日本の航空事故
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日本の航空事故(にほんのこうくうじこ)は、日本国内で発生した民間航空機やゼネラル・アビエーションの航空事故およびインシデントについての一覧である。以下ではそれぞれの事故を事故発生日順に並べ、凡例で挙げた項目について記載している。
日本国外で発生した航空事故については以下を参照。
- 航空事故の一覧 (1959年以前) - 1959年以前に発生した航空事故
- 航空事故の一覧 (1960年から1979年) - 1960年から1979年までに発生した航空事故
- 航空事故の一覧 (1980年から1999年) - 1980年から1999年までに発生した航空事故
- 航空事故の一覧 (2000年から2019年) - 2000年から2019年までに発生した航空事故
- 航空事故の一覧 (2020年以降) - 2020年以降に発生した航空事故
なお、日本国内の各航空会社の事故については、以下の一覧記事も参照のこと
凡例
[編集]- 事故発生日
- 便名: 航空会社と便名もしくは機体記号または機体名
- 機種: 製造元と機種
- 死者: 犠牲者数
- 状況: 事故の状況
- 詳細: 個別の記事がある場合には詳細として内部リンク
1910年代
[編集]1913年
[編集]1920年代
[編集]1923年
[編集]- 1923年1月9日
- 便名: 不詳
- 機種: 中島式5型
- 死者: 1人
- 状況: 東西定期航空会の機体が三島練兵場を離陸した直後に墜落。機長は同年8月24日に死亡し、民間航空輸送史上初の死者となった[4]。
- 1923年2月22日
1924年
[編集]1926年
[編集]1927年
[編集]- 1927年4月1日
- 1927年11月3日
- 便名: 不詳
- 機種: 不詳
- 死者: 不詳(10数人死傷)
- 状況: 京都府安井飛行場で開催された曲芸飛行大会にて、参加した機体が誤って観客席に墜落[4]。
1928年
[編集]1930年代
[編集]1931年
[編集]1932年
[編集]1935年
[編集]1936年
[編集]→詳細は「アンドレ・ジャピー#日本での墜落事故」を参照
1937年
[編集]- 1937年5月26日
- 便名: フランス航空省主催「パリ東京間100時間懸賞飛行レース」
- 機種: コードロンC635シムーン
- 死者: 乗員2名軽傷。
- 状況: 悪天候により高知県の戸原海岸に不時着、転覆して大破。マルセル・ドレ(fr:Marcel Doret)と機関士が軽傷を負った[12]。
1938年
[編集]- 1938年7月29日
- 1938年8月24日
- 便名: 1) 日本飛行学校 訓練機(機体記号:J-BIDH)、2) 日本航空輸送 旅客機(機体記号:J-BJDO)
- 機種: 1) アンリオ (en) HD.14 EP-2、2) フォッカー スーパーユニバーサル
- 死者: 両機の乗員5人全員と地上の80人が死亡。
- 状況: 大森区(現在の大田区)上空で空中衝突。1機が工場に墜落し爆発炎上したため、付近の市民も数多く巻き込まれた。
- 詳細:「大森民間機空中衝突墜落事故」を参照。
- 1938年12月8日
1939年
[編集]- 1939年5月17日
- 便名: 大日本航空 球磨号(機体記号:J-BCOZ)[15]
- 機種: ロッキード L-14-WG3B スーパーエレクトラ[15]
- 死者: 乗員乗客11人中6人が死亡。
- 状況: 日中連絡航空便が福岡県の雁ノ巣飛行場からの離陸に失敗し、海岸近くの松林に墜落した。
- 詳細: 「大日本航空球磨号墜落事故」を参照。
- 1939年9月8日
1940年代
[編集]1940年
[編集]1942年
[編集]1950年代
[編集]1952年
[編集]1954年
[編集]1956年
[編集]1957年
[編集]1958年
[編集]1960年代
[編集]1960年
[編集]- 1960年2月24日
- 便名: 不詳(海上保安庁機)
- 機種: シコルスキー S-55
- 死者: 乗員4人全員が死亡
- 状況: 海上保安庁のヘリコプターが北海道銭亀沢村の宇賀小学校(1972年に合併のため閉校)のグラウンドに墜落[25]。
- 1960年3月16日
- 便名: 1) 全日本空輸 25便、2) 航空自衛隊 訓練機(機体記号:94-8137)
- 機種: 1) ダグラス DC-3、2) ノースアメリカン F-86D セイバー
- 死者: 両機の乗員乗客34人中3人が死亡。
- 状況: 航空管制ミスにより、小牧空港の滑走路上で2機が正面衝突。
- 詳細: 「全日空小牧空港衝突事故」を参照。
- 1960年4月1日
