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田島翔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田島 翔
名前
カタカナ タジマ ショウ
ラテン文字 TAJIMA Sho
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-04-07) 1983年4月7日(41歳)
出身地 北海道北斗市
身長 168cm
体重 62kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1999-2001 日本の旗 函館工業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002 シンガポールの旗 クレメンティ・カルサ
2004-2007 日本の旗 FC琉球
2008 クロアチアの旗 ヴァルテクス・ヴァラジュディン
2010-2011 スペインの旗 TSKロセス
2012 日本の旗 ロアッソ熊本 0 (0)
2014 ニュージーランドの旗 オークランド・シティFC
2015 日本の旗 十勝フェアスカイFC
2016 アメリカ合衆国の旗 マイアミ・ユナイテッドFC
2017 アメリカ合衆国の旗 ラスベガス・シティFC
2018-2019 大韓民国の旗 ソウル・ユナイテッドFC
2020-2021 サンマリノの旗 SSペンナロッサ
2024- ブラジルの旗 ポルトゲーザ・ロンドリネンセ
通算 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

田島 翔(たじま しょう、1983年4月7日 - )は、北海道北斗市(旧・上磯町)出身のサッカー選手、プロ競技麻雀団体・RMU所属のプロ雀士

ポジションはミッドフィールダーで、サイドハーフボランチでプレーすることが多い。

経歴

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小学生の頃は野球部でピッチャーを務め、サッカーは5年生の時にサッカーチームができ並行してプレー[1]。中学生からはサッカーに専念するが、北海道函館工業高等学校では実績を残せなかった[1]

卒業後はサッカー留学でシンガポールへ渡る。 帰国後、2003年にラモス瑠偉を中心に立ち上げたFC琉球の入団テストを受け、合格[2]。2005年の九州サッカーリーグ開幕前の練習試合で相手選手のタックルを受け、開放骨折の大怪我を負う。2007年オフに契約満了で退団[1]

その後はクロアチア、スペインへ渡ったが、2011年の東日本大震災をきっかけに帰国を決意。

2012年、J2リーグロアッソ熊本に入団[3]

ロアッソ熊本退団後はフットサル転向を希望し、シュライカー大阪に入団。

その後シュライカー大阪を半年で退団し、2014年にニュージーランド・フットボールチャンピオンシップオークランド・シティFCに入団。再びサッカー界に復帰した。

2015年、北海道サッカーリーグの十勝フェアスカイFC(現:北海道十勝スカイアース)に加入[4]

2016年、当時NPSLに参戦していたアメリカ合衆国マイアミ・ユナイテッドFC英語版に移籍。元ブラジル代表アドリアーノ[5]、またカフーの息子とチームメイトであった。

2017年、同国UPSL英語版のラスベガス・シティFCと契約。ラスベガス初の日本人選手としての加入。UPSL開幕戦でゴールを決めデビュー戦勝利を飾る。日本とラスベガスを何度も往復しているうちに、空港の入国審査に引っかかり、留置所へ連行された経歴を持つ[6]

2018年7月、当時K3リーグベーシック(3部ではなく5部相当)に参戦していた韓国のソウル・ユナイテッドFC(現:ソウル蘆原ユナイテッドFC朝鮮語版)へ移籍[7][8]。翌年からは選手と兼任でコーチにも就任[9]

日韓関係悪化の影響で、2020年は自身がアドバイザーを務める函館社会人リーグの FC函館ナチャーロ に移籍[10]。同年6月、FC函館ナチャーロの退団とヨーロッパ挑戦を発表。自らのTwitterで新型コロナウイルスの影響により、収入源であるサッカースクールの規模縮小が理由と語っている[11]

2020年12月、サンマリノ・カンピオナート・サンマリネーゼSSペンナロッサに入団。同リーグでプレーするのは日本人初[12]。2021年5月までプレーした。

2022年7月、プロ競技麻雀団体RMUの入会試験を受け合格。12月には、Jリーグ初代チェアマンで、Mリーグ最高顧問を務める川淵三郎へRMUに入会したことを報告している。

