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日本やくざ伝 総長への道

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日本やくざ伝 総長への道
監督 マキノ雅弘
脚本 高田宏治
原作 藤原審爾『総長への道』
出演者 高倉健
若山富三郎
野川由美子
鶴田浩二
音楽 木下忠司
撮影 赤塚滋
編集 堀池幸三
製作会社 東映京都撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 1971年3月6日
上映時間 99分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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日本やくざ伝 総長への道』(にっぽんやくざでん そうちょうへのみち)は、1971年3月6日に公開された日本映画。監督:マキノ雅弘、製作:東映京都撮影所、主演:高倉健藤原審爾の小説『総長への道』を原作とする、昭和初期の博徒組織の内部抗争を描いた作品。

高倉主演の新シリーズ「日本やくざ伝シリーズ」の1作目として企画されたが、東映ヤクザ路線が力を失いつつある時期に製作された事情もあり、本作以降の続編は製作されなかった[1][2]

封切り時(1971年3月9日以降)の同時上映作品は「ずべ公番長シリーズ」第4作『ずべ公番長 はまぐれ数え唄』(監督:山口和彦、主演:大信田礼子)。

ストーリー

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上州高崎の博徒「前田一家」仔分の大松(だいまつ)はある日、想いを寄せるお若が経営する居酒屋で、暴れる流れ者をはずみで殺してしまう。駆け付けた警官隊に逮捕された大松は、出所後のお若との結婚を一方的に約束し、さらに前田一家本家の代貸・竜太郎にお若の身辺警護を託して服役する。前田一家の次期総長を狙う幹部の大宮は、竜太郎の失脚を狙い、子飼いの壺振り師・十郎にお若を誘惑させ、2人を駆け落ちさせる。お若が消えたことを知った竜太郎は、十郎の故郷・浜松に飛び、2人を発見するが、彼を賭場荒らしと勘違いした地元の博徒・河合組に捕らわれたため、目前で2人を逃がしてしまう。竜太郎は河合組貸元・河合に仁義を切り、誤解を解く。また、地元の造り酒屋を勘当された青年・信次郎につきまとわれるようになる。

高崎に戻れなくなった竜太郎は、大宮の命により、兄弟分の兼蔵のいる「南善一家」を頼って大阪に身を寄せ、同じく大阪を拠点とする「どぶ辰一家」と南善一家の縄張り争いの調停に従事する。これは大宮が、自身と通じたどぶ辰一家に竜太郎を暗殺させるための計略だった。信次郎や南善一家の機転で暗殺計画は未然に防がれる。また、竜太郎は河合と再会する。河合はどぶ辰一家の仔分であり、竜太郎同様、縄張り争いの調停のために大阪に来ていた。竜太郎と河合の話し合いで、争いは一応の調停をみる。一方、竜太郎に「ヤクザにだけはなるな」と諭された信次郎はどこかへ去る。

やがて竜太郎は京都置屋遊女に身を落としたお若を発見する。お若は大松が逮捕される前から肺結核を患っており、余命いくばくもなかった。竜太郎はお若を身請して大阪の病院に入院させ、さらに十郎に大金をやって満洲に逃亡させる。出所した大松は、お若の近況を知って病院に急行する。竜太郎は十郎のことを明かさなかったため、お若が竜太郎と駆け落ちをしたと勘違いした大松は怒り狂う。お若は十郎のことを正直に話して大松の誤解を解き、さらに竜太郎に惚れていることを明かして「竜太郎さんは指一本触れてくれなかった」とつぶやき、息絶える。

どぶ辰一家の親分・辰五郎は権力奪取をあきらめきれず、大宮と組んで南善一家の親分・南善らを殺害。南善の客分となっていた竜太郎は、敵討ちのために単身どぶ辰の事務所に踏み込む。そこで竜太郎は、河合と刃を交えざるを得なくなり、河合は絶命する。そこへ、お若の遺髪を懐に入れた大松が駆け付け、竜太郎とともに辰五郎・大宮らを倒す。

出演

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  • 大宮益三(前田一家仔分・大宮組貸元):天津敏
  • 南善八郎(南善一家親分):嵐寛寿郎
  • 杉野辰五郎(どぶ辰一家親分):遠藤辰雄
  • 前田勇蔵(前田一家総長):近衛十四郎
  • 河合己之吉(どぶ辰一家仔分・河合組貸元):鶴田浩二

スタッフ

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作品の評価

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監督のマキノ雅弘は公開時のインタビューで、本作を以下のように自己評価している。

  • 「“総長”は大正時代香具師だけでヤクザ(の世界)にはないのよ。会社はそんなこと知らん顔だ。それにダメなヤツの“あわれ”がやくざ路線のいいところだが、主人公が優等生になってきたところもいかんね。女の前で平気でへをして『えへへ』ってのがいいんだ。まがいもの売ってんだ、悲しいねえ。同じやくざ映画を作り過ぎよ。東映は館主に弱いから、一つ当たると同じものばかりやる。それがあの会社の限界だあ。やくざ以外はパンパン映画(東映ポルノ)ばかり。岡田茂(東映企画本部長)は自分の息子(岡田裕介)を俳優にしながら東映には入れないだろう。やくざが悪いってこと、本人が知ってるからよ。いつも最後はドスを抜いて殴り込みだ。でもあれ健坊(高倉健)の力だね。あの子、本当に目が血走るもの。だから客席が『待ってました』だ。高橋英樹じゃそうはいかん。だって初めから誰も待ってないもん。邦画各社を歩くとどこも『絶対当たるやくざ映画をひとつ…』と言う。やっと世の中、平和になったら、映画のいらない時代になった。一年ほど休みたいよ。でも間に合わなくなると岡田がワシのところへ来るよ。『巨匠たのむ』ってえと『はいよ』ってことになるんだね、これが…[6]

下番線(名画座の一種で、封切り公開終了後の1週から2週以上あとに上映する映画館)の新宿昭和館は立ち見も出る大ヒットとなった[6]

脚注

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  1. ^ 日本やくざ伝・総長への道 - ぴあ
  2. ^ マキノ雅弘山田宏一山根貞男マキノ雅弘自伝 映画渡世 地の巻』平凡社、1977年、447頁。 
  3. ^ 日本やくざ伝 総長への道 - 国立映画アーカイブ等では演者を戸田皓久としているが誤り。
  4. ^ 日本やくざ伝 総長への道 - 国立映画アーカイブ等では演者を林彰太郎としているが誤り。
  5. ^ 日本やくざ伝 総長への道 - 国立映画アーカイブ等では役柄を「駅員」としているが誤り。
  6. ^ a b 安達英一『「津川雅彦物語」カツドウ屋血族』報知新聞社、1997年、188-189頁。ISBN 9784831901224 

外部リンク

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