- 1960年11月17日
1962年
[編集]1963年
[編集]- 1963年4月24日
- 1963年5月1日
- 便名: 日東航空 つばめ号(機体記号:JA3115)
- 機種: デ・ハビランド・カナダ DHC-3 オッター
- 死者: 乗員乗客11人中9人が死亡(2人が負傷)。
- 状況: 濃霧の中、航路を誤ったことで淡路島の諭鶴羽山に墜落。
- 詳細: 「日東航空つばめ号墜落事故」を参照。
- 1963年5月10日
- 便名: 全日本空輸 802便
- 機種: ダグラス DC-3
- 死者: なし(7人が負傷)。
- 状況: 仙台空港で着陸に失敗。
- 詳細: 「全日空機仙台空港着陸失敗事故」を参照。
- 1963年8月17日
- 便名: 藤田航空 臨時便(機体記号:JA6155)
- 機種: デ・ハビランド DH-114 ヘロン1B
- 死者: 乗員乗客19人全員が死亡。
- 状況: エンジントラブルのために空港に引き返そうとして山間部に墜落。
- 詳細: 「藤田航空機八丈富士墜落事故」を参照。
1964年
[編集]1965年
[編集]- 1965年2月14日
- 1965年2月27日
- 便名: 日本航空 訓練機(機体記号:JA8023)
- 機種: コンベア 880-22M-22[29]
- 死者: なし(2人が負傷)。
- 状況: 「日本航空壱岐空港墜落事故」を参照。
- 1965年12月25日
- 便名: 日本航空 813便
- 機種: ダグラス DC-8-33
- 死者: なし。
- 詳細: 「日本航空オークランド空港緊急着陸事故」を参照。
1966年
[編集]- 1966年2月4日
- 1966年3月4日
- 1966年3月5日
- 便名: 英国海外航空 (BOAC) 911便
- 機種: ボーイング 707-436[32]
- 死者: 乗員乗客124人全員が死亡。
- 状況: 富士山上空で乱気流に巻き込まれて機体が空中分解し墜落。
- 詳細: 「英国海外航空機空中分解事故」を参照。
- 1966年8月26日
- 便名: 日本航空 銀座号(訓練機、機体記号:JA8030)
- 機種: コンベア CV-880-22M-3[33]
- 死者: 乗員5人全員が死亡。
- 状況: 操縦士の試験飛行の際に離陸に失敗し、滑走路脇に墜落炎上。
- 詳細: 「日本航空羽田空港墜落事故」を参照。
- 1966年9月18日
- 便名: 全日本空輸 60便
- 機種: フォッカー F27 フレンドシップ
- 死者: なし。
- 詳細: 「全日空機鹿児島空港オーバーラン事故」を参照。
- 1966年11月13日
1967年
[編集]1969年
[編集]- 1969年10月20日
- 便名: 全日本空輸 104便
- 機種: 日本航空機製造 YS-11A-213[36]
- 死者: なし。
- 詳細: 「全日空機宮崎空港オーバーラン事故」を参照。
- 1969年12月14日
- 便名: 1) 全日本空輸 547便、2) 読売新聞社 取材機(機体記号:JA5022)
- 機種: 1) 日本航空機製造 YS-11A-213[37]、2) ビーチクラフト C-50 ツイン・ボナンザ
- 死者: なし。
- 状況: 全日空所属のYS-11型機が兵庫県淡路島上空で読売新聞社所有のビーチクラフト機と接触。幸い両機とも大阪空港に無事に着陸した。接触によりビーチクラフト機は方向舵が利かなくなり、プロペラが曲がる損傷。全日空機は事故で左主翼の先端を接触で失った[38]が、製造中の主翼を流用して1か月後に復帰した。なお、全日空機は退役後、香川県のさぬきこどもの国で保存展示されている。
- 詳細: 「全日空機淡路島空中接触事故」を参照。
1970年代
[編集]1970年
[編集]- 1970年2月10日
- 1970年5月23日
- 1970年7月27日
- 便名: フライング・タイガー・ライン 45便
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-8-63AF
- 死者: 乗員4人全員が死亡。
- 状況: 那覇空港の滑走路手前の海上に墜落。
- 詳細: 「フライング・タイガー・ライン45便那覇沖墜落事故」を参照。
1971年
[編集]1972年
[編集]- 1972年5月15日
- 便名: 日本航空 便名不明
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-8-61(機体記号:JA8046)[44]
- 死者: なし(16人が負傷)
- 状況: 操縦ミスにより離陸中に滑走路を逸脱し、エンジンより出火。
- 詳細: 「日本航空の航空事故およびインシデント#日本航空羽田空港暴走事故」を参照。