2024年11月、ブラジルのカンピオナート・パラナエンセに所属するポルトゲーザ・ロンドリネンセと契約。 小学生の頃、卒業文集に「ブラジルでプロになる」と書いた夢が、41歳にして叶った。

ポルトゲーザ・ロンドリネンセでダイレクターも務める。

経営者、アドバイザーとして

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  • 2011年、スペインから帰国後、地元北斗市に小学生のクラブチーム「FC北斗アステリスモ」を設立[13][14]
  • 2017年函館市からJリーグを目指すことを目標に設立されたFC函館ナチャーロのチームアドバイザーに就任[15]
  • 2017年、函館市と北斗市を拠点とするサッカースクール「フットライズサッカーアカデミー」を設立[16]
  • 2021年、熊本県の開新高等学校サッカー部の外部コーチ。

その他

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  • 2020年、サッカー・フットサルブランドのKELMEとサプライヤー契約を締結[17]
  • 憧れのプレーヤーはサッカーでは三浦知良、麻雀では多井隆晴である。

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2012 熊本 28 J2 0 0 - 0 0 0 0
通算 日本 J2 0 0 - 0 0 0 0
総通算 0 0 - 0 0 0 0

脚注・出典

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  1. ^ a b c 田島翔。ラスベガスからMLS目指す 34歳・流浪のフットボーラー | footballista | フットボリスタ”. www.footballista.jp (2017年12月19日). 2020年10月5日閲覧。
  2. ^ FC琉球・田島翔選手、Jリーグ目指し奮闘 - 函館新聞社 2005年3月4日
  3. ^ 田島 翔選手、新加入のお知らせ』(プレスリリース)ロアッソ熊本、2012年2月1日http://www.roasso-k.com/news/past_view.htm?id=201202&news_id=19942015年1月16日閲覧 
  4. ^ 田島翔が北海道リーグの十勝フェアスカイに移籍「リーグ連覇、JFL昇格に貢献できるように」”. サッカーキング (2015年4月15日). 2015年5月12日閲覧。
  5. ^ co.,Ltd, FromOne. “田島翔がマイアミ・Uに加入…元ブラジル代表アドリアーノとチームメートに”. サッカーキング. 2020年10月5日閲覧。
  6. ^ 【田島翔のサッカー人生】自ら営業までこなして函館から世界へ | ページ 3 / 6”. Football Tribe Japan (2018年9月25日). 2020年10月5日閲覧。
  7. ^ 元熊本の田島翔が7カ国目の海外挑戦、韓国K3リーグのソウル・ユナイテッドFCと契約”. サッカーキング (2018年8月20日). 2024年12月22日閲覧。
  8. ^ なぜ日本人が韓国3部へ移籍したのか 田島翔が明かす「加入へのいきさつ」”. Qoly (2018年8月29日). 2024年12月22日閲覧。
  9. ^ 【田島翔のサッカー人生】指導からスカウトまで?自身で勝ち取った終身契約”. Football Tribe Japan (2019年2月14日). 2019年9月20日閲覧。
  10. ^ co.,Ltd, FromOne. “熊本や海外各国でプレーの田島翔、函館1部からJリーグ目指す!「幸せなサッカー人生です」”. サッカーキング. 2019年9月19日閲覧。
  11. ^ https://twitter.com/tajivegas/status/1275602238069633025/”. Twitter. 2020年10月5日閲覧。
  12. ^ co.,Ltd, FromOne. “元熊本の田島翔、日本人初のサンマリノリーグへ移籍「CL出場が目標」”. サッカーキング. 2020年12月13日閲覧。
  13. ^ 『FC北斗アステリスモ』”. 函館サッカー・FC北斗アステリスモ. 2019年10月20日閲覧。
  14. ^ 道南の小学生サッカークラブが設立記念パーティー - 共同通信2011年11月22日
  15. ^ ラスベガスシティFC田島翔選手がチームアドバイザーとして提携
  16. ^ 『フットライズサッカーアカデミー』”. 韓国ソウル&函館サッカースクール. 2020年10月5日閲覧。
  17. ^ https://twitter.com/japankelme/status/1278942761232695297”. Twitter. 2020年10月5日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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