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縣 忍(あがた しのぶ、1881年(明治14年)6月30日[1] - 1942年(昭和17年)1月6日)は、日本の内務官僚[2]、政治家。官選府県知事、樺太庁長官、名古屋市市長。
静岡県磐田郡二俣町出身。縣経武の二男として生まれる。第一高等学校を経て、1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り栃木県属となる。
以後、栃木県警視、北海道庁事務官、同理事官、同視学官、長野県警察部長、兵庫県警察部長、福井県内務部長、警視庁警務部長などを歴任。
1922年10月、山形県知事に就任。以後、鹿児島県・千葉県・群馬県の各知事を務める。復興局部長・整地部長を経て、1929年7月、樺太庁長官に就任し1931年12月まで在任。1932年6月、大阪府知事となる。ゴーストップ事件に対応。1935年1月に大阪府知事を退任。1939年1月、名古屋市長となり、現職で死去した。
- ^ 永井誠吉著、サンケイ新聞編『長野県警百年の歴史』サンケイ新聞、1976年、198頁。
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 11頁。
- ^ a b c 『人事興信録 第12版上』1940、「県忍」
- ^ 県忍『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 『20世紀日本人名事典 あ-せ』日外アソシエーツ、2004年。
関連項目 |
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官選 |
第一次群馬県 (-1873) |
権知事・権令 | |
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県令 |
- 河瀬秀治 兼入間県令
- 1873年6月15日群馬県・入間県が合併して熊谷県となる
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熊谷県 (1873-1876) |
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第二次群馬県 (1876-) |
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公選 | |
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カテゴリ |
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1963年2月15日編入 |
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官選 |
区長 | |
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市長 |
- 中村修1889.12.17-1890.9.11
- 志水忠平1890.11.6-1894.2.12
- 柳本直太郎1894.2.28-1897.6.26
- 志水直1897.7.19-1901.12.2
- 青山朗1901.12.27-1906.4.12
- 加藤重三郎1906.6.27-1911.7.3
- 阪本釤之助1911.7.4-1917.1.23
- 佐藤孝三郎1917.7.3-1921.7.2
- 大喜多寅之助1921.7.2-1922.2.2
- 川崎卓吉1922.4.1-1924.6.11
- 田阪千助1924.9.25-1927.8.1
- 大岩勇夫1927.8.1-1938.12.5
- 縣忍1939.1.10-1942.1.6
- 佐藤正俊1942.2.21-1946.11.1
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公選 |
- 塚本三1947.2.21-1952.8.25
- 小林橘川1952.9.28-1961.3.16
- 杉戸清1961.4.28-1973.4.27
- 本山政雄1973.4.28-1985.4.27
- 西尾武喜1985.4.28-1997.4.27
- 松原武久1997.4.28-2009.4.27
- 河村たかし2009.4.28-2024.10.15
- 広沢一郎2024.11.25-
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カテゴリ |
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