- 1972年5月30日
- 便名: 横浜航空 そよかぜ号
- 機種: セスナ 402A
- 死者: 乗員乗客10人全員死亡。
- 詳細: 「横浜航空そよかぜ号墜落事故」を参照。
- 1972年9月23日
- 1972年12月8日
- 便名: 東亜国内航空 便名不明
- 機種: ボーイング727-100
- 死者: なし
- 詳細: 東京発大分経由鹿児島行きの東亜国内航空機が大分空港に着陸後、エプロンに向かうためにUターンを行ったところ、操作を誤り滑走路外へ逸脱。草地へ突っ込み前脚を損傷した。東亜国内航空はジェット機を導入したばかりで、万全を期すために機長資格者2名同乗させるダブルパイロット制を採用。さらに当該機は東亜国内航空の運行責任者が直々に操縦していたが事故を避けられなかった[46]。
1973年
[編集]1976年
[編集]- 1976年3月23日
- 1976年9月15日
- 便名: 大洋航空(近代航空によるチャーター)
- 機種: セスナ 172M(機体番号:JA3732)
- 死者: 乗客2人が行方不明(死亡と推定)、乗員2名が負傷。
- 状況: 元高崎経済大学学長で経済学者の田中精一夫妻が、近代航空に伊豆大島上空遊覧飛行の斡旋を依頼。同社社長が大洋航空を紹介したが、同社幹部は「この夫婦は搭乗したいと何度も来社したが、様子がおかしいので乗せられない」と断ったため、近代航空の社長が同乗することを条件に、調布飛行場を飛び立った。伊豆大島を周回後、相模湾上空の高度2,000m付近を飛行中に突然、田中が機長の肩や首をナイフで切りつけたため、副操縦席にいた社長が田中を殴ったところ、田中の妻が医療用メスで社長に斬りかかった。もみ合いになり、機が急降下したところで田中夫妻はそれぞれ両サイドのドアを開け、機外へ飛び降りた。機長が出血多量により意識朦朧となったため、代わりに社長が操縦桿を握り、約30分後に羽田空港に緊急着陸した。田中夫妻は捜索が行われたものの発見できず、機長は全治2か月の重傷、社長は全治2週間の怪我を負った[50][51][52][53][54][55][56]。
1977年
[編集]- 1977年9月8日
- 便名: 全日本空輸 855便
- 機種: 日本航空機製造 YS-11A-500[57]
- 死者: なし。
- 詳細: 「全日空機大島空港オーバーラン事故」を参照。
1978年
[編集]- 1978年6月2日
- 便名: 日本航空 115便
- 機種: ボーイング 747SR-46[58]
- 死者: なし(23人が負傷)
- 状況: 伊丹空港へ着陸の際、機体を引き起こしすぎたため胴体後部を滑走路に接触させるしりもち事故となった。同機体はボーイング社による圧力隔壁の不良修理の結果、1985年の日本航空123便墜落事故を起こす遠因となった。
- 詳細: 「日本航空115便しりもち事故」を参照。
- 1978年8月3日(消息不明日)
- 便名: ジャパン・レンタル・プレーン(チャーター機)
- 機種: 富士 FA-200 エアロスバル
- 死者: 4人
- 状況: 8月3日から行方不明になっていたが、同月17日、栃木県男体山裏手の女峰山山麓に墜落しているのが発見された[59]。
1979年
[編集]- 1979年1月30日
- 便名: ヴァリグ・ブラジル航空 967便
- 機種: ボーイング 707-323C[60]
- 死者: 乗員6人全員が死亡。
- 状況: 新東京国際空港を離陸後、太平洋上空を飛行中に失踪。機体および乗員は発見されなかったため、原因不明。
- 詳細: 「ヴァリグ・ブラジル航空967便遭難事故」を参照。
- 1979年7月21日
- 便名: 東亜国内航空 381便
- 機種: 日本航空機製造 YS-11-109[61]
- 死者: なし
- 詳細: 「東亜国内航空381便胴体着陸事故」を参照。
1980年代
[編集]1982年
[編集]1983年
[編集]- 1983年3月11日
- 便名: 日本近距離航空 497便
- 機種: 日本航空機製造 YS-11A-208(機体番号:JA8693)[63]
- 死者: なし(52人が負傷)
- 状況: 中標津空港に着陸進入中、滑走路手前の樹木に接触し墜落。 操縦士が吹雪のため滑走路の視認に気をとられ、適切な進入角度を取らないまま着陸を行ったのが原因。
- 詳細: 「日本近距離航空機中標津空港事故」を参照。
1984年
[編集]1985年
[編集]- 1985年8月12日
- 便名: 日本航空 123便
- 機種: ボーイング 747SR-46(機体番号:JA8119)[66]
- 死者: 乗員乗客524人中520人が死亡。
- 状況: ボーイング社の修理ミスにより圧力隔壁が破損し、垂直尾翼が吹き飛び油圧を損失した。操縦不能に陥り迷走した後に群馬県の山中に墜落。単独機による事故では史上最悪の犠牲者数。
