「航研通り」の南側は目黒区駒場、北側は渋谷区上原・富ヶ谷だ。駒場は明治期にあった駒場農学校の跡地で、昭和初期には日本民藝館や旧加賀藩主の前田邸などが建てられた。一方の富ヶ谷には、戦後に東海大学が本部を置き、モダニズム建築家・山田守の代表的な学校建築が建てられた。さらに区境となる「航研通り」沿道には、1980年代後半から90年前後のバブル期の長谷川逸子や高松伸のポストモダン建築が建つ。時代ごとのバラエティー豊かな建築を見ることができる場所となっている。
1:小田急線東北沢駅
2:三角橋交差点
3:Y-3
4:コマバ・インデックス
5:東京大学先端科学技術研究センター13号館
6:東京大学生産技術研究所試作工場
7:東京大学先端科学技術研究センター3号館
8:東京大学先端科学技術研究センター3号館南棟
9:東京大学先端科学技術研究センター4号館
10:東京大学駒場リサーチキャンパス 連携研究棟(CCR棟)
11:東京大学生産技術研究所S棟(60年記念館)
12:東京大学生産技術研究所As棟
13:東京大学生産技術研究所An棟(総合研究実験棟)
14:東京大学生産技術研究所研究棟(B-F棟)
15:日本民藝館
16:日本民藝館新館
17:日本民藝館西館
18:旧前田家本邸(洋館・和館)
19:日本近代文学館
20:アーステクチャー・サブワン
21:スカイステップスビルディング
22:T-LATTICE
23:富ヶ谷のアトリエ
24:(仮称)富ヶ谷2丁目計画2
25:LUCERIA
26:東海大学渋谷キャンパス2号館
27:東海大学渋谷キャンパス4号館
28:Modelia Brut 代々木上原
29:OUB
30:古賀政男音楽博物館
31:HOUSE 1032
32:東京ジャーミイ・ディヤーナト トルコ文化センター
33:社食堂
34:スタジオ リッツ
35:日本信販大山町ビル
36:NODE UEHARA
※散歩時間の目安:およそ3時間(取材時)。1~14は前編、15~27は中編、28~36は後編で紹介
東京大学駒場リサーチキャンパスを出るとすぐに日本民藝館(竣工:1936年、設計:柳宗悦)が現れる。
大正時代末期に始まった民芸運動の創始者である柳宗悦が中心となり設計された建物で、漆喰(しっくい)なまこ壁・瓦屋根など和風意匠を基調としながらも随所に洋風を取り入れた施設となっている。
時間に余裕を持って訪れ、建物内部や民芸にまつわる展示も見てみたい。最近は、インバウンドの観光客も多く訪れているようだ。
また、民藝館の大広間のあった位置に、鉄筋コンクリート造の「日本民藝館新館」(竣工:1982年、設計:山下和正建築研究所)が建築された。2階部分は、展示スペースに充てられている。なお、元の大広間部分などは、愛知県豊田市に移築され、豊田市民芸館として利活用されている。
日本民藝館西館(竣工:1935年、設計:柳宗悦)は、本館の1年前に道路向かいへ建てられ、柳宗悦邸として柳が72歳で没するまで暮らした。栃木県から移築した石屋根の長屋門と、それに付設した母屋からなっている。
次に向かうのは、目黒区立駒場公園だ。
そもそも、この辺りは、1878年(明治11年)に駒場農学校(東京大学農学部の前身)が置かれた地域だ。駒場農学校が移転した際に、跡地を分割使用。現在は、西側から順に、東大駒場リサーチキャンパス、駒場公園、東大駒場キャンパスが配置されている。
といっても、分割使用時から公園だったわけではない。当時は、旧加賀藩主の前田利為が邸宅を構えていたのだ。旧前田の本邸は、もともとは文京区本郷にあったが、関東大震災後に前田利為が駒場に自邸の洋館と和館を建設した。利為は、1942年に第2次世界大戦で戦死。戦後、邸宅は連合軍に接収されるなどしたが、その後、東京都が買い取った。
1967年からは、駒場公園として公開されている。北側の正門前の花こう岩の敷石・縁石は本郷邸で使われていたのを持ってきた。正門に付随するのは門衛所で、鉄筋コンクリート造だ。
公園の中には、旧前田家本邸として、鉄筋コンクリート造の洋館(竣工:1929年、設計:高橋貞太郎)と木造の2階建ての和館(竣工:1930年、設計:佐々木岩次郎)が残されている。2つの建物は渡り廊下でつながれている。
洋館については、イギリス貴族の館であるカントリー・ハウス風の意匠とし、大華石やスクラッチタイルを用いたチューダー様式でまとめられている。留学や駐在武官としてヨーロッパ滞在の経験があった利為の意向であったようだ。
東京都のWebサイトによると、水・木・金・土・日・祝日には、1日に7回のボランティアによる洋館・和館のガイドツアーを行っている。タイミングを合わせて訪れるとよいだろう。
関連情報 旧前田家本邸洋館の南側には庭園がある。洋館から車回しの円形状のう路に沿って、庭園とを区切る塀がある。塀についても洋館と同様に大華石やスクラッチタイルで装飾されている。
駒場公園の一角には、日本近代文学館(竣工:1966年、設計:竹中工務店)がある。小説家・批評家の今日出海を委員長に、谷口吉郎、吉武泰水、生田勉などによって委員会を設置し基本設計を行ったという。穴が開けられた薄い軒、ファサード上部の緩衝となる細いルーバーなど、単純な鉄筋コンクリート造の箱に繊細なデザインが施されている。
日本近代文学館の1階には、2012年から文学をテーマにしたカフェ「BUNDAN COFFEE & BEER」が入居している。この店舗はクリエーティブワークを行うBAKERU(旧東京ピストル、東京・港)が、運営するもの。メニューにあるコーヒーの一覧には、「TERAYAMA」「OUGAI」「AKUTAGAWA」「ATSUSHI」といった文筆家をモチーフとした名前がついているのが面白い。ちなみに、お分かりだとは思うが順に、寺山修司、森鴎外、芥川龍之介、中島敦である。モーニングやランチも文学作品に基づいたメニューとなっている。店内は本に囲まれて居心地がよい。ぜひ訪れてほしい。
駒場公園をあとにして、「航研通り(コスモス通り)」に戻る。
通り沿いの左側に「アーステクチャー・サブワン」(竣工:1991年、設計:高松伸建築設計事務所)が見えてくる。黒い御影石による基壇に、ちょうの羽のようなステンレスによる窓枠と天を突く針、トップライトに当たる開口部には乳白色のガラスがはめ込まれている。地上1階・地下4層のオフィスビルという、人々の常識を突いた計画は当時も今も驚きだ。シャープでハイテックな外観、夜にはあんどんとなる意匠など、大阪道頓堀にあった「KPOキリンプラザ大阪」(竣工:1987年、2008年に取り壊し)と並ぶ、建築家・高松伸氏のバブル期を代表する作品と言ってよいだろう。