ただし、創業者である先代・重一さんの「何とかならんかと頼まれたらできるだけ断らない」という方針を受け継ぎ、奈良国立博物館向けに展示物を感光変質から守るための光ファイバーによるLED投光システムを試作開発したり、AI駅員ロボットのパーツを製作したり、ラグビー大会のトロフィーを他社といっしょにコラボ製作したりと、東大阪の町工場らしく幅広い仕事を引き受けています。
2代目の山東基実さんが会社を継いだのが2019年6月。さあ、これからというときに、いきなり米中摩擦のあおりを受けて、受注が急減します。手持ちの現金が少しずつ減っていくのに、できることは工場の掃除のみ。先代の重一さんからは「つぶすために会社を譲ったんと違うぞ」と叱られてしまいます。
X(旧Twitter)やInstagramなどSNSやブログで情報発信を始めたり、MOBIO(ものづくりビジネスセンター大阪)のYoutubeに出演したり、展示会に出たり……。
大阪府内の病院で、コロナ禍で物流が止まって、消毒液やマスク、フェイスシールドなどあらゆるものが品薄で困っていると聞くと、自分たちでできることはないかを考えて曇りにくいフェイスシールドを作って届けました。すると「これで頑張れる」と医師たちにとても感謝されたそうです。
「このときは無償だったのですが、息子が『うちの会社、こんなに人の役に立ってるんや』と感じたようで入社してくれるきっかけになりました」
夢中で動き続けたことが奏功し、コロナ禍では新規の仕事が舞い込むようになってきました。
「コロナ禍でも仕事頂けていたんだから、コロナ禍が明けたらさらに仕事の問い合わせが増えるに違いない」。そう待ち構えていたのに、原材料高などのあおりを受けて、2023年の途中から試作の相談はぱたりと止まってしまいました。
家族会議で先代からかけられた言葉
「振り出しに戻ってしまった」と枝未さん。1年以上、売上が伸びない苦境が続きます。いよいよ会社を閉めなければいけなくなりそうだという時に、先代も交えて家族会議を開きます。
2019年の経緯もあり、おそるおそる先代に切り出した枝未さん。返ってきた言葉は「ここまで、よう頑張ってくれたなあ」でした。
コロナ禍でがむしゃらに動いていた枝未さんは、たくさんの困りごとを解決してきた自社の技術が全然知られていないのはもったいないと思い、大阪ものづくり優良企業賞にエントリーしたところ、「匠な技術をもち、大阪の看板企業である」と、2021年に大阪府から認定されたのです。
地道に取り組んできたことが評価されたことに、先代はとても喜んでいたといい、枝未さんはこのとき「親孝行ができてよかった」とほっと胸をなでおろしたのでした。
そんな経緯もあり「ここまでよう引っ張ってきてくれた。それだけでもありがたい」とお礼を言う先代に対し、山東夫妻は「悔しい、辞めたくない」という気持ちと、でも資金的にはこれ以上続けられないというせめぎ合いのなかで廃業を決断したといいます。
取引先には迷惑をかけるわけにはいかないと、メインバンクに事前に相談し、支払いも当月のうちに済ませるように心がけました。
鳴り続ける会社の電話
2024年7月末、直近までお世話になっていた70社に廃業を知らせる挨拶状を送りました。ほどなくして電話が鳴り続けます。
「サントーさんところは残らなあかん」
「仕事ないか聞いてくるからちょっと待ってて」
普段、設計図面を通した仕事のやり取りしかしていなかった取引先の担当者からの温かい言葉に涙が出たという枝未さん。
話を聞いていると、「夏バテしていませんか?」「寒くなりましたが風邪をひかれませんよう」と枝未さんが手書きで書いていた暑中見舞いや年賀状がうれしかった、心が温まったと聞かされました。
「季節の挨拶は省略する会社も増えているなかで、気持ちが伝わっていたんだと思うとこちらもうれしくなりました」
もうちょっとを続けるうちに「廃業やめます」
元々、8月末で生産を止める予定でした。しかし、とても終わらない仕事量が舞い込み始めます。
「もうちょっとだけ」「あとちょっと」……と引き延ばしている間にも、廃業するらしいという噂は広がり、激励や注文も入り、やめるにやめられない状況になります。
山東夫妻は「これだけみなさんに閉めるなと言われているなら、もうやるしかない」と腹をくくり、SNSや自社サイトで「廃業を破棄する」という挨拶文を掲載することにしました。
とはいえ、世の中の状況や市況が大きく変わったわけではありません。今後どこまで続けられるかはまったく見通せないといいます。それでも「1日でも長く存続し、技術をお客様に届けることで恩を返したいと考えています」と2人はきょうも忙しく動いています。
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