- 詳細: 「日本航空123便墜落事故」を参照。
1987年
[編集]- 1987年8月2日
- 便名: 日本農林ヘリコプター
- 機種: アエロスパシアル AS350B(機体記号:JA9355)
- 死者: 番組パーソナリティ(石田紀子)と番組スタッフ1名(その他の搭乗員3名も負傷)。
- 状況: ラジオ番組「湘南ミュージックスカイウェイ」のために飛行していたヘリコプターが、高度を下げすぎて海面に墜落。番組はそのまま打ち切りとなった。
- 詳細: 「湘南ミュージックスカイウェイ#パーソナリティーの事故死および番組終了」を参照。
1988年
[編集]- 1988年1月10日
- 1988年1月18日
- 便名: 全日本空輸 779便
- 機種: ロッキード L-1011-385-1 トライスター1[68]
- 死者: なし
- 状況: 千歳空港への夜間着陸の際に滑走路を見失い、滑走路接地後に再浮上して滑走路の左側端に接地後オーバーランし滑走路を右側に飛び出して停止した。機体下面やエンジン下部を損傷するなど中破した。
- 1988年5月30日
- 便名: 全日本空輸
- 機種: ボーイング 737-281 Adv(機体記号:JA8455)[69]
- 死者: なし。
- 状況: 沖縄県の下地島空港で片方のエンジンを止めた状態での離陸訓練をしていた際に、滑走路を逸脱し空港エプロン上で停止した。事故機は機体各部を損傷し、損傷した左主翼から燃料漏れを起こしたものの、負傷者は出なかった。
- 詳細: 「全日空訓練機下地島離陸失敗事故」を参照。
1990年代
[編集]1990年
[編集]- 1990年9月27日
- 便名: 阪急航空 204便
- 機種: 川崎重工BK117-B1型
- 死者: 乗員2名乗客8名全員が死亡。
- 状況: 宮崎空港から延岡ヘリポートに向かっていたが台風20号の接近による視界不良により日向市細島港北側の牧島山山頂付近に墜落。延岡市に創業地工場群を持つ旭化成は、本社のある大阪市、東京への社員の出張又そこからの出張の受け入れが多いが、宮崎 - 延岡間は当時、鉄道は空港とつながっておらず、高速道路もなかった[70]。そのため、旭化成は自社ヘリポートを用意し、延岡工場と宮崎空港間を25分で結ぶヘリコプター路線を1989年3月に開設し、年間1万5千人の社員と、6000人の訪問者を運ぶ予定であった。しかしながら、この事故によりヘリコプターの運航を断念、日豊本線の「高速化」や、日南線の空港アクセス活用の気運がにわかに高まり、宮崎空港線敷設の契機となった。
- 詳細: 「阪急航空チャーター機墜落事故」を参照。
1993年
[編集]- 1993年4月18日
- 便名: 日本エアシステム 451便
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-9-41
- 死者: なし(3人が負傷)。
- 状況: 花巻空港に着陸進入中に激しい乱気流に巻き込まれ、急激に降下したためハードランディングし機体が破損、炎上した。
- 詳細: 「日本エアシステム451便着陸失敗事故」を参照。
1994年
[編集]- 1994年4月6日
- 1994年4月26日
- 便名: 中華航空 140便
- 機種: エアバス A300B4-622R[72]
- 死者: 乗員乗客271人中264人が死亡。
- 状況: 名古屋空港への着陸復行の際に操縦士と機体制御システムが相反したあげく、失速し墜落。
- 詳細: 「中華航空140便墜落事故」を参照。
- 1994年10月18日
- 便名: 1) 朝日新聞社 取材機(機体記号:JA9621)、2) 毎日新聞社 取材機(機体記号:JA9250)
- 機種: 1) アエロスパシアル AS355 F1、2) アエロスパシアル AS350B[73]
- 死者: 朝日機の乗員3人全員が死亡。
- 状況: 和歌山県から戻る途中の朝日新聞社の取材ヘリコプターが、大阪府泉佐野市にある上之郷インターチェンジ上空で毎日新聞社の取材ヘリコプターと空中衝突し墜落[73]。事故原因は双方の見張り不充分であったが、山脈または市街地を背景に接近したため、互いに視認しにくい状況でもあった[73]。なお、毎日機は損傷を受けたが無事に着陸でき、また皮肉にも事故後に当事者と認識しないまま朝日機の墜落現場を上空から撮影していた。
1996年
[編集]- 1996年2月9日
- 1996年6月13日
- 便名: ガルーダ・インドネシア航空 865便
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-10-30
