライブラリを介して可能になることが、単にサーバにファイルを置くだけで可能になるというのは、特に小規模なプロジェクトでは生産性の高さに直結する。
もちろん、プロセス/スレッド/データ共有の仕組みが前時代的で、パフォーマンス効率は高くない。言語仕様が、ノンブロッキングな処理に向いていないなど、用途によっては致命的な欠点もないわけではない。ただ、きちんと言語の特性を理解するレベルで使ったことがないのに、仕様的に他の言語と変わっているところを挙げて、「PHPを使うのはレベルの低いエンジニア」というのは、そろそろ終わりにした方が良いと思う。
あと、話は変わるが「意識が高い系エンジニア」は、システムを開発する上で人件費や採用コストの問題をあまり考えていないのではないかと思う。たとえば、ビジネスが急に大きくなって、取り急ぎ100人エンジニアを雇おうとなったとき、PHPならとりあえず書ける人間をかき集めやすい。RubyやPythonで同じことをやると採用にかかる時間が大幅に伸びるか、人件費が大幅にアップするかになるだろう。これは、一緒に働くエンジニアを所与の条件として見るか、お金を払って雇うべきダイナミックなものとして見るかの違うじゃないかと思う。
中途半端に優秀な成績残して別のジャンルに移ったせいで妙な全能感が残っていますね。
本人が幸せならそれでいいのかな。
数年置きに必ず「80年代のファッションが流行っている!」みたいなニュースが現れて、実は全然流行ってないっていんだけど、これ誰が流行ってると言い張ってるんだろう。
必ず「60年代70年代が復活しても80年代だけは絶対ないわ」って結論で終わるのに。
そもそもスタジャンは90年代でも00年代でも普通に売れてたわ。得に90年代後半のレプリカジーンズブームは80年代の反省からちゃんとしたアメカジを志向したので、スタジャンもちゃんといいもんが出て、売れてる。
友人のふりをする敵対者。親しくするように見せかけて、相手をおとしいれようとする人。
コネクションを切らさなければチャンスはある・・・ような気がする.
科研費頑張って当てて下さい.
カッとして家燃やしたり親殺したりするニートが思い浮かんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20131220131114
都会で研究職っぽいことやってるから偉そうなこと言えんけど、パーマネントの仕事つけたんならええやないの。
こちとら、4月以降の飯のタネどげしようと頭を悩ませてるっつーのに。
全然専門家じゃないが、それを処理業者にやらせるのは無理っしょ。
遺書で、信頼できる誰かを相続人に指定して処分してもらうのがいいのかなー。
弁護士とかに金払ったらやってくれるんだろうか。
同クールで「とある魔術の禁書目録」~続編、外伝あわせて3作を放送し劇場版も作られる大ヒットアニメ
同クールで「魔法少女まどか☆マギカ」~ガンダム、エヴァに続く第三の大波と言われる名作アニメ
同クールで「進撃の巨人」~言わずと知れず今年社会現象にもなった大ヒットアニメ
ツィメルマンは、現役ピアニストの中では一番うまい、と私は思っている。彼の音が一番好きだ。
だから毎年彼のコンサートだけはなけなしの金をはたいてS席で聴くことにしている。
今回も、非常によかった。
彼は、フォルテは単に力で弾くものではない、単にデカイ音を出せばよいというものではない、というのを体現していて、
相変わらず全然大袈裟ではない自然な動きで物凄く深く豊かなフォルテを出していた。
ピアニッシモも珠玉のうつくしさだった。透明できらきらした全く濁りのない音だった。
彼はいつもそうだけれど、ただ漫然と弾かれる音などただの一音もなく、かつ重過ぎない。
うまくいえないのだけれど、ツィメルマンは抜群のリズム感というか拍子感というか、
クラシックに似つかわしくない言葉でいうのならグルーヴ感のようなものを持っていると思う。
ショパンのバラ3、4とか、とても心地よく体を揺すってしまうような。
私は曲に入り込みすぎてあまりにアゴーギグをきかせたルバートな演奏は苦手で、
彼はそのへんの匙加減がちょうどよくて、流すでもなく入り込むでもなく、
その曲にうまくのっていけるような拍子感を出してくれる。
主題を繰り返す解釈は初めてだったのでちょっとそこだけ戸惑ったけれど、
その意味で31番がとてもよかった。第一楽章もよかったし、フーガもとても気持ちよかった。
ちょっと急ぎ過ぎている気がしたし、珍しいことに濁っていた音があった。
この解釈はもう一度聴いて考えたいと思った。が、実際は貧乏なので一回きりしかいけない。
一番感動したのは32番第二楽章だった。
それにしても、このまま時が止まってほしいと思う瞬間が何度もあった。
32番のトリルとか、あまりにもうつくしくて、ぞくぞくして、しあわせで、
このままこの空間にいたい、元の日常に帰りたくない、と思った。
この音をずっと心にとっておきたい、そう思うのに、
演奏会が終わって、荷物をとって、会場を出て、駅へ向かって、電車に乗って。
そのうちにどんどん消えていってしまう。
家に着くころには、大切に包むように心に刻みつけてきたはずなのに、
テクノロジーが発達してたいていのものは再現できる時代になったけれど、
あの音は一回きりでもう戻ってはこない。
時を止めておきたいなんて思うことはそうそうないのだけれど、
そう思わせてくれるのだから、
ツィメルマンは腰痛のため今回のコンサートスケジュールを大幅に変更した。
ミスタッチもあった。
どの程度のミスタッチが演奏そのものの価値を損ねるかは人によって許容量が違うだろうけど、
今回ぐらいのミスタッチだったら私は気にならなかった。
ただ、昔よりは確実に増えていた。
当たり前なのだけれど、これほどの人でも加齢には勝てない。
ポリーニを見てよくそう思っていたのだけれど、ツィメルマンだって例外ではないと今回思った。
その先も、聴きにいけるだけ、聴きにいくだろう。
時間を、止めたい。
ていうか。
あなたが完璧主義なのは知っている。要求レベルが高いのはわかっている。
だけどもう完璧じゃなくてもいいから、少なくともこの感動を思い出すよすがとしたいから、
CD出してくれ。
金があれば全会場聴きに行くさ。でもないんだもの。
ショパンのソナタと今回のベートーヴェン出して下さい。お願い。
これは親子じゃなくてただの飼い殺しのペットだな
結局コミュ障とと一緒に居てもコミュニケーション力はつかない。
早いとこ手を切るべし。