- 死者: 乗員乗客275人中3人が死亡[75]。
- 状況: 離陸滑走中にエンジンが故障し離陸中断したが、離陸決心速度を既に超過していたためオーバーラン、空港に隣接する道路を横切り、擱座・炎上した。
- 詳細: 「福岡空港ガルーダ航空機離陸事故」を参照。
1997年
[編集]- 1997年1月24日
- 1997年6月8日
- 便名: 日本航空 706便
- 機種: マクドネル・ダグラス MD-11
- 死者: なし(12人が負傷[77]、のちに1人が死亡)。
- 状況: 着陸アプローチ中に自動操縦が突如解除され、機体が突如乱高下したことで搭乗員が負傷した。
- 詳細: 「日本航空MD11機乱高下事故」を参照。
1998年
[編集]- 1998年11月14日
- 便名: 日本トランスオーシャン航空 022便
- 機種: ボーイング 737-200
- 死者: なし(5人が負傷)。
- 状況: 副操縦士が漁火らしき灯火を航空機の接近と誤認し、急激な回避動作を行い機体を激しく動揺させたため負傷者が発生した。
- 詳細: 「日本航空の航空事故およびインシデント#日本トランスオーシャン航空022便」を参照。
2000年代
[編集]2000年
[編集]- 2000年2月16日
- 便名: エアーニッポン 354便
- 機種: 日本航空機製造 YS-11A-213
- 死者: なし[78]。
- 状況: 札幌飛行場への着陸時に滑走路をオーバーランし、スノーバンクに衝突した。
2001年
[編集]- 2001年1月31日
- 便名: 1) 日本航空 907便、2) 日本航空 958便
- 機種: 1) ボーイング 747-400D、2) マクドネル・ダグラス DC-10-40
- 死者: なし(907便の100人が負傷)。
- 状況: 航空管制官が誤った指示を出したため、2機が空中衝突寸前のニアミスを起こした。
- 詳細: 「日本航空機駿河湾上空ニアミス事故」を参照。
- 2001年5月19日
2002年
[編集]2003年
[編集]2004年
[編集]- 2004年1月1日
- 便名: 日本エアシステム 979便(運航はハーレクィンエア)
- 機種: マクドネル・ダグラス MD-81
- 死者: なし(2人が負傷)。
- 状況: 徳之島空港へ着陸時に左主脚を折損し、左主翼が滑走路上に接触して動けなくなった。 原因は左主脚に金属疲労による亀裂が生じ、着陸時の衝撃により折損したため。
- 詳細: 「日本エアシステム機徳之島空港着陸失敗事故」を参照。
- 2004年9月23日
2005年
[編集]- 2005年5月3日
- 2005年6月15日
- 便名: 日本航空インターナショナル 1002便[87]
- 機種: ボーイング 767-300
- 死者: なし(17人が負傷)。
- 状況: 操縦桿の操作ミスにより、前脚の着地時に著しい荷重がかかりこれにより前脚を破損したものである。
- 2005年8月12日
- 便名: JALウェイズ 58便
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-10-40
- 死者: なし。
- 状況: 福岡空港離陸直後にエンジンから出火、部品の破片が市街地に散乱した。出火した模様は偶然NHKのテレビカメラに撮られており放送された。
- 詳細: 「JALウェイズ58便エンジン爆発事故」を参照。
2007年
[編集]- 2007年3月13日
- 便名: 全日本空輸 1603便(運航はエアーセントラル)
- 機種: ボンバルディア DHC-8-402Q ダッシュ8[88]
- 死者: なし。
- 状況: 車輪が出なくなったため胴体着陸を行った。その後長時間にわたり滑走路が閉鎖された。
- 詳細: 「全日空機高知空港胴体着陸事故」を参照。
- 2007年4月9日
- 2007年8月20日
- 2007年10月27日
- 便名: 大阪航空 体験飛行便(機体記号:JA102D)[91]
- 機種: ロビンソン R22 Beta
- 死者: 乗員乗客2人全員が死亡。
- 詳細: 「大阪航空堺市墜落事故」を参照。
2008年
[編集]2009年
[編集]- 2009年3月23日
- 便名: フェデックス 80便
- 機種: マクドネル・ダグラス MD-11F
- 死者: 乗員2人全員が死亡。
- 状況: 成田国際空港A滑走路の着陸時に引き起こし動作が遅れたため、滑走路への接地後にポーポイズ現象が起こり機体がバウンド。3回目の接地時、左主脚に垂直方向の過大な荷重が掛かり、設計限界を超える荷重が左主翼に伝わったため、主翼の付け根が破断し横転。滑走路脇へ転覆、炎上した。
- 詳細: 「フェデックス80便着陸失敗事故」を参照。
- 2009年9月11日
2010年代
[編集]2010年
[編集]2011年
[編集]2012年
[編集]- 2012年2月5日
- 2012年6月20日
- 便名: 全日空 956便
- 機種: ボーイング767-300ER
- 死者: なし
- 状況: 成田空港で北京首都国際空港発の全日空機(B767-300ER型機)が、着陸時に主脚と前脚が交互に接地してバウンドを繰り返しながら着陸した。乗員乗客全員にけが人は出なかったが、着陸時の衝撃で機体の一部が変形した。
2015年
[編集]- 2015年2月12日
- 便名: 海上自衛隊鹿屋航空基地第211教育航空隊所属OH-6DAヘリコプター
- 機種: ヒューズ・ヘリコプターズ OH-6DAヘリコプター
- 死者: 3名(機長かつ教官三等海佐、同乗三等海佐、操縦訓練生二等海曹)
- 状況: 訓練生の航法訓練のため、薩摩半島を経由しながら北上。しかし、鹿児島県出水市付近の天候不良により、宮崎県えびの市上空を通過して大隅半島を南下するルートに変更。北部の鹿児島県伊佐市上空で消息を絶った。翌13日に、えびの市の山中で、機体とともに隊員3名の遺体が発見された。海上自衛隊は、調査の結果、悪天候下で機長が「空間識失調」に陥ったことが原因と発表した。
- 詳細: 「OH-6DAえびの墜落事故」を参照。
- 2015年4月14日
- 便名: アシアナ航空 162便
- 機種: エアバス A320-232[99]
- 死者: なし(28人が負傷[100])。
- 状況: 仁川国際空港発の便が広島空港の滑走路へ進入する際、標準接近高度より低く飛行していたため、着陸復行を行ったが間に合わず、ローカライザアンテナに接触し、着陸後滑走路を逸れて停止した[100]。
- 詳細: 「アシアナ航空162便着陸失敗事故」を参照。
- 2015年7月26日
- 便名: 個人所有機(機体記号:JA4060)[101]
- 機種: パイパー PA-46-350P マリブ・ミラージュ[101]
- 死者: 乗員5人中2人と地上の1人が死亡。
- 状況: 慣熟飛行の届出[102] で調布飛行場から伊豆大島に向けて離陸した直後、近隣の住宅地に墜落し、大破・炎上した[103]。最大離陸重量を超過した状態で飛行し、過度な機首上げ姿勢を継続したことなどにより失速して墜落したと推定されている[101]。
- 詳細: 「調布市PA-46墜落事故」を参照。
- 2015年8月28日
- 便名: 第一航空 101便
- 機種: バイキング DHC-6 ツイン・オッター400[104]
- 死者: なし。
- 状況: 那覇空港発粟国空港行きの便が、粟国空港着陸直後に滑走路から大きく右側にそれ、空港外周の柵に衝突した。乗員乗客14名に死者はいないものの、11名が負傷した[104]。
- 詳細: 「第一航空機粟国空港着陸失敗事故」を参照。
2016年
[編集]- 2016年4月6日
- 2016年5月27日
- 便名: 大韓航空 2708便
- 機種: ボーイング 777-300
- 死者: なし。
- 状況: 羽田空港を離陸滑走中に左エンジンから発煙し、その後出火した。
- 詳細: 「大韓航空2708便エンジン火災事故」を参照。
2017年
[編集]- 2017年1月19日
- 2017年3月5日
- 便名: 長野県 消防防災ヘリコプター「アルプス」(機体記号:JA97NA)[106]
- 機種: ベル 412EP
- 死者: 乗員9人全員が死亡。
- 状況: 山岳救助訓練のため、パイロット1人、整備士1人、および長野県内の消防隊員7人の計9人を乗せ、13時31分に長野県松本市の松本空港を離陸した後、鉢伏山付近に墜落した。目的地である高ボッチ高原の臨時ヘリポートに到着時刻を30分過ぎてもヘリは到着せず、ヘリからの連絡も無かったため、長野県警察航空隊「やまびこ2号」が捜索したところ、墜落している機体を発見した。事故当日に3人、翌日に6人の死亡が確認され、長野県最悪の航空機事故となった[107]。長野県警は被疑者不詳で、業務上過失致死容疑で捜査中[108]。
- 2017年5月15日
- 便名: 陸上自衛隊北部方面航空隊 LR-2
- 機種: LR-2連絡偵察機(ビーチクラフト社スーパーキングエア350)
- 死者: 乗員4人全員が死亡。
- 状況: 2017年5月15日に急患搬送のため出動した北部方面航空隊の所属機(乗員4名)が、函館空港西方約30kmを飛行中に消息を絶った。 現場は厚沢部町・鶉ダム周辺の山中で、視界不良のため計器飛行方式で飛行しつつ着陸準備をしていたとみられている。当時は厚沢部町に雷・濃霧注意報、函館市と北斗市に強風注意報が発令されるなど、大気が不安定な状態であった。 5月16日朝になって北斗市の袴腰山山頂から東に3kmの山中で機体が発見されたが、乗員4名はいずれも死亡が確認された
- 2017年6月3日
- 2017年6月9日
- 2016年6月29日
- 2017年8月14日
- 2017年8月17日
- 2017年8月26日
- 便名: 海上自衛隊第21航空群第25航空隊所属SH-60J
- 機種: 三菱重工業SH-60J(シコルスキー・エアクラフトSH-60B)
- 死者: 乗員4人中2人(1人は救助され、もう1人は行方不明)
- 状況: 午後10時50分頃、護衛艦「せとぎり」での夜間発着艦訓練中に同機の方位指示器に大きな誤差が出ていることが分かり、復旧操作を行うため艦から離れて復旧操作として姿勢方位基準装置の電源を切ったところ、自動操縦装置による姿勢の安定を維持する機能が低下し墜落した。翌27日までに現場付近の海域から機体の一部とフライトレコーダーが発見された。乗員4人のうち男性乗員1人は事故発生後約35分後に救助されたが、機長を含む残り3人は行方不明となった。同年10月中旬に水深2,600メートルの海底で上下逆さまとなった機体が発見され、10月27日に機体を揚収し内部を確認した結果、2名の行方不明者を発見したが、残る1名の発見には至らず捜索を終了した。
- 2017年9月23日
- 便名: KLMオランダ航空868便
- 機種: ボーイング777-200型
- 死者: 無し
- 状況: KLMオランダ航空所属ボーイング式777-200型は、平成29年9月23日(土)、同社の定期868便としてアムステルダム・スキポール国際空港へ向けて関西国際空港を離陸した。同機が大阪市上空を加速上昇中、右主翼後縁付け根上方の胴体フェアリング(整流板)のパネルが脱落した。脱落したパネルが大阪市北区の道路上を走行中の車両に衝突した[113]。
- 2017年10月8日
- 2017年10月15日
- 2017年10月17日
- 2017年10月18日
- 便名: 航空自衛隊F-4
- 機種: マクドネル・エアクラフト社F-4 ファントムII
- 死者: なし
- 状況: 飛行訓練のために滑走路に向かっていたF-4戦闘機の主脚が折れ、誘導路上で出火し、約20分後に消えた。出火は主翼と燃料タンクの一部が地面に接触し、機体から漏れた燃料に引火したためだと思われる[116]。
- 2017年11月8日
- 便名: 東邦航空回送便
- 機種: エアバス・ヘリコプターズAS332L
- 死者: 乗員4人全員が死亡。
- 状況: 業務を終え、山梨県から栃木県のヘリポートに向かっていた回送便が長野・群馬県境を越えた後機体が制御不能に陥り、上野村の橋付近に墜落、炎上、大破した。機体とテールローターを繋ぐボルトに亀裂が入ったまま飛行を続けたためにボルトが破断しテールローターが外れたのが原因。しかも亀裂の事実が整備士(この事故で死亡)のみ知っていて共有されていなかった。
- 2017年12月29日
2018年
[編集]- 2018年3月24日
- 便名: ピーチアビエーション151便
- 機種: エアバスA320
- 死者: なし
- 状況: ピーチ151便が福岡空港着陸後、前脚のタイヤ2つがパンクして動けなくなり、滑走路が約2時間20分閉鎖された[118]。
- 2018年8月10日
- 便名: 群馬県防災航空隊「はるな」(機体記号:JA200G)
- 機種: ベル 412EP
- 死者: 乗員9人全員が死亡。
- 状況:8月11日に開通を予定している登山道「ぐんま県境稜線トレイル」の確認視察のため前橋市ヘリポートを離陸した群馬県防災ヘリコプター「はるな」が群馬県と長野県の県境付近を飛行中に消息を絶ち、直ちに航空自衛隊などが捜索を開始。群馬県吾妻郡中之条町の横手山に「はるな」の機体と見られる物体を発見[119]。その後、航空自衛隊や群馬県警察本部などによる捜索隊により「はるな」が墜落していることを確認し、本機に搭乗していた群馬県防災航空隊員4名並びに吾妻広域消防本部職員5名の合計9名[119] を救出し収容したが、11日になって9名全員の死亡が確認された[120]。事故の原因は、天候悪化で雲の中を飛行して地形を確認できなくなり、機長が高度や姿勢を把握できなくなる「空間識失調」に陥り、正常に操縦できなくなったことが原因と結論づけた。[121]
2019年
[編集]- 2019年2月20日
- 便名: 航空自衛隊 第8航空団 第6飛行隊 F-2戦闘機
- 機種: 三菱重工業 F-2(ロッキード・マーティン F-16 ファイティング・ファルコン)
- 死者: なし
- 状況: 訓練で山口県沖の日本海を飛行中にレーダーから機影が消えて連絡が取れなくなって、墜落した。原因は、前席操縦者が飛行諸元・飛行姿勢を適切に把握せずに操縦をし、適切な手順が実施できなかったため、異常姿勢及びその後の操縦不能状態に陥ってしまった。また、後席操縦者が操縦を交代し、回復操作を試みたものの、背面状態で体が浮き、マニュアルモードにするスイッチに手が届かず、また、前席操縦者に誤ったスイッチ操作の指示をしてしまい、正しい回復手段を取れず、操縦不能状態が継続した。
- 2019年4月9日
2020年代
[編集]2020年
[編集]2022年
[編集]- 2022年10月3日
- 便名: 日本トランスオーシャン航空 036便
- 機種: ボーイング 737-800
- 死者: なし
- 状況: 美保飛行場(鳥取県)付近を飛行中だった那覇発小松行きの便が揺れ、客室乗務員の女性が右足親指を骨折した[123]。
2023年
[編集]- 2023年3月2日
- 便名:オールニッポンヘリコプター(機体番号:JA37NH)[124]
- 機種:EC135T2
- 死者:なし
- 状況:燃料補給のために着陸した岡山空港の駐機スポットに接地する際に機体姿勢が不安定になり、強めに接地した。同機は大破したが火災は発生しなかった。機長、整備士には怪我は無かったがカメラマンが軽傷を負った。運輸安全委員会に航空事故と認定された。原因は調査中。
- 2023年4月6日
- 2023年4月18日
- 2023年9月7日
- 便名:航空大学校訓練機(機体番号:JA018C)
- 機種:シーラス式SR22型
- 死者:なし
- 状況:14時38分頃、釧路空港において連続離着陸訓練を行っていた航空大学校帯広分校所属の訓練機が滑走路を逸脱し、誘導路に着陸した。その後当該機は空港敷地を囲むフェンスに激突し停止。40代の男性教官1名と20代の男子学生3名が搭乗していたがいずれも怪我はなかった。また当該機は3本のギア全てが損傷した。本事故は当初、重大インシデントとされたが、その後航空事故に認定された。原因は調査中。
2024年
[編集]- 2024年1月2日
- 便名: 1) 日本航空 516便、2) 海上保安庁 みずなぎ1号
- 機種: 1) エアバス A350-941(機体記号:JA13XJ)、2) デ・ハビランド・カナダ DHC-8-Q300(機体記号:JA722A)
- 死者: 5名(海保機乗員)
- 状況: 17時47分頃、新千歳空港発のJAL機が羽田空港C滑走路へ着陸した直後に海上保安庁機と衝突、両機ともに大破炎上した。JAL機側に負傷者14名、海保側の機長が重傷、機長を除いた海保機の乗員5人が死亡[129]。海保機は、前日夕方に発生した令和6年能登半島地震対応で物資を運ぶ為、新潟航空基地(新潟空港)へ向けて離陸する予定だった。
- 詳細:「羽田空港地上衝突事故」を参照。
- 2024年4月20日
- 2024年4月24日
- 2024年6月4日
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “木村・徳田両中尉墜落地”. 所沢市. 2024年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月18日閲覧。
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- ^ “海保の小型機が大分県宇佐市付近の田んぼに不時着”. NHK. (2023年4月18日) 2023年4月18日閲覧。
- ^ “海保小型機が不時着 直前に「エンジンの出力があがらない」”. NHK. (2023年4月18日) 2023年4月18日閲覧。
- ^ “大分の海上保安庁セスナ機不時着トラブルは、エンジン出力上げる訓練中に不具合 乗員2人負傷”. 日刊スポーツ. (2023年4月18日) 2023年4月18日閲覧。
- ^ 日本航空 機体炎上“全員脱出” 海保機の5人死亡 乗客14人けが - NHK NEWS WEB・2024年1月2日23時44分配信
- ^ “4月の海上自衛隊ヘリ事故 “不明の7人は死亡と判断” 防衛省 | NHK”. NHKNEWSWEB (2024年6月11日). 2024年6月13日閲覧。
- ^ 貨物機が成田空港に引き返す 正常に着陸 乗員4人けがなし - NHK NEWS WEB 2024年6月4日 17時48分
- ^ 成田の緊急着陸、「重大インシデント」に認定 航空事故調査官を指名 - 朝日新聞デジタル 2024年6月5日 10時30分
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 運輸安全委員会 (JTSB)
- 日本の航空事故総覧
- Aviation Safety Network > Japan air safety profile - 日本国内で発生した民間航空機による事故